殺意の放課後、貴方は何処にいた。(動画) | プールサイドの人魚姫

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うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

殺意私が4歳位の頃目撃した光景が今でも脳裏に焼きついている。祖母に寄り添い、藤枝警察署の留置所にお弁当を届けに行った時の思い出である。祖母は留置所に拘束されている囚人用のお弁当を作り届ける内職をしており、又、祖父が警察署長と知り合いだったため馴染みが深かった。警察署に行く時は必ず私も一緒だった。お巡りさんはとても優しく、必ずお菓子をくれそれも楽しみの一つではあったが、幼い子どもにとっては刺激が強すぎる場面に遭遇する時もあった。祖母が巡査と雑談を交わしている最中、刑事が一人の男性を連れて階段を降りてきた。私の目前には男性の手があり、その手に光る銀色の手錠に男の観念の跡がくっきりと浮かびあがっていた。おそるおそる男の顔に視線を移すと無精髭を生やし、痩せこけた顔に大きな眼だけが鋭く私を睨みつけていた。恐くなった私はすぐさま男から視線をそらし、早く家に帰りたい衝動に駆られたものである。子どもの目線から大人を見た場合、それは時によって角の生えた鬼に見える時がある。秋田小1児童殺害の畠山鈴香容疑者については、殺害に至る動機と本人の娘である彩香ちゃん水死との関連性についても慎重な捜査が続いている。人は誰でもその対象が人間に限らずとも一度は殺意を抱く事があるだろう。夫婦喧嘩の最中であったり、友人とのトラブル、隣人との諍いなど些細な日常の風景に殺意は幾らでも潜んでいる。しかし世の中で最も弱い子どもに殺意を抱きそれを実行してしまう親、或いは大人が余りにも多すぎる。子どもは親の私有物ではない。子どもを道連れに無理心中を図るなどと言うのは親のエゴそのものであり、親が居なくとも子どもには生きる権利があるのだ。子どもの将来を無理矢理奪い取るような行為は人間として最も愚かな犯罪でもある。鈴香容疑者が育児放棄に走った背景には様々な憶測が流れている。鬼母と呼ばれる彼女の人格を作り上げてしまった背景には彼女自身の生い立ちにまで言及しなくてはならないが、週刊誌などで既に報道されていることもあり、敢えてここで説明する事もないであろう。残念な事は母親に成りきれなかった彼女の意志の弱さ、そしてその様な母親の元で愛情の欠片を拾い集める事なく亡くなってしまった彩香ちゃんの死がこの事件の根深さを物語っているような気がしてならない。