プールサイドの人魚姫 -90ページ目

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


鮫 地球上で最も神秘と謎に包まれている場所、それは海である。光も指さない深海の奥深く、それは宇宙空間にも似て、人類の好奇心を揺さ振り続ける。名前さえ分からぬ魚類や微生物などが自ら光を放ち、まことしやかに獲物を誘う。
生物の故郷でもある海、人間の身体も3分の2は水分であるし、指の付け根を見れば遙か彼方の痕跡が垣間見える。海から誕生した人類も死ねば骨となりそれはやがて水へと帰って行く。
昨夜の木曜洋画劇場は「JAWS」だった。一体この映画を何度見たことか。1975年に公開されたこの作品、監督のスティーブン・スピルバーグの名前を決定的にさせた海洋パニック映画の傑作である。
1975年と言えば当時わたしは19歳、レンタルビデオ等という便利な物はなく、映画は劇場で見るのが当たり前だった。30年の時を経てもこの作品が色褪せないのは、人間の最もシンプルな恐怖を見事に描いているところにある。
つまり、動物の持つ本能として追い詰められる事が如何に恐怖心を呼び起こすかである。映画の内容は至って単純で、深く頭で考える事ではなく、身体と心理が一匹の鮫により、袋のネズミの如く迫り来る恐怖に人間が如何に自然の前では愚かで無力かを思い知らされるのだ。
しかし人間には最大の武器とも言える智恵があった。それが他の動物と人類の大きな違いなのである。原作では署長のみが生き残ると言う設定となっていたが、さすが、天才的な映画を作る監督ならではのエンディングが見るものへ希望をプレゼントしてくれる訳である。
鮫を扱った映画は多くあるが、このジョーズ(顎)を超える作品にいまだ出会っていない。



しょうがない
久間章生防衛相の「原爆投下はしょうがない」発言が各方面に大きな波紋を広げ、被害者団体から謝って済む問題ではないと、怒り心頭の声が収まらない。久間防衛相は自分自身が長崎県出身でありながら、人の感情を逆なでするような発言をした背景には、身内に原爆被害者がいない、他人の痛みが分からないなどその人間性に思いやりが欠如した人物であるとしか思えない。
原爆投下と戦争終結についてはアメリカの描いたシナリオに過ぎず、それを肯定するかのような発言と思われても仕方のないこと。彼の発想からすれば、戦争事態もしょうがいという解釈になり、北朝鮮のミサイル発射や核開発も北の立場にたてば「しょうがない」と言うことになる。日本が将来核を持つのもしょうがない…。「しょうがない」という言葉は普段気にも止めず口からため息とともに出る言葉だが、使い方を間違えると今回のような大騒動に発展する。
安倍総理も身内がかわいいからと久間防衛相をかばうような発言で、事を一国も早く終わらせたいと思いつつ、この大事な時期に飛び出した言葉のミサイルに頭を抱えたに違いない。しかし、総理自ら辞任を求める事はなかった。
これが安倍総理のリーダーシップの無さを見せ付けている。結果的には国民の意志が久間章生防衛相引責辞任へと追い込んだわけであるが、本来であれば自民党のトップが判断し、首を切るのが筋だろう。安倍内閣支持率低迷は当然の事で20%を切っても不思議ではない。
庶民の気持ちを少しでも理解しようと努力する政治家がこの日本に一体どれだけいるのだろうか?人の痛みを自分の痛みとして共有出来る人物は、やはりおなじ釜の飯を食った仲でないと無理なのだろうか?
久間章生防衛相に変わり後任は小池百合子女史であるが、ここで女性が選ばれると言うのは自民党の窮地を救うのは女性しかない…国民の感情を吸収出来るクッション代わりとでも思っているのだろう。



選挙 杯盤狼籍とはまさに今の国会、そして政治家・役人たちの事を指す言葉にぴったりである。先の事など考えず飲むだけ飲んで置いてほったらかし。片付ける者など誰もいない。飲み代は国民の税金で払う?年金の一部を流用する?
国民の怒りは収まらないが、その怒りの矛先を向ける場所がない。国民の怒りを必死で抑えようと企んだ作戦がボーナスの一部或いは給料の一部返還。どうにも体裁が悪くなり最も卑劣と思える金で誤魔化す手口。そんな雀の涙程度で国民の怒りが収まりますか?
どうせやるのなら、一年間無給で働いて見ろと言いたい。
先日深夜3時まで及んだ与野党の攻防。無駄なあがきとは解っていても、野党にとっては7月の参議院選挙を的に絞っての国民に対するアピールとも取れる。確かに今度の選挙は最近では珍しいほどのチャンス。野党が必死になるのもよく解る。そして自民党は二つでセットの社会保険庁改革関連法・年金時効特例法を成立させ少しでも風向きを自民に変えよという考え。
毎度のことながら、数で勝る与党に野党が勝てるわけがない。
社会保険庁の怠慢を職員自らが暴露しているわけで、国民の怒りと不安は頂点に達しているだろう。この怒りを7月の選挙で一気に爆発させることが出来るかは国民一人ひとりの1票にかかっているわけである。いまこそ国民が団結して明るい未来と美しい日本を取り戻すチャンスなのかもしれない。さあ、貴方の1票が国を大きく動かすと想像してみましょう。


 

天使

 

 

天使が
わたしのマイクを
奪ったの
わたしの居場所は
ステージで
白いベッドの上じゃない
それを知ってて
天使が
マイクを
奪ったの
だから
わたしは
もう 歌えない
返してください
わたしのマイク
温もり伝わる
命のマイクを


虐待 いじめ同様一向に無くならないのが児童虐待。いじめの場合は相手が他人なので、それでも何とか防ぐ手立てはあるものの、虐待となると親が相手だから厄介である。先日大阪市で起こった1歳児重体のニュース。「いただきます」がうまく言えないとして、顔面を殴り大けがを負わせたという。1歳といえばまだ赤ちゃんである。
大人の握り拳は乳幼児の顔を半分以上隠す大きさ。その拳は石のように硬くそれをハンマーの如く振り下ろせば、柔らかい1歳児の頭蓋骨は砕け散るに違いない。殺意はないにしても加減というものを知らない大人が急増している。
問いただすと大抵聞こえてくるのが「しつけ」。しつけに暴力はいらない。子どもに振り回され、言うことを聞いてくれない時などは、つい手が出てしまうことは親なら誰しも経験はあるだろう。しかし自分の感情に任せ怒りをぶつけるような暴力は振るわない。
他人の家の揉め事に他者が介入する事は非常に難しくなっているが、子どもの命がかかっている場合はそんな悠長に構えている訳にはいかない。児童相談所の職員たちもその辺で悩んでいるようだが、日常的に虐待があると疑わしい場合は、即刻子どもの安全確保が優先する。
親に限らず、大人は子どもを守る義務がある。子どもの見本となるべき大人たちも迷い、困惑し試行錯誤を繰り返す。人生の潤滑油、それは笑顔と思いやりなのだが…。




手 グッドウィル(コムスン)が起こした問題で、一番被害を受けたのは言うまでもない、訪問介護サービス利用者と介護をする現場の人たち。本格的高齢化社会を目の前にして、将来の介護サービス事業に対する理念を一から建て直し、再スタートさせるには今回の問題が良い起爆剤になったとも取れるが、それはこれらかの介護全体に関わる人たちの意識次第。
グッドウィルの介護事業を一手に引き受ける企業も続々と名乗りを上げ、そのトップが居酒屋チェーン大手の「ワタミ」であるが、株主をどこまで説得出来るかが焦点のようだった。民間は当然利益の積み重ねで成り立っているわけで、この介護サービス事業がコムスンのように頓挫してしまわない為には知識と経験が最重要となる。
最初から利益が出る訳もなく、赤字覚悟の決断の下敷きには基礎を支える資金力があるからだろう。そして現場を知り尽くした人材。機械を相手にする訳ではないので、トラブルに遭遇した時、部品を取り替えるようにはいかない。先日、介護師のミスで乳児が死亡したニュースがあった。
現場で働くプロの意識が低ければ、当然トラブルが発生する。対人間であるから内容によってはサービス停止処分など厳しい処置が下されることとなるだろう。
介護の現場は戦場である。他人を相手に何処まで自分を捨てて介護に徹する事が出来るだろうか。身内の人間でさえ目をそむけたくな場面も多々ある。家族が在るにも関わらず、介護に頼るのは一人の大人を毎日面倒見る事が如何に大変かを物語る。
仕事ととして割り切るだけでは長く続かない。根性と忍耐と体力の世界。そしてその中心に献身の心がなければ本当の介護サービスを提供する事は難しいだろう。


豚 人間の味覚には個人差があるにしろ、曖昧な部分が多い。舌の4ヶ所でそれぞれ甘み、苦味、辛さなど感じとるように出来てはいるが、初めて口にする食材などは一度食べただけでは覚えきれるものではない。何回か食べてその味覚が脳にインプットされる。
今回起こった「豚肉混入ミンチ」は消費者の持つ味覚の隙間をついた事件であると言える。
わたしはそれほど食通でもないし、詳しくもないから、この牛肉と豚肉が混ざった物を食べて、豚か、牛かと問われても自信を持って答えることは出来ない。
消費者は安い物を好む。いつだったか「県庁の星」と言う映画を見たが、地方のスーパーマーケットの舞台裏をリアルに描いたドラマだった。実にポイントを抑えた映画作りだと感心して見ていた。
食品加工会社に関わらず、食を提供する業者に運命のように定められた、消費期限、賞味期限。倉庫に行けばいつ届いたかも解らない在庫の山。廃棄するには忍びないので、加工してごまかし、商品として出荷する。少しでも売り上げにつなげようととする業者の苦肉の作。
そんな事など知らない消費者は本日のお買い得として、夕食の材料やお弁当の具として買い込んで行く。スーパーの店頭に並んだ食品を見て、貴方は果たして疑問を持つだろうか?
わたしが15歳の時、半年ほど豚の飼育を経験したことがある。豚はデリケートで実に臆病で、綺麗好きである。豚の面倒を見るとなれば、それなりの愛着がなくては続かない。暫く豚の観察をし、豚の行動をノートに書き移す。人間が食べ遺した残飯を大きな釜に入れ大きな板でかき回し、ドロドロのお粥状態になるまで沸騰させ熱を覚ました後、餌として与える。現代ではそんな効率の上がらない作業をする事はないだろうが、豚の身体を束子で擦り綺麗に掃除をしてあげると、豚が嬉しそうな顔をしてなついて来るのである。
夏場は特に注意が必要。食中毒で死ぬ場合があるからだ。実際、早朝に豚小屋へ行った時、2匹の豚が舌をだらりとだして死んでいた姿が今でも忘れられない。死因は食中毒だった。おそらく与えた餌が腐っていたものと思われる。
見た目だけで判断すると、見えない大切な部分を見逃している事が多々在る事に気付く。食材の命は新鮮であるが、それは冷凍庫などがなかった時代の話。食材ほど誤魔化し安いものはなく、この混入ミンチ偽装工作も氷山の一角でしかいない。



ガス 過密都市東京は危険と隣合わせの街である。いつどんな大事故が起こっても不思議ではない空間に、わたしたち東京人は生きている。そして誰もが危険を予想しながら毎日の生活を送っている訳ではない。渋谷の繁華街を少し抜けた辺り、閑静な住宅街の片隅に毎日の疲れを癒す憩いの場があった。わざわざ地方まで行かずとも、都心で温泉を味わえる。
これほど便利でまた贅沢な気分を満喫出来る場所はない。「シエスパ」は女性専用の温泉施設として名が広く知られており、某有名タレント等も愛用していた都内でもかなりの人気スポットだった。
19日の午後2時ごろと言えばちょうど午前中の疲れと、昼食後の気だるさが交差して眠気を誘う時間でもある。こんな時、ゆっくりと温泉に浸って時間の流れを止めて見たいと誰もが思うだろう。それは一瞬の出来事だった。天を揺るがすほどの爆音と爆風でその建物は砕け散った。
大量に溜まったメタンガスに何かが引火してガス爆発を起こしたものと思われる。
従業員と思われる女性三人が死亡。その他にも数名が重傷を負った。そしていつもと同様に、記者会見では責任逃れと押し付けが始まる。この事故で亡くなった人たち、重傷を負った人たちに先ず謝るべきだろう。経営者と管理を請け負っている会社とが責任の擦りあい。
人間とは窮地に追い込まれるとわが身がかわいくて仕方ないようだが、何故お互いが協力しあって、事故の問題点について話し合い、そして命を落とした方々とけがを負った人々のケアに最善を尽くさないのか。都心にはまだ多くの温泉がある。掘ればまだ温泉が出てくるかも知れないが、噴出したものが今後の課題だらけでゆったり気分をほぐすどころか、とても癒しの場とは呼べなくなってしまった。それも単なるブームに便乗して地下のことをろくに調べもせず、天然ガスは想定外だったなどとコメントするようでは温泉を掘る資格などない。


父の日 昨日の記事に沢山の励ましのコメントありがとうございました。余りにも急なことだった為、珍しく混乱してしまいましたが、皆様のコメント或いは訪問して下さった人たちに勇気を頂いた気がします。わたしには幸運の女神がついているようで、まだまだ死ぬ訳にはいきません。やりたい事の半分も終わっていない状況では死に切れませんから。
母の日ほど、父の日は存在感が薄いような気がしますが、父の働く姿を子どもはあまり見かけるチャンスがないので、父親が外でどんな仕事をしているのか、それは日常の会話の中でしか知ることは出来ないでしょう。プレゼントももちろん大切ですが、それ以上に会話は重要です。
父の日のプレゼントとしてお酒を上げた人も多いかと思います。わたしと父に関しては過去に何度か書き綴って来ましたので、想像は付くと思いますがこれから話す内容についてはわたし自身もつい最近知ったばかりです。
わたしと父が一緒に生活した時間は非常に短かいものでした。その中心は小学生時代に凝縮されています。アルコール依存症で酒が切れると手が振るえ、字をかくと本当のミミズ状態でした。最初に届いた葉書が府中刑務所の壁の向こうからでしたが、その葉書にはお酒を止め、一生懸命働き、美味しい物を沢山食べさせてやると書いてありました。もちろんわたしはそれが本当だったらどんなに幸福だったろうと思っていました。
父は酔うと人格が変わってしまい、鬼のような形相になり襲いかかってきます。それもわたしだけに対してでした。よそ様には絶対手を出したことがないのです。わたしの喧嘩相手は一番身近な父でしたが、狂った父をとり抑えることなど子どもには到底無理。殴られ蹴られしますが、わたしなりに抵抗はしました。
酔っている時の自分を父は何も覚えていません。顔に痣を作って学校へ行くと、当然クラスメートや先生が尋ねてきます。「神戸君その傷どうしたの?」わたしは正直に答えず「転んだ」と答えます。常にその繰り返しでしたが、いずれ父の行動は学校中に知れ渡ることとなりました。そんなわたしを不憫に思った担任の先生が養子に欲しいと相談があった時はかなり驚きましたが、わたしはきっぱりと断りました。何故ならわたしには父親がいるからです。わたしの心臓病が悪化したのも責任は父親にありました。もっと早く医者に診せていればそれほど酷くはならなかったでしょう。酒を飲んでいない時の父は非常に優しく、またお人よしでした。人からの頼まれ事は断ったことがありません。その為、不本意な結果を招き手錠を掛けられたりと、父自身もまた波乱の人生を送り33年前、42歳の若さでこの世を去りました。
人は死ぬと生前一番慕っていた人の所に魂となって現れることがあると言います。わたしは一回目の手術を19歳で受けました。父が亡くなって一年が経とうとしていた時です。かなり以前に短編小説「冬の蛍」をアップしましたが、覚えている方もいると思います。あの作品は半分ノンフィクションです。重病の心臓病を抱えた少年と父親の物語ですが、少年に付き添っていた父は既にこの世の者ではなかった…。少年が一番欲しがっていた「蛍」をプレゼントしてあの世に帰っていく父。そして奇蹟が少年の身に起こる。
手術の支度を一人で整え、大き目のペーパーバックに必要な物を詰め込んで静岡市立病院の門をくぐりました。春の穏やかな日差しに包まれた病室が、静かにわたしを迎え入れてくれます。6人部屋の一番窓際のベッドがわたしの仮の宿。しばらくここで過ごす事への恐怖感はまったくありませんでした。心臓の手術を受ける少年にしては妙に落ち着いて見えたことでしょう。
そして検査に追われる日々が続きました。そしてこの時、故郷の藤枝である事件が起こっていたのです。亡き父が生前わたしに親らしいことをひとつもしなかった事は誰もが知ることでしたが、そんな父の愛情が実は非常に力強いものだったと知ったのです。
藤枝に住む親戚の伯母さんにある夜異変が起こりました。何と父の亡霊が現れ、その伯母さんに「俊樹が心臓の手術を受けるため入院しているか早く行ってやってくれ」と伯母さんに頼んだのです。それは毎晩続き、そして日ごとに布団の上に覆い被さって来、伯母さんは金縛りに合い、身動きが取れない状態でした。あまりにもしつこいので「そんなに何回も出てくるなら行ってやらないよ」と父に向かって怒鳴ったそうです。するとその次の晩から父は現れなくなったそうです。この話しを聞いたのは2年前の事。それまでわたしは父がわたしを本当に愛していたのか心の奥では不信が募っていましたが、この話しでわたしは鳥肌がたち、父の愛情が死しても別な形で現れたのだと知った時、大きな愛に包まれている自分を知ったのです。窮地に立たされているわたしをきっと父はこの広い空のどこかで見守ってくれていることでしょう。
父の日に何もプレゼントが出来なかったわたしですが、わたしを活かしてくれた父はやはりどんな言われ方をしても私にとっては偉大な存在であるのです。ありがとう、親父。天国の酒は美味しいですか。天使を追い掛け回す父の姿が見えてくるようです。



心臓病


医療に携わる人であれば、このレントゲン写真が如何に異常かは一目瞭然だと思う。巨大に肥大したわたしの心臓である。健常者の2倍ほどに膨れ上がっている心臓は左が一年前のもの。右が先週6月9日に撮影したもの。一見殆ど変化がないように思われるがよく見ると、若干右心室が大きくなっていることが分かる。
心臓弁膜症の中では最も一般的な僧坊弁閉鎖不全に罹患したのは、42年前。それから今日に至る42年間の間に2回手術をした。一回目は静岡市立病院で19歳の時。機械弁の寿命がそれほど長く持たない頃だったので、弁形成術に留まり、手術により心臓の機能は80%まで回復した。
しかし、完治することはない心臓病を若さで乗り切った20~30代前半。
33歳で大きな転換期が訪れる。心不全に見舞われ歩くのもやっと、ドクターストップがかかり仕事も止め自宅療養。そして余命一年の宣告。結婚式を済ませその二日後入院、そして人工弁置換術を受け復活を果した。執刀医が言った。「神戸さん、安心してください。将来手術を受ける心配はありません。機械は200年持ちますから」薬を毎日飲み続けながら、一ヶ月に一度の通院生活を19年間続けて来たのだが、診察室では5分程度の問診で終わり、元気に主治医に挨拶をして診察室を後にして来た。
ところが、今回だけは違った。思いも寄らぬドクターの言葉に耳を疑った。このままの状態を放置して置くと、20年後は寝たきりになると言う。心臓は肥大を続けこの画像の3倍ほどに膨れ上がるという。それが何を意味しているのかは直ぐに判断が付いた。つまり、70歳まで生きられるかどうか。例え生きられたとしても、息をするのが精一杯。自分で動く事すら出来ない。まさに介護が絶対条件で必要になる。
そんな老後を避ける為の手段としてひとつだけ策がある。わたしの心臓は僧坊弁以外に三尖弁までもが壊れ始めていたのだ。血液の漏れが顕著になっていた。「神戸さんは若いから今の内に手術して置く方がいいですよ」想定外だった。三度目は有り得なかった。わたしは強気に出て「じゃあ早く切りましょう」と笑顔で言ったが内心は酷く落ち込んでいた。
三度目の手術がどれ程難しいか、主治医から説明を受けるまでもなく充分知っていた。機械弁が入っていて、ワーファリンを飲んでいる状態は最悪な手術である。ワーファリンを常用した状態で手術は受けられない。出血多量で死に至るからだ。一週間ほどかけて薬の量を減らし手術に臨む分けだが、かなりリスクは高い。手術以前に脳梗塞を起こす可能性が大きい。三尖弁に置き換えるのは機械弁でなく、生体弁(黒豚の弁)でしかもアメリカ製でなければならない。
わたし以上に家内もこの話しには参っているようだ。あの時執刀医と一緒に聞いた話が消えてなくなったわけだから。内心、三度目の手術は嫌である。いつも強気(前向き)で生きてきた自分が弱気になっている。またも死の淵に立たされるわけで、毎日を死の影を抱え怯えて暮らすのかと思うと、折角よくなった心の病が大きく口を開けてわたしを呑み込もうとしているようだ。ブログの内容が暗くなってしまうかも知れないことに申し訳なさを感じつつ、近況報告とさせて頂く。手術の日程などは具体的に決まっておらず、とりあえず9月15日に肝臓など、腹部超音波で調べる予定。早ければ来年、遅くとも2,3年のうちに三回目は施行されるだろう。

PS:水分補給に制限。一日1リットルまで。(ノ_-。)