私が思っているよりも、“生きる”って自由なんですね。自由でいいんですね。 | 天津甘栗

天津甘栗

自分のふとした気付きや、誰かが気づかさせてくれたこと、ただの日常のつぶやきなど、きの向くままに綴っていきます。

“私の人生にこんな日が来るなんて。”

そんなことを感じさせてもらった、マスター6日目。


当日に溢れてきたことを書き留めた記事はこちら


その日ことを、もう少し振り返ってみたくなりました。

何度も噛みしめたくなるほど、濃厚な1日でしたから。




いつもより始まるのが遅かったマスター6日目の朝

念願の 前世カフェ にいっておりました。

一緒に行ってくれたみんな、ありがとう。




いやー。面白かったです。

私は、三代前までをみてもらって、こんな感じでした。


三代前まで、ずっと男の人。(これは、想像通り。)


フットワークの良い行商人とか

インドの細工職人とか

バチカンの神学校の先生とか




前世って、よくわからないんだけど、

それが魂の記憶なんだって言われたら、なんか納得しちゃうことばかりでね。



「どれも男の人だから、今も、自分が女っていう感覚わからないでしょ?」

「定年まで仕事頑張りなさい」

「結婚と仕事の両方できるほど、器用じゃないから、結婚するなら、定年後のお楽しみとしてね」

「(インドでヨガ三昧は)ライフワークとして楽しめばいいよ。仕事はしておきなさい。」



ねー。

インドでヨガ三昧の話は私から質問したんだけど、

その他の話も含めて、今私に必要な言葉を聞きに来たんだなぁと思いながら聞いていました。


それは、自分に向けられた言葉だけではなくてね。流れ弾というやつもですね。


その中でも、とても強く感じたのは

「嫌じゃなかったら、受け入れてみなさい」

ということば。

他の人へ他の意味で言われていたんだけど、
私には私ごととして、とても響いてきました。


というのも、

私は、自分が選ぶときには、
「すき!」「やりたい!」「これがいい!」と、
大好きを選ぶものという意識が強くあったから、

「嫌じゃなかったら受け入れていい」って、

私にとってちょっと意外で新鮮に感じたのです。




そんなに好きかどうか分からなくても、

そんなにしたいかどうか分からなくても、

嫌じゃなかったら受け入れてみていいんや…


それでいいんやー

そうなんやー

って、ちょっと感動すらしていました。



それで、それを聞く前に

前世カフェのママから

「今世は女よ」と言われたときに、

思わず「はい」って応えたんだけど、

それがずっとリフレインしてて…

私、それ嫌じゃない…って感じてて。


そんな自分に出会えたのもとっても新鮮だったのです。





それで、

そんなことがあった後だったからこその、

マスター6日目のあのやりとりが出来たんだなぁって思っていたりもします。




土居コウタロウ先生からの
「男と女、どっちがある?どっちでいたい?」の問いかけに

「今世は女」と言われて嫌じゃなかったから、女の私でもいい、女の私も嫌じゃないんやなって思えました。

と、その時の私のホヤホヤの気持ちを出すことが出来ました。


その感覚をすかさず丁寧にキャッチして下さった土居先生には、本当に感謝しかありません。



あの感覚やあの空間のことをどんな言葉であらわしたって、どれも陳腐に感じていまう自分がいて

言葉にするのを躊躇してしまっているのですけど、

それでも、言語化して残しておかなければいけないような気もしていて…




(この土居先生の優しい眼差しが、じわじわきます。うめちゃん、撮ってくれて本当にありがとう!)


あの土居先生とのやりとりのなかで


私は本当に何にも頑張っていなくて

ホヤホヤの感覚がするするっと出てきて
というか、引き出してもらって

「やってみましょう」と言われて、それも嫌じゃなかったから、

やってみよう。

お願いします。

って思いが出てきて


「無理しなくていいから」「これなら出来ると思うものだけでいいから」という先生の優しい言葉にも、私のことをこんなに丁寧に考えてもらえているんだなぁと安心することができて

全ておまかせしたい。

先生のおすすめをなんでも試してみたい。

という気持ちでいっぱいになっていったのです。



だからね、

この時


私は何にも頑張っていなくて(何度も言う!)

なんだか、ふわっふわのスポンジみたになったんじゃないかってくらい

するするっと私の中にいろんなものが入ってきて

どれも全然嫌じゃなくって

気がついたら、

いつの間にか

こんなことになっていたのです。



「がんばらない」って、こういこと?


私は何にも頑張ってなくて、大変じゃなくて、苦しくもなくて

「やりたい」「やります」と、素直に思ったことを伝えただけなんです。


そしたら、すぐに、あっという間に実現していて、本当に本当に不思議な感じでした。



あの時、

私の見た景色や
感じたことはいつまでも大事にしたいなぁと思います。



みんなが感動してくれているのを見て聞いて

感動してもらえることなんだ

涙を流してもらえることなんだ

すごいことが起こっていると言ってもらえることなんだ

奇跡と感じてもらえることなんだ

そうなんだ…


そこにはもう、私のちっぽけな物差しなんか全然要らなくて


あの場にいたみんなから、そう思っていいんだ、そう受け取っていいんだと感じさせてもらいました。






私に必要なことは、

必要なときに

必要な人たちのおかげで

私の想像をこえるもにのなってやってくる。





どんな自分を選んでもよくって

嫌じゃなかったら

どんな自分でいてもいい。


そのための手段は自分の知らないところにたくさんあって

たくさんたくさん助けてもらってもいい

多くの人に支えてもらってもいい

そうやって、自分の想いを実現していってもいい



それって、本当に自由だなぁって感じました。


私が思っているよりも、“生きる”って自由なんですね。

自由でいいんですね。



自由って、幸せなんだなぁって、

振り返る度に、思い出す度に

しみじみと、あたたか気持ちでいっぱいになります。



本当にありがとうございます♡