幕末の京都。

東奔西走、神出鬼没の坂本龍馬。

勝海舟の使者となり京都にゆく。

 

(坂本龍馬と西郷隆盛)

禁門の変の翌月元治(1864)年8月。

京都で西郷隆盛に面会した龍馬(1825-1867)は、

「初めて西郷に会す。その人物茫漠として摸捉す

べきなし。これを大きく叩けば大いなる答えをみ

るー」と評する。勝海舟は、海軍塾の塾生が幕府の

内定調査を受け、軍艦奉行を罷免され江戸へ召喚

されることになる。この前に勝海舟は門下生の坂本龍

馬らを薩摩藩の西郷隆盛、家老・小松帯刀に託す。

下関で龍馬の盟友高杉晋作が挙兵する。(慶応元年1月)

同年慶応元(1865)年3月龍馬奔走海舟主宰の神戸

海軍操練所が廃止される。幕府が長州再征を決定する。

(坂本龍馬と薩長和解周旋)

龍馬は、西郷に従い同志とともに薩摩藩船・胡蝶丸で

鹿児島にゆき、薩長和解を周旋するため、鹿児島を出

発。熊本の横井小楠を訪ねた後大宰府の三条実美を

訪問し、桂小五郎に会い、薩長和解を説く。下関にて、

桂と西郷の会見の場を設けるも、西郷が下関を立ち寄

らず京へ向かう。将軍家茂が上洛。

(亀山社中と薩摩藩)

廃止になった海軍操練所の多くの脱藩浪士。

最先端の航海術や国際学、語学を身に着けており、こ

のままでは惜しいと。龍馬は私設海軍を併せた結社の

創設を考案する。龍馬は航海術と海運業で儲けるとい

う計画を西郷に提示し、これに賛同した薩摩藩が出資者

となり、日本初の商社・亀山社中が長崎で誕生する。当

時約1両あれば家族4,5人が1ヶ月暮らせ、亀山社中20人

ほどのメンバーは、薩摩藩からひとり3両(約7万円)の月給

をもらう。慶応元(1865)年5月薩摩藩は亀山社中に出資し、

亀山社中は長崎、下関、京都の酢屋の3か所に事務所を

設置する。京の亀山社中は酢屋に置かれ、龍馬の京での

定宿となる。

 

 

 

坂本龍馬寓居址の酢屋(京都市中京区河原町三条下ル)

 

亀山社中は最新式の武器や船舶を外国から

購入し、国内で売りさばき、薩摩藩と長州藩の

橋渡しをする。

 

 

(坂本龍馬と薩長同盟)

翌年慶応2(1866)年1月

京の小松帯刀の屋敷で薩長の会談が行われる。(1月8日)

1月20日龍馬が下関から到着するが盟約成立せず。

龍馬が桂に問いただすと、桂は「長州はこれ以上頭

をさげられない」と応える。2日後薩摩側から6ヶ条の

条文を提示し、桂がこれを了承し、「薩長同盟」の盟約

を結ぶ。(1月22日)

 

 

薩長会談の小松帯刀寓居参考地(京都市上京区松之下町)

 

同年慶応2年薩長同盟成立の2日後、

1月24日未明、京都伏見の奉行所。旅籠・寺田屋に

手配中の龍馬が入ったことを知り、100人以上が集

まり提灯の火を消し包囲する。龍馬と護衛役三吉慎

蔵(長州藩)の寝床を取った後おりょうは階下の湯殿

でこれを見、2階へ上がり告げ、幕吏ら30人が押し入

り銃を1発放った龍馬は慎蔵と裏庭に飛び出す。

 

 

寺田屋(京都市伏見区南浜町263)

 

三吉慎蔵は伏見藩邸に逃げ込み、のち龍馬も救出される。

 

 

京都伏見の下板橋西詰の薩摩島津伏見屋敷跡(現松山酒造敷地)

 

寺田屋襲撃の後、2月29日龍馬はお龍を伴い

伏見港より京を立ち大坂天保山より薩摩藩船の

三邦丸で鹿児島に向かう。

 

 

寺田屋の近くの船着場の「龍馬とお龍、愛の旅路」像

 

3月10日薩摩に到着。

日本最初の新婚旅行といわれる。

 

 

参考

文久2(1862)年    慶喜、開国説を説く(松平慶永らと対立)

文久3(1863)年    尾高惇忠や渋沢喜作らと横浜焼き討ち

              攘夷計画を立てる。(10月中止)

             将軍・家茂が二条城に入城(3月4日)。

             4月孝明天皇が攘夷祈願のため石清水八幡宮に行幸、

             5月薩英戦争(英国に敗れる)

             天誅組の乱(大和五條で挙兵8.17)

             8月18日の政変、七卿落ち(8.19)

             公武合体派が京都から攘夷派公卿・長州勢力を追放

元治元(1864)年    6月5日池田屋事件

              6月16日平岡円四郎暗殺される。

             7月11日佐久間象山暗殺される。

             7月19日禁門の変。長州征伐(第一次)。

             9月14日勝海舟、西郷隆盛と初会談する(大坂)。

慶応元(1865)年   1月16日高杉晋作、下関で挙兵(逆転クーデター)。

慶応2(1866)年    1月22日薩長同盟

(文久4(1864)年2月20日に年号を「元治」に改元し、

元治2(1865)年4月7日「慶応」に改する。)

 

<幕末>

幕末の京都(「天誅」)ー平岡円四郎(因果)ー

幕末の京都(「七卿落ち」)ー新京都物語(255)

幕末の京都(新選組「池田屋事件」)ー新京都物語(256)

幕末の京都(長州藩「屋敷跡・法雲寺」)ー新京都物語(257)

幕末の京都(「禁門の変」)ー新京都物語(258)

幕末の京都ー佐久間象山ー新京都物語(259)

幕末の大坂ー勝海舟(「大坂海軍塾」)ー新大阪物語(999)

 

2021.5.17