プールサイドの人魚姫 -8ページ目

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

 

 

 隅田川公園で紫陽花を撮影した日、公園から両国橋方面へ30分ほど歩くと隅田川テラス沿いに小さな花壇がある。その場所にも紫陽花が咲いている事を以前から知っており、一眼レフを始める前、スマフォで初めて紫陽花を撮影した記念すべき思い出深い場所。
 今回もおそらく咲いているだろうとその場所に思いを馳せ、少し祈るような気持ちで両国橋を目指した。この辺りには以前紹介した流線型の美しい両国ジャンクションがあり、絶好の夜景撮影スポットでもある。花を撮るならやはりマクロレンズが好ましいと思うが、私自身は余りマクロ撮影は得意ではない。MC105mmは中望遠なので、被写体にぐっと寄らずに、少し距離を置いて撮るようにしている。
 この日はもう1本単焦点40mmを用意しておいたので、使い分けながら撮影に臨んだ。想像通り、花壇の壁側に沿って青いガクアジサイが密生していた。花壇の中に足を踏み入れても大丈夫なように石を並べた細い道が出来ており、他の花を踏み付けないよう最新の注意を払い、シャッターを切った。
 川沿いの街灯が点灯し始め、黄昏の時を迎えていた。それらのライトが昼とも夜とも言えぬ、妖しい時間をプレゼントしてくれたように思う。それらがアジサイの一つひとつをより一層際立ててくれ、美しい背景ボケとなりファインダーを覗き込んでは、自己満足の世界にどっぷりと浸っていた。
 今年は紫陽花だけで、3回場所を変えて撮影に行った。先ず最初は江戸川河川敷の小岩菖蒲園、ところが全くの空振りに終わりあじさいの「あ」くらいしか撮れず、肩を落として帰宅。やはり慣れている場所の方が撮れる確率は高いだろうと次は隅田川公園へ。そしてそれでも物足りず、次は白山神社へ。然しこちらも期待外れで終わった。白山神社そのものは800年以上の歴史があり、あじさい祭りも有名で時季には多くの観光客で賑わっているし、文句の付けようがないのだが、やはり時季が遅すぎた感があり、隅田川の時の様なワクワクする感覚を持てず、亀戸天神の藤の花と同じ思いになってしまい残念だった。
 今年に入り、心臓の調子も良くなるに連れて撮影に出掛ける機会も格段に増えた。が、然し残念な結果で終わる事も増えた。こればかり仕方ない事と割り切って、納得の写真が撮れるまで何度でも同じ場所に出掛けている。

 

 

 コロナが5類に分類されマスクの着用も個人の判断に委ねる方針へと切り替わった。それに連れて巷ではマスク無しの姿が目立つようになって来ている。行動制限が解かれ、解放感溢れる新たな夏がスタートしたように思うが然し、コロナが消滅した訳ではない。専門家たちの声を聞けば既に第9波の入り口に差し掛かっているようだ。
 このコロナに翻弄された約3年間ひたすら耐え忍ぶ生活を強いられ、社会生活の最も基本であるコミュニケーションまでも制限を受け、職までコロナに奪われ路頭の迷い子となってしまった人々も多くいる。そんなコロナの嵐にもいつか終わりが来る事をわたし達は知っている。『止まない雨はない』と言われる様に、ウクライナとロシアの戦争も結果はどうあれ、いずれ終わる。総ての物事には始まりがあれば必ず終わりもあるのだから、希望に満ちた未来が訪れる事を信じて今を生き抜く事が大切であると思う。
 浅草寺の写真とは全く関連性のない話題から始まったかに思えるが、そうでもない。コロナが解禁されて国外からの観光客も日毎に増え、浅草と言えば都内では有数の人気観光スポットである。これを撮影した雨の日でなければ、多くの観光客で賑わう浅草寺。雨の中で光る浅草寺をいつか撮ってみたいと言う思いは以前から懐いており、この日、それが実現した訳である。自分の読み通りこんな雨の夜に訪れる人は殆どなく、周囲を気にせず撮影に没頭する事が出来た。
 浅草に着いた時は傘も不要なほどの小雨だったのだが、撮影を始めて30分も過ぎた辺りから雨足が強くなりだし、おまけに風も吹き出して来た。差していた傘は風で後方に飛ばされ、カメラをその場に放置して傘を追い掛けたりと別な意味で苦労した。もし周りに人がいて飛ばされた傘が当たってしまったら撮影どころではなくなる。人がいなくて本当に良かったと安堵している。
 撮影するのに傘が邪魔になって来たので途中から傘なしで撮影。頭が濡れて風邪でも引いたらまずいと思い、フードを被っての撮影となった。自分もカメラもずぶ濡れとなったが、こんな雨の日にしか撮れないライトアップされた雨に煙る神秘的な寺院をカメラに収める事が出来て満足している。『雨ニモマケズ風ニモマケズ…』とどこかの有名な詩人の言葉通り、カメラ魂を爆発させてやった。それにしてもNikonのカメラとレンズはタフである。

 

 

 今年の紫陽花は咲く時季が早かったのだろうか?5月が春と言うより初夏を思わせる高温の日が続き、花たちもすっかり慌てて咲き始めたのかも知れない。あじさいに似合う梅雨時のタイミングを見計らって撮影に赴いた積りが若干遅すぎたたような気がしている。
 移り行く季節に合わせて様々な花たちがその美貌を覗かせてくれるのだが、カメラを向けた時に躊躇していると花にそっぽを向かれてしまう。花は多分こちらの思惑通りに咲いてはくれないし、こちらの意図を見透かしているような気さえする。これまで何度も言って来た事だが、被写体との向き合い方が大切である。人と会話する様に花にも言葉は必要であるし、ただ黙ってシャッターを切るだけでは相手にさえしてくれないのである。
 昨年の今頃は心不全の繰り返しで入退院に突入した時季でもある。それは5月に始まり、同じ年の11月まで続いた。私にとっては激動の一年だったし、今後の運命を決定する大事な年でもあった。入院中も撮影の事が頭から離れず、主治医に「撮影出来る身体に戻して欲しい」と懇願したのが懐かしい。2022年のほぼ半分は入院生活だったが、多くの人たちの援助を受けて再び撮影に臨む日々を送る事が出来るようになった事に心から深く感謝している。
 被写体と向き合う時、感謝と尊敬の念をカメラに込めて日々シャッターを切り続けて行こうと思う。

 

 

 舎人公園で撮影したネモフィラの続編。この公園は都心の高層ビル群に囲まれた公園とは大きく違い、周りには殆ど建造物がない。ここが東京?と思ってしまうほど、ローカルな感じの大きな公園である。短い期間ではあったが浮間公園と同様にライトアップされたネモフィラを見る事が出来たようだ。私がそれに気付いた時は既にライトアップは終了していたので夜のネモフィラ撮影は叶わなかったが、夕暮れ時のネモフィラ畑をカメラに収める事が出来て予想以上の収穫だったと思っている。
 この日は天候にも恵まれていたので、おそらく美しい夕陽を眺める事が出来るだろう事は察しがついていたが太陽が西の空を赤く染め上げ始めると、高鳴る期待でテンションはマックス状態に。前回の記事で話した通りカメラはほぼ地面に置いた状態での撮影。ファインダーを覗くのには無理があったため、モニターを見ながらの撮影。私は視力がかなり悪く、モニターに写った被写体がよく見えず、ピントが合っているのかも分からず適当にシャッターを切る状態だった。ピンボケだったら諦めよう位の気持ちでシャッターを切り続けた。後で写真を確認するとピンボケは僅か1枚のみだった。
 西に沈みゆく夕陽を浴びた青いネモフィラがそれはまるで全くの別の花に見えて来た。何とも言えぬ幻想的・神秘的とも思える青い花…。夕陽の赤が花びらを透けてこちらに話し掛けてくるような、何とも不思議な花の写真を撮る事が出来た。ピントが全てネモフィラに合っていたので、夕焼けそのものを撮った写真が1枚くらいあってもよかったかなぁとそれのみが反省点となった。因みにレンズはNikonの単焦点40mm、タムロンの70-300mm望遠レンズを使用した。

 

 

 亀戸天神社(通称:亀戸天神)は、一眼レフを始めて間もない頃(3年以上前)にNikonのD700 を携えて撮影に一度訪れているので、今回が2回めとなる。当時はカメラに慣れるため、形振り構わず我武者羅に撮影していたと記憶している。まったくのカメラ初心者で夜景を撮ってみても失敗の連続だった。本格的に夜景撮影を始めたのはD810にアップグレードしてからの事となる。それでも手持ちでの撮影に限界を感じ、やはり夜景は三脚必須だと理解するに至った。3年前の撮影では梅がそろそろ咲き始める時季だったが、花自体にさほど興味もなかったので、お社とその背景に映り込むスカイツリーを撮っただけで終わった。昼間の撮影で目を引く様な特徴もなく、作品として残すようなものではなかった。
 神社と言えばやはりパワースポットの存在である。この亀戸天神は学業の神様で有名。特に藤の花が咲く時季には多くの観光客で賑わう人気の観光地。境内自体はさほど広くはないが、その中に3つのパワースポットがある。その1つが『太鼓橋』だ。人生を橋に例え、過去・現在・未来を表し、橋を渡るごとに身を清められるとされ、開運のパワースポットとして知られている。そして触れると病気治癒のご利益があるとされている本殿横の神牛。3つめは筆箱や筆記用具を納めると学業アップのご利益があるとされている筆塚。そして更には恋愛成就のご利益がある境内の花園神社。
 一つの神社でこれだけのご利益が齎されるのも人気の一助となっているのだろう。ところで、ひとつ気になっていたのだが、藤棚で有名な神社ではあるのだが、その藤がどうも元気がないように私には見えてしまった。藤の花と言えば私の故郷である藤枝市のシンボル花。私が子どもの頃よく遊んだ『蓮華寺池公園』の藤まつりは有名で県外からも観光客が訪れ、見事な藤棚が人々の眼を楽しませてくれるようだ(私自身は一度も見た事がないけれど)。
 亀戸天神の藤棚を見たのは今回が初めてであったが、撮影意欲を掻き立てられるほどのものではなかったので、神社のスピリチュアルな夜景撮影に徹する事となった。ライトアップされた神社を見ていると、眼には見えない何か?が降りて来るような気がして、神秘的な体験が出来ると思ったが何も起きなかった…。

 

 

 

 ツツジを撮る予定で新宿御苑へ再び出掛けてみたが、思い描いていたツツジに出会う事が出来ず撮影意欲を削がれそうになっていた。もう少し探して見ようと広い園内を歩いていると、視界に飛び込んで来たのが春バラ!。その薔薇たちを見て一気にテンションが上がり、ツツジの事はすっかり忘れてシャッターを切り捲った。
 数年前まではバラを目の前にしてどの様に撮ったら良いのかさっぱり分からず、いつもバラの前を素通りしていた自分が妙に懐かしく感じた。もしかすると花の撮り方を教えてくれたのはこのバラ達なのかも知れない。花に興味を持つようになったのもやはりバラが切っ掛けであると言えよう。
 苦手意識を克服すると、後は只管、花の持つ魅力を如何に引き出すかそれだけに専念するようになった。レンズ選びにも気を遣うようになり、夜景や風景とはまた違ったアプローチが楽しく、撮影風景を誰かが見たら大好きな玩具で夢中になって遊ぶ子供のように見えるかも知れない。
 新宿御苑のバラ園は正方形の形をしており、様々な種類のバラが咲いているのだかれど、相変わらず花音痴の私にはどんな品種なのかさっぱり分からないが今はそんな事も気にならなくなった。それぞれに皆特徴があり、中にはバラ?と首を傾げるような品種もあったりする。きっと人間と同じように花たちにも性格があるんだろうなぁと思うような咲き方をしており、紅いバラは花言葉通り情熱的な気質に違いないなんて勝手に想像している。

 

 

 自宅から徒歩で約45分の所に『浮間公園』がある。西台駅前から浮間舟渡駅行きの国際興業バスが出ているので、それに乗って行けばよいものを天邪鬼な私は敢えて徒歩を選んだ。新河岸川を渡り荒川土手沿いを東へ20分ほど行くと、水と緑に囲まれた公園が姿を現した。この公園にはシンボルとなっている風車がある。その周りを囲むようにチューリップやネモフィラが咲いている。休日ともなれば大きな池で釣りを楽しむ人や、風車の下に広がる芝生にシートを広げランチや会話に興じる人々で賑わっている。
 この公園の存在を割りと最近知ったばかりで、自宅近くにこんな素敵な場所がある事に気付かないなんて灯台下暗しだなぁと思ったりした。ネットで詳細を調べるとチューリップや風車に人気があるようで、期間限定で夜は花や風車がライトアップされるという。桜が満開になる頃にはさらに神秘的な要素も加わる。これは何としても撮影に行かねばと意気込んだ。アップした夜景を撮るのに実は3回も足を運び、3回目にして漸く納得出来る夜景を撮る事が出来た。
 1度目は風車の周りが工事中でまともな写真が撮れず、然もカメラのバッテリーが2本とも切れてしまい夜景は断念。バッテリー切れなどと言う初歩的なミスは一眼レフを始めて以来始めてだった。多分、充電を忘れていたのだろう。2度めはレンズ選択のミス。これはミスと言うより天気が良すぎて気に入らなかったというのが本音。そして3回目にイメージ通りの夜景が撮れた訳である。この時は遠回りになるが電車を利用した。出掛けたのが帰宅時間帯で、埼京線の想像を絶する混雑ぶりを体感する事となった。帰りは気分も高揚していたので徒歩で自宅に戻った。納得の出来る写真が撮れると疲労感すら心地よく感じるものであるが、気分が昂ぶったままベッドに入っても頭が冴えて眠れないのは困りものである。

 

 

 

 GW真っ只中の3日、ネモフィラの撮影に出掛けた。昨年は日比谷公園で撮ったが今回は足立区にある舎人公園へ行ってみた。東京近郊でネモフィラをと思えばまず思い浮かぶのが昭和記念公園なのだが、この公園について何度か記事に纏めた事がある。とにかく広すぎて目的の場所まで徒歩でかなり時間が掛かる。向日葵を撮りに行った時、立川口から30分以上は歩いたと記憶している。帰りはクタクタに疲れ切って重い足を引き摺るように電車に乗った事を覚えている。しかも、電車の事故か何かでダイヤが乱れておりコロナ真っ只中にも関わらず電車は超満員で恐怖する感じていた。
 それ以来昭和記念公園は敬遠するようになってしまった。どうしても撮りたい被写体があれば別であるが…。そうして見つけたのが舎人公園だった。この公園はまだ私にとって未知の場所。以前、江北ジャンクションを撮るために舎人ライナーに乗った事を思い出した。舎人公園駅で下車すると眼の前に新緑を湛えたかなりの面積を有する公園の姿が飛び込んで来る。その下では多くの家族連れやカップル達が行動制限のない自由な休日を満喫していた。
 さて、私は近くにコンビニはないかとGoogle Mapで探してみるが、公園の近くにコンビニがない…。最も近い場所で約1キロの距離、然しお腹も空いて来たし何か腹を充たさないと空腹のままでは撮影に支障を来すと思い往復にして約2キロを歩いたが、撮影以前に少し疲れてしまったので途中で休憩を入れつつオニギリを頬張りながらネモフィラの咲いている場所をMapで探した。この公園は北と南に分かれており、目的の場所は駅から15分ほど北側に行った場所にあった。外灯らしき物はチラホラ見かけるだけなので夜になったら多分、真っ暗になるだろうと予想はついた。
 初めて訪れる場所と言うのはやはり新鮮味があって心地よい刺激を与えてくれるのでいつの間にか疲れも忘れていた。若い女性のグループやカップルが非常に多く、私の様なおっさんが数人、一眼レフを構えて撮影に没頭していた。ネモフィラはご存知の通り地面のかなり低い位置に密生して咲いている。私は地べたにしゃがみ込んで撮影を開始!正しい写真の撮り方なんて無いと思うし自由に撮れば良いと思うのだが、皆さん、どうして上から撮ろうとするのだろう?花を撮る時、私が最も重要と思っているのは、被写体との目線の高さである。花と同じ目線で撮影する事を心がけ、そして感謝の気持ちと尊敬の念を持って撮影する。そうすれば花の方からこちらに微笑んでくれるのである。

 

 

 4月2日、NAKED桜の新宿御苑2023のイベントへ行った。新宿御苑は通常、障がい者は入場無料なのでそのつもりで障がい者手帳を携えて行ってみると、チケットが必要で当日券は既に完売…。ライトアップされた夜桜を目前にして引き返すのは敵前逃亡の様な気がして諦め切れず、係員に尋ねるとネットでチケットを購入申し込みして支払えばよいと教えてくれたのだが、その手続がまた面倒でスマホの小さい画面と睨めっこしつつ『チケットぴあ』に会員登録して購入手続きを済ませ、近くのコンビニを探し漸く手に入れたチケットだけで約1時間以上も費やしてしまった…。
 下調べもまともしなかった自分が悪いのだが、チケット購入自体、日比谷野音の『憂歌団Live』以来の事だったので購入方法がすっかり変わっている現状について行けない自分が情けなくなった。何れにせよ目的は果たせたので後は写真を撮りまくるのみ。新宿門は出口専用となっており、入り口はそこから800mほど歩いた『大木戸門』。長い長い人の行列が続き何処が最期尾かも分からず適当な所で列に紛れ込んだ。
 まだ陽がある明るい内に着いてはいたが、チケット購入と中々進まない列に時間を取られ、いつの間にか辺りは闇の世界に包まれていた。雲の切れ間から月が覗き、その下では咲き誇る桜が色取り取りにライトアップされ、神秘的・幻想的な異次元の風景が観るもの全ての人々を飲み込むように見下ろしている気がした。
 三脚は一応持っては行ったがやはり使用不可。だから全て手持ち撮影であるが、それは予想出来ていたため、一番明るい単焦点20mf1.8のレンズを使用。手ブレしない限界のSSは1/40、ISO感度は平均1600で撮影。人が余りに多いため、どんな構図を決めても人が写り込んでしまうので、千鳥ヶ淵の時のようにはいかず、ここは敢えて人も含めての撮影に徹する事とした。桜と言うより宇宙に散りばめた星屑のような夜景の下で花見を堪能する人たちで溢れ、撮影しながら歩くには躓いて転倒しないようかなり注意を払っての夜桜撮影であった。

 

 

桜の花びらが舞い散る午後に

あの娘は逝った

天使の衣を纏って空高く

注射が嫌だと駄々こねて

僕を随分困らせたっけ

君があんまり泣くもんだから

瞼を両手で押さえると

「バカっ涙であたし溺れちゃうよ」

と言って僕の腕にキスしたね

桜は散ってもいつかまた戻って来るけれど

君と過ごした日々はもう戻らない

桜の花びらが舞い散る午後に

涙の抱擁だけを僕に残したまままで

あの娘は散った

閉じた瞼に最後のくちづけを

 

 

※白血病のため17歳で亡くなった少女に捧げた詩。
 当時はまだ白血病の治療が確率されておらず、輸血と出血の繰り返しであった。彼女の病床を見舞い、「頑張れ!負けるな!」と励ましたその3日後に彼女は眠るように息を引き取った。

 夜桜を撮影したその二日後に再び同じ千鳥ヶ淵へ出向いた。太陽の陽射しを浴びて煌めく桜を撮りたかったからである。レンズはタムロンの望遠とNikonの単焦点MC105mmを用意した。千鳥ヶ淵緑道を大勢の人が行き交う中で皆さんの邪魔にならぬようかなり気を使っての撮影だったが、一度ファインダーを覗き込んでしまうと自分の世界に糸も容易くのめり込んでしまうから多分『邪魔なおっさん』と思われたかも知れない。
 桜の花びらが舞う季節が訪れると、必ず数十年前の若き頃の青春の1ページが鮮やかに蘇って来る。このポエムに登場する少女は私と同じ養護学校の卒業生であった。在学中、お互い好意を寄せ合うような間柄ではなく病棟で顔を合わせた時に挨拶を交わす程度で、少女がどんな病気を抱えていたかなど特に関心もなかった。養護学校を卒業した後、少女は地元(浜松市)の高校へ進学、私は清水市駒越にあった療養型職業訓練所で1年半を過ごし16歳で静岡市沓谷にある会社へ就職。18歳を迎えたばかりの頃、養護学校から同窓会の通知が届き、それに出席しそこで高校生の彼女と再会するに至った。在学中は丸顔のショートヘアーだった髪型もセミロングに変わり、松林の隙間から降り注ぐ陽射しを浴びた黒髪がキラキラと星の様に輝いていた。同窓生たちとの集合写真を撮った後、「神戸さんですよね?」と声を掛けて来たのは彼女の方だった。
 私の出で立ちと言えばフォークのプリンスならぬ吉田拓郎の真似をして、彼女より更に長い髪で当時流行りのラッパズボン。丸刈りの中学生だった頃の面影など何処にも残っていなかったが、彼女は一目で私が分かったようだった。いきなり声を掛けられて驚いたが、言葉も殆ど交わした事のなかった自分を覚えてくれていたのが意外で、内心は嬉しくもあった。
 「千絵ちゃんだよね?」これが彼女との最初のマトモな会話だった。そしてそれが切っ掛けで二人とも堰を切ったように話が弾みお互いの近況を語り合った。この時、初めて少女の身に何が起こっているのか初めて知る事となった。高校に進学はしたものの、体調不良により授業を欠席し入退院を度々繰り返しているようだった。彼女は悲しみを打ち消すかのように笑顔でポツリと呟いた「あたし、白血病になっちゃった…」。私は返す言葉を見失ってしまい「えっ?」と再度尋ね、ただ驚くばかりだった。在学中は元気に飛び回っていた彼女の姿からは想像も付かない病名だった。
 高校に進学してから病気は更に悪化して行ったようだった。おそらく急性白血病だったのだろう。その同窓会での再会以降、彼女との付き合いが始まった。重い病気を患った彼女に対する同情心も多少はあったかも知れないけれど、その時は時間の許す限り彼女に寄り添って病気の克服を手伝いたいと思っていた。携帯電話など便利な物のない時代、会えない時は手紙を書き励ました。
 今年の春もきっと高い空の彼方から散り往く桜を大きな瞳を輝かせ、彼女は見詰めているだろうと私はそう思っているし、歳を取った私の下に17歳のままの千絵ちゃんが舞い散る花びらに乗って降りて来ているんだと…。