プールサイドの人魚姫 -113ページ目

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

殺意私が4歳位の頃目撃した光景が今でも脳裏に焼きついている。祖母に寄り添い、藤枝警察署の留置所にお弁当を届けに行った時の思い出である。祖母は留置所に拘束されている囚人用のお弁当を作り届ける内職をしており、又、祖父が警察署長と知り合いだったため馴染みが深かった。警察署に行く時は必ず私も一緒だった。お巡りさんはとても優しく、必ずお菓子をくれそれも楽しみの一つではあったが、幼い子どもにとっては刺激が強すぎる場面に遭遇する時もあった。祖母が巡査と雑談を交わしている最中、刑事が一人の男性を連れて階段を降りてきた。私の目前には男性の手があり、その手に光る銀色の手錠に男の観念の跡がくっきりと浮かびあがっていた。おそるおそる男の顔に視線を移すと無精髭を生やし、痩せこけた顔に大きな眼だけが鋭く私を睨みつけていた。恐くなった私はすぐさま男から視線をそらし、早く家に帰りたい衝動に駆られたものである。子どもの目線から大人を見た場合、それは時によって角の生えた鬼に見える時がある。秋田小1児童殺害の畠山鈴香容疑者については、殺害に至る動機と本人の娘である彩香ちゃん水死との関連性についても慎重な捜査が続いている。人は誰でもその対象が人間に限らずとも一度は殺意を抱く事があるだろう。夫婦喧嘩の最中であったり、友人とのトラブル、隣人との諍いなど些細な日常の風景に殺意は幾らでも潜んでいる。しかし世の中で最も弱い子どもに殺意を抱きそれを実行してしまう親、或いは大人が余りにも多すぎる。子どもは親の私有物ではない。子どもを道連れに無理心中を図るなどと言うのは親のエゴそのものであり、親が居なくとも子どもには生きる権利があるのだ。子どもの将来を無理矢理奪い取るような行為は人間として最も愚かな犯罪でもある。鈴香容疑者が育児放棄に走った背景には様々な憶測が流れている。鬼母と呼ばれる彼女の人格を作り上げてしまった背景には彼女自身の生い立ちにまで言及しなくてはならないが、週刊誌などで既に報道されていることもあり、敢えてここで説明する事もないであろう。残念な事は母親に成りきれなかった彼女の意志の弱さ、そしてその様な母親の元で愛情の欠片を拾い集める事なく亡くなってしまった彩香ちゃんの死がこの事件の根深さを物語っているような気がしてならない。
イモコ芸能人の殆どは芸名を使っている。本名で活動しているタレントは僅かだと思う。お笑いの世界になるとそのセカンドネームはふざけているとしか思えなようなネームが多い。芸能界だからインパクトがあり一度耳にしたら忘れないほど誰よりも目立つ自分の顔とも言える。だが、世間一般で言う「あだ名」は時として小児期から思春期にかけては苛めの対象となり、心に重くのしかかってくる場合がある。私は小学生の時「はんべ」というあだ名で呼ばれ苛められていた時期があった。「かんべ」が「はんべ」となったわけだが、これは静岡地方であれば理解できると思う。「はんべ」とは焼津名産の鰯が材料になった黒はんぺんの事で、藤枝では食卓に良く登場する人気食材の一つであった。あだ名は誰でも一つ位は持っているもので愛嬌で済ます事も出来るが、ギャルサーの「イモコ」のように本名が人に余り知られたくない名前だったりすると、それがコンプレックスとなり心に傷がついてしまう。名前は至る所で呼ばれ、生きていく上では欠かせない自分の背番号のようなもの。自分が生まれた時、親或いは祖父母達が懸命に考え用意してくれた貴方の名前。その想いの中には子どもの誕生を祝い未来を託すメッセージが込められている事を忘れてはならない。自分の名前の由来を親に聞いてみた事がある人は多いと思うが、私はそれを聞く時間すら与えられず両親はこの世に最早存在しない。誰がつけてくれたかも分からないままではあるが、「俊樹」この名前は大好きである。自分の名前を好きになればもっと自信が湧いてくる、人生は些細な事でも良い方向に進むきっかけは沢山あるのだという事に気がついて欲しい。

詩人私の母校は天竜養護学校である。中学1年の途中に藤枝中学校から転校し、約3年間を過ごした。非常に想い出の深い期間でもある。昨年7月、養護学校から「創立50周年記念を迎えるに当り小冊子を作るので詩を書いて欲しい」と言う依頼があった。そして「我が母校」を書き上げ、それとは別に数百篇ある詩群の中から養護学校に関連した詩を数編寄稿した。学校関係者の方々にとても喜んで頂き、私もこのような形で恩返しが出来た事を嬉しく思っている。私が初めて詩人と呼ばれたのは20歳の時だった。当時私は黒船印刷に就職したばかりで、写植オペレーターの道を歩み始めていた。昼休み、会議室にある書棚の中に数冊の分厚い本を見つけた。その中の一冊を手に取り部長に申し出て借りる事にした。それが伊藤整の「若き詩人の肖像」であった。もう一冊は私の大先輩である画家が薦めてくれた高見順詩集。その中から「死の渕より」を選んだ。この2冊の本との出会いが私の詩作原点とも言える。会社内には職場の親睦を図る為に、様々なサークルがあり、週に一度のペースで活動していた。私が所属したサークルは「文芸部・卓球部・ギター部」の3つと欲張っていた。私は既に幾つか詩を書き始めていたので、文芸部が発行する機関紙に投稿した。詩集天国の地図にも掲載されている「父の死んだその日」「私が帰ったとき」などである。ある日帰りのバス停で同じ文芸部仲間の短歌をこよなく愛する菅沼さんが声を掛けて来た。「神戸君は詩人だねえ」普段口を聞いた事もない白髪の老人が呟くように言ったその言葉に、私は笑みを浮かべつつ顔を真っ赤にし心の中は恥ずかしさで一杯だった。あの嬉しさと恥ずかしさが入り混じった不思議な感覚から30年が過ぎ、養護学校から送られてくる郵便物の宛名には必ず「詩人神戸俊樹」と印刷されたシールが貼り付けてある。画像をクリックすると拡大出来るので詩の内容を読む事が出来ます。

地雷テロ組織としては最大のグループと言われるアルカイダの幹部「ザルカウィ」が米軍の空爆によって殺害されたと言うニュースが世界中を駆け巡ったが、彼一人を探し出し殺害するまで随分時間と費用を費やしたものだ。殺してしまって良いのかと疑問が残った。生かして捕らえるのが最善の策ではなかったのか?ビン・ラディンの時と同様またもアメリカの情報操作が始まったと思った。世界中に暗躍する武器商人たちと手を結んでいるアメリカの軍需産業。テロリストたちを都合良く利用し、生かさず殺さずのアメリカらしい合理主義。自分たちにとって不利となる存在はみな敵とみなし、態度が変われば仲間に引き入れ利用する。アルカイダの頂点に立つオサマ・ビン・ラディンも一時期アメリカの為に戦った一兵士の一人に過ぎなかった。ザルカウィが死亡した?事で今後アルカイダやその他のテロ集団の活動が沈静化するとは到底思えない。日本には各地に米軍基地が存在し、戦後50年を過ぎた今もなお米軍の力に頼っている日本もまたテロリスト達の標的である。テロ組織のリーダーが死んだとしてもその変わりを補い第二のザルカウイやビンラディンは生まれてくる。科学が進歩すると共に戦術核兵器も飛躍的進歩をするだろう。それほど遠くない未来、テロリストの一人が地雷ほどの小型核兵器を持ち自爆テロを起こし、最悪なシナリオが世界を震撼させる時人類は最大の危機を迎える事になる。地球上から核兵器が無くなるのは最早夢物語なのであろうか。
シンドラー死ンデラーならぬシンドラー社のエレベーター事故を知った時、2004年3月に六本木ヒルズで起きた回転ドア死亡事故を思い出した。日本という国、或いは日本人と呼んだ方が正しいかもしれないが、これほど教訓が活かされない国も珍しい。喉もと過ぎれば熱さを忘れるではないが、忘れて良い事と絶対忘れてならない事象があるだろう。これだから類似した事件・事故が多発するのも当たり前なのかも知れない。シンドラー社はシェア拡大の為、出来るだけ安価な材料で手間を省き安全性を犠牲にした死のエレベーターを開発し売り上げアップを図って来た。トラブルの報告は今回の死亡事故が起こる前から会社側に届いている筈。或いはビルの管理会社が放置し、ずさんな管理体制を敷いていたかである。どちらにしろ予測可能な事故で防ぐ事は出来たと思われる。管理社会と呼ばれる様になって久しいが、最も大切な国民の安全は全く管理出来ていないのが現状。ルイ・マル監督の名作「死刑台のエレベーター」を思い出したの私だけであろうか?
ホンマン果たして真の挌闘家と呼べるファイター達がどれだけいるかは微妙である。ファイトマネーのみを目的とした挌闘屋はごろごろしている格闘技の世界。先日行われたK-1グランプリ2006韓国大会では、王者セーム・シュルトVS韓国の大巨人チェ・ホンマンの試合に注目が集まった。試合結果は判定でチェ・ホンマンが勝利したが私にはこの試合に消化不良を抱いた。韓国相撲からK-1のリングへと闘いの舞台を変えた彼は今やヨン様の人気に迫るほどのスーパースターにのし上がった。その類稀なる巨体を活かし、なみいる強豪を撃破してきた。勢いに乗ったこの巨人を誰が一体止めることが出来るのか。そしてK-1のリングを守る王者セーム・シュルトもまた2mを超える大型ファイターである。大柄な割りに動きは素早い。ホンマンもまた同様に動きは軽快である。格闘技のファンであるならばやはり必殺KOシーンを期待する。だらだらした試合は見ていて歯切れが悪くエンジンのかかりが悪いバイクの様なもの。試合に臨む以上挌闘家ならば勝つ事が全て。敗れた試合は次へのステップアップに繋がりもするが、手抜き試合だけは避けて欲しい。勝利を呼び込むのは第一ラウンドで、先手必勝。一発パンチなりキックが相手の急所にヒットすれば相手の出鼻をくじき、勝利はほぼ手中に収める事が出来る。どんなに打たれ強い相手でも必ず弱点がある。リング上で大きく見えるファイターは身体の大きさに関係はない。K-1をメジャーへと導いた立役者の一人、藤原紀香も惚れ込んだ今は亡き小さな大巨人アンディ・フグを思い出してもらいたい。
無職昨日、失業給付金の手続きを済ませる為に木場のハローワークへ行って来た。地下鉄東西線に乗るのも十数年ぶりとなる。最初に所帯を持ったのは東陽町だった。火災で住む所を失った私が家内の住んでいるアパートに転がり込んだ訳である。2年ほど木場辺りに住み、木の香りを楽しんだりしたもの。あれから年月が経ち、失業保険の世話になる為この駅に降りる事になるとは想像もしていなかった。街並みは変わらず、ハローワークの近くには人々の憩いの場所、大きな木場公園が都会の喧騒をよそに雲り空の下に胡坐をかいていた。実は雇用保険を利用するのは今回が初めての事。16歳で就職をし、25歳で上京した私は数回の転職を経験しているが、会社を辞める時は必ず次の就職先を見つけてからと石橋を叩きつつ渡り歩いてきた。見た目は30代でも実年齢は誤魔化す事は出来ない。この歳になると次の就職先は早々見つかるものでもなく、職種を選ぶなどという悠長な事は言っていられない。それで無くとも景気の悪いご時世、増してや障害者となれば再就職は狭き門。作家で生計を立てるにはまだまだ時間がかかるし。ブロガーの皆様、誰か私を雇ってくれないか…。>
お詫びアメーバーブログの混雑ぶりは既に名物になりつつありますが、混雑と言えば病院の外来も負けていません。大学病院ともなると待ち時間1,2時間は当たり前。予約時間に診察なんて程遠いです。月曜日は精神科の外来でした。私がかかっている病院は個人医院なのでそれ程混雑していないのですが、どう言う訳か今日に限って待合室は満員でした。待ち時間を無駄にしたくないのでブログにアップする記事の事を考えていたのですが、もう疲れてしまいました。よって本日は狂い咲き小梅殿がお相手します。アメブロも重くて繋がらないチックショー!
我が家には2羽のセキセイインコと一匹の野良猫がいる。ペットを飼う切っ掛けは娘のアレルギー性小児喘息が治ったことである。息子は医療ミスで予定日より一ヶ月も早く帝王切開でやむを得ず誕生した。まだお腹にいなければならない時期だったのに。その為生まれつき気管支系が弱い。やはり喘息があった。とくに娘は2歳頃からひどくなり、夜中に発作を起こし、車で病院へと運んだものだった。喘息の発作は死ぬほど苦しく、その喉の奥から命の悲鳴がゼイゼイヒューヒューと聞こえて来ると、何も助けて上げられない親の無力感にうなだれるばかりだった。良い医者が見つからず、病院を転々とした日々も今では懐かしい思い出に変わった。小児喘息は子どもの成長と共に完治する場合がある。体力も付き病気に負けない精神力も備わって来たのは水泳などのスポーツのお陰だと思う。幼い頃から動物が好きでペットを飼いたがっていた娘にはぬいぐるみさえ与えられない生活だった。ダニ、埃、等がアレルゲンのためである。そのためカーペットはマンション購入後間もなくフローリングに変更。出来る限りの事を尽くし、喘息が早く良くなるよう努力した。毎日欠かさず飲む薬と吸入。そして数年が経ち、発作は全く起こらなくなった。「鳥でも飼ってみる?」主治医に相談もせず、鳥だったらおそらく大丈夫だろうと早速鳥専門ショップに行き、娘が気に入ったこの手乗りインコがポッポだった。雛の癖に他のインコたちとは一風変わった行動をとっていて何処と無く人間味を感じた。娘の鳥を見る時の輝きは友情に満ちている。娘の幸せを運んだ鳥、止まり木はいつも心の中にある。
イチロー王ジャパンを世界一に導いた立役者の一人でもあるイチロー。活躍の舞台を日本の芝生から大リーグへと移行してから6年ほど経つが彼の成長とヒットの数は留まる事を知らない。大柄なアメリカ人の中で小柄な細い身体は、見た目では若干迫力に欠ける様に見えるが、今ではどのチームも安打製造機としてイチローを恐れている。打つだけでなく守備範囲も広く、そしてカモシカのようなスラリとした長い足は自由自在にベースからベースへと風の如く走り抜けて行く。ボールを瞬時に選択するイチローの眼光とピッチャーの心理を見抜く洞察力は獲物を仕留める鷹の様に鋭い。天才的とも呼べる野球センスを持ってはいるが、その影で自己の鍛錬を怠る事はない。全ては一日して成らず、練習の積み重ねが彼のようなプロとしてのプライドを築き上げるのである。何もしなくても一日は過ぎるし、時間は皆平等に与えられており、それを活かすも殺すも自分次第なのである。