源氏物語で知られた紫式部。

彼女の『源氏物語』は、原稿用紙に

すると約2400枚の長編小説になる。

 

紫式部は『源氏物語』の中で挿入し

た歌は登場人物にあわせ創作でき、

中でも20回以上引用されたのが、藤

原兼輔の歌があり、この歌は「百人

一首」(27番)にもある。

 

藤原兼輔

藤原兼輔(877-933)は、紫式部

の曽祖父、ひいおじちゃんになる。

 

 

中納言兼輔こと藤原兼輔の百人秀歌。

みかの原わきてながるる

いづみ川いつ見きとてか

恋しかるたむ

 

この歌を直訳すると、

みかの原を湧き出て流れているいづ

み川。いつ逢ったのだろうか、なぜ

彼女が恋しいのだろうか。

という意味になる。

 

この歌、新古今集の恋の部に「題不

知、中納言兼輔」としてある。

ところが、兼輔の歌集にはこの歌が

無く、読人しらずの歌であるはずが、

新古今集の藤原定家・家隆撰、つい

で百人一首によって、世に顕れた歌

である。

 

みかの原わきてながるる

いづみ川いつ見きとてか

恋しかるたむ

 

湧きて(分けて)ながるる「いつ

見きとてか」、ただ(なつかしく)

見るだけでなく、いつ見染めた(

契りをむすんだ)か、わからない

が、どうして恋しいのだろうか。

 

この歌にはいろいろと懸けことば

がある奥の深い艶歌である。

男が湧き水の小さな流れを見て、

逢瀬かさね契りを結んだときの彼

女に懸けて、男の恋心を詠む。

どうもエロチックな歌のように思

えるのだが。

選者の藤原定家は、百人一首にこ

の恋歌をとりあげ、紫式部は『源

氏物語』に多く使っている。

 

 

 

紫式部の曽祖父・藤原兼輔

 

紫式部

紫式部は、曾祖父が藤原兼輔で、父

は越前守藤原為時で漢学者。

その後に年の離れた藤原宣孝と結婚

し、娘・大弐三位を産むが、夫の宣

孝は、早々に亡くなる。

 

紫式部の百人一首の歌。

 

 

紫式部の百人一首(57番)の歌

めぐり逢ひて見しやそれとも

わかぬまに雲がくれにし

夜半の月かな

 

道すがらお逢いしてお友だちかど

うか、わからぬままに、なんと夜

中の月が隠れてしまいました。

 

「新古今和歌集」の詞書きに「はや

くよりわらは友だちに侍りける人の、

年頃経て、行き逢ひたる、ほのかに

て7月10日の頃、月にきほひて侍り

ければ」とあり。あなたは、その月

と同じくらい帰ってしまい、寂しい

という心、その奥底の孤独感をただ

よわせる哀しさが漂う歌になってい

る。

 

紫式部

紫式部の個人名は不詳。父・為時が

天皇の儀式や典礼を司る「式部省」

出仕していたために付けられた名前

である。「紫」という色の名を『源

氏物語』のなかで、主人公の2番目の

妻に付けている。

夫が亡くなったあと藤原道長により、

一条天皇の中宮彰子(道長の娘)の

女房として出世することになる。

紫式部は『源氏物語』での詠み人知

らずの、この歌をよく取り入れてい

る。

みかの原わきてながるる

いづみ川いつ見きとてか

恋しかるたむ

 

 

 

紫式部(狩野探幽画・「画帖」)

 

 

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