『変身』の翻訳で解釈が分かれる箇所について、
連載の校正をしてくださっている
岡上容士(おかのうえ・ひろし)さんが、
文章を書いてくださっています。
今回は第13回の分です。
「変身」において
翻訳の解釈が分かれている箇所
(連載の第13回で取り扱われている範囲で)
岡上容士(おかのうえ・ひろし)
※詳しく見ていくと、このほかにもまだあるかもしれませんが、私が気がついたものにとどめています。
※多くの箇所で私なりの考えを記していますが、異論もあるかもしれませんし、それ以前に私の考えの誤りもあるかもしれません。ご意見がおありでしたら、頭木さんを通じてご連絡いただけましたら幸いです。
※最初にドイツ語の原文をあげ、次に邦訳(青空文庫の原田義人〔よしと〕訳)をあげ、そのあとに説明を入れています。なお邦訳に関しては、必要と思われる場合には、原田訳以外の訳もあげています。ただし、原田訳以外の訳は、あとの説明の中で、該当する部分だけをあげている場合もあります。
※ほかにも、文の一部分や、個々の単語に対して、邦訳の訳語をあげている場合があります。この場合には、『変身』の邦訳はたくさんありますので、同じ意味の事柄が訳によって違った形で表現されていることが少なくありません(たとえば「ふとん」「布団」「蒲団」)。ですが、説明を簡潔にするため、このような場合には全部の訳語をあげず、1つ(たとえば「ふとん」)か2つくらいで代表させるようにしています。
※邦訳に出ている語の中で読みにくいと思われるものには、ルビを入れています。
※高橋義孝訳と中井正文訳は何度か改訂されていますが、一番新しい訳のみを示しています。
※英訳に関しては、今回は、特に示す必要はないと思われた若干の箇所では省略してあります。
※ドイツ語の文法での専門用語が少し出てきますが、これらを1つ1つ説明していますと長くなりますし、ここのテーマからも外れてきます。ですから、これらに関してはご存知であることを前提とします。ご存知でない方でご興味がおありの方は、お手数ですが、ドイツ語の参考書などをご参照下さい。
※今回の体験話法と思われる文章では、これまでに独立した形で論じてきた、接続法に関しての例外的な取り扱い――現在形の接続法が、体験話法になったさいにそのままにされず、過去形にされる――は、今回はされていません。また、体験話法であるか否かという問題点のみならず、解釈の上で問題になる点も少なからずあります。ですから今回は、独立した形では論ぜずに、この両方の点を合わせて、ここで論じます。
○Einmal während des langen Abends wurde die eine Seitentüre und einmal die andere bis zu einer kleinen Spalte geöffnet und rasch wieder geschlossen; jemand hatte wohl das Bedürfnis hereinzukommen, aber auch wieder zuviele Bedenken.Gregor machte nun unmittelbar bei der Wohnzimmertür halt, entschlossen, den zögernden Besucher doch irgendwie hereinzubringen oder doch wenigstens zu erfahren, wer es sei; aber nun wurde die Tür nicht mehr geöffnet und Gregor wartete vergebens.
長い夜のあいだに、一度は一方の側のドアが、一度はもう一方のが、ちょっとだけ開き、すぐにまた閉められた。だれかがきっと部屋のなかへ入る用事があったにちがいないのだが、それにしろためらいもあまりに大きかったのだ。そこでグレゴールは居間へ通じるドアのすぐそばにとまっていて、ためらっている訪問者を部屋のなかへ入れるか、あるいは少なくともその訪問者がだれかを知ろうと決心していた。ところが、ドアはもう二度と開かれず、グレゴールが待っていたこともむなしかった。(原田義人〔よしと〕訳)
この長い晩のあいだ、いちど一方の脇扉(サイド・ドア)が、そしてもう一方の脇扉もいちどだけ細目に開かれ、そしてまた素早く閉じられた。おそらくだれかが部屋に入ってくる必要をかんじたのだが、しかしそうするには、あまりにもためらわれるものが大きかったのだ。そこでグレゴールは、居間へのドアのそばで少しあいだをあけて待機し、ためらっている訪問者をなんとかしてなかに入らせるか、あるいは、少なくともそれがだれであるのか知ろうとした。しかしもういまはドアは開かれず、グレゴールはむなしく待ちつづけていた。(三原弟平〔おとひら〕訳)
①nunが2箇所に出ていますが、前の方のnunは、それまでの内容を受けて「そこで」「それで」という感じの意味であり――英訳ではほとんどが、nowとしているか、訳出していないかのいずれかですが、(文頭に置いて)Soとしている訳も2つあります――、あとの方のnunは、(過去のその時点で)「今は」くらいの、一番おおもとの意味であると考えてよいと思います。
②三原訳は、ummittelbarをこれとは反対の意味のmittelbarのように訳していますね。実は三原先生は、『カフカ「変身」注釈』で、次のように書いておられます。
... 、三つのドアのうち物語の展開上もっとも重要な意味をもつことになるのは居間へ通じるドアであり(中略)、ゆえにグレゴールがそのドアのそばで待つというのもうなずける。ゆえに次は、その「居間へのドアのすぐそばに待機し」、といきたいところだが、〈unmittelbar〉=「直接的に、じかに」ではなく、ドイツ語原文では〈mittelbar〉=「間接的に」とされている。しかし英訳(岡上注:Willa & Edwin Muir訳)ではこの部分〈immediately〉と、明らかに〈unmittelbar〉のつもりで訳している。わかりがいいように勝手に改変してしまっているのだが、おそろしいことに、これは正反対への改変なのだ。
三原先生がお使いになったのは、Paul Raabe編 „Sämtliche Erzählungen(直訳しますと、「全物語集」くらい)“ (1973, S. Fischer Verlag) で、この本では確かに、mittelbarとなっています。
ですが、私が調べたかぎりでは、これ以外でここがmittelbarになっている本はなく、他の本ではすべてunmittelbarとなっています(ですが、Raabe編のこの本のほかに、mittelbarとなっている本をご存知の方がおられましたら、ぜひお知らせいただきたく思います)。
私はカフカの専門家ではありませんので断定はできませんが、三原先生がご覧になった本が誤植した可能性が高いのではないかと思います。ちなみに、邦訳、英訳ともに、ここをmittelbarとして訳しているものは、三原訳以外にはありませんでした。
とは言え、三原先生がご覧になった本では確かにこうなっているのですから、同先生がおっしゃっていることが全くの間違いとは勿論言えませんので、念のために。
③aber nun wurde die Tür nicht mehr geöffnetを、高安国世訳は「ところが皮肉なもので、こうなるとドアは二度とあけられなかった」と訳しており、原文にない言葉を足してはいますが、これは上手だなと思いましたので、ご紹介しておきます。
○Früh, als die Türen versperrt waren, hatten alle zu ihm hereinkommen wollen, jetzt, da er die eine Tür geöffnet hatte und die anderen offenbar während des Tages geöffnet worden waren, kam keiner mehr, und die Schlüssel steckten nun auch von außen.
ドアがみな閉ざされていた朝には、みんなが彼の部屋へ入ろうとしたのだったが、彼が一つのドアを開け、ほかのドアも昼のあいだに開けられたようなのに、今となってはだれもやってはこず、鍵も外側からさしこまれていた。
①三原先生は上記の本で、「die anderen offenbar während des Tages geöffnet worden waren の die anderen [Türen] は明らかに複数なのに、英訳(ここでは Muir 訳)は単数にしてしまっている」という趣旨のことも書いておられます。いろいろな英訳を見てみますと、大部分は the others としているのですが、いくつかはthe other としてしまっています。勿論これは誤訳ですね。ただ、Muir訳も、改訳版では the others と直されています。
邦訳では、「他のドア」とか「ほかのドア」とだけしているものが多いですが、「ほかのドアもすべて(高橋義孝訳)、「他のふたつ」(立川〔たつかわ〕洋三訳)、「ほかの二つ」(池内紀〔おさむ〕訳)、「あとの二つのドア」(浅井健二郎訳)のように、1つではないことをはっきりさせている訳もあります。
②... , und die Schlüssel steckten nun auch von außen.のauchは、特定の言葉にかかっていると言うよりも、(誰も入ってこなかっただけでなく)「さらに加えて」「おまけに」という意味で使われているのではないかと、私は思います。
一部の邦訳や英訳はこのように解しています。
しかも鍵は今では外側からさし込んであるらしい。(高安訳)
おまけにいまじゃ外から鍵がかけられている。(川崎芳隆訳)
おまけに鍵穴には外から鍵がさしてあるのだった。(田中一郎訳)
そもそも今では、ドアは外側からロックされてもいたのだ。(川村二郎訳…訳し方は違っていますが、やはりこう解していると思われます)
... , and, in addition, the keys were now on the outside. (Stanley Appelbaum訳)
... , and the keys, moreover, were now on the outside. (Richard Stokes訳)
... , and in addition the keys were now in the locks on the outside. (Joyce Crick訳)
... , and moreover the keys were in the other side of the door. (John R. Williams訳)
以下の3つは川村訳と同じ訳し方をしていますね。
... ; they had even locked his doors on the outside. (A. L. Lloyd訳)
... , and now the keys were even inserted on the outsiede. (Stanley Corngold訳)
They had even locked the doors on the outside. (Will Aaltonen訳)
ですが、auchという語自体がもともとあいまいな要素が強いですから、原田訳のように「鍵」にかけて訳すのが絶対に間違いであるとは言えません。ただ、こう解する場合でも、「鍵までも外側からさしこまれていた」のようにした方が、もう少し感じが出るのではないかと思います。
○(a)Nun kam gewiß bis zum Morgen niemand mehr zu Gregor herein; er hatte also eine lange Zeit, um ungestört zu überlegen, wie er sein Leben jetzt neu ordnen sollte. (b)Aber das hohe freie Zimmer, in dem er gezwungen war, flach auf dem Boden zu liegen, ängstigte ihn, ohne daß er die Ursache herausfinden konnte, denn es war ja sein seit fünf Jahren von ihm bewohntes Zimmer―und ...
それでは朝までもうだれもグレゴールの部屋へは入ってこないというわけだ。だから、自分の生活をここでどういうふうに設計すべきか、じゃまされずにとっくり考える時間がたっぷりとあるわけだ。だが、彼が今ペったり床にへばりつくようにしいられている天井の高いひろびろとした部屋は、なぜか理由を見出すことはできなかったけれども、彼の心を不安にした。なにしろ五年来彼が住んでいた部屋なので、どうしてそんな気になるのかわからなかった。――そして、...(原田訳)
もはや朝まで誰も来ないことはたしかである。今後、自分の人生をどのように秩序づけるか、邪魔されずにゆっくり考えることができる。しかし、心ならずもひらべたく床に這(は)っていると、天井は高いし、まわりがガランとしていて、どうしてだかはわからないが、不安でならないのだ。もう五年ごし住み慣れた部屋ではないか――...(undは訳出されていません)(池内訳)
ここの文章は、動詞が過去形になっているにもかかわらず、原田訳の一部と池内訳の全部で、現在形のように訳されています。これはなぜかと言いますと、ここの文章が「体験話法」になっているからです。体験話法に関しては、次の題名の頭木さんのブログで詳しく記してありますので、ご興味がおありでしたらご覧下さい。
「咬んだり刺したりするカフカの『変身』」6回目!月刊『みすず』8月号が刊行されました
①ここに関しては、(a)だけが体験話法とも、(a)と(b)が体験話法とも、どちらとも解せます。邦訳でも解釈が分かれています。ängstigte ihnなどという表現から考えますと、体験話法ではないような感じもしますが、あとにダッシュがあって、その次がundとなっている点からは、やはり体験話法がここまで続いているのかなとも思えます。これはどちらが絶対に正しいとは言えませんから、読者の好みで解釈してよろしいのではないかと、私は思います。
ご参考までに、(a)(b)をグレーゴルが心の中で思ったこととして直接話法で書いてみますと、以下のようになります。
なお、(a)の最後のsollteは、過去形とも接続法第Ⅱ式とも解せます。体験話法でない普通の文でしたら、これからのことを考えているのですから、明らかに過去形ではなく接続法第Ⅱ式と考えられます。ですが、この文は体験話法ですから、「このsollteは過去形であり、直接話法にすると現在形のsollになる」という考え方も成り立ちます。とは言え、体験話法で出てくるsollteはほとんどみな、接続法第Ⅱ式になっていますので、ここでもそう考えて、次の直接話法でも、同じ接続法第Ⅱ式のsollteとしておきます(ただし、「 」内の考え方に基づいてsollとしても間違いとは言えないと思います)。
(a)Nun kommt gewiß bis zum Morgen niemand mehr zu mir herein; ich habe also eine lange Zeit, um ungestört zu überlegen, wie ich mein Leben jetzt neu ordnen sollte. (b)Aber das hohe freie Zimmer, in dem ich gezwungen bin, flach auf dem Boden zu liegen, ängstigt mich, ohne daß ich die Ursache herausfinden kann, denn es ist ja mein seit fünf Jahren von mir bewohntes Zimmer―und ...
②冒頭のNunは、第12回にも出ましたが、「そんな状況では」という感じの意味かと思われます。以下をご参照下さい。「○Im Wohnzimmer war, ...」で始まる箇所にあります。
月刊『みすず』10月号・連載第12回の「「変身」において 翻訳の解釈が分かれている箇所」
③frei[e]は、「がらんとした」としている訳が多いですが、「広い」「広々とした」「空間のある」「さえぎるもののなに一つない」としている訳もあります。どれも正しいですが、やはり「がらんとした」が一番適切ではないかと、私は思います。英訳ではemptyが多いですが、free、open、spaciousも使われています。
④flach ... liegenは、直訳しますと「平らに横たわる」ですが、いろいろな訳し方ができますね。「へばりついている」としている訳もいくつかあり、これも上手だと思いましたが、虫ですので「はいつくばっている」でもよいかなと思います。また、flachを「ぺったり」「ぺったりと」「べったり」としている訳もあり、これらも上手だと思いましたが、どうしても訳出する必要まではないでしょうね。
○Schon am frühen Morgen, es war fast noch Nacht, hatte Gregor Gelegenheit, die Kraft seiner eben gefaßten Entschlüsse zu prüfen, denn vom Vorzimmer her öffnete die Schwester, fast völlig angezogen, die Tür und sah mit Spannung herein. Sie fand ihn nicht gleich, aber als sie ihn unter dem Kanapee bemerkte―Gott, er mußte doch irgendwo sein, er hatte doch nicht wegfliegen können―, erschrak sie so sehr, daß sie, ohne sich beherrschen zu können, die Tür von außen wieder zuschlug.
つぎの朝早く、まだほとんど夜のうちだったが、グレゴールは早くも固めたばかりの決心をためしてみる機会をもった。というのは、玄関の間のほうからほとんど完全に身づくろいした妹がドアを開け、緊張した様子でなかをのぞいたのだった。妹はすぐには彼の姿を見つけなかったが、彼がソファの下にいるのをみとめると――どこかにいるにきまっているではないか。飛んで逃げることなんかできなかったのだ――ひどく驚いたので、度を失ってしまって外側からふたたびドアをぴしゃりと閉めてしまった。(原田訳)
さっそく早朝に、しかもまだまっくらで夜のようだったが、グレーゴルは決心したばかりの自分の意志の力をためす機会を与えられた。というのは、ほとんどきちんと着がえをすませた妹が、控えの間の方のドアをあけて、緊張した様子で中をのぞき込んだのだった。彼女には彼のいるところがすぐにはわからなかった。しかしソファの下に彼がいるのに気づくと――殺生(せっしょう)な話だ、どうしたって、どこかにいないではすまないのだ、飛んで逃げるわけにもいかなかったのだから――彼女はあっと驚き、われを忘れてドアを外からばたんと閉めてしまった。(高安訳)
早朝、というか、まだ夜は明けていなかったが、今くだしたばかりの決断を試すよい機会が訪れた。もうほとんど身支度(みじたく)をすませた妹が扉を開けて、緊張した様子で中を覗(のぞ)き込んだのだった。妹はすぐにグレゴールを見つけることができず、どこかにいるはずだわ、まさか逃げるわけないのだから、と思いながら捜していたが、ソファーの下にいるのを見つけた瞬間、あまり驚いたのですぐに扉をばたんと閉めてしまった。(多和田葉子訳)
Gott, er mußte doch irgendwo sein, er hatte doch nicht wegfliegen könnenは、体験話法と思われますが、邦訳では解釈が分かれています。グレーゴルの心の中の思いと解している訳がほとんどなのですが、多和田訳は妹の心の中の思いと解しています。また、どちらの思いとも受け取れるような訳もあります。
それから、mußte(直接話法にするとmuß)を、「...なければならない」と解している訳と、「...にちがいない(...に決まっている)」と解している訳とがあります。ドイツ語のmüssenも英語のmustも、上記の2つの意味がありますし、どちらの意味に訳しても意味が通る文も少なくなく、しばしば迷いますね。
この文を、グレーゴルが心の中で思ったこととして直接話法で書いてみますと、
Gott, ich muß doch irgendwo sein, ich habe doch nicht wegfliegen können
となります。
次に、mußte(直接話法にするとmuß)を2通りに訳してみます。いずれも逐語訳に近い訳にしています。
(a)ああ、ぼくはどこかにいなくちゃいけないじゃないか、飛び去ることはできなかったんだから。
(b)ああ、ぼくはどこかにいるに決まってるじゃないか、飛び去ることはできなかったんだから。
どちらでも意味は通りますから、どちらも間違いではないと、私は思います。ただ、(a)のように訳した方が深刻な感じがより強く出るのではないかとも思います。
このmußteは、邦訳ではこのように解釈が分かれていますが、英訳では、ごく一部の訳でmustを使っている以外は、ほとんどがhe had to be somewhereとしており、「...でなければならない」の意味と解しています。
Gottはいろいろな訳し方ができますが、ここでは「ああ」くらいでよいと思います。「おやおや」「やれやれ」としている訳もあります。いずれにしましても、このGottは「困ったもんだなあ」というニュアンスで言っていると考えられます。
また、er hatte doch nicht wegfliegen könnenを現在形のように訳している邦訳が多いのですが、ここは直接話法に直しても完了形になります。ですから、「できなかった」と訳す方が文法的には正確ですが、それほど厳密に考えなくてもよいかもしれませんね。
それから今度は、妹が心の中で思ったこととして直接話法で書いてみますと、
Gott, er muß doch irgendwo sein, er hat doch nicht wegfliegen können
となります。
次に、上と同じように2通りに訳してみます。
(c)まあ、兄さんはどこかにいなくちゃいけないじゃないの、飛び去ることはできなかったからね。
(d)まあ、兄さんはどこかにいるに決まってるじゃないの、飛び去ることはできなかったからね。
この場合には、(c)のような意味になるのはちょっと不自然な感じがしますので、(d)のように訳すのが妥当かと思われます。
ただ、この「変身」に関しては作品全体がグレーゴルの視点で書かれているという考え方が優勢ですし、兄が飛び去ることができなかったとなぜ判断できたのかという疑問や、(d)のように訳したとして、あとのerschrak sie so sehr, daß ,,,(ひどく驚いたので...)と雰囲気的に合うのかという疑問も生じます。
また、多和田訳では、この体験話法の位置を、Sie fand ihn nicht gleichのあとに移してしまっています。ここにあったとしましたら、妹の思いと解釈できる可能性が、より高まるのですが(この場合には、冒頭のGottは「ああ」のように訳した方がよくなりますが)。
このようなわけで、私は(a)のように解したいのですが、妹の思いという解釈もユニークですので、間違いと断定するつもりはありません。
○Aber als bereue sie ihr Benehmen, öffnete sie die Tür sofort wieder und trat, als sei sie bei einem Schwerkranken oder gar bei einem Fremden, auf den Fußspitzen herein. Gregor hatte den Kopf bis knapp zum Rande des Kanapees vorgeschoben und beobachtete sie.
だが、自分の態度を後悔してでもいるかのように、すぐまたドアを開け、重病人か見知らぬ人間かのところにいるような恰好(かっこう)で爪先(つまさき)で歩いて部屋のなかへ入ってきた。グレゴールは頭をソファのへりのすぐ近くまでのばして、妹をながめた。(原田訳)
しかし自分でもはしたないことをしたと思ったのか、重病人か、まるで知らない人のところへはいってくるように、足音を忍ばせてはいって来た。グレーゴルはソファの縁ぎりぎりのところまで首を伸ばして、彼女の様子を観察した。(高安訳)
als sei sie bei einem Schwerkranken oder gar bei einem Fremdenは、直訳しますと、「重病人か、それどころか見知らぬ人のそばにいるように」となりますが、こう訳すとtrat(「入ってきた」)とすっきり合いませんね。邦訳では、直訳してある訳もありますが、高安訳や山下肇〔はじめ〕訳(「重病人か知らないお客のところへでもくるかのように」)などのように意訳してある訳もあります。英訳では、as if(またはthough) she were(またはwas) visiting ...としているものが多いです。
また、邦訳、英訳ともに、「重病人か見知らぬ人の部屋であるかのように」としているものもあり、これもこれで上手な訳だなと思いました。
なお、細かいことですが、ここのgarは、邦訳では、浅井訳が文字通り「それどころか」、川村訳が「というより」、丘沢静也(しずや)訳が「いや」としている以外は、どの訳も訳出していません。英訳では、or even a strangerなどのようにevenと訳しているか、訳出していないかのいずれかです。
○(a)Ob sie wohl bemerken würde, daß er die Milch stehengelassen hatte, und zwar keineswegs aus Mangel an Hunger, und ob sie eine andere Speise hereinbringen würde, die ihm besser entsprach? Täte sie es nicht von selbst, (b)er wollte lieber verhungern, als sie darauf aufmerksam machen, (c)trotzdem es ihn eigentlich ungeheuer drängte, unterm Kanapee vorzuschießen, sich der Schwester zu Füßen zu werfen und sie um irgend etwas Gutes zum Essen zu bitten.
ミルクをほったらかしにしたのに気づくだろうか。しかもけっして食欲がないからではなかったのだ。また、彼の口にもっと合うような別な食べものをもってくるのだろうか。妹が自分でそうしてくれないだろうか。妹にそのことを注意するくらいなら、飢え死(うえじに)したほうがましだ。それにもかかわらず、ほんとうはソファの下から跳(と)び出して、妹の足もとに身を投げ、何かうまいものをくれといいたくてたまらないのだった。(原田訳)
ミルクに手をつけなかったこと、しかもけっして食欲がないためではないということに彼女は気づいてくれるだろうか、彼にもっとふさわしい食物を代わりに持って来てくれるだろうか。もし彼女が自分からそのことに気づいてくれないなら、たとえ飢え死にしても自分から彼女にそれを言うことはすまい。そう彼は考えたが、本当は一気にソファの下から這(は)い出し、妹の足元に取りすがり、何かよいたべ物をくれるように頼みたいと、どんなに苦しい思いをこらえたかしれない。(高安訳)
①(a)からあとが体験話法であることは間違いありませんが、邦訳によって、(a)(b)(c)の全部と解して訳していたり、(a)(b)と解して訳していたり、(a)だけと解して訳していたりします。ここの場合には、(a)(b)と考えるのが妥当ではないかと私は思いますし、邦訳でもこの考え方で訳しているものが一番多いです。
ご参考までに、(a)(b)をグレーゴルが心の中で思ったこととして直接話法で書いてみますと、次のようになります。
(a)Ob sie wohl bemerken wird, daß ich die Milch stehengelassen habe(またはstehenließ), und zwar keineswegs aus Mangel an Hunger, und ob sie eine andere Speise hereinbringen wird, die mir besser entspricht? Täte sie es nicht von selbst, (b)ich wollte lieber verhungern, als sie darauf aufmerksam machen, ...
bemerken wirdとhineinbringen wirdは未来形(ただこの場合には、未来と言うよりは推量の意味合いが強いですが)です。一般論として、未来形が体験話法になると、werden → wurde とはならずに、würdeとなります。(なお、「werden → wurden とはならずに、würdenとなります」としていないのは、ドイツ語では、動詞の過去形や接続法の形を単独であげる場合には、1人称と3人称の単数形〔同じ形になります〕をあげるのが一般的であるからです)
接続法の動詞(Täte、wollte[前のTäteと呼応していますから、過去形ではなく接続法第Ⅱ式です])は、体験話法になっても過去形には変えられずに、現在形のままになっていますね。
〔補足1〕Ob sie wohl bemerken würde(直接話法になると〔以下同じ〕〕wird)とob sie eine andere Speise hereinbringen würde(wird) は、Würde(Wird) sie wohl bemerken、Würde(Wird) sie eine andere Speise hereinbringenとしても勿論構いませんが、obによるこのような疑問文は、誰かに尋ねずに自問する場合などに使われることがあるようです。
〔補足2〕接続法第Ⅱ式も婉曲的な推量を意味することがありますから、Ob sie wohl bemerken würde と ob sie eine andere Speise hereinbringen würdeを直接話法に書き換える場合、上記のように未来形にせずに、Ob sie wohl bemerken würde, と ob sie eine andere Speise hereinbringen würde のままにしても、間違いではありません。
②die Milch stehengelassen hatteの解釈も案外難しいですが、ここに関しては、前に出た箇所とこのあとに出る箇所とを合わせて検討する必要がありますので、あとで別に検討します。
③Täte sie es nicht von selbst, は、邦訳では、疑問文と解している訳(原田訳のほかは、高橋訳、山下肇訳、片岡啓治訳のみ)と、接続詞のwennを用いた文の代用と解している訳とがありますが、英訳ではすべて後者と解しています。やはり後者と解した方があとの文とのつながり自然ではないかと、私は思います。
ですが、後者と解しますと、ich wollteは、Wenn sie es nicht von selbst tätという副文のあとになりますから、wollte ichという語順になるのが文法的には正しいですね。そこで私は、Täte sie es nicht von selbst, をWenn sie auch es nicht von selbst tätと解して譲歩の意味と考え、「彼女がみずからそれをしないとしても」と解することもできるのではないかと思いました。副文が譲歩の意味になる場合には、あとの主文の語順は「定動詞+主語+...」とはならず、「主語+定動詞+...」となることが少なくありませんから、こう考えますと語順の問題も解決します。ですが、邦訳にも英訳にも私と同じように解しているものは1つもありませんでしたし、語順がich wollteになっているのも、単なる文法的な乱れにすぎないのかもしれませんが。
④er wollte lieber verhungern, als sie darauf aufmerksam machen, のdaraufは、前のOb sie ... 以下の内容をさしています。あとのtrotzdem以下の内容をさしていると解している邦訳も少しだけありますが、この解釈はちょっと無理ではないかと私は思います。指示語がそれよりもあとの語をさすということは、よほどのことがないかぎり、ありませんから。
⑤irgendetwas Gutes zum Essenは、邦訳、英訳ともに、「何かおいしい食べ物」という感じで訳している訳が多いのですが、「なにか食物になるようなもの」(三原訳)、「食べ物」(多和田訳)、something to eat(Lloyd訳、Muir訳)、something worth eating(Christopher Moncrieff訳)のように、「食べるのにふさわしいもの(→ともかく何か食べられるもの)」という感じで訳している訳も少しだけあります。前者の解釈でも間違いとは言えませんが、ここではかなり深刻な状況であり、おいしいものなどとは言っていられないような感じもしますから、私は後者のように解したいと思います。
このような表現にgut(Gutesは勿論、形容詞のgutが名詞化されたものですね)が出てきますと、「おいしい」と訳したいところですが、zu ... gut で「...にふさわしい」という意味になることもありますから、私の解釈も成り立つのではないでしょうか。
②のdie Milch stehengelassen hatteですが、stehenlassenのもとの意味からしますと、「ミルクに全く手(口)をつけずにほうっておいた」という感じの意味になりますし、そのように訳している邦訳もあります。あるいは、「ミルクを飲んでいなかった」のようにも訳せます。
ですが、前回には次のような描写がありました。これはここでの説明にぜひとも必要ですので、ここにすべてそのままで再記します。
○Erst bei der Tür merkte er, was ihn dorthin eigentlich gelockt hatte; es war der Geruch von etwas Eßbarem gewesen. Denn dort stand ein Napf mit süßer Milch gefüllt, in der kleine Schnitten von Weißbrot schwammen. Fast hätte er vor Freude gelacht, denn er hatte noch größeren Hunger als am Morgen, und gleich tauchte er seinen Kopf fast bis über die Augen in die Milch hinein.
ドアのところでやっと、なんでそこまでおびきよせられていったのか、わかった。それは何か食べものの匂(にお)いだった。というのは、そこには甘いミルクを容(い)れた鉢(はち)があり、ミルクのなかには白パンの小さな一切れが浮かんでいた。彼はよろこびのあまりほとんど笑い出すところだった。朝よりも空腹はひどく、すぐ眼の上まで頭をミルクのなかに突っこんだ。
bis über die Augen を「目(眼)の上まで」としている邦訳がかなり多いのですが、ここではちょっとどうでしょうか。「頭をミルクのなかに突っこんだ」というここの状況から言って、「目の上まで」という位置関係にはならないと私は思います。このüberは「...の上に」という意味と言うよりも、「...を覆って」という感じの意味と考えるべきではないでしょうか。「目もつかってしまうほどに(高橋訳)」「目もつかってしまうぐらい(立川訳)」「眼まですっぽりと(川村訳)」「目がつかりそうになるくらい(丘沢訳)」「目までつかるほど(真鍋宏史訳)」「目が浸(ひた)るくらい深く(多和田訳)」「両目が浸(つ)かりかけるほどの勢いで(川島隆訳)」のように訳した方がよいと思います。
○Aber bald zog er ihn enttäuscht wieder zurück; nicht nur, daß ihm das Essen wegen seiner heiklen linken Seite Schwierigkeiten machte – und er konnte nur essen, wenn der ganze Körper schnaufend mitarbeitete –, so schmeckte ihm überdies die Milch, die sonst sein Lieblingsgetränk war, und die ihm gewiß die Schwester deshalb hereingestellt hatte, gar nicht, ja er wandte sich fast mit Widerwillen von dem Napf ab und kroch in die Zimmermitte zurück.
だが、間もなく失望して頭を引っこめた。扱いにくい身体の左側のために食べることがむずかしいばかりでなく――そして、身体全体がふうふういいながら協力してやっと食べることができたのだ――、その上、ふだんは彼の好物の飲みものであり、きっと妹がそのために置いてくれたのだろうが、ミルクが全然うまくない。それどころか、ほとんど厭気(いやけ)をおぼえて鉢から身体をそむけ、部屋の中央へはってもどっていった。
(以下略)
これから考えますと、事実上はミルクを飲んでいなかったと言ってよいですから、「ミルクを飲んでいなかった」とするのはまだ構わないと思いますが、「ミルクに全く手(口)をつけずにほうっておいた」のようにまで言ってしまうのは、ちょっとどうかなと思います。(とは言え、上記の再記した箇所がなくて、単にdie Milch stehengelassen hatteとだけ書かれていれば、「ミルクに全く手(口)をつけずにほうっておいた」という意味になるのが普通ですから、原文の書き方も紛らわしいと言えると思いますが)
「ミルクを飲み残した」「ミルク(または、牛乳)を残した」としている邦訳もいくつかあります。これらも勿論間違いではありませんし、上記の描写をきちんとふまえているとも思います。ただ、実際にはほとんど飲んでいなかったわけですから、「残した」と言ってしまえるかどうかも微妙ですね。
英訳では、Joachim Neugroschel訳が had barely touched the milk、(英語に問題が多いので『変身』の英訳リストには入れていない)某訳がhad not tasted the milkとしている以外は、ほとんどが、had left the milkか、had left the milk standingか、had left the milk untouched としています。前の2つの訳はそれでもよいでしょうが、untouchedを使うのはやはり不適切ではないかと、私は思います。
そしてここは、次の箇所とも密接に関係しています。
○Aber die Schwester bemerkte sofort mit Verwunderung den noch vollen Napf, aus dem nur ein wenig Milch ringsherum verschüttet war, sie hob ihn gleich auf, zwar nicht mit den bloßen Händen, sondern mit einem Fetzen, und trug ihn hinaus.
ところが、妹はまだいっぱい入っているミルクの鉢(はち)にすぐ気づいて、不思議そうな顔をした。鉢からは少しばかりのミルクがまわりにこぼれているだけだった。妹はすぐ鉢を取り上げたが、それも素手(すで)ではなくて、ぼろ切れでやるのだった。そして、鉢をもって出ていった。(原田訳)
だが、妹は、ミルクが周囲にすこしばかりこぼれているだけで、まだ鉢にいっぱい残っているのをすぐ見つけて、びっくりしたらしい。素手をつかわないで、ぼろぎれで鉢をすぐさま持ちあげて、部屋から出て行った。(中井正文訳)
しかし妹は、すぐに気づいて不思議そうな顔をした。ボウルにはミルクがまだいっぱい入っていて、まわりにちょっとこぼれていた。すぐにボウルをもちあげた。それも素手ではなく、ぼろ布でつかんで、運びだしたのだ。(丘沢訳)
①Verwunderungには「不思議に思うこと、怪訝(けげん)に思うこと」という意味と、「驚き」という意味とがあり、ここではどちらにも解せますね。邦訳ではほぼまっ二つに分かれていますが、英訳では意外なことに、Williams訳がwondering(ですがこの語も、どちらにも解せますね)、Philipp Strazny訳がwith bewilderment(ですがこれは、「不思議」「怪訝」とはちょっとニュアンスが違っていますね)としている以外は、すべて「驚き」と解しています(to her astonishment、to her surprise、with astonishment、with surprise、あるいは過去分詞でastonished、surprised)。
私はどちらかと言いますと「不思議」「怪訝」の方に解したいのですが、「驚き」が誤っているというわけでは勿論なく、読者の好みということになってきそうですね。
②aus dem nur ein wenig Milch ringsherum verschüttet warは、原田訳のように「少しばかりのミルクがまわりにこぼれているだけだった」という感じで訳している邦訳が多いですし、それでも勿論構いません。ですが私は、このnurは文全体にまでかかっているのではなくein wenig Milchだけにかかっていると考えて、「ボウルにはまだミルクがいっぱい入っていて、まわりにちょっとばかりこぼれていた」のように訳してもよいのではないかと思います。
原田訳などのような解釈ですと、「ボウルにはまだミルクがいっぱい入っていて、まわりにちょっとこぼれているだけだった」という感じの訳になり、ボウルがミルクでいっぱいであったことのみがかえって強調されてしまうようにも感じます。
ミルクがボウルにまだいっぱいあったことだけでなく、まわりにこぼれていたことも――グレーゴルが一応は飲もうとした証拠ですから――大事なことですし、妹はこのことにも気がついたと思われます。私のように訳した方が、妹が「兄さんは確かにミルクを飲もうとしたのに、なぜすぐにやめてしまったのかしら」と不思議に思っている感じがはっきり出るのではないでしょうか。
ご参考までに、「こぼれているだけ」という感じにしていない邦訳は、丘沢訳のほかに、田中訳(だが妹は周りに牛乳が少しこぼれていてまだ一杯に入っている小鉢にすぐに気付いた)がありますし、英訳では、たとえば、
But his sister immediately noticed with surprise that the basin was still full, and that only a little milk had been spilled out of it all around; ... (Appelbaum訳)
のようにしているものがいくつかあり、後半の部分を「...しているだけ」と強調してはいませんね。
また、C. Wade Naney訳は、
But his sister did, to her surprise, immediately notice the untouched milk, a bit spilt onto the surrounding floor.
としています。nurをあえて訳出していませんが、この文のニュアンスを上手に訳していると思います(ただし、untouchedは不適切で、fullとした方がよいと思いますが)。
以上、これまでにお話ししたことから考えて、Ob sie wohl bemerken würde, daß er die Milch stehengelassen hatte, とAber die Schwester bemerkte sofort mit Verwunderung den noch vollen Napf, aus dem nur ein wenig Milch ringsherum verschüttet war, は、私は次のように訳したいと思います。
僕がミルクを飲もうとして飲めなかったことに、グレーテは気づいてくれるだろうか。/しかし、ボウルにはまだミルクがいっぱい入っていて、まわりにちょっとばかりこぼれていたことに、妹はすぐに気がついて、あれっという顔をした。
これが最上の訳だなどと言うつもりは勿論ありませんが、従来の訳にもどうも満足できませんので、あえてこのように記した次第です。
○Gregor war äußerst neugierig, was sie zum Ersatze bringen würde, und er machte sich die verschiedensten Gedanken darüber. Niemals aber hätte er erraten können, was die Schwester in ihrer Güte wirklich tat. Sie brachte ihm, um seinen Geschmack zu prüfen, eine ganze Auswahl, alles auf einer alten Zeitung ausgebreitet.
グレゴールは、妹がかわりに何をもってくるだろうかとひどく好奇心に駆られ、それについてじつにさまざまなことを考えてみた。しかし、妹が親切心から実際にもってきたものを、考えただけではあてることはできなかったにちがいない。彼の嗜好(しこう)をためすため、いろいろなものを選んできて、それを全部、古い新聞紙の上に拡(ひろ)げたのだった。
eine ganze Auswahlはいろいろに訳せますが、ganz[e]は(ちょっと大げさな表現ですが)「完全な」「抜かりのない」「全部揃った」といった意味と思われます。原田訳のような訳でも勿論構いませんが、面白い訳がいくつかありますので、ご参考までにあげておきます(Sie brachte ihm, 以下のみ)。解釈の違いということとは、ちょっと異なりますが。
妹は彼の好きそうなものを試そうとして、いろいろと選んだ品をごっそりもってきたのだ。一枚の古新聞の上にのこらずひろげてある。(山下肇訳)
妹が運んできたのは、彼のお好み次第というわけか、よりどりみどりの一山で、それが古新聞の上一杯にひろがっていた。(川村訳…ちょっと意訳しすぎという感じもしますが、上手ですね)
ひと揃いをそっくり古新聞にのせて持ってきたのだ。よりどり見どりというわけだ。(池内訳)
グレゴールがどんな物を食べるのか調べるために妹が新聞紙の上に広げた食べ物の選択肢はかなり豊富だった。(多和田訳)
○Außerdem stellte sie zu dem allen noch den wahrscheinlich ein für allemal für Gregor bestimmten Napf, in den sie Wasser gegossen hatte. Und aus Zartgefühl, da sie wusste, daß Gregor vor ihr nicht essen würde, entfernte sie sich eiligst und drehte sogar den Schlüssel um, damit nur Gregor merken könne, daß er es sich so behaglich machen dürfe, wie er wolle. Gregors Beinchen schwirrten, als es jetzt zum Essen ging.
なおそのほかに、おそらく永久にグレゴール専用ときめたらしい鉢を置いた。それには水がつがれてあった。そして、グレゴールが自分の前では食べないだろうということを妹は知っているので、思いやりから急いで部屋を出ていき、さらに鍵さえかけてしまった。それというのも、好きなように気楽にして食べてもいいのだ、とグレゴールにわからせるためなのだ。そこで食事に取りかかると、グレゴールのたくさんの小さな脚はがさがさいった。
①ein für allemal には、「今回限り」という意味と、これとは正反対ですが、「これからずっと」という意味とがあります。前者のように訳している訳もありますが、ここの状況から考えますと、やはり後者の意味に解するのが適切ですね。グレーゴルは特殊な存在になってしまったのですから、彼用の鉢をすぐに決めたと考える方が自然かと思われます。
ついでながら、(小学館の『独和大辞典』を含む)一部の辞書には前者の意味しか出ておらず、これは重大な手落ちの1つであると、私は思っています。
②... , damit nur Gregor merken könne, daß er es sich so behaglich machen dürfe, wie er wolle. の後半を逐語訳しますと、「周囲の状況を、自分のために、自分が望むように快適にしてもよい」ということになり、本来は食事をすることに限定してはいません。ですから、「好きなようにゆっくりくつろいでかまわない」といった感じで訳している邦訳もかなりありますが、ここの状況から考えますと、原田訳のように「食べる」という意味で訳してもよいかなと思います。
ただ、邦訳では「食べる」としているものもかなりありますが、英訳では4つしかありません。英訳では that he could make himself as comfortable as he liked / wanted / wishedとしているものが多いです。
③schwirrtenの訳は難しいです。おおもとの意味は「ブンブン鳴る」という感じですが、ここではちょっと不自然ですね。手元の独和辞典をすべて見てみましたが、ここに当てはまりそうな訳語はあまり見当たりませんでした。「ぐるぐる回る」もありましたが、これはちょっとと思われます。「わさわさ動く」もありまして、川島訳ではこう訳していますが、出ていた辞書によりますと、この語義は複数の人の動きに使われるのが原則のようです。ですがこの場合には、意味が転用されたと考えれば、それなりに上手な訳と言えそうです。
上記のとおり、schwirren のもとの意味は「ブンブン鳴る」ですから、小刻みに動いていた(あるいはむしろ、ふるえていた)という感じではないかと思われます。ただ、「ふるえていた」ですと、こわがっていたようにも受け取れますので、「小刻みに動いていた」くらいが無難かもしれません。あるいは、擬態語や擬声語を使って訳しても構わないと思いますが、どのような語が一番良いかとなりますと、私も明確には答えられません。
それで、邦訳では実にいろいろに訳されていて興味深いですから、一覧にしておきます。原則としてschwirrtenの訳だけを示しますが、ほかの語と関連づけられている場合に限って、前後の訳も示しておきます。英訳ではwhirが非常に多く、ほかにはbuzzとwhizとtrembleが使われています。形は勿論過去形が多いですが、過去進行形や、began ...ingもあります。
もぞもぞと動いた(高橋訳)
ひゅうひゅう音をたてた(旧訳は、弾〔はず〕んで宙を飛ぶようだった)(中井訳)
景気よくわんさと動いた(山下肇訳)
がさがさいった(原田訳)
ぶんぶんうなった(辻瑆〔ひかる〕訳)
がさごそ音を立てた(高本研一訳)
がさがさと音を立てるほどの速さで動いた(高安訳)
がさがさと鳴った(川崎訳)
びゅんびゅん鳴った(城山良彦訳)
もぞもぞとうごめいた(片岡訳)
[そこで脚を]がさごそいわせながら[、グレーゴルはいよいよ食事をとりに行った。] (立川訳)
[たくさんの小さな脚を]震わせながら[、いよいよ食事にとりかかった。] (川村訳)
もつれた(三原訳)
わなないた(池内訳)
せかせかとすばやく動くではないか(山下肇・萬里〔ばんり〕訳)
ひくひくふるえた(丘沢訳)
しゅるしゅる音をたてて動いた(浅井訳)
ざわざわという音を立てた(野村廣之訳)
ザワザワ音を立てた(真鍋訳)
ブルブル震えた(多和田訳)
バタバタと動いた(田中訳)
わさわさと動いた(川島訳)
○Seine Wunden mußten übrigens auch schon vollständig geheilt sein, er fühlte keine Behinderung mehr, er staunte darüber und dachte daran, wie er vor mehr als einem Monat sich mit dem Messer ganz wenig in den Finger geschnitten, und wie ihm diese Wunde noch vorgestern genug weh getan hatte. ›Sollte ich jetzt weniger Feingefühl haben?‹ dachte er und saugte schon gierig an dem Käse, zu dem es ihn vor allen anderen Speisen sofort und nachdrücklich gezogen hatte.
どうも傷はみなすでに完全に癒(なお)ったにちがいなかった。もう支障は感じなかった。彼はそのことに驚き、一月以上も前にナイフでほんの少しばかり指を切ったが、その傷がおとといもまだかなり痛んだ、ということを考えた。「今では敏感さが減ったのかな」と、彼は思い、早くもチーズをがつがつ食べ始めた。ほかのどの食べものよりも、このチーズが、たちまち、彼を強くひきつけたのだった。
›Sollte ich jetzt weniger Feingefühl haben?‹ は、逐語訳をしますと、「今は前よりも少ない繊細な感覚を持っているのだろうかな」のようになりますね。原田訳のように簡潔に意訳してもよいわけですが、この疑問文はそのときの彼の気持ちを表現していますから、Sollteは過去形ではなく接続法第Ⅱ式で、現在のことを言っています。ですから、原田訳で言いますと、「今では敏感さが減ってるのかな」とした方が適切ではないかと、私は思います。
とは言え、日本語では、ある文が「た」で終わっていれば必ず過去のことを言っている、というわけではありませんから、原田訳のように訳しても間違いではありませんし、実際のところ、これを「た」を使わずに訳している邦訳は、野村訳(感覚が以前よりも鈍くなっているのだろうか?)だけしかありません。
英訳では、Am I less sensitive now? と現在形で訳しているもの(3つ)や、Might I be less fastidious than before?(Susan Bernofsky訳)や、Might I be less sensitive now?(Katja Pelzer訳)のように原文のSollteのニュアンスを正確に読み取って仮定法で訳しているものや、I wonder if I have less sensitivity now?(Michael Hofmann訳)のように工夫して訳しているものもある一方で、Have I become less sensitive?などと完了形にしてしまっているものも少なくありません。ですがこれは、過去形に訳しているのではないとしても、やはり不適切な訳であると思います。
———————————————————————
他に、このようなリストもアップしています。