こだわった先に見える、こだわらない自由の景色。振り切らない自分もなかなかいいものですね。 | 天津甘栗

天津甘栗

自分のふとした気付きや、誰かが気づかさせてくれたこと、ただの日常のつぶやきなど、きの向くままに綴っていきます。


先月のマスターでのパーティーで


私は


こんな感じにおめかしして
 
念願のタキシードを堪能させてもらいました。


(前々回の記事でそのときの浮かれた様子を書いていますのでよかったらどうぞ。)





そこで


今回は


そのタキシードまでのお話を少し


書いておこうと思います。





2月のマスター6日目に


ファッションのお勉強で体験させてもらったことがきっかけとなり


私は大きな刺激をうけて背中を強く押されました。


(そのときのことはこの記事この記事に書いているはず。)






その結果


3月のとある日に、とある場所で


こんな私になることが出来たのでした。


そのことについては

こちらの記事こちらの記事で経緯や想いを書いています。







そんなふうに


思いがけなくというか


思っていた以上に深く濃く


自分自身と向かい合わせてもらえたことで


マイノリティとして生きる自分の想いを振り返り


整理することもできました。


(その辺りのことはこの記事をどうぞ。)







そして、




願望がありながらも


これまでなかなか振り切ることの出来なかった


女性としての自分に振り切る経験をしたことで






私の世界が優しさに包まれるような感動の体験をしたり

(この記事参照)



今度は男性に振り切りたい願望がむくむくとわいたり

(この記事参照)


することになりました。






そうやって


自分が様々なことを体験するなかで


想いの変化に気づく度に


新たな自分との出会いを


大事に大事に感じて、味わってこれたなぁと感じています。





あの日、リッツランチで自分なりに女性をやりきったことで


自分への信頼というものを感じてからというもの



自分の想いはなんなのか


なにを望んでいるのか


なにを感じているのか




ということを

 
これまで以上に


敏感に


そして


丁寧に


感じる日々を過ごすことができているんじゃないかなと思います。






確かに


これまでも


感じていたことだったかもしれないけれども


これまでと確実に違うことは


もう、なかったことにしない


ということです。






その、“ある”と認めたことについて


「で、私はどうする? どうしたい?」


と、その都度、なんども自分に問いかけて


自分自身が納得することをあきらめないということです。




どんなことになったとしても


自分自身が納得していれば


それで充分だと思えるようになったということです。







今度は、男性の自分に振り切りたい


その思いに気づいてから


いつ、どこで、どんなふうに


その自分の想いを叶えることができるのか


ずーっと考えていました。





自分なりに考えられる範囲で


協力をお願いしたりもして


そのうち出来ることを楽しみにしていました。




それがね


コロナのなんやかんやで怪しくなって


考え直そうと思っていたところ




なんと



マスター最終日の前日に


京都でパーティー という企画が!



まさか、またパーティーでおめかし出来るなんて!


本当に嬉しくて嬉しくて


自分のために


再び全力でやっみよう!と決めました。





決めたら、あとはやるだけです。




前回のドレスの時同様に


今回も、心強いお二人のサポートで


こんな仕上がりに。





お二人に


「えーやん!えーやん!」


「似合うわー!」


「男前やなー!」


と、嬉しい言葉をいただきながら


ルンルンでお衣装合わせをさせてもらった時の様子はこちら↓
 



あれこれ試しながら、いろいろサイズを合わせてもらって




いよいよ、一式を試着してみたら


あれ?




どんなふうに立ったらいいんやろー?




手はどこに?




どんな表情で?




どんな仕草で?
   




嬉しい反面、「・・・?」が一杯出てきて


たじたじでした。





その場では


「ねづっちです」にならんようにね!笑


とご忠告いただき


ジョージ・クルーニーの渋さを再現するように


との指令を受けたのでした。





ほーんと、ジョージ・クルーニーあの渋さと色気はどうやったら再現することが出来るのか!?


今後しばらくの課題になりそうです。笑






というわけで


ジョージ・クルーニーの渋さと色気には程遠かったかもしれませんが


おかげさまで


はじめてのタキシードを


ういういしく


楽しむことができました。



楽しくて楽しくて仕方がなかった。





男として存在したことがないから


これが男というものに振り切ったのかどうか


本当のところはわかりません。



だけど


私がやりたかったことは


今回もたくさんの協力を得て


想像以上の形で


やりきることができました。





嬉しくて嬉しくて



ついついにやにやしちゃうし




ついつい宝塚を意識してカッコつけちゃうし

(ついついジョージ・クルーニーを忘れちゃう…)




ついついはじけちゃうし




ついついデレデレしちゃうし。



ただただ、そんな感じで


終始、ご機嫌な私がいました。







思いがけなく


両極端をやりきってみて


今、感じていることは


とても、満たされているということです。




そして、


やりきったといっても


それは結局


自分の決めた枠の両極端でしかないということなんだろうなと思うのです。




今回のように


女の自分


男の自分


を決めて分けているのは結局自分であって



それぞれになりきれば


もちろん自分の見ている世界が、その通りの反応を見せてくれるのだけれど


私にとって大切なことは


両極を行き来すること ではなくて


そのときそのときの自分に素直で居ることなんですよね。




性別なんて枠を作ってはめてしまっているのは、結局自分なんだなぁと。


私が大事にしていきたいのは


そんな枠を意識することなんかじゃなくて


今の私が納得するのはどういうありかた?


ということなんだと気づくことができました。




振り切らない自分もいいなと思える毎日は


なんだかとっても穏やかで


とっても心地いいものです。




マスターの期間に、思いがけなく振り切る体験をさせてもらえたことで


私の世界が広がるのを体感しました。



こだわった先に見える


こだわらない自由の景色。



これからもそんな景色をもっともっと広く見渡していきたいと思います。







こんなにも貴重な体験をさせてもらえた


うさこさんのマスターコース。


感謝の気持ちでいっぱいです。


関わってくださった全てのみなさま、本当にありがとうございました。




ひとまず、マスターで私が体験したことのお話はこれが最後になるのかなぁ。


ここまで読んでくださってありがとうございました。