プールサイドの人魚姫 -89ページ目

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


選挙1
追い風に乗った民主党の勢いが止まらない。自民党も巻き返しに必死。今度の参議院選挙を娯楽的に捉えれば、これほど面白いドラマもないだろう。野党も頼りないが、打倒安倍政権を実現させるには野党が一丸となって選挙に臨まなければならないだろう。
年金問題がクローズアップされてはいるが、拉致、教育、医療、天下りなど解決しなくてはならない問題が山積みである。野党が政権を取ったからと言って、これらが直ちに解決するとは思えない。政治は与党野党も含めて政治家全員で強力しあい、問題解決に臨むべきである。
お互いのなじり合いが目立つ国会を正常に保つのであれば、国民が直面している、日本の居心地の悪さを打開すべく、本来のあるべき「美しい国」作りに貢献して貰いたい。与野党は敵同士ではなく日本を暮らし易くする為の党であるのだが、まったくどこの党も自分が一番正しいのだと言うことしか強調しない。姿勢を正し、お互い耳を傾けあうくらいの余裕を持たなければ、将来も同じことを繰り返すだけである。
日本の将来を握っているのは有権者であるあなたの一票。その重さを政治家に知らしめる絶好のチャンスであることは間違いない。
ただ、残念なことに政治家が変わっても官僚がかわらなければ、根幹から覆すことは難しいだろう。


 

運河

運河の流れるこの街で
あなたと出会った
橋の欄干にもたれながら
神田川を眺めていた
運河の上を
風に乗ったかもめが一羽
飛んでいく
あなたは橋の上から
何を見ていたの?
待ち合わせの場所は
いつも此処で
待っているあなたの
肩を叩くわたし
あなたとわたしの笑顔が
ひとつになって
街の喧噪に溶け込んだ
二人の将来を
話し合ったこともなく
そこまで束縛するほどでもなかった二人
まるで わたしたち
流れを止めた運河みたいね

 

 

 


お相撲 大相撲名古屋場所が熱く活気に湧いた。琴光喜の快進撃が始まった事と、白鵬が横綱として初めて臨む場所でもあるからだ。朝青龍は至ってマイペースを維持。注目されたのはやはり、琴光喜と白鵬の二人。といっても他の力士たちが注目されなかったと言うことではなく、話題性から見ればこの二人だろうと言うわたしの勝ってな判断である事を付け加えておく。
白星街道を突っ走り、土俵上でガッツポーズを決める回数が増える度、ファンの心も両手でガッツポーズを決めていただろう。大関昇進への期待と自分の故郷でもある名古屋場所だけに、地元のファンに大関と優勝、この二つをプレゼントしたかったに違いない。
勝負とは酷なもので、ものの見事にその夢を一瞬にして打ち砕く。優勝への大きな一歩となった対稀勢の里との一番は完璧な敗北となってしまった。この勝負は先手を取った稀勢の里を誉めるべきだろう。いつも通りの力強い相撲をとらせて貰えなかった。
目前に大きな優勝の文字があり、それを手中に収める事がどれほど難しい事かを改めて思い知らされる結果となった。土俵を背に向けて去る琴光喜の眼に悔し涙が溢れていた。自分の不甲斐なさか、ファンの期待を果せなかった等の思いが大粒の涙となって流れ出たのかも知れない。
しかし、この時点ではまだ優勝の可能性が消えた訳ではなかった。朝青龍の取り組みがまだ残っており、その結果によっては優勝決定戦に望みを繋ぐ事が出来た。しかし、彼は自分の力でそれを果したかったのだろう。
佐渡ケ嶽親方(元琴の若)が心配そうに見詰める姿が印象的でもあった。そう言えば、琴の若が現役の時代、わたしは彼に対し、この力士は将来横綱になれる可能性があると思っていた。その恵まれた体格、背も大きく足は外人力士かと思うほど長い。素質は在ったと思われる。ただ、残念な事に彼の顔があまりにも優し過ぎた。
顔も力士の武器であり、相手を圧倒させるほどの眼力も必要。琴の若は自分が横綱になる為、闘争心を発揮し、相手を蹴散らし土俵上から睨みつけるような攻撃心が薄かったと思う。その代わりに人への思いやりは顔中に溢れていた。
親方が一番似合う人、力士を育てる事の方が向いていたのかも知れない。
悔し涙を見せる力士、勝負へのこだわりを持った力士がどれほどいるのだろうか。琴光喜のような悔し涙は自分自身を更に成長させるのである。わたしの息子が空手大会で初めて味わった勝つ喜びと敗れる悔しさ。涙をボロボロ零し、肩を震わせながら泣いていた姿を思い出し、胸が熱くなった。大関琴光喜、年齢など気にせず次の場所で横綱を目指して欲しい。


エコ

地球環境を国民全体で守ろうと、エコライフの推進が始まってから数十年近く経つだろうか?中々思い通りに浸透しないエコライフではあるが、便利さばかり追求する現代には逆行した物ばかりが溢れ、人間の刺激を促進する物は快適な暮らしをPRする製品が目立つ。
店頭に並ぶ電化製品などは確かに環境に優しい、省エネ、節電などを歌い文句に掲げている。企業の環境に対する努力は評価出来るものの、実際にどれ程効果を上げているのか全体像が見えて来ない。数字で表しても実感が伴わないのが事態。
但し、家計簿を付けている家庭であれば一ヶ月のやり繰りに赤字を抑える為、主婦の並々ならぬ努力が数字として現れる。当然、水道・電気などは出来るだけ抑えたい。
エコライフを実践すると見えて来るのが、「不便」「不快」「面倒」辺りだろう。30年ほど過去にタイプスリップすれば、当たり前だった生活が懐かしく蘇る。買い物籠は必須だったし、ごみの量も少なかった。
経済成長と共に文化に目覚めた日本にも諸外国から様々な物が入って来た。大量生産時代の到来は、利便性の追及と消費意欲の高揚を国民に植え付ける形となった。そして始まった使い捨て時代。溢れるゴミの山。TVなどは5年も経てば壊れるように作られ、新製品が続々と誕生する。
活発化する経済の裏に将来への不安など在り得なかった。それと一緒に訪れた交通機関の発達。ヒートアップする自動車社会。工場地帯では高く聳える煙突から毒を含んだ白い煙がもくもくと風にたなびく。排気ガスと公害が地方或いは都会人を呑み込んでしまった。
そんな中、各国から地球温暖化への懸念が高まり、Co2削減に向けての京都議定書など地球環境を国単位で守る為の取り組みが本格化して来たが、これは自業自得で人類は猛反省を余儀なくされることとなる。
さて先日、英国の人気デザイナー、アニヤ・ハインドマーチからレジ袋削減を名目としたエコバッグが発売され、世界中から注目を集め日本国内でも爆発的な人気を呼んでいるらしい。但し、このバッグをレジ袋代わりに使う人は殆どいないように思われる。
「I’m not a Plastic Bag」(私はレジ袋ではない)と言う文字が刻まれているのだから、バッグ自体が自己主張をしている訳だ。となれば本来の目的は達成されないこととなる。使用する人の自由であり使い方次第で、エコなのか、単なるファッション、或いは飾り物になるかは、全て使う側に任される。何処かの有名人が持っていればそれに飛び付く主体性の乏しさ…。そこからはエコライフの生活は程遠い姿が見えてくる。



段ボール お隣の国、中国ではミートボールも真っ青な段ボール入り肉まんが5年にも亘って製造販売されていたという信じ難いニュースで持ちきりだ。しかし、食材に至ってはどうも中国産を買う気にはなれない。幾ら安くともやはり国産に手が伸びるのが現状ではないだろうか。
食の不信が日本国内に広まり、ミートホープで留め刺された感があるものの、世界は広くその上を行く輩が存在する事に唖然とするばかり。と誰もがそう思った矢先、これがTV局の「やらせ報道」だったとは一体誰が想像出来ただろうか?スクープを欲しいが為、ここまでやる中国のマスコミは一体何を考えているのか皆目見当も付かない。
このような捏造番組は日本でも大問題になった例があった「あるある納豆」を思い出す。既に時が経ち記憶も薄れていたがこの捏造事件で蘇って来た。日本から見ると中国の食品に対し、疑問や不信を抱いているので「中国の食材は危ない」という固定観念が出来上がっており、中国ならやりかねないだろうと思い込んでいたのも事実なのだが、これがマスコミによる「捏造」となると話しは全く別な方向に進み、マスコミに於けるモラルが問題視される事になる。
日本国内の事件ばかりに気を取られ、隣国から届いたお粗末な記事内容に踊らされる格好となった訳だが、マスコミとはそこまでスクープが欲しいのだろうか?これも視聴率アップの為か?このような事件が続く限り益々マスコミへの不信は高まり、結局TV局が自ら墓穴を掘った形となり国民のマスコミ離れが益々増えるだけである。



藤田まこと

先日、七夕の夜15年振りに復活した「必殺仕事人2007」。なんと20%を超える高視聴率を叩き出した。最近の番組では珍しい。元々この仕事人シリーズは人気が高かった時代劇でもあり、土台が既に出来上がっているとは言え、高視聴率の背景に闇を抱える現代社会を見事に映し出している点である。表の顔はうだつの上がらないおまわりさん、そしてもうひとつの顔が裏家業で闇の仕事人。人を殺めるのが商売であるが、世の中にはどうしても消えてもらいたい人間がいるもので、自分の手を汚さず大金を払って専門家の殺しを依頼する。
この必殺仕事人は1979年~1981年にかけてテレビ朝日系列により放映されていた時代劇。藤田まこと扮する中村主人は実にはまり役で、笑いと渋さを兼ね備えた俳優として人気が高い。わたしが藤田まことと出会ったのは遙か昔の事。1962年、「てなもんや三度傘」である。TBS系で放送されていた人気TV番組のひとつで、視聴率も30%を超えていた。もちろん白黒だが、末期の頃はカラー放送されていたらしい。
番組の冒頭で必ず「あたり前田のクラッカー」とスポンサーの菓子を宣伝する。登場人物も個性豊かで、相棒の珍念は「白木みのる」子どものように身体が小さかったので、わたしは本当の子どもだったと思い込んでいた。ゲストも毎回変わり、南利明、財津一郎、堺駿司など多彩な顔ぶれだった。途中から、故美空ひばりの弟がメンバーに加わることもあった。
この番組が非常に印象深いことから、わたしの中の藤田まことはコメディアンだという位置づけが今でも残っているが、時代劇には欠かせない役者の代表であることは間違いない。


トイレ2 トイレで赤ん坊を産み落とす女子校生がいたかと思えば、ネズミ小僧を気取った一万円札をトイレに置いて行く人物まで現れた。トイレの使い方も昔と比べれば随分変わってきたなと思う。
トイレの呼び方も様々で厠(かわや)から始まり、雪隠(せっちん)、手水(ちょうず)、はばかり、後架(こうか)、御不浄、WC、お手洗い…。表現の仕方も日本ならではといった感じである。
トイレは内側から鍵をかければ密室の空間にもなる。
使い方を一歩間違えればそこから犯罪の影が見え隠れする場所となるだろう。人によっては憩いの場であったりもするが、取り調べしている最中に容疑者がトイレに行ったまま窓から逃走などという脱走劇もよく聞く。
産み落としの悲劇についてはヤンキー先生も嘆いているが、余りにも命を粗末に扱う現代の病巣に教育と家庭環境の危うさがこの事件を通して浮き彫りになっている。命をおもちゃの如く物として扱い、道徳心の欠如、希薄な学校生活や日常生活の中で人間の心が本来の在るべき姿から大きく狂い出している。
教育は勉強だけが全てではない。最も教えるべき事は命に対する尊敬と心を育み、人間同士の絆が如何に大切かを学校という集団生活の中で学ぶべきである。
一万円札を手紙付きで全国にばら撒いた所で、その人物が抱く思いが本心であったとしても、達成される事はない。人の為に役立てる事が目的であれば、孤児院などの施設に寄付すればよい事。
単なる悪戯、愉快犯と思われても仕方ないだろう。




あびる


眼に見えない空間には想像を超えるほどの様々な電波が乱れ飛んでいる。その中には個人情報や企業情報、警察無線、タクシー、自衛隊、PCウイルスなど多岐に亘る。先刻、りそな銀行から流出した顧客情報は98万件。情報量としてはさほど多くないかも知れないが、銀行が扱うデータとなれば消費者にとっては身近な情報が山のように含まれている。
氏名、性別、口座番号、住所、取引金額など出来れば他人に知られたくない情報ばかり。毎年必ず発生する情報の流出で、直接被害を受けたという話しはあまり聞かれないが、情報=金という図式が出来上がっている以上、眼に見えない形でわたしたちの知らない所で自分の情報が売買されていると思えば有難くない話しである。
クレジットカードは最早必須条件。大量の現金は持ち歩く事はなくなり、今では携帯電話が財布代わりにもなっている。便利な世の中になったとは言え、金銭感覚が麻痺している事も事実で、つい余計な買い物をしてしまい請求書を見てから初めて無駄使いに気付くようでは、黒字の家計は程遠い。
利便性を追求した商品・製品は巷に溢れかえり更に改良が加えられ、巧みなCMが心地よいリズムに乗り消費者の購買意欲をそそる。しかしながら、それらの隠された危険性を訴えるCMは殆ど見受けられない。
「携帯電話は貴方の財布を空にします、使い過ぎに注意しましょう。」くらいのキャッチコピーを付けてもよいと思うのだが。いま最も狙われ易い個人情報は携帯から流れ出る。カードやPCよりも多機能に進化する携帯電話が標的になるのは時間の問題だろう。


麻酔 長い人生を生きていく上で、出来るだけ避けて通りたいもののひとつに医療ミスがある。地震や大雨などの災害は、自然が相手だからある程度諦めも付く。しかしこれが人為的ミスとなればとても諦める気持ちにはなれない。
交通事故など自分が起こしたものは仕方ないが、相手が飲酒運転だったりすると諦めを通り越して憎悪さへ抱いてしまうこともある。医療ミスも然り。先日、山梨県の県立あけぼの医療福祉センターで起こったニュースをご存知だろうか。
虫歯の治療に全身麻酔を使うというケース。このような麻酔の使用法は初めて耳にする。40年以上に亘り心臓病と付き合い、過去に2回の手術を受け、その間に医療の現場を見てきたわたしにしてみれば、この麻酔処置は正しかったのだろうか?と疑問に思う。
亡くなった女児は9歳で、重度の知的障害があるため治療中に動いて怪我をする恐れがある為、全身麻酔を施したと言う。手術で全身麻酔を使う場合、患者の体重と密接な関係があり、体重や心身の状態などから麻酔の量が決定する。
これは麻酔科の医師が判断し適切な量を計算する。深くても、浅くても駄目。手術より一層の綿密な技量を必要とされ、手術成功の鍵を握る最も重要なポイントでもある。医療は数十年前に比べれば格段に進歩した。優秀な医者も多く輩出され、日本人の寿命が伸びた背景には医学の進歩や新薬の開発などが上げられる。
しかし、医療ミスが多発する現状を考えると(ミスは昔からあった)、医療に医者の技術が追いついていないという問題点もあるのではないだろうか。今回の事故が医療ミスかどうかはまだ分からないが、わたしはどうしても医療ミスではなかったかという思いを払拭出来ないでいる。
患者が置き去りにされる医療体制にも問題は多くあるが、医者である前に人格者として誇りを持ち、弛まぬ努力を続けて頂きたいと思う。わたし自身近い内に三回目の心臓手術を控えている事もあり医療に携わる全ての人に思いを伝えたいと思う。

 

七夕


笹の葉に
あなたの名前を書いて
流したの
星の数だけ
わたしの想いが
届くよう
さらさら流れる
天の川
あなたと一緒に
渡りたい