日本文學のすゝめ~雪國~川端康成 | Kazmarのブログ

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「國境の長いトンネルを拔けると雪國であつた。夜の底が白くなつた。信號所に汽車が止まつた。」

川端康成の雪國の有名な冒頭部分である。雪國は川端がノーベル賞を受賞した際の対象作品の一つである。

 

数十年ぶりに読み返してみた。実際最後に読んだのが何時だか思い出せないほどだから、作品に対しての私の感想は乏しいものであったのだが、今回読んでみて作者川端の作品に対しての思いが十分に伝わってきたことには大変驚いた。

 

作品自体は昭和十年(1935年)から途中戦争中断を挟んで昭和二十二年(1947年)まで断続的に文藝誌に掲載され、昭和二十三年(1948年)に完結本として刊行された。

 

 

 

作品の時代背景は、1929年世界恐慌、1931年満州事変、1932年5.15事件、および満州国成立、1934年満州国帝政へ移行、1936年2.26事件、1937年支那事変勃発、1938年大日本帝国国連離脱、1941年日米開戦という大正デモクラシーの比較的安定した社会から激動の昭和へ突入した時代である。

また大正十二年(1923年)に起きた関東大震災により煉瓦造りの建物がことごとく灰燼に帰した東京に、鉄筋コンクリートの建造物が次々に建てられ、帝都が様変わりした時期でもある。

 

それに加え与謝野晶子、平塚らいてう、市川房江などの女性たちが積極的に社会に発言し始めた時代でもある。

 

 

 

 

大正十四年(1925年)にはNHKの前身にあたる東京放送局が中波(AM)の試験放送を開始して、昭和九年(1934)年には放送局は28局(第二放送三局含む)となっているので、ラジオ放送というものは都市部を中心に普及していたようだ。

 

このような時代背景を持って「雪國」は書かれている。

 

 

 

雪國の主人公島村は親の資産で生活し、細々とした文筆業を生業としているアラサーの妻子持ちであり、東京で暮らしている。東京の暮らしに息苦しさを覚えた彼はある歳の初夏、一人で湯沢温泉を訪ね、そこで未亡人の女と知り合い、一夜を共にする。翌朝、再会を約束して島村は帰京する。その年の暮れ湯沢温泉を再訪した島村は藝者となった女、駒子と再会する。その後、島村は足掛け三年にわたり合計4度湯沢温泉を訪れ駒子とのひと時の夢のような時間を楽しむことになる。

 

物語らしい物語があるのではなく、どことなく地に足がついてなく、上辺だけの、欺瞞に満ちた東京の生活を離れ、まだ人間関係が密な、汗も体臭も共有するような湯沢温泉での島村にとっては理想郷のような生活を、スケッチ画としてつなぎ合わせて物語を紡いでいる作品である。心理描写はほとんどなく、人物の行動や、情景、風景描写を細かに描くことにより、読み手側の想像力を掻き立てる作品だ。

 

 

 

物語の殆どは島村に対する駒子の魅力的なツンデレ描写に費やされるのだが、本作品にはもう一人の重要人物である、葉子という女が登場している。彼女は冒頭部分の雪國に向かう汽車に同乗していた。第一章にあたる部分の殆どは彼女の描写である。特に夜汽車の中から眺める夜景と、窓ガラスに写る着座している彼女の瞳の描写の場面は圧巻だ。その幻想的な情景により島村は彼にとっての理想郷、湯沢温泉へと誘われていくのである。

物語の中で葉子が出てくる場面は少ないのだが、最後のほうで、葉子と島村が二人で会話する場面がある。そこで葉子は島村に一緒に東京へ連れ帰ってくれと、淡々と懇願する。島村もその言葉に気持ちを動かされる。しかし物語の最後で繭蔵が焼け落ちるのだが、葉子はその火事の犠牲者となってしまう。彼女の損失は島村にとっての理想郷の崩壊を暗示するようにして物語は終わる。

 

 

 

 

小説雪國とは、昭和の激動期を迎えつつある社会で桃源郷に迷い込んだ男のそこでの暮らしぶりを作者の筆力で美しく紡ぎあげた、いわば大人のおとぎ話ではないだろうか。

ただ単なるおとぎ話で終わらないのは、優しい言葉遣いで描かれた場面場面に込められた作者のメッセージが、読み手の心に知らないうちに深く刻み込まれるという、川端の物語作者としての力量だ。そのメッセージとは戦前の人々の暮らしぶりである。特に逞しい女たちの存在だ。

 

現在、特にリベラル左派の人たちにとって、戦前の女たちの存在とは家父長制度に虐げられた子づくりマシーンであり、小間使いであり、学問も受けさせてもらえず、選挙権もなく、人権を蹂躙された不幸な犠牲者よいうものだ。この考えはある意味正しいのだが、戦前の女性を的確には表していない。一方向からしか物事を捉えていないと感じられる。

 

 

 

小説雪國に登場する女たちは貧しいながらも逞しく一生懸命に、そしてしたたかに生きている。雪國だけではない。例えば、谷崎潤一郎の「痴人の愛」、夢野久作の「少女地獄」坂口安吾の「木々の精、谷の精」などに描かれている大正から昭和初期に居た女たちの逞しい生きざまは、ステレオタイプ的な戦前の虐げられた女たちとは程遠い存在だ。もちろんこれらの女たちはフィクションの存在ではあるが、当時の社会に受け入れられたものだ。そしてその作品は現在も、廃版とならずに、私たちが手軽に読むことができるものばかりだ。

 

トルストイやドストエフスキーなどのロシア文学、ゲーテやカフカなどのドイツ文学、ディケンズ、シェークスピアのイギリス文学などに人間を描いた優れたものは多い。しかしそれらの文学の根っこは一神教に基づいた二項対立の世界だ。善と悪の世界観である。このことは文学だけでなく、政治の世界でもそうである。マルクス主義やグローバリズムがそれにあたる。

 

 

欧米社会が神が造りし摂理に物語の基盤を置くものであるのに対し、川端康成の描く世界の物語は人と人との関係性から生まれている。仏教用語でいえば縁起である。仏教で説くようにこの世界は縁起によって成り立っている。このことは最新物理学の考え方とも一致する。私たちのビッグバン宇宙は、インフレーションからビッグバンに至り、そこで水素やヘリウムなどの軽い元素が生成され、それらの元素が関連しあって恒星を作った。それらの恒星の終末期に起こった超新星爆発などにより、より重たい原子、炭素や鉄などが生まれた。惑星などはそれらの元素が集まり形成された。もちろん地球もそうであるし、私たち炭素ベースの有機生命体もそうである。物質ベースで考えるとこの世界は関連性によって作られ維持されてきたものである。現在の科学で解明されていないのが、ビッグバン(インフレーション)以前の宇宙の姿と、私たち人類の心(意識)のメカニズムである。もしかしたらそこに神という存在が関連される可能性はあるのかもしれないが。

 

しかし全体的にみると、この宇宙は関連性で成り立っており、そこに優劣は存在していない。最初に出来た、そしてこの宇宙に一番多く存在している元素は水素であるが、だからと言って水素が一番偉くて、新参者の炭素や鉄は水素の世界観に従えという世界ではない。また逆に炭素や鉄がマイノリティーの権利をと、声高に叫んでいる世界でもない。私たちのビッグバン宇宙は互いに関連しあいながら絶妙にバランスを保ち進化してきた宇宙である。

 

そういったことを考えると川端が描いた、人々が役割分担の中で互いに関係しあいながら町のバランスある秩序を構築した、島村にとっての理想郷の世界を描いた「雪國」という作品に世界中の多くの人たちが共感したことは、私たち人類が神の造りし世界の秩序以外に存在する、この宇宙の摂理に無意識のうちに共鳴したからではないだろうか。

 

私たち日本人が大切にすべきことはこういったことではないだろうか。

 

 

ここで用いた川合玉堂の絵画は、奥多摩を描いたものだが、雪國とは同時代のものだ。また木村伊兵衛の写真も同様である。いずれもコピーライト・フリーのパブリックドメインRより入手したもの。