またまた1985年物の話題。日本の民主主義が禄でもないことはわかっていたが、アメリカの民主主義はそれ以上に腐っていることが判った昨今、まだ良識が人の心に残っていた昭和の時代を振り返ることは、「昔はよかった」的な年より臭さを大いに自覚する半面、そのような歳になったと開き直ざるを得ない。
Netflixで「ポップスが最高に輝いた夜」を視聴した。これは1985年1月28日の凡そ午後10時くらいから翌朝8時までの10時間にわたるチャリティーソング「We Are The World」の録音風景を実録したドキュメンタリーである。
これは前年のクリスマスにイギリスのミュージシャン、ボブ・ゲドルフが立ち上げたアフリカ貧困層のためのBand Aidによるチャリティーソング「Do They Know It’s Christmas?」のリリースを受けて、アメリカのベテランシンガー、ハリー・ベラフォンテが国内のミュージシャンに呼び掛けて立ち上げたバンドUSA for Africaの各々のメンバーがその録音に関して真摯に取り組んでいる様子が描かれているドキュメンタリーであり、見る人の琴線に触れる優れた作品だ。
クインシー・ジョーンズの総監督、指揮の下、曲はライオネル・リッチーとマイケル・ジャクソンによって作られ、ブルース・スプリングスティーンやダイアナ・ロスなど当時世界を席巻していた匆々たるメンバーが無償で参加している。
私が好きな場面はボブ・ディランがどういう風に歌えばいいか戸惑っているときに、スティーヴィー・ワンダーが彼の歌真似をしながら、彼のパートを歌い、ボブがそれを参考にしてソロパートを歌う箇所だ。
外には、ブルース・スプリングスティーンの魂の咆哮、彼を見ていると思わず河島英五を思い出してしまう、や、シンディー・ローパーの若さにかまけたハチャメチャぶり、とは言っても彼女はこの時点で32歳なので、若いというには?であるが。そしてロックバンド、ジャーニーのヴォーカリスト、スティーブ・ペリーのどこまでも澄み渡った伸びのある、歌声、それは聞き手の心に直接響き、魂を戦慄させる。それとレイ・チャールズやウィリー・ネルソンなど数え上げればきりがない。
強く印象に残るのはスーパースターたちが、各々のエゴを捨て、心ひとつにアフリカ難民救済のために取り組む真摯な姿だ。
アフリカ難民とは言ってもこの時点では、そしておそらく今でもその対象の中心はエチオピアである。
エチオピアはその起源を、ソロモン王とシバの女王の子メネリク1世の治世、紀元10世紀にまでさかのぼる。いわば旧約聖書の世界で出現した国である。一神教の世界では聖地と考えられる国である。日本でいえば、出雲のような存在だろうか。このことがやはりアフリカの難民救済の大きな動機となったことは否定できないだろう。
「We Are The world」はこの後、アメリカでは3月7日、日本では3月28日にリースされ。その後もイヴェントは続き世界中で同時にラジオやテレビで流そうという企画が発表された。日時はグリニッジ標準時で4月5日午後3時50分。日本時間では4月6日の午前0時50分、「We are the World」は世界のテレビ・ラジオ局で一斉に流れた。10億人以上もの人々が一斉に視聴したのである。奇跡のような瞬間だった。
自助、共助、公助という言葉がある。昨今の状況を鑑みるに公助とはいはば、貧民救済といった名目にマウントした公金チューチューに利用されているケースが少なからずあるのは実態だろう。また政治的にも利用されやすく、結果として国民のさらなる税負担に帰結している。
Band AidやUSA for Africaなどのプロジェクトは共助に当たる。少なくとも当時この企画に参加したミュージシャンやスタッフたち、また企画に賛同してレコードを購入した世界中の人たちの心はアフリカ難民救済に向けられた真摯なものであった。そして何よりも素晴らしいことは、基金の運用を別にすれば、1回限りのことであったことだ。
私たちが経験したように複数回、もしくは持続したイヴェントになれば、共助といえど、そこには利権が生まれ、既得権益化し、そして人々の善意を裏切る不正が生まれる。
AI社会は富の格差が拡大する社会になると危惧されている。それに向けて、国民の税負担にしかならない公助よりは、人々に直接的な選択の機会がある共助、税優遇等含めて、を私たちは考えていくべきではないだろうか。