幕末の長州藩の伊藤博文。

伊藤はイギリスに留学し、強行攘夷派から

開国派に移る。

 

伊藤博文

伊藤博文(1841-1909)は周防国熊毛郡

束荷村(山口県光市)の極貧の百姓の長男

として誕生。

幼名は利助で萩の方光院(現円教寺)に預

けられた(10歳)とき高杉晋作と竹馬の友

となる。

15歳のとき安政元年父・林十蔵が伊藤家の

養子になり、伊藤姓となる。

伊藤は長州藩の相州(神奈川県)警備に出

仕し、作事吟味役・来原良蔵の配下となる。

(安政4年)

 

伊藤利助「松下村塾」

伊藤を松下村塾に導いたのは来原良蔵

(1829-1862)。

来原は伊藤に学問を教え、萩に戻る利助

に松下村塾入門の紹介状を書く。

伊藤は家計を助け塾にはあまりいけなか

ったという。

松陰は伊藤を「才劣り学おさなきも、質

直にして華なし、僕頗る之を愛す」と、

なかなかの周旋家なりと評する。

 

安政6(1859)年吉田松陰が刑死され、

木戸孝允とともに松陰に遺骸を小塚原回

向院に埋葬する。

伊藤は松下村塾在籍は5か月だったが、

松陰を埋葬した数少ない塾生のひとりと

なる。

 

伊藤俊輔と「英国公使館焼き討ち事件」

万延元(1860)年桜田門外の変、

大老・井伊直弼が暗殺される。

翌年文久元(1861)年伊藤俊輔と名乗る。

この時期長州藩は長井雅樂(うた)が、朝

廷に「航海遠略策」を建言し、攘夷は現実

的には無理であり、幕府と朝廷が手を結び、

公武合体を進め、国を富ませるという論旨

で、長州藩はこれを藩論とする。

 

英国公使館焼き討ち事件

文久2(1862)年

伊藤は久坂玄瑞らとともに長井雅樂の襲

撃計画に参加するが、危険を察知した長

井はうでに姿をくらまし、失敗する。

つづいて高杉晋作が計画した品川・御前

山建設中の英国公使館焼き討ちに参加。

メンバーは伊藤を含め、晋作、久坂、井

上聞多(馨)、山尾庸三ら13人。

公使館に到着、周囲は丸太の柵で囲まれ

上からも下からも入れずにいたが、伊藤

は用意していたノコギリを取り出し、こ

れが功を奏し焼き討ちは成功する。

さらに国学者・塙次郎が孝明天皇を廃帝

にするという噂を聞き、塙の自宅付近(

麹町3番町)付近で、山尾庸三とともに人

目に触れずに惨殺し逃げる。

 

英国へ出国(長州藩五傑)

文久3(1863)年5月

5月10日攘夷期限到達日を理由に長州藩

の軍艦が下関海峡通行中の米国商船を砲

撃する。

馬関攘夷戦争開始の2日後5月12日。

藩主より洋行の内名を受けた5人、井上

聞多(29)、遠藤謹助、山尾庸三、野

村弥吉、そして伊藤俊輔(23)が英国

留学のため横浜から船に乗り出国する。

 

 

長州五傑の伊藤俊輔(後・右端22歳)・井上聞多(21歳前・左)

 

攘夷派家老・周布政之助

周布政之助(1823-1864)は藩政改革、

若手の育成につとめた攘夷派の家老。

周布は攘夷を国家方針とし、幕府が攘夷を

実行できるよう周旋するという

 

「破約攘夷論」を建言し、藩論は長井の

公武合体から破約攘夷にかわる。

時勢は攘夷で沸きたつが、後に来る開国

に備え、西洋に明るい人材を備えねばと、

留学を発案。

藩士の海外渡航は厳禁で計画は秘密裏に

進められる。

5000両の渡航費用は、大村益次郎を通じ

横浜貿易商の番頭・佐藤貞次郎より金策、

また藩主毛利敬親を説き、伊藤たちに5年

の暇を申し渡すという黙許を取り付ける。

 

イギリス留学

5月18日上海に到着、上海には100艘以上

の外国軍隊、蒸気船を目のあたりにし、攘

夷の無謀さを知り、11月4日ロンドンに到着。

イギリスのアレキサンダー・ウイリアムソン

の家に寄宿しウイリアムソンが属する大学の

聴講生の資格で入学。

伊藤たちが見たロンドンでは港には大小の蒸

気船が停泊、巨大な工場が林立、蒸気機関車

が走る。

5人は造幣局などを見学する。

 

緊急帰国

元治元(1864)年3月、

英紙「タイムズ」で「連合国は長州藩に対し

重大な決意する」との報道に驚く。

伊藤と井上薫は急いで帰国。

同年6月2日横浜に到着。ふたりはイギリス

公使に2週間の攻撃猶予をもらい、長州に帰

郷。藩主・敬親の説得をこころみる。ところ

が、攘夷より開国というふたりの主張は避け

られ、下関戦争が始まる。

周布政之助が自刃する。

力士隊を率いて高杉晋作の挙兵に従う。

 

慶応元(1865)年伊藤は高杉晋作らと藩の

実権を握り、藩論を倒幕に統一する。

伊藤は武器購入のために長崎にゆく。

 

 

 

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