現在に至るもとになる明治。

その前年慶応2年から慶応3(1867)年。

この間の日本と英・仏の関係。

 

慶応2(1866)年

第二次長州征伐開始(6月7日)され同年末

に将軍、天皇が逝去する。

7月20日将軍・家茂(21)が大坂城中で病

死、急遽禁裏守衛総督・一橋慶喜が下阪(

7月22日)。

12月5日徳川慶喜は二条城で勅使から将軍

宣下を受け15代征夷大将軍となる。

朝廷では2月25日孝明天皇の容態が急変し、

死去。

 

(薩長・幕府・朝廷と英公使・パークス)

慶応2(1866)年バークスは鹿児島湾に

6月中旬に入港。

幕府と長州の仲介で、長崎のグラバーを

通じ鹿児島に入り、薩摩藩主忠義・久光

親子と会見する。7月9日忠義、久光は長

州再征に反対する。

翌年慶応3(1867)年3月29日朝廷は、

山階宮晃親王(52)、正親町三条実愛

(48)ら24人を許し、岩倉具視、久我

建通らを減刑、入京を許可する。

4月15日バークスが大坂ら敦賀に向うと

き、伏見を通過した際にバークス一行に

対し攘夷派の在京藩士らが京都に近づい

たと反発する。同月4月17日二条斉敬は、

バークスの伏見通過をめぐり、議奏と武

家伝奏の要職にある広瀬胤保(50)ら親

幕派四廷臣の罷免を命じる。

4月21日中岡慎太郎が、洛北・岩倉村の

岩倉具視を初めて訪問し、情報を交換し、

坂本龍馬も5月に訪問する。

 

(四ヶ国連合艦隊・幕府と仏公使レオン・ロッシュ)

アラビア語の通訳官だったロッシュ(1809

-1900)は、1863(文久)年6月駐日公使

に任じられる。

翌年慶応2(1866)年。公使館の通訳・元

函館宣教師が帰国のため、かわって幕臣の塩

田三郎が通訳を務める。

結果、反幕府勢力に関する情報収集が欠ける

ことになる。

ロッシュの最初の仕事は前年から外国船が航

行不能となっている下関問題の解決で、ロッ

シュは英国公使・オールコック、米公使・プ

ルイン、オランダ領事・ポルスルックと共同

で幕府に下関通行、横浜鎖港に関する覚書を

作成し幕府に提出する(5月30日)。

 

 

横浜港と仏公使・レオン・ロッシュ(1864.3-1868.5在任)

 

7月22日四ヶ国代表は下関攻撃の共同協

定に合意、連合艦隊は横浜を就航、下関

に向かう。

9月5日四ヶ国連合艦隊は下関の攻撃を開

始し、戦闘は2日で終結、9月18日に講和

が成立する。

この時点では先任のベルクールと同じく

、英国との協調路線をとり、ロッシュは

パリ万国博覧会へ幕府の参加を推薦する。

 

 

四ヶ国連合艦隊が下関砲台を占拠(慶応2年・1866年9月)

 

慶応3(1867)年1月6日

幕府は仏公使・ロッシュに、前年横浜で

仏水兵を殴打殺害した町人(美之吉)を

死刑に処すと通告。

1月11日遣欧特使・徳川昭武(15)の

一行25人が、欧州諸国訪問と、パリ万

博参加で横浜を出航。渋沢栄一も随行

(3月7日パリ着)。

1月13日幕府招請の仏軍軍教官団15人、

横浜に到着。

2月6日慶喜、大坂城でロッシュと会見し

外交・内政を協議、以後ロッシュの援助活

発化する。

3月25日慶喜大坂城で就任後初めて英・仏

・米・蘭公使らと公式謁見。

 

(英公使ハリー・パークス)

パークス(1825-1885)は幕末から明治

初期にかけて18年間駐日英国公使(第2代)

を務める。

1865(慶応元)年、前年の四国艦隊下関砲

撃事件で、日本との全面戦争につながりかね

ないと、解任されたオールコックにかわる。

上海領事だったパークスは後任公使に任命さ

れる。

横浜に着き、幕府との交渉を開始するが当時

幕府は長州征伐(第一次)で将軍ら幕閣が江

戸を留守にしていたため、パークスは仏・蘭

とともに連合艦隊を兵庫沖に派遣し、幕府・

朝廷と交渉。

その結果。孝明天皇は条約勅許と関税率の改

正は認めるが兵庫開港は不許可とする(兵

庫開港要求事件)。

慶応2(1866)年パークスはフランス公使・

レオン・ロッシュと共に、長崎への途次5月

24日下関に寄港し長州藩の桂小五郎・伊藤

博文らと会談し、小倉で幕府老中小笠原長行

とも会談し、両者の調停をはかるが失敗。

のち宇和島藩を訪問し、前藩主・伊達宗城ら

と会う。

慶応3(1867)年、江戸で米価高騰による米

騒動を目撃し、幕府に勧めて外国米の輸入販

売を許可する布告を発布させる。

3月25日大坂城に入った慶喜と仏・米・蘭公

使らと公式謁見し、慶喜はまだ勅許を得てい

ないが、期限通りに兵庫を開港することを確

約。このときパークスは慶喜の決断力に感銘し

、「今までに会った日本人の中で最もすぐれた

人物」と評価する。

江戸に帰ったパークスはイギリス海軍教官受

け入れ準備のために軍艦奉行・勝海舟と交渉。

軍艦スナップ号で函館から日本海を南下し、

長崎を経由し大坂にゆく。この間に知ったイ

ルカス号水夫殺害事件(7月6日)の責任を幕

府に追及、当初土佐藩の関与が疑われ、土佐

にゆき後藤象二郎と交渉。兵庫開港・大坂開

市に備え大坂にゆく。王政復興の大号令(10

月14日)がだされ、京都から大坂城に移った徳

川慶喜に謁見する。

 

 

バークスと徳川慶喜会見(「絵入りロンドンニュース」(1867年・慶応3年)

 

慶応3(1867)年12月16日

慶喜は大坂城で英・米・仏在坂6ヶ国の公使と

謁見。

外国事務の執行は公議政体ができるまでは、み

ずからの責任にあると表明する。

新政府は旧京都町奉行所の貯蔵米を市民に配布

し、天明年間以降の貸付金の返済を免除すると

布達。

 

幕末の京都(「七卿落ち」)ー新京都物語(255)

幕末の京都(新選組「池田屋事件」)ー新京都物語(256)

幕末の京都(長州藩「屋敷跡・法雲寺」)ー新京都物語(257)

幕末の京都(「禁門の変」)ー新京都物語(258)

幕末の京都ー坂本龍馬(「薩長同盟」)ー新京都物語(260)

幕末の京都ー木戸孝允と大村益次郎ー新京都物語(266)

幕末の長州藩ー大村益次郎(「適塾」)ー新大阪物語(1000)

幕末の大坂ー勝海舟「大坂海軍塾」ー新大阪物語(999)

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