プールサイドの人魚姫 -9ページ目

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

 

 

 

 

 

太陽の翼に乗って
この青い天の果てまで
飛んで行こう
太陽の翼に乗って
希望の未来を夢見て
何処までも
何処までも
飛んで行こう

 

 

 今年は向日葵を撮影する為に、同じ場所に2度足を運んだ。何故そんな事になったかと云うと、持って行ったレンズの違いである。同じ被写体でもレンズが変われば全く別の表情をした被写体が撮れる。これを繰り返し行くとキリがない無限のループに嵌まり込んでしまうため、適当な所で妥協しなくてはならない。
 葛西臨海公園のひまわり畑は昭和記念公園ほど広くはなく、撮影には丁度手頃な感覚である。余りにも広過ぎると畑の中を歩き回るだけでかなり体力を消耗する。しかも、真夏の炎天下だから尚更である。
 撮影には4本のレンズを使ったが、一度に4本はとても重すぎて持てない。三脚も含めると2本が限界。だからどんな撮り方をしたいのか、予めイメージを膨らませておく必要がある。それでも納得の一枚が撮れさえすれば疲れも天の彼方に吹き飛んでしまうのだが、やはり欲が出て来ると、もう一度チャレンジしたくなるのだ。最初は14mmの中華レンズと買ったばかりのZ 20mm f/1.8 S。両方とも超広角レンズだが、Z20mmの方はかなり寄る事が出来、マクロのような使い方も出来る。
 2本とも単焦点レンズだから描写力は抜群で、超広角のダイナミックな向日葵を撮る事が出来た。然し、やはり花を撮るならマクロだろ?と頭の中の天邪鬼が語り掛けて来る。 そして美ボケで定評のあるZ MC105mmの出番となった。もう1本は離れた場所の向日葵を撮るため、24-200mmも使用した。この時はまだ3回目の入院が待っている事など夢にも思っていなかった。その6日後に入院、ちょっとばかり無茶したのかも知れないと、内心反省している。
※9月20日、心不全の治療及び術前検査の為、入院致します。いよいよ3回目の心臓手術の準備段階に入りました。

 

 

 

 

Nikon Z7Ⅱ,Mモード,WB晴天,ISO1000,SS1/40,f/6.3 Z24-200mm f/4-6.3VR

 

日頃の感謝を込めて、残暑お見舞い申し上げます。


※7月30日、六本木にある乃木神社の『つれそひ風鈴回廊』を撮影。この日、20代前半と思われるカップルの挙式に出会い、何ともおめでたい縁起の良い日となった。
 さて、8月16日の循環器内科外来にて、体重増加、浮腫み、心不全の初期症状を主治医に訴えた。胸部レントゲンを見ながら「入院しましょう…」。ベッドの空きを確認し、翌日の入院が決まった。
 2013年のワースト記録に並ぶ今年3回目の入院である。今年残り4か月余りで記録を塗り替える4回目と言う有難くない結果を招かないよう十分気を付けなくてはならない。救急車を呼ばず、自分の足で三井記念病院の入院受付のドアを潜ったのも随分と久しぶりだった。係りの女性に案内され15階へと向かった。5,6月は7階と14階だったから、同じ階でなくて良かったと少しホッとした。「あれ?神戸さんまた戻って来たの?」と知った顔の看護師から声を掛けられるのは流石に恥ずかしくもある。
 担当医は今回は変わって前回とは別の医師となった。治療自体は利尿薬の投与で身体中に溜まっている水分を取り、浮腫みを軽減させる事。心不全の治療は毎回同じだが、痛みが伴わないだけマシかも知れない。
 入院一週間目には体重は5キロ落ち、浮腫みもかなり引けて来た。大根の様に浮腫んだ足で歩くのは結構辛かった。利尿薬のフロセミドとサムスカが増量となり、尿酸値を下げる薬も追加となった。そろそろ内科的治療の限界点が見えて来たため、心不全の元凶となっている三尖弁の逆流を止める手術の事もいよいよ選択肢として、頭の中に入れて置くようにと話しがあった。
 次、また心不全を起こしたらおそらく私は手術台の上で『俎板の鯉』となっているかも知れない。何度も心不全を繰り返していると心臓にダメージが蓄積し、心臓自体の寿命が縮むばかりである。私の余命は後何年?最近はそんな弱気な事を考える様になった。手術を受けて成功すれば、QOL(生活の質)も今よりも随分と良くなるらしい。三尖弁の手術は予後が余り良くないと聞いていたが、私が弁置換を受けた30年以上前と比べたら医療技術は格段に進歩している筈である。手術を受けて元気になった自分の姿を想像しながら、ありったけの希望を抱えて未来の扉をノックしようと思う。

 

 

 

 

 

Nikon Z7Ⅱ,Mモード,WB曇天,ISO200,SS/10秒,f/16 LAOWA FFⅡ 14mm f4.0 

 

 主演の綾野剛がこの公園でランニングしている場面を何度か観た。TBSの日曜劇場『オールドルーキー』のロケ地となっている豊洲ぐるり公園。私が撮影に行ったのは5月2日で入院する1週間ほど前。この場所がロケ地だと知る由もなく、雨上がりの公園をカメラに収めたかったその一点のみが目的だった。
 雨が降るかどうか全くの賭けであったが、目的地に着いた頃は灰色の雨雲が低く垂れ込め、今にも泣き出しそうな空模様だった。この公園は東京湾に流れ込む晴海運河に沿って、長い直線の整備された散歩道がレインボーブリッジ方面に向かって走っている。ここを訪れる人は余り多くなく、天気の良い休日にバーベキューを楽しむ人や釣り人たちで多少賑わうが、この直線の道をトレーニング場所としてジョギングやランニングで汗を流す人たちくらいが目立つ程度である。
 公園の風景を撮影しつつ歩いている内に薄暗い空からポツポツと待望の雨粒が真珠のように落ちて来た。カメラ本体は多少濡れても平気だが、レンズは以前紹介したLAOWAで殆どがアナログレンズ、しかも防塵・防滴一切なしなので、レンズを守らなくてはならない。カメラは既に三脚に取り付けてあり、それを担ぎ右手で傘を指して雨を凌いだ。だが然し、風も強くなり雷鳴も轟き始めた。傘が殆ど役に立たなくなった。この公園は雨風を凌ぐ場所が殆どないため、豊洲大橋をひたすら目指した。雨の日の情景もカメラに収めたかったので、多少濡れるのは覚悟の上でシャッターを切った。
 雨風は益々強くなりまるで大嵐の様相だった。真っ黒い空に青い閃光が走り、雷鳴が空で暴れていた。橋の下にいても風で雨が吹き込んで来た。レンズにビニール袋を被せ、雨を防いだ。30分ほど橋の下にいただろうか、その内、雨は小ぶりになり雷鳴もいつの間にか遠ざかって行った。雨雲が去り空は白い雲へと変化して行った。目的通り、雨上がりの公園(夜景)を何枚もカメラに収める事が出来た。

 

 

 

Nikon Z7Ⅱ,Mモード,WB晴天,ISO64,SS1/800,f/3.2 NIKKOR Z MC105mm f/2.8 VR S

 

 

青い瞳の恋人よ
踊っておくれ
歌っておくれ
青い青いその瞳で
僕だけを見詰めておくれ
風は優しく頬を撫で
心は青い瞳で満たされてゆく
踊っておくれこの僕と
歌っておくれ
壊れかけた
この僕のために

 

 

 壊れかけたと言うより壊れてしまったと言う方が正しいかも知れない。6月21日に退院してから1ヵ月以上が経過した。「その後如何ですか?」と言う体調を気遣うお言葉を多々頂く。有難い事だと思いつつも「元気になりました!」と胸を張って言えない自分が情けなくなる。退院したら撮影出来なかった2か月分を取り戻す積りでいたし、自分を鼓舞するため、新たにZマウントの単焦点レンズを購入、更には軽量のトラベル三脚も買った。新しいレンズを買えば否応なしに撮りに行きたくなるのは必然。
 だが、最も撮りたい夜景を未だにカメラに収めていない。撮影許可は下りているので出掛けてはいるが、入院前の3,4月頃と比べると明らかに全ての点で調子が戻っていないのである。暑さや感染爆発しているコロナの影響もあるだろうが、やはりまだまだ病み上がりの状態から脱していないのが現状。無茶をすればまた病院のベッドが待っている…。
 そして最も気がかりなのが腎臓の今後の行方である。いつかは『透析』とそれは覚悟の上だが、腎不全に関しては何とも腑に落ちないのである。撮影から自宅に戻って足を見ると、自分の足とは思えぬほどに浮腫んで変形している。何故ここまで悪化する前に手を打たなかったのか?両足を見詰めながら愚痴一つ…。心臓病の事はもうよいから、腎不全を治す特効薬が欲しいなぁ。
※ネモフィラは4月、日比谷公園で撮影した。昭和記念公園まで行けば広大な敷地にネモフィラ畑が拡がっているのは知っていたが、そこまで撮影に行く元気は流石になかった。地面スレスレに咲いている花の撮影は姿勢を低くして撮らなければならず、無理な姿勢を長時間続けたため、翌日は身体中が筋肉痛だった。

 

 

Nikon Z7Ⅱ,Mモード,WB晴天,ISO200,SS1/50秒,f/6.3 Z24-200mm f/4-6.3VR

 

 

 この写真は昨年12月、九品仏浄真寺へ紅葉の撮影に行った際の一コマである。この寺に野良猫が数匹棲みついている亊など知らなかった私はこの場面でかなり驚いた事は想像だにしない。「えっ!」ともう少しで声が出るほどだった。浄真寺は九つの阿弥陀如来像が安置されている事でも有名だが、この寺の紅葉も言葉を失うほど見事である。
 紅葉の撮影に夢中で猫の存在に全く気付く事なく帰ろうとしたその時、猫の姿が眼前に飛び込んで来た。しかも石の上に正座しているではないか!。その猫の目線の先には数人の観光客がおりスマフォを猫に向けて記念撮影。そして撮影が終わるのを見計らったように、石の上から「ひょいっ」と飛び降りるとゆっくりな足取りで閻魔堂の方へ消えて行った。猫は石の上に居れば訪問客が写真を撮る事を知っているのだろう。何とも賢くサービス精神旺盛な猫の姿に微笑ましくなった。
 さて、『石の上にも三年』と言う諺があるが現代ではもう通用しない化石のような諺になってしまった気がする。我慢や辛抱は日本人特有の美徳とされていた時代は遥か昔の事で、現代人は変化を求め様々な分野にチャレンジするようになった。時代の流れに沿っていないと取り残されると言う一抹の不安を抱える人々も増え、より一層のストレス社会が精神を蝕む混沌の時代とも言えるだろう。
 私は16歳で就職し社会人となった。養護学校を卒業した後、清水市駒越(現・清水区)に在った療養型職業訓練施設で一年半ほど過ごした。三保の松原や久能山東照宮が徒歩で行けるほど近い距離にあり、駿河湾と富士山を毎日眺めながらの日々で良い環境下であった。実習で最も興味を持ったのは豚の飼育。子豚の頃から育てるのだが豚が綺麗好きで非常に繊細な動物だと言う事も知った。一匹の豚が食中毒で死んでしまった時は心が折れるほど悲しかった。施設を出る時期(就職)が迫って来ると、親を呼んで三者面談が行われる。私の父はヤクザで前科者だったため、伯父が父親代わりとなって色々と相談に乗ってくれた。
 そして静岡市沓谷に在る『中央工芸静岡支社(本社・名古屋)』に就職した。16歳の少年が右も左も分からず世間の荒波の中へと飛び込み、人生の帆を張って歩み出したのである。会社の規模はさほど大きくはなかったが、私以外の社員はみな30歳を越えており、私のように10代の少年・少女はまさに『金の卵』と呼ばれていた時代で、『若さ』それだけで十分通用していた。
 優しい先輩たちに囲まれ最初の職場としては理想的だったと思う。先輩の中でひとり、顔を合わせる度に「とにかく三年頑張れ」「貯金をしろ」が口癖のような人がいた。それらは私の将来を思っての助言であるのは分かっていたが、16、17歳はまだまだ子どもの部類。ただ、本人は早く大人になりたくて背伸びするから時々それが暴走し、羽目を外す結果となる。
 最初の給料で、真っ先に購入したのはポータブルプレコードレーヤーだった。レコード盤は大量に持っていたがそれを聴くためのプレーヤーが早く欲しかった。中学時代からロックばかり聴いて育ち、ラジオで『オールジャパンポップス20』を聴くのが愉しみだった。そして2回目の給料でモーリスのフォークギターを購入。ロック少年はいつしかギターを弾くようになり、仕事が終わるとギターをかき鳴らしボブ・ディランの『風に吹かれて』を歌いまくっていた。「3年経ったら俺は駿府会館のステージに立っている」と本気で夢を描いていた。然し、それらの夢の前にたちはだかったのが『心臓病』だった。就職して3年が経った頃、静岡市立病院で最初の心臓手術を受けた。
 手術すれば完治するんだと信じていた・・・。だが、その想いは儚くも切り捨てられた。そして始まった青春の暴走は周囲の人々を巻き込みながら、思わぬ方向へと転落の一途を辿る事となる。ところで、私の愛猫タラ(キジトラ)の事だが、もう14歳の高齢だが今も元気である。現在は埼玉の元妻の所にいるが夜になると野生の本能をむき出しにして、部屋中を走り回って居ると言う。タラに癒されて酷かった不整脈が収まった時の事は今でも忘れない。

 

 

 

Nikon Z7Ⅱ,Mモード,WB晴天,ISO200,SS/10秒,f/16 LAOWA FFⅡ 14mm f4.0 

 

 

行方知れずの恋心
川面に揺れて流されて
破り捨てても戻される
あなた恋しや隅田川
橋のたもとに立ち尽くす

一夜限りの恋ならば
他人の体に身を任す
波の灯りに照らされて
浮世の風に流される
馬鹿な女の独り言

揺れる心にあなたの影が
今夜も映る刹那の川に

想いの欠片を流します

 

 

 隅田川のクルーズ船を撮影した後、中央大橋を新川方面に渡り、隅田川テラスを散策しながらスカイツリーのある方向に暫く歩くと永代橋に着く。隅田川に架かる橋の中で青くライトアップされる橋は築地大橋など幾つかあるが、やはり私は何と言っても永代橋の青が好きである。青と言うより瑠璃色と表現すべきかも知れない。
 永代橋の歴史を紐解いて見ると、元禄9年頃でなんと江戸時代にまで遡る。広重などの浮世絵で当時の永代橋を見る事が出来るが、名前が付く以前から橋はあったらしく、「深川の大渡し」と呼ばれていたようだ。「忠臣蔵」の赤穂浪士が吉良邸から泉岳寺へ引き上げる際に渡った橋としても有名。
 撮影したこの日は確か「ピンクムーン」だったと記憶しているので4月中旬辺りだろう。陽が沈み辺りが夜の帳に包まれると、その風景は一変する。超広角レンズと三脚を使用するようになってから、夜景撮影がより一層愉しくなった。
 瑠璃色に輝く永代橋の灯りが川面に反射して、果てしなく拡がる蒼茫とした海が紺碧の空にまで続いて行く…。300年前、江戸の人々が様々な想いを馳せてこの橋を渡る姿が垣間見えて来るようで、私は暫く橋の袂に立ち竦み物思いに耽っていた。

 

 

Nikon Z7Ⅱ,Mモード,WB晴天,ISO64,SS1/320,f/3.5 NIKKOR Z MC105mm f/2.8 VR S

 

 

人はなぜ争うのだろう
美しく清らかな花のように
優しい気持ちになれたなら
どんな過ちも許せるのに
地球が丸いのは
世界が一つに繋がっているから
どんな土地にも花は咲く
例えそれが
戦火の中であったとしても

 

 

 ウクライナ私物化を企む利己主義の塊、プーチン大統領。『ウクライナの同胞を解放する』を大儀名分とし、軍事侵攻の正当性を国内外へ向けてアピールする。強かな彼の脳裏にはこの戦争への『勝利宣言』と『打倒ゼレンスキー政権』しか存在していないのだろう。
 戦後70年、平和な国に生まれ変わった日本に私たちは育ち、激動の昭和から~令和へと逞しく生き抜いて来た。この国にとって戦争は非日常の出来事へと戦争の歴史と共にページを閉じた。戦争そのものを体験した年代の人口も激減し、過去の遺物として時折、語られるに過ぎない。然し、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が非日常を日常へと激変させたのである。
 日々、激しい攻撃に晒されているウクライナの現状は、この地球上のあらゆる国の未来の姿なのかも知れない。北方領土問題を抱える日本は、この戦争を対岸の火事として捉える事は到底出来る筈もない。
 旧ソ連の貧しい時代を体験しているロシア人にとって、欧米各国の経済制裁はさほどのダメージを与えるには至っておらず、今後数年先まで見通す必要性があり十分な効果を発揮するまでにどれほどの時間が掛かるのか、ロシア国内の経済動向を注視し、徹底分析を続ける意外にないのが現状だ。
※近所に咲いていた椿?を撮ってみて、薔薇に似ていると思ったが、赤い薔薇と根本的に違うのは、その花の持つ存在感と色である事に気づいた。薔薇は艶やかで、激しい情熱を秘めているが、椿はその真逆で、目立つ事を嫌う慎ましい姿…。それゆえ、散り行く椿が最も美しいのはそのためだろうと思った。
(5月8日の入院前に下書きしておいた記事。加筆・修正せず執筆時のまま投稿する事とした。)
※※コロナが急拡大しております。皆さま、油断せず十分注意してこの夏場をお過ごし下さいませ。

 

 

Nikon Z7Ⅱ,Mモード,WB晴天,ISO64,SS1/160秒,f/5.6 LAOWA FFⅡ 14mm f4.0 

 

 

 6月上旬、2度目の入院と共に関東地方が梅雨入り。5月も殆ど病院暮らしだったので、カメラを触る時間も殆どなかった。そして予想外の再入院で更にカメラの時間が遠のいて行く。「梅雨で当分はぐずついた天気だし」と自分に言い聞かせカメラの虫が騒ぐのを抑え込む。
 そして2週間の点滴と検査三昧の日々を終え退院。入院中は「退院したら〇〇へ撮影に行く」とそんな事ばかり考えていた。ところがである…。腎臓が悪化する一方でブレーキが掛らないのである。クレアチニンの数値を見た担当医が渋い顔で言った。「撮影は当分禁止ですよ…」。今、腎臓に必要なのは安静だと言う。確かに両足は赤ん坊の足のように「ムチムチ」して肉付きが良いように見えるがそれは「浮腫み」。だが、心不全は起こしていなため、私自身は元気。撮影に行きたくてウズウズしている状態…。眼には見えないが腎臓が大声で泣きじゃくっている姿を想像出来るだろうか…。
 兎に角、ここはグッと堪えて我慢するしかない。透析を目前にして首の皮一枚で辛うじて繋がっている状態。あれこれと騒ぐ心を落ち着かせ6月もそろそろ終わると思いきや、なんと関東地方が梅雨明けだと言う!しかもここ数日の35℃を超える猛暑は一体どうしたと言うのだ?今年の梅雨は一か月も経たない内に終わってしまったのか…。これからの数か月うだるような暑い夏が延々と続いて行くのか?炎天下での長時間歩行や撮影は健康な人でさえ危険であるから、退院したての私なんかがフラフラ出歩いてよい訳がない。ならば夜景撮影ならどうだ?と思いきや節電のため、スカイツリーや隅田川の橋はライトアップ中止…。隅田川の花火も中止となり、私から撮影の機会を根こそぎ奪って行くこの夏が憎い…。
 当分の間は過去に撮ったpicが中心となる。煮え滾る暑さの中で、一服の清涼剤となるだろうか?この隅田川とクルーズ船。この日の目的はクルーズ船の撮影ではなく、本命は永代橋のライトアップ。だから14mmの超広角レンズ1本しか持っていなかった。ズームレンズがあればもう少し船に寄った迫力ある写真が撮れただろうと思うと、少し残念な気がする。中央大橋の上からの撮影である。そう言えば、知床半島沖で起こった観光遊覧船の沈没事故、あれから2ヵ月以上が経ちニュースでも殆ど聞かれなくなったが、未だに安否不明者が多く残っている。残された家族たちの悲しみは消える事なく知床の海に今も漂っているに違いない。

 

 

 

 

 6月6日、救急搬送にて再入院となった。5月28日の退院から僅か10日余りで病院へ逆戻り。長い闘病生活の中で、これほど短いサイクルでの入退院は初めての経験である。前回と同じく『うっ血性心不全』の急性憎悪であるが、今回は症状の現れた方が少し違っていた。
 元凶が心臓疾患である事は言うまでもないが、退院から4日目を過ぎた頃から体重が増え始め、両足が浮腫み始めた。これはどちらかと言えば、腎機能の急激な低下による『ネフローゼ症候群』に似ていると思った。それを顕著に体感したのは顔の浮腫み。これまで幾度となく心不全を繰り返して来たが、顔にまで浮腫みが及んだのは初めてだった。
 クレアチニンは4.5まで上昇し、eGFRは11.0。末期腎不全で透析一歩手前の状態。壊れかけた腎臓が最後の雄たけびを上げ、必死に心不全と闘っているのである。私は主治医に「写真撮影が出来る身体に戻して欲しい」事と「透析を出来るだけ先延ばしする」この二つをお願いした。今回の入院は2週間、6月21日、ワーファリンの効果が漸く安定し退院の運びとなったが、病気が治癒した訳ではないので自宅に戻っても暫くは病院と同じような日々を送らなくてならない。落ちた体力・筋力を取り戻し、撮影出来る身体に早く戻したいと思っている。

 

あの世に咲く花

あの世の陽射しをたっぷり含んで
極彩色の花が咲く
この世のものとは思えぬ美しさで
咲き誇る
あの世の花が
私の代わりに咲いている
枯れかけた命の代わりに
思う存分咲いている

 

 

 

 

NIKON Z7Ⅱ,Mモード,WB晴天,ISO64,SS1/200,f/4.5 NIKKOR Z MC105mm f/2.8 VR S

 

 入院数日前、無茶を承知で隅田公園へ出掛け、この紫陽花たちを撮って来た。地下鉄の地上へ出るほんの少しの階段が立ちはだかるモンスターに見えた。何度も何度も休憩を取りながら、やっとの思いで地上へ出る。私の影を多くの人々が追い抜いて行く。足取りは軽く、健康そうな肉体が燦々と注ぐ太陽の陽射しを受けて活き活きと踊っていた。
 花は来年も咲くだろうからいいじゃないかと思うだろう。だが、今年の花が来年咲くとは限らないし、同じ花ではない。今年咲いた花は今年の内に撮っておきたい、私には約束された未来がない、だから自分の命のある内に出来るだけ多くの被写体と出会い恋をしたいと思っている。撮影は私にとって恋愛と同じだから。

 

 

5月8日撮影、肺に水がかなり溜まっている     18日撮影、肺の水がかなり抜けた右肺にまだ残っている

 

 

 もっと早い段階で病院を受診すべきだった。限界まで我慢に我慢を重ねた結果、回復の遅れと長期入院を招いてしまい、猛反省している。ある方から「我慢はいけません」と諭されて本当に馬鹿だったと後悔している。

 5月8日、うっ血性心不全の増悪により三井記念病院の救急外来へ駆け込んだ。20代と思われる女性医師と男性医師の数人が交互に診察。呼吸が苦しいため、ベッドに仰向けになれない。最も楽な姿勢は直立不動。心電図、心エコー、レントゲン、採血など、救急で出来る限りの検査をする。安静時の脈はなんと140を超えており、頸動脈は今にも破裂寸前まで怒張していた。心房細動、期外収縮などで脈は踊り狂ったようにバラバラだった。

 若い医師が言った「BNPが1200です!」普段は400だからその3倍。これは重度の心不全を意味していた。即刻入院となり7階の『循環器病棟』へ移動。担当の看護師が私を見るなり声を掛けて来た。「神戸さん、数年前に奥の病室にいましたよね…」。私の事を覚えていてくれた看護師がいた事に驚いたが、過去に何度も入院しているからそれも当然かも知れない。

 さて、一眼レフを始めてからずっと調子が良く心不全も起こさず入院から遠ざかっていたにも関わらず何故、このような状況になってしまったのか…。それは3月初旬の循環器内科外来時での事。採血で腎機能の数値を示すクレアチニンが3.4まで跳ね上がっていた。驚いた主治医が強心剤のジゴキシンの服用を中止したのである。子どもの頃から私の心臓を長い間守ってくれていた薬である。このジゴキシンは腎臓に大きな負担を掛けてしまうリスクがある。その為、腎機能が低下した患者には禁忌となっている。

 腎臓を守るため主治医の判断は仕方の無い事だった。薬を止めてから1ヵ月が過ぎた辺りから身体に異変が生じ始める。それは左足の浮腫みで始まった。薬を止めたからだと、私はこの時点ではさほど深刻に受け止めていなかった。写真撮影も普段通りに行っていたが、調子の良い時と比べて明らかに息苦しさが増しているのを感じていた。本来であれば、浮腫みが現れた時点で病院へ連絡すべきだったのである。

 酸素吸入、点滴、ベッド安静のため、トイレに行くのも車椅子だった。5月12日、状態がある程度改善したため16階の一般病棟へ移動となる。心臓の働きを助け頻脈を抑える薬のメインテートが増量された。だが、中々脈が100を切ってくれない。少し動くと120辺りまで跳ね上がる。私の中に入っている機械弁は脈が120以上になるとその早さに付いていけず人工弁心不全を起こす事があると言う。

 5月18日、担当医からこれまでの治療経過と今後の治療について説明を受ける。アップした胸部レントゲンはその時のもの。入院時、肺に大量の水が貯留していたため、白く写っているが、18日には水が抜けて肺の黒い部分が目立って来ているのがお分かり頂けるだろう。体重は約1週間で5キロ落ちた。それは身体に溜まっていた余分な水分である。

 但し、右肺にまだ水が残っており抜けきれない状態だが、症状が落ち着いているため、このままでも問題はないらしい。もし、心不全症状が出た時には肺に針を刺して直接抜くようだ。心臓がかなり肥大しているのも見て取れる。心胸郭比63%、これは35年前に余命一年を宣告された時よりも悪いが私はあまり気にしていない。

 メインテートが功を奏し始めて来たのは24日辺りからで脈も100を下回るようになり、酸素もヘパリン点滴も外れた。ワーファリンの効果が安定するまでかなり時間が掛かったが、退院の話しが出始めた頃にはINR2.3辺りで落ち着き始めた。退院前日の27日、骨髄採取を受けた。これは白血球、赤血球、血小板が正常値の半分程度しかないため、その原因を突き止めるためだった。次回外来で検査結果が出るが、もしかすると新たな血液の病気が見つかるかも知れない。

 今回はメインテートで何とか乗り切ったが、再び心不全を起こした時はワソランを使う事になるだろう。それまでワソランは最後の切り札として温存しておく。それでもだめだった場合は腎臓を犠牲にするしか手立てはない。人工透析も視野に入れておかなくてはならない。だが、この先どんな困難が待ち受けていようとも私は絶対諦めたりはしない。自分のやるべき事を全うするため、この命を守ってみせる。それまで皆さん、このボロボロな私を温かく見守って頂けると有難い。