慶応3年1月9日。

前年、父・孝明天皇が急死し、睦仁親王が

16歳で元服前に践祚。4年前の尊王攘夷派

追放されていた公卿の赦免が相次ぎ、倒幕

強行派の公卿・岩倉具視も復帰。朝廷の空気

は、幕府協調から倒幕、王政復古へ急激に動

いてゆく。このときの慶応3(1867)年。

 

<土佐藩と「長州処分撤回」>

1月12日 土佐藩参政の後藤象二郎(30)、脱藩

藩士の坂本龍馬(33)と長崎で会見し、坂本の大

政奉還・公議政体構想に同意する。

1月22日 薩摩藩の西郷隆盛と大久保利通、そし

て有志大名山内容堂(土佐藩)、伊達宗城(宇和島)

は島津久光(薩摩藩)の四候会議で、長州処分撤回

をはかるなど打開案をたずさえ帰藩する。

2月、土佐藩が坂本龍馬と中岡慎太郎(30)の脱

藩罪を許し、藩に復帰させる。

同月パリ万国博覧会が開幕され幕府が出展するな

か、薩摩藩が琉球王国の名で独自に出展する。

<坂本龍馬「海援隊」>

4月上旬 坂本龍馬が亀山社中を改編、「運輸・

射利・開拓・投機」を掲げ、海援隊を結成する。 

4月21日 中岡慎太郎が岩倉具視を初めて訪問

し、情報を交換する。

5月坂本龍馬も岩倉具視を訪問。

<薩土「倒幕密約」>

5月14日 山口容堂(41)ら有志四大名が、二条城

で将軍・慶喜に謁見。兵庫開港と長州処分をめぐり

会議を開くが、慶喜と対立し物別れ。(四候会議)

5月21日 土佐藩の板垣退助(31)と中岡慎太郎が、

薩摩藩の小松帯刀(33)、西郷隆盛らと京都で会談、

倒幕を密約する。

5月26日 長州藩、長州処分を認めず幕府が要求す

る謝罪嘆願書のの提出を黙殺する。

5月29日 坂本龍馬が「いろは丸」 事件で紀州藩と

数次の談判後、薩摩藩の五代友厚(33)の調停で解

決。紀州藩支払いの賠償額は8万3000両。

<「薩土同盟」>

6月7日 土佐藩・岩崎弥太郎(34)が勘定役に抜擢され、

出先機関・土佐商会の主任に任命される。

6月9日 坂本龍馬、後藤象二郎とともに長崎から夕顔丸

で、京都に向けて出港。船中で公議政体構想、いわゆる

「船中八策」を後藤に提示。

6月22日 後藤象二郎・坂本龍馬らが小松帯刀・西郷隆盛

・大久保利通らと会談。後藤の大政奉還から議事院創設へ

武力を排した倒幕論に西郷らが同意、協約を結ぶ。(薩土同盟)

6月 外国奉行・栗本鋤雲(46)、パリ万博の幕府と薩摩藩

の処理600万両の日仏借款交渉批准のため渡仏(12月借

款に失敗)。薩摩藩、兵庫開港・大坂開市を機に、神戸・大

坂などに貿易用の産物会所建設を開始。

(中岡慎太郎「陸援隊」)

7月26日 中岡慎太郎、京都の土佐藩邸を本拠に陸援隊を

結成する。隊員50人。

8月16日 土佐藩が軍政改革を発令。板垣退助を軍務専任

の仕置役に任命、軍編成・武器を洋式化。

8月 長州藩、幕府の許可を得ずに藩庁の山口移転と、藩主

・毛利敬親(49)も山口永住を布告。

 

 

近江屋に近い土佐藩邸跡(京都市木屋町通高瀬川西)

 

<「薩長出兵同盟」>

9月10日 坂本龍馬、長崎でオランダ商会からライフル銃

を購入。のち土佐藩へ売却。

9月17日 長州藩主・敬親が薩摩藩の大久保と山口で

会見し、大久保らの倒幕挙兵計画を裁可。20日、木戸

孝允らと、天皇を奉じて京都を脱出する討幕計画の細部

を検討、合意する。第一次薩長出兵同盟)

<幕府>

9月21日慶喜が内大臣に任じられ、私的に使っていた若狭

藩京屋敷を引き払い、二条城に移る。幕府が旗本や御家

人の軍役を改正。兵卒の出役に替え、兵卒一人当たり50

両の金納を命じる。(兵の傭兵化で徳川軍役体制が解体。)

(倒幕の密勅と大政奉還)

10月3日 土佐藩の後藤象二郎ら、前藩主・山内容堂

の大政奉還建白書を幕府に上申。

10月6日 長州藩・品川弥次郎(25)と大久保利通が、

中御門経之、岩倉具視と面談。倒幕と摂関制度廃止

など、大政復古策を協議。

10月13日岩倉具視、大久保利通に薩摩藩主宛の倒幕

詔書、長州藩の広沢真臣(35)に、藩主らの官位復旧の

宣旨を手交。

10月14日 長州に倒幕、薩摩に会津・桑名討伐の沙汰

書。(「倒幕の密勅」

同日10月14日 慶喜、大政奉還を上表。

 

 

慶喜大政奉還宣言の二条城(京都市中京区二条通り堀川西入)

 

10月15日 朝廷が受託し、諸藩主に11月末までの

上京を命じる。

10月24日 慶喜、将軍職の辞退を奏上。

10月26日 朝廷は諸侯が諸侯が上京するまでの

政務委員を命じる。

西郷ら「密勅」をたずさえ帰藩、島津久光に挙兵

を促す。

11月15日 坂本龍馬と中岡慎太郎が京都・河原町

の龍馬の寄宿先・近江屋で、京都見廻組に襲撃さ

れる。龍馬は即死、慎太郎も2日後死亡。

11月 土佐藩の佐幕派47人が、大政奉還を批判し、

後藤と板垣の処分を求める。容堂が両派協調をう

ながす布達を出すが、藩論統一に失敗。

<「王政復古」と土佐藩>

12月2日 西郷らが後藤を訪問し、王政復古の実施

計画を告げ、土佐藩の参加を要請。後藤は承諾す

るが実行日の変更を求める。

12月5日 山内容堂が土佐藩兵を率いて浦戸港を

出港。後藤象二郎が松平春嶽を訪ね、薩摩藩の

政変計画を伝え、決行日の延期を要請、翌日

春嶽が政変計画を慶喜に告げる。

<王政復古>

 

王政復古密談地の実相寺(「左岩倉公幽棲地」・京都市左京区岩倉上蔵町)

 

12月7日 中山忠能(ただやす)・岩倉具視・大久保

利通らが密談。王政復古の決行日を9日と決め、

上奏する。

12月8日朝議で毛利親子の官位復権、三条実美ら

五卿の復官・入京を許し、岩倉具視ら廷臣の処分

解除・全面復権を決める。

岩倉具視が薩・土・芸・尾・越の五藩の藩士を招集、

翌日の各藩主の参内と、兵員の出動を命じ、配備す

る場所を布達する。

12月9日 五藩の兵が警護する宮中で、天皇が、大

政復古の大号令を出す。

 

 

蛤御門より見る南の建礼門側の京都御所

 

御所にて大政復古宣言。摂政・関白・幕府の廃絶と、

総裁・議定・参与からなる三職が任命される。

宮中小御所で徳川氏処分の会議を開催。討幕派

と慶喜支持派が対立するが、辞官(内大臣辞退)

と納地(所領返上)を決める。

12月11日 旧幕臣ら二条城に旗本や会津・桑名藩

の重臣を集め、薩摩藩の討伐策を討議。江戸へ兵

と艦船の西上を督促する。

12月12日 慶喜が、春嶽らの勧めで、会津藩主・

松平容保(33)、桑名藩士・松平定敬(20)らを率いて

大坂城に退去。旧幕兵、会津・桑名藩兵も従う。

慶長3(1867)年12月28日 

江戸では薩摩藩の挑発に乗り江戸薩摩藩邸に

はいった浪士らを1000余人で攻撃し戦死・捕殺が

90人を越える(25日)。薩摩藩邸焼き討ち事件

の報が届き、大坂城内の諸兵ら、慶喜に挙兵、

薩摩藩討伐を迫り、慶喜は挙兵上京を決意する。

(鳥羽伏見開戦となる。)

 

幕末の京都(「七卿落ち」)ー新京都物語(255)

幕末の京都(新選組「池田屋事件」)ー新京都物語(256)

幕末の京都(長州藩「屋敷跡・法雲寺」)ー新京都物語(257)

幕末の京都(「禁門の変」)ー新京都物語(258)

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幕末の長州藩ー大村益次郎(「適塾」)ー新大阪物語(1000)

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幕末の福沢諭吉(「慶応義塾」ー新大阪物語(001)

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