プールサイドの人魚姫 -87ページ目

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


たらい回し 妊婦を乗せた救急車が深夜の国道を疾走する。左右に車をかき分けサイレンもけたたましく鳴り響く。救急車の中で何が起こっているかは外からでは確認が出来ないものの、それは一刻の猶予も許されない命のやり取りだったかも知れない。
「奥さん大丈夫ですよ、もう直ぐ病院に到着しますからね」優しく励ます救急隊員。顔を青ざめ苦しみを訴える妊婦、「奥さん、次の病院へ直ぐ向かいますからね、もう少しの辛抱です」「奥さん…」苛立ちを見せる救急隊員たちと妊婦を乗せた救急車が車道から孤立して行く。
時間だけが刻々と過ぎて行き、救急車は死に向かって一直線に伸びた道路を不安だけ乗せて走る。
サイレンの音は暗闇の中に虚しく命とともに消えて行った。
先月29日奈良県橿原市で起きた妊婦流産の事故。18軒の医療機関から受け入れを断られ、最悪の死産という結果を招いてしまった。ここにまたしても医療現場の問題が浮き彫りになった。根本的な問題は産科医の不足や施設の不備である。
病院側と救急隊員との意志の疎通がうまく出来なかったことも要因として取り上げられているが、医師は人の命を助ける或いは病気を治すのが目的。妊婦の状態を見ればある程度の察しは付く筈。例えカルテがなく状況が分からなくとも何らかの処置は出来た筈。
運悪く女性は妊娠してから一度も産婦人科にかかっていなかったらしい。病院にかかれない個人的な事情が背景にあったか定かではないが、これも不運を招いている。
病院はひとつで成り立っている訳ではなく、他の病院と連携してお互いを支えあってこそ、病院の機能を最大限に発揮出来るのだが、緊急を要する今回のような患者を受け入れる場合、日中とは違い深夜ともなれば医師や看護師の数も限られてくる。しかし病気はいつ発生するか分からない。それを受け入れる為の24時間体性の救急病院である。今後の医療体制に大きな問題を残す医療事故であったと思わざるを得ない。



モンゴル 報道陣の問いかけに一言も話さず、憮然とした表情だけ残し日本を後にした朝青龍。相撲ファン、特に朝青龍ファンに何の挨拶もなくモンゴルに帰国した彼の態度に失望を隠せないのはわたしだけだろうか。
彼にとってみれば仮病疑惑が発覚した後の日々はまさに針のむしろだったと思う。母国での静養が必要と精神科医から判断が下され、やむなく相撲協会がそれに妥協した形となったが、高砂親方の心境は穏やかではない。
相撲界の権威を失墜させ、あらゆる方面からのバッシング。朝青龍自身より高砂親方の方が相当大きなプレッシャーとストレスを感じているのではないだろうか。建前としては心の静養とひじの治療だが、疑惑だけ日本に置き去りのままモンゴルに帰っても、横綱としての治療が行われる訳ではない。
モンゴルは国を挙げて朝青龍を守ると言う。警察や軍隊まで動因して日本の報道陣をシャットアウトするつもりらしい。日本のマスコミもやり過ぎな部分はあるだろうが、ここまで来ると日本対モンゴルという、国同士のいざこざに発展する恐れもある。
母国から見れば朝青龍はやはり英雄でかわいい子どもと同じなのだろう。これもひとつの愛国心なのか…。これだけ相撲界のみならず世間を騒がせておきながら、朝青龍の口から謝罪の言葉が聞かれないのは非常に残念に思う。

モンゴル出身の力士は自分だけではない事を自覚しているのなら、後輩力士たちへのメッセージがあってもよい筈。朝青龍とモンゴルと日本の三つ巴の勝負は今始まったばかりである。


闇稼業
ネットの世界は情報の宝庫。役に立つ便利な情報が満載だ。しかしそれ以上に悪質なサイトが氾濫しているのも事実。これらのサイトを取り締まる方法は残念ながら今の所はなく、無法地帯と化しているのが現状。事件が発生した後になって漸く違法サイトとしてアクセス禁止、ネット上からサイト自体を削除するといった処置が取られるが、それでは手遅れなのである。
闇サイトを通じて殺害の仲間を募った事例が近年になって増加傾向にある。先日起こった女性殺害遺棄事件は金銭を奪う目的でか弱い女性を拉致し、あまりにも無残な手口で女性の命を奪うなど人間性の欠片もない3人の男たちによる極悪非道な犯罪だった。
日本の法律は加害者に甘い。犯罪者は警察の保護下にあり、わたしたち一般人は手を出す事が出来ず、どのような取調べが行われているかも知ることすら出来ない。裁判官の判決に疑問を残す判例が過去に幾つか散見され、どう見ても刑が軽すぎるのではと思う事件もある。この国には正義がないのかと怒りさえ覚える。計画的な殺人、飲酒運転など悪質な犯罪は極刑が妥当と思えるが法律を介して裁く場合、事件が社会に与える影響や犯罪者の年齢などを考慮するなどして、結果的に被害者やその家族などの思いは裁判官に届かない場合も多い。
どんな判決が出るにせよ、亡くなった人の命は戻らない「絶対許さない」と無念と怒りの涙を流しても、彼らは毎日食事をし、檻の中とはいえ生きている。小さな虫を踏み潰すが如く短絡的に人の命を奪うような男たちに罪の深さなど理解出来る筈もないだろう。
罪を憎んで人を憎まずなどという諺はきれい事過ぎて、そんな仏のような心境には到底なれそうもない。亡くなった磯谷利恵さんのご冥福を祈るばかりである。



朗読
2年前に開いた30年振りの同窓会。3年後の再会を約束して幕を閉じたが、いよいよ来年はその3年後である。普通の学校と違い、わたしが3年間在籍した天竜養護学校には様々な病気を抱えた子どもたちで溢れかえっていた。
病名すら分からぬ難病、奇病の子どももおり、4歳から15歳ほどの子どもたちが親元を離れ、病気と闘いながら勉学に勤しんでいた。学校に来られない子どもは病室で2時間ほどの授業を受ける。或いはまったく受けられない重症の子どももいた。
わたしが同窓会を実現させようと決心したのは3年前の今頃。過去の記事でも何度か触れて来たが、ひとりの強い思いが通じ同窓生たちに火をつけたのである。頑張り続けた名簿作りも完成し、100人を超える仲間が集った「天竜養護学校同窓会」画像は締めくくりに、医療ミスで亡くなった後輩と不慮の死を遂げた恩師に向けて書いた詩「最後の言葉」「白いチョーク」を朗読しているわたしである。この日は一回目の社会復帰を果したばかりで、体調はあまりよくなかった。
緊張の為か手が振るえ、紙がガサガサと音を立てるほど揺れていた。「頑張れ」「しっかり」と静寂の中から声がかかる。人前で詩を朗読するなど初めての体験だったが、若くして亡くなった人たちにも届けという思いで一杯だった。
わたしは今、三回目の心臓手術を控えている身。副会長として来年を迎えるにあたり、迷っている。このまま約束の同窓会を開く事が出来るだろうか?今年はまだ準備も出来ていない。楽しみにしている人たちも大勢いる。「詩集が繋いだ30年ぶり同窓会」は新聞記事として永久に刻まれたが、養護学校の同窓会はこれで終わりではなく、新たな同窓会としてスタートを切ったばかり。
人の輪が次の世代に受け継がれるよう、これからも努力していきたいと思っている。



わたしが彼に出会ったのは今年の2月、市川真間にある小さなライブハウスだった。春はまだ遠くにいて芽吹く様子すら凍える北風に震えていた。その晩も友人である江戸川レノンさんの歌声を聴きに行った時のこと。
一晩のライブで演奏するミュージシャンは5組ほどであるが、個性溢れる多くのシンガーたちが集いそれぞれのオリジナルからカバーまでを披露する。ピアノやギターの弾き語りが中心だが、シンガーとそれを聴く者の距離感はぐっと近くなる。
これが大きなコンサート会場にはない良さである。以前、赤毛のマディーズを紹介したが彼等の前に登場したのがこの田所せいじさんであった。彼の曲はCDに収められ販売されているので、気に入った方は購入されてみるとよいだろう。アマゾンなどで手軽に手に入る。
さて、田所せいじさんを初めて見た(聴いた)感想であるが、決して大きくな身体に隙間なく密着した小型のレキントギターが彼の歴史を物語っていた。その風貌と見事な顎髭は高田渡と小室等を彷彿とさせるものがあった。
まさにフォークシンガー、このハイボールブルースには二日酔いの情景が男の哀愁とユーモアをまじえて見事に表現されいる。今宵は水割りを飲みながら彼の歌声に耳を傾け、古き良き時代を思い出してみるのもいいだろう。


心のサッカー
蹴ったサッカーボールが思わぬ方向へ飛んでしまい、収拾の付かなくなった相撲協会と朝青龍。精神科医が下した診断は「急性ストレス障害」から「解離性障害」へ。真面目に巡業へ出掛け、横綱としての仕事をきっちりこなしていれば、大横綱としての名誉を日本相撲界に残せたはず。
自分から道を踏み外したとは言え、朝青龍をこれまで自由に野放し状態で扱って来た、相撲界にも責任はある。このままでは他の力士たちにもよい影響を与えないだろう。
日本に留まって治療を受けるか、モンゴルに帰国するか結果はまだ出ていないものの、精神科医の下した診断は正しいのか多少疑問を感じている。確かにこれだけ騒がれて動揺しない者はいないだろう。土俵の上で味わうストレスとは全く異なるストレスを受けているのは確かなようだ。医者は病名を付けるプロでもある。しかし、場合によっては下された病名に人生を大きく左右される事もある。例えば胃潰瘍である患者に対し、誤診した医師が胃がんだと告げたら患者はどうなる?顔面は蒼白になり、がっくりと肩を落とし絶望という重い荷物を背負い込んで診察室を出て行くのである。僅かの診断でそう簡単に病名を付けるものではない。心の障害はとかく他の病気と違い目に見えないし、検査が出来る訳でもないから医者によっては病名が異なったりする。
仮に朝青龍が急激なストレスに耐え切れなくなり、頭痛、不眠、食欲低下、など身体的症状が現れ、それが2週間も続くようであれば、解離性障害だとかうつ病などという病名が付くかも知れない。普段の様子も分からず、2,3度診察を受けたところで早々に心の障害だと決め付けるのは如何なものか。精神科医は立場上何らかの診断を下さなければならず、医師としての立場もあるだろう。中には正直な医者がいて、病名を付けられないまま、カルテをしまおうとすると、患者サイドから「それでは都合が悪いので何とか適当な病名を付けて欲しい」と頼みこむ場合もある。まさかここまで来て仮病を使っているとは思えないが、思い込みとは恐いもので、本人にその気がなくとも、知らない内に本当の心の病を抱え込むことはある。病気であれば薬を飲み最も環境の適した所で休養することが一番である。
どちらにしろ、そう簡単に治る病気ではなく早くて半年、長引けば回復するに2,3年は時間がかかるだろ。おそらく朝青龍の相撲を土俵で見る事はまず無理。事実上の引退宣言と言ってもよいのではないだろうか。



競馬 中央競馬界に激震が走った。厩舎から聞こえるのは馬の悲鳴、高熱を発し次々と倒れていく馬たち。獣医が慌てて駆け寄る。「これは、もしかして…」数十年前の悪夢が再び蘇った。馬インフルエンザ。死に至るほどの事はないにしても、非常に強い感染力。まさか鶏のように馬を処分し、厩舎を焼き払う訳にはいかない。
鶏と馬を比べる訳ではないが、馬には膨大な金が掛かっている。そして何より金を大量に生む動物。こうなるとそう簡単に処分できる訳がない。ギャンブル好きな人間の本音が垣間見えるようだ。感染源がいまだ特定出来ていない状況で、インフルエンザは地方の競馬場に飛び火して行く。
レースが開催出来る競馬場と出来ない所とでは、明らかにその差が顕著な数字として現れている。
いつもなら閑散とした地方のそれほど有名でない競馬場が人の波で溢れている。馬券を握る手が熱く残暑の青い空に伸びて行く。勝負の行方より今はレース見たさに競馬ファンが集まっているのだ。しかしながらこの馬インフルエンザ、終息にはまだ時間がかかるだろう。ワクチンが大量摂取され一時的には凌げても、また新たな新種ウイルスが蔓延する。人間と動物とそして眼に見えない難敵との戦いは始まったばかりである。



玩具 2008年に北京五輪を開催する中国から不祥事が次々と発覚する。とてもオリンピックを開く国とは思えない。やらせ段ボール入り肉まん、そして今回世界中に広まった鉛入り玩具の汚染問題。中国のイメージダウンは必至であるが、あまりにもお粗末な展開に皆さんも呆れているだろう。先頃アメリカが玩具の大量リコールを発表したが、MAID IN CHINA と記された製品は玩具を含め他にも多く世界中に存在している。
先進国が中国や台湾或いはフィリピンなどに生産を委託している背景には人件費削減がある。自国で作っていたのではとても利益を見込めない、日本もそうであるように出来るだけ安いコストで大量の商品を他の国に依頼し、依頼を受けた国はそれを元に経済的発展と失業者の大幅削減を実現する事が出来る。国同士の助け合い、そして友好的な信頼関係が築かれる訳であるが、中国はそれを見事に裏切る行為に走った。
利益重視はどこの国も同じで、如何にコストを低く抑え高利益を生むかが課題のようだ。鉛入り塗料は安価であるが故に玩具製造業者がそれに飛び付く。鉛が人体に与える影響を無視しての安全な玩具とは程遠い危険な玩具を世界中にばら撒く。
玩具は子ども向けであり、赤ちゃんなどは何でも口に入れる習性がある。大人より子どもの方が遙かに鉛を体内に吸収し易い。大量の鉛が体内に蓄積されると脳障害などの危険性が高まる。子どもの為の玩具が欲深い大人の利益の道具に置き換えられ、夢を乗せて走る車や機関車が子どもの健康を損なう癌具として生まれ変わってしまった。


エルビス エルビスプレスリーが42歳という若さでこの世を去ってから、30年という歳月が流れた。彼の代名詞である「キング・オブ・ロックンロール」、色褪せる事なく今でも輝き続けている。わたしはビートルズ世代であるが、当然エルビスの曲もよく聴いた。
ロックギタリストのジェフベックが監獄ロックをカバーしており、エルビスの曲として初めて耳にした曲。但し、その時この曲がエルビスの歌だとは知らなかった。「この胸のときめきを」は彼の代表曲のひとつであるが、ここら辺からわたしはエルビスに傾倒していったように思う。
ハウンドドッグやラブミーテンダーなどは後になってから聴くようになった。ビートルズやボブディランなどにも影響を与えた偉大なロックンローラー、エルビスプレスリー。映画「エルビスオンステージ」を観たのは1971年、わたしは15歳のロック好きな少年だった。派手な白いコスチュームに身を包んだエルビス、それはフェニックスを思わせる衣装だった。
彼の生の歌を聴けないのは残念ではあるが、音楽を通し至るところでエルビスの面影を見る事が出来る。映画「ブルースブラザース」のエンディングは監獄ロックだったし、ハウンドドッグのボーカル大友康平はエルビスの生き写しにも見える。
多くのミュージシャンたちに影響を与えたエルビス、彼はまさに不死鳥である。



クッキー 不二家の失態が覚めやらぬ頃、ミートホープの牛ミンチ偽装事件が消費者に追い討ちをかけた。食の安全が脅かされ、日本列島から安全という文字が消えた。そしてまたここに新たな賞味期限の改ざんが発覚。石屋製菓の有名ブランド「白い恋人」が黒く塗りつぶされたのである。
食を問わずあらゆる企業のモラルが問いただされている昨今、品質管理などの手抜きが必然的なトラブルを巻き起こす。菓子作りには職人の繊細な技量が100%活かされ、世界にひとつしかない味が完成する。
そこには菓子への熱き思いが込められ、それを食べた人の口が満足感で充たされる時、初めて菓子職人の熱意が消費者に伝わり口コミなどで噂が伝わって行く。そしてブランドという確固たる人気を得る訳なのだが、それまでのプロセスに行き着く間、多くの人たちの手を歩き亘り店頭へと並べられる。
完成された食品や商品が悪意のある行為によって今回のような改ざん問題を引き起こすのだが、大抵の場合それに関与する人間は管理職、或いは経営者だったりする。
会社を維持して行くにはかなり厳しい現在、売り上げ重視の為違法行為に走る者が後を絶たない。安全より利益を重視する風潮はバブル崩壊直後から顕著になってきたようだが、消費者あっての企業であり、それを無視するような行為が続けば、やがてその企業は滅びる。
生き残りをかけてつい魔が差したなどと言う無責任な発言は、消費者だけでなく現場の人間たちを裏切る行為でもある。消費者には安全を確認する方法がない。所狭しと並べられた商品の中から選ぶのみ。表示された日付を信用するしかない。
物を作り売るという行為は、信頼を買うという事だと言う事をもう一度再認識してもらいたいものである。