プールサイドの人魚姫 -10ページ目

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

 

 

 

Nikon Z7Ⅱ,Mモード,WB晴天,ISO200,SS/10秒,f/14 LAOWA FFⅡ 14mm f4.0

 

 

 入院中、病状がある程度安定して来ると、酸素や点滴をしたままでも、病棟内歩行の許可が下りる。ガラガラガラと点滴棒をお供にしてリハビリも兼ねた歩行それ自体が意外と楽しみの一つとなる。歩行が出来ればシャワーもほぼOKとなるので楽しみが少しづつ増えて行く。
 そんな些細な楽しみの中に、16階の高層ビルから眺める東京の街並みもまた時を忘れる癒しの空間が存在する。東京の夜景を眺めている時、遥か東の方角に緑色に輝くリングのような形状の建造物を発見した。最初はお台場の観覧車かと思ったが、『パレットタウン大観覧車』は8月31日で営業を終え、今は解体工事が進行中だと言う。
 翌日、リハビリ中に観覧車の話しを担当の理学療法士に振ると「神戸さん、あれは葛西臨海公園の観覧車ですよ」と言うではないか。「ええっ!そうだったの?」まさかこの病院から葛西臨海公園が見えるなどと想像もしていなかったのでかなり驚いたが、やはり日本最大級の観覧車と呼ばれているだけの事はあると改めてその大きさに納得した。
 投稿した観覧車は昨年も同じ時季に撮影しているが、今回はNikonではなく私のお気に入りの1本、LAOWA14mmの中華レンズで撮影。レンズが変わると映り方も随分と変化するから面白い。そろそろ術後2ヵ月を迎えるが退院後、夜景撮影はまだ一度も行っていない。三脚を含めたカメラ機材だけでも、おそらく6~8キロはあると思う。肋骨がしっかりくっ付くまで当分の間は重い物を持たない方が良いと言われているため、本格的な夜景撮影は来年からにしておいた方が良さそうだ。然し、それ以前に無事に年を越せるかそれが心配の種である。何しろ1日の塩分制限6g以下を守らないとまた『心不全』を引き起こすからだ…。

 

 

ICU→HCU→そして一般病棟(心臓血管外科)に戻り身体中に繋がっていた管が全て取れ、すっきりした術後5日目の朝。

 

思いもよらぬ5回目の入院ですっかり意気消沈するも順調に回復し、酸素も外れてリラックスの午後。

 

 10月5日午前9時30分、心臓を止めずに切る『オフポンプ手術』が行われ、三尖弁輪形成術はほぼ予定通り無事に終了した。三尖弁自体が意外と丈夫だったため、大きく拡がってしまった弁を引っ張っても破れて破損する事なく人工弁輪を縫着し補強。自己弁修復で血液の逆流が95%回復し、理想的なオペとなった。
 手術における3つのリスクも全て回避し最も懸念されていた透析も、瀕死の状態だった腎臓がここ一番で最後の力をふり絞り手術に耐え抜き透析回避!覚悟の上だったので透析せずに済んだ事は奇跡的な事だったかも知れない。肝臓もほぼ『肝硬変』状態だったが血流が正常に戻った事により徐々に回復の途上にある。そして術後数日は脈が不安定で50を切る徐脈が連発していたため、外付けのペースメーカーで調整していたがそれも不要となった。人工弁(生体弁)を使用しなかった事から4度目の手術も視野にいれる必要がなくなった。
 これほど全ての条件が揃って成功したと言うのは、勿論、ドクターとそのスタッフたちの優れた医療技術の賜物であるが、それだけではない、私自身の運の強さが今回もまた大成功へと導いてくれたものと思う。
 術後はとんとん拍子に快復し、後は退院を待つばかりとなり、執刀医から退院のgoサインが出たのは、手術から10日目の15日だった。ちょっと早すぎるのでは?と疑問もあったが、執刀医の判断なのだから大丈夫だろうと思った。そして10月20日退院、体重が10キロ近く落ちて正に骨と皮だけの身体になったため、ジーンズが緩々で腰骨で辛うじて止まっている状態だった。
 約1ヵ月ぶりに自宅へ戻ったが、筋力・体力の低下が著しく、動いていても直ぐに疲れてしまう状態だった。これは兎に角リハビリをきっちりやらねばと思っていたが、オペが成功した割に身体が今一つ動きが悪い。もっと動けて良いのでは?と腑に落ちない日々を送っている内に、いつの間にか体重が増え始め、退院から1週間が過ぎた頃には5キロ近く増えてしまった。それとともに息切れが酷くなり、まともに歩く事すら困難となった。浮腫みも動悸も無かった事からこの時は『心不全』だとは考えていなかった。然し、日増しに息切れは尋常ではないほど激しくなり、着替えをするだけでも息が切れて動くのが辛かった。
 流石に我慢の限界を越えてしまったため、11月1日タクシーで病院へ行き、そのまま7階の循環器病棟へ緊急入院となった。肺に増えた体重分の水が溜まり、130を越える頻脈、血圧も高く、45%あった心機能がなんと20%まで落ち込んでいた…。そして毎日2回の利尿薬投与が始まり、それとともに折角快復した腎臓が再び悪化し始めた。
 手術自体は文句の付け所がないほど上手く行ったと言うのに、何故に心不全を再び起こしてしまったのか・・・。その原因は未だに謎のままである。兎に角、今後も油断をすれば心不全を繰り返す事だけは間違いなさそうだ。手術によって心不全とは永久におさらば出来ると思っていた自分が甘かったと言うことなのだろう…。取り合えず、体調は元に戻り11月19日に退院となった。もう今年の入院は今回で終わりにしたいとつくづく思う。

 

 

 

 

 

 

太陽の翼に乗って
この青い天の果てまで
飛んで行こう
太陽の翼に乗って
希望の未来を夢見て
何処までも
何処までも
飛んで行こう

 

 

 今年は向日葵を撮影する為に、同じ場所に2度足を運んだ。何故そんな事になったかと云うと、持って行ったレンズの違いである。同じ被写体でもレンズが変われば全く別の表情をした被写体が撮れる。これを繰り返し行くとキリがない無限のループに嵌まり込んでしまうため、適当な所で妥協しなくてはならない。
 葛西臨海公園のひまわり畑は昭和記念公園ほど広くはなく、撮影には丁度手頃な感覚である。余りにも広過ぎると畑の中を歩き回るだけでかなり体力を消耗する。しかも、真夏の炎天下だから尚更である。
 撮影には4本のレンズを使ったが、一度に4本はとても重すぎて持てない。三脚も含めると2本が限界。だからどんな撮り方をしたいのか、予めイメージを膨らませておく必要がある。それでも納得の一枚が撮れさえすれば疲れも天の彼方に吹き飛んでしまうのだが、やはり欲が出て来ると、もう一度チャレンジしたくなるのだ。最初は14mmの中華レンズと買ったばかりのZ 20mm f/1.8 S。両方とも超広角レンズだが、Z20mmの方はかなり寄る事が出来、マクロのような使い方も出来る。
 2本とも単焦点レンズだから描写力は抜群で、超広角のダイナミックな向日葵を撮る事が出来た。然し、やはり花を撮るならマクロだろ?と頭の中の天邪鬼が語り掛けて来る。 そして美ボケで定評のあるZ MC105mmの出番となった。もう1本は離れた場所の向日葵を撮るため、24-200mmも使用した。この時はまだ3回目の入院が待っている事など夢にも思っていなかった。その6日後に入院、ちょっとばかり無茶したのかも知れないと、内心反省している。
※9月20日、心不全の治療及び術前検査の為、入院致します。いよいよ3回目の心臓手術の準備段階に入りました。

 

 

 

 

Nikon Z7Ⅱ,Mモード,WB晴天,ISO1000,SS1/40,f/6.3 Z24-200mm f/4-6.3VR

 

日頃の感謝を込めて、残暑お見舞い申し上げます。


※7月30日、六本木にある乃木神社の『つれそひ風鈴回廊』を撮影。この日、20代前半と思われるカップルの挙式に出会い、何ともおめでたい縁起の良い日となった。
 さて、8月16日の循環器内科外来にて、体重増加、浮腫み、心不全の初期症状を主治医に訴えた。胸部レントゲンを見ながら「入院しましょう…」。ベッドの空きを確認し、翌日の入院が決まった。
 2013年のワースト記録に並ぶ今年3回目の入院である。今年残り4か月余りで記録を塗り替える4回目と言う有難くない結果を招かないよう十分気を付けなくてはならない。救急車を呼ばず、自分の足で三井記念病院の入院受付のドアを潜ったのも随分と久しぶりだった。係りの女性に案内され15階へと向かった。5,6月は7階と14階だったから、同じ階でなくて良かったと少しホッとした。「あれ?神戸さんまた戻って来たの?」と知った顔の看護師から声を掛けられるのは流石に恥ずかしくもある。
 担当医は今回は変わって前回とは別の医師となった。治療自体は利尿薬の投与で身体中に溜まっている水分を取り、浮腫みを軽減させる事。心不全の治療は毎回同じだが、痛みが伴わないだけマシかも知れない。
 入院一週間目には体重は5キロ落ち、浮腫みもかなり引けて来た。大根の様に浮腫んだ足で歩くのは結構辛かった。利尿薬のフロセミドとサムスカが増量となり、尿酸値を下げる薬も追加となった。そろそろ内科的治療の限界点が見えて来たため、心不全の元凶となっている三尖弁の逆流を止める手術の事もいよいよ選択肢として、頭の中に入れて置くようにと話しがあった。
 次、また心不全を起こしたらおそらく私は手術台の上で『俎板の鯉』となっているかも知れない。何度も心不全を繰り返していると心臓にダメージが蓄積し、心臓自体の寿命が縮むばかりである。私の余命は後何年?最近はそんな弱気な事を考える様になった。手術を受けて成功すれば、QOL(生活の質)も今よりも随分と良くなるらしい。三尖弁の手術は予後が余り良くないと聞いていたが、私が弁置換を受けた30年以上前と比べたら医療技術は格段に進歩している筈である。手術を受けて元気になった自分の姿を想像しながら、ありったけの希望を抱えて未来の扉をノックしようと思う。

 

 

 

 

 

Nikon Z7Ⅱ,Mモード,WB曇天,ISO200,SS/10秒,f/16 LAOWA FFⅡ 14mm f4.0 

 

 主演の綾野剛がこの公園でランニングしている場面を何度か観た。TBSの日曜劇場『オールドルーキー』のロケ地となっている豊洲ぐるり公園。私が撮影に行ったのは5月2日で入院する1週間ほど前。この場所がロケ地だと知る由もなく、雨上がりの公園をカメラに収めたかったその一点のみが目的だった。
 雨が降るかどうか全くの賭けであったが、目的地に着いた頃は灰色の雨雲が低く垂れ込め、今にも泣き出しそうな空模様だった。この公園は東京湾に流れ込む晴海運河に沿って、長い直線の整備された散歩道がレインボーブリッジ方面に向かって走っている。ここを訪れる人は余り多くなく、天気の良い休日にバーベキューを楽しむ人や釣り人たちで多少賑わうが、この直線の道をトレーニング場所としてジョギングやランニングで汗を流す人たちくらいが目立つ程度である。
 公園の風景を撮影しつつ歩いている内に薄暗い空からポツポツと待望の雨粒が真珠のように落ちて来た。カメラ本体は多少濡れても平気だが、レンズは以前紹介したLAOWAで殆どがアナログレンズ、しかも防塵・防滴一切なしなので、レンズを守らなくてはならない。カメラは既に三脚に取り付けてあり、それを担ぎ右手で傘を指して雨を凌いだ。だが然し、風も強くなり雷鳴も轟き始めた。傘が殆ど役に立たなくなった。この公園は雨風を凌ぐ場所が殆どないため、豊洲大橋をひたすら目指した。雨の日の情景もカメラに収めたかったので、多少濡れるのは覚悟の上でシャッターを切った。
 雨風は益々強くなりまるで大嵐の様相だった。真っ黒い空に青い閃光が走り、雷鳴が空で暴れていた。橋の下にいても風で雨が吹き込んで来た。レンズにビニール袋を被せ、雨を防いだ。30分ほど橋の下にいただろうか、その内、雨は小ぶりになり雷鳴もいつの間にか遠ざかって行った。雨雲が去り空は白い雲へと変化して行った。目的通り、雨上がりの公園(夜景)を何枚もカメラに収める事が出来た。

 

 

 

Nikon Z7Ⅱ,Mモード,WB晴天,ISO64,SS1/800,f/3.2 NIKKOR Z MC105mm f/2.8 VR S

 

 

青い瞳の恋人よ
踊っておくれ
歌っておくれ
青い青いその瞳で
僕だけを見詰めておくれ
風は優しく頬を撫で
心は青い瞳で満たされてゆく
踊っておくれこの僕と
歌っておくれ
壊れかけた
この僕のために

 

 

 壊れかけたと言うより壊れてしまったと言う方が正しいかも知れない。6月21日に退院してから1ヵ月以上が経過した。「その後如何ですか?」と言う体調を気遣うお言葉を多々頂く。有難い事だと思いつつも「元気になりました!」と胸を張って言えない自分が情けなくなる。退院したら撮影出来なかった2か月分を取り戻す積りでいたし、自分を鼓舞するため、新たにZマウントの単焦点レンズを購入、更には軽量のトラベル三脚も買った。新しいレンズを買えば否応なしに撮りに行きたくなるのは必然。
 だが、最も撮りたい夜景を未だにカメラに収めていない。撮影許可は下りているので出掛けてはいるが、入院前の3,4月頃と比べると明らかに全ての点で調子が戻っていないのである。暑さや感染爆発しているコロナの影響もあるだろうが、やはりまだまだ病み上がりの状態から脱していないのが現状。無茶をすればまた病院のベッドが待っている…。
 そして最も気がかりなのが腎臓の今後の行方である。いつかは『透析』とそれは覚悟の上だが、腎不全に関しては何とも腑に落ちないのである。撮影から自宅に戻って足を見ると、自分の足とは思えぬほどに浮腫んで変形している。何故ここまで悪化する前に手を打たなかったのか?両足を見詰めながら愚痴一つ…。心臓病の事はもうよいから、腎不全を治す特効薬が欲しいなぁ。
※ネモフィラは4月、日比谷公園で撮影した。昭和記念公園まで行けば広大な敷地にネモフィラ畑が拡がっているのは知っていたが、そこまで撮影に行く元気は流石になかった。地面スレスレに咲いている花の撮影は姿勢を低くして撮らなければならず、無理な姿勢を長時間続けたため、翌日は身体中が筋肉痛だった。

 

 

Nikon Z7Ⅱ,Mモード,WB晴天,ISO200,SS1/50秒,f/6.3 Z24-200mm f/4-6.3VR

 

 

 この写真は昨年12月、九品仏浄真寺へ紅葉の撮影に行った際の一コマである。この寺に野良猫が数匹棲みついている亊など知らなかった私はこの場面でかなり驚いた事は想像だにしない。「えっ!」ともう少しで声が出るほどだった。浄真寺は九つの阿弥陀如来像が安置されている事でも有名だが、この寺の紅葉も言葉を失うほど見事である。
 紅葉の撮影に夢中で猫の存在に全く気付く事なく帰ろうとしたその時、猫の姿が眼前に飛び込んで来た。しかも石の上に正座しているではないか!。その猫の目線の先には数人の観光客がおりスマフォを猫に向けて記念撮影。そして撮影が終わるのを見計らったように、石の上から「ひょいっ」と飛び降りるとゆっくりな足取りで閻魔堂の方へ消えて行った。猫は石の上に居れば訪問客が写真を撮る事を知っているのだろう。何とも賢くサービス精神旺盛な猫の姿に微笑ましくなった。
 さて、『石の上にも三年』と言う諺があるが現代ではもう通用しない化石のような諺になってしまった気がする。我慢や辛抱は日本人特有の美徳とされていた時代は遥か昔の事で、現代人は変化を求め様々な分野にチャレンジするようになった。時代の流れに沿っていないと取り残されると言う一抹の不安を抱える人々も増え、より一層のストレス社会が精神を蝕む混沌の時代とも言えるだろう。
 私は16歳で就職し社会人となった。養護学校を卒業した後、清水市駒越(現・清水区)に在った療養型職業訓練施設で一年半ほど過ごした。三保の松原や久能山東照宮が徒歩で行けるほど近い距離にあり、駿河湾と富士山を毎日眺めながらの日々で良い環境下であった。実習で最も興味を持ったのは豚の飼育。子豚の頃から育てるのだが豚が綺麗好きで非常に繊細な動物だと言う事も知った。一匹の豚が食中毒で死んでしまった時は心が折れるほど悲しかった。施設を出る時期(就職)が迫って来ると、親を呼んで三者面談が行われる。私の父はヤクザで前科者だったため、伯父が父親代わりとなって色々と相談に乗ってくれた。
 そして静岡市沓谷に在る『中央工芸静岡支社(本社・名古屋)』に就職した。16歳の少年が右も左も分からず世間の荒波の中へと飛び込み、人生の帆を張って歩み出したのである。会社の規模はさほど大きくはなかったが、私以外の社員はみな30歳を越えており、私のように10代の少年・少女はまさに『金の卵』と呼ばれていた時代で、『若さ』それだけで十分通用していた。
 優しい先輩たちに囲まれ最初の職場としては理想的だったと思う。先輩の中でひとり、顔を合わせる度に「とにかく三年頑張れ」「貯金をしろ」が口癖のような人がいた。それらは私の将来を思っての助言であるのは分かっていたが、16、17歳はまだまだ子どもの部類。ただ、本人は早く大人になりたくて背伸びするから時々それが暴走し、羽目を外す結果となる。
 最初の給料で、真っ先に購入したのはポータブルプレコードレーヤーだった。レコード盤は大量に持っていたがそれを聴くためのプレーヤーが早く欲しかった。中学時代からロックばかり聴いて育ち、ラジオで『オールジャパンポップス20』を聴くのが愉しみだった。そして2回目の給料でモーリスのフォークギターを購入。ロック少年はいつしかギターを弾くようになり、仕事が終わるとギターをかき鳴らしボブ・ディランの『風に吹かれて』を歌いまくっていた。「3年経ったら俺は駿府会館のステージに立っている」と本気で夢を描いていた。然し、それらの夢の前にたちはだかったのが『心臓病』だった。就職して3年が経った頃、静岡市立病院で最初の心臓手術を受けた。
 手術すれば完治するんだと信じていた・・・。だが、その想いは儚くも切り捨てられた。そして始まった青春の暴走は周囲の人々を巻き込みながら、思わぬ方向へと転落の一途を辿る事となる。ところで、私の愛猫タラ(キジトラ)の事だが、もう14歳の高齢だが今も元気である。現在は埼玉の元妻の所にいるが夜になると野生の本能をむき出しにして、部屋中を走り回って居ると言う。タラに癒されて酷かった不整脈が収まった時の事は今でも忘れない。

 

 

 

Nikon Z7Ⅱ,Mモード,WB晴天,ISO200,SS/10秒,f/16 LAOWA FFⅡ 14mm f4.0 

 

 

行方知れずの恋心
川面に揺れて流されて
破り捨てても戻される
あなた恋しや隅田川
橋のたもとに立ち尽くす

一夜限りの恋ならば
他人の体に身を任す
波の灯りに照らされて
浮世の風に流される
馬鹿な女の独り言

揺れる心にあなたの影が
今夜も映る刹那の川に

想いの欠片を流します

 

 

 隅田川のクルーズ船を撮影した後、中央大橋を新川方面に渡り、隅田川テラスを散策しながらスカイツリーのある方向に暫く歩くと永代橋に着く。隅田川に架かる橋の中で青くライトアップされる橋は築地大橋など幾つかあるが、やはり私は何と言っても永代橋の青が好きである。青と言うより瑠璃色と表現すべきかも知れない。
 永代橋の歴史を紐解いて見ると、元禄9年頃でなんと江戸時代にまで遡る。広重などの浮世絵で当時の永代橋を見る事が出来るが、名前が付く以前から橋はあったらしく、「深川の大渡し」と呼ばれていたようだ。「忠臣蔵」の赤穂浪士が吉良邸から泉岳寺へ引き上げる際に渡った橋としても有名。
 撮影したこの日は確か「ピンクムーン」だったと記憶しているので4月中旬辺りだろう。陽が沈み辺りが夜の帳に包まれると、その風景は一変する。超広角レンズと三脚を使用するようになってから、夜景撮影がより一層愉しくなった。
 瑠璃色に輝く永代橋の灯りが川面に反射して、果てしなく拡がる蒼茫とした海が紺碧の空にまで続いて行く…。300年前、江戸の人々が様々な想いを馳せてこの橋を渡る姿が垣間見えて来るようで、私は暫く橋の袂に立ち竦み物思いに耽っていた。

 

 

Nikon Z7Ⅱ,Mモード,WB晴天,ISO64,SS1/320,f/3.5 NIKKOR Z MC105mm f/2.8 VR S

 

 

人はなぜ争うのだろう
美しく清らかな花のように
優しい気持ちになれたなら
どんな過ちも許せるのに
地球が丸いのは
世界が一つに繋がっているから
どんな土地にも花は咲く
例えそれが
戦火の中であったとしても

 

 

 ウクライナ私物化を企む利己主義の塊、プーチン大統領。『ウクライナの同胞を解放する』を大儀名分とし、軍事侵攻の正当性を国内外へ向けてアピールする。強かな彼の脳裏にはこの戦争への『勝利宣言』と『打倒ゼレンスキー政権』しか存在していないのだろう。
 戦後70年、平和な国に生まれ変わった日本に私たちは育ち、激動の昭和から~令和へと逞しく生き抜いて来た。この国にとって戦争は非日常の出来事へと戦争の歴史と共にページを閉じた。戦争そのものを体験した年代の人口も激減し、過去の遺物として時折、語られるに過ぎない。然し、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が非日常を日常へと激変させたのである。
 日々、激しい攻撃に晒されているウクライナの現状は、この地球上のあらゆる国の未来の姿なのかも知れない。北方領土問題を抱える日本は、この戦争を対岸の火事として捉える事は到底出来る筈もない。
 旧ソ連の貧しい時代を体験しているロシア人にとって、欧米各国の経済制裁はさほどのダメージを与えるには至っておらず、今後数年先まで見通す必要性があり十分な効果を発揮するまでにどれほどの時間が掛かるのか、ロシア国内の経済動向を注視し、徹底分析を続ける意外にないのが現状だ。
※近所に咲いていた椿?を撮ってみて、薔薇に似ていると思ったが、赤い薔薇と根本的に違うのは、その花の持つ存在感と色である事に気づいた。薔薇は艶やかで、激しい情熱を秘めているが、椿はその真逆で、目立つ事を嫌う慎ましい姿…。それゆえ、散り行く椿が最も美しいのはそのためだろうと思った。
(5月8日の入院前に下書きしておいた記事。加筆・修正せず執筆時のまま投稿する事とした。)
※※コロナが急拡大しております。皆さま、油断せず十分注意してこの夏場をお過ごし下さいませ。

 

 

Nikon Z7Ⅱ,Mモード,WB晴天,ISO64,SS1/160秒,f/5.6 LAOWA FFⅡ 14mm f4.0 

 

 

 6月上旬、2度目の入院と共に関東地方が梅雨入り。5月も殆ど病院暮らしだったので、カメラを触る時間も殆どなかった。そして予想外の再入院で更にカメラの時間が遠のいて行く。「梅雨で当分はぐずついた天気だし」と自分に言い聞かせカメラの虫が騒ぐのを抑え込む。
 そして2週間の点滴と検査三昧の日々を終え退院。入院中は「退院したら〇〇へ撮影に行く」とそんな事ばかり考えていた。ところがである…。腎臓が悪化する一方でブレーキが掛らないのである。クレアチニンの数値を見た担当医が渋い顔で言った。「撮影は当分禁止ですよ…」。今、腎臓に必要なのは安静だと言う。確かに両足は赤ん坊の足のように「ムチムチ」して肉付きが良いように見えるがそれは「浮腫み」。だが、心不全は起こしていなため、私自身は元気。撮影に行きたくてウズウズしている状態…。眼には見えないが腎臓が大声で泣きじゃくっている姿を想像出来るだろうか…。
 兎に角、ここはグッと堪えて我慢するしかない。透析を目前にして首の皮一枚で辛うじて繋がっている状態。あれこれと騒ぐ心を落ち着かせ6月もそろそろ終わると思いきや、なんと関東地方が梅雨明けだと言う!しかもここ数日の35℃を超える猛暑は一体どうしたと言うのだ?今年の梅雨は一か月も経たない内に終わってしまったのか…。これからの数か月うだるような暑い夏が延々と続いて行くのか?炎天下での長時間歩行や撮影は健康な人でさえ危険であるから、退院したての私なんかがフラフラ出歩いてよい訳がない。ならば夜景撮影ならどうだ?と思いきや節電のため、スカイツリーや隅田川の橋はライトアップ中止…。隅田川の花火も中止となり、私から撮影の機会を根こそぎ奪って行くこの夏が憎い…。
 当分の間は過去に撮ったpicが中心となる。煮え滾る暑さの中で、一服の清涼剤となるだろうか?この隅田川とクルーズ船。この日の目的はクルーズ船の撮影ではなく、本命は永代橋のライトアップ。だから14mmの超広角レンズ1本しか持っていなかった。ズームレンズがあればもう少し船に寄った迫力ある写真が撮れただろうと思うと、少し残念な気がする。中央大橋の上からの撮影である。そう言えば、知床半島沖で起こった観光遊覧船の沈没事故、あれから2ヵ月以上が経ちニュースでも殆ど聞かれなくなったが、未だに安否不明者が多く残っている。残された家族たちの悲しみは消える事なく知床の海に今も漂っているに違いない。