◆村野将『米中戦争を阻止せよ』を読み解く


副題→「トランプの参謀たちの暗闘」


★要旨


・日米の戦略を論じるにあたり、岡崎久彦大使は、無視することができない存在である。


・筆者は、岡崎大使から直接教えを乞うことができた最後の世代であり、2014年に大使が亡くなるまでの8年間、ほぼ毎日のように情勢分析についてやりとりする機会に恵まれた。


・これは筆者にとってかけがえのない財産となっている。


・情報の分析や戦略を論じる上で岡崎大使から教わったことはたくさんある。


・情報分析の仕事を手伝うようになって最初に言われたのが、

「あなたは日々のストレートニュースは追わなくていい。
それはプロの記者やメディアの仕事だ。

僕らの仕事は、専門家が書いた論説や論文を読み込んで、それに対する自分の考えをまとめることだから」

ということだった。


・単なる情報ではなく、政策判断に資する情報であるためには、そこに何らかの思索が加わっていなければならない。


・そしてそれらの思索や論文に対して、その都度自分なりの肯定的意見や批判を加えていくことで、初めていざということきの判断に役立つ材料になる、

という趣旨だった。


・振り返れば、岡崎大使に促されて始めた思索の繰り返しが、筆者にとって米国の戦略コミュニティへの最初の入り口だったように思う。


・一方的な質疑応答と双方向の意見交換とでは、議論の深まり方に雲泥の差がある。


・こちらも当事者意識を持って自分の考えをぶつけると、彼らはまだ結論に辿り着いていない生煮えの問いを返してくれることがある。

これが、日米が直面している政策課題をどう解決していくかという共同作業の出発点となる。


★コメント
研ぎ澄まされた村野氏の文章に、学ぶ点が多すぎる。熟読したい。


 

 

 

 


◆岡崎久彦『情報戦略のすべて』を読み解く


★要旨


・私は戦略論を論じてきたが、煎じ詰めればそれは情報論である。

何か問題があって解決しようと思ったとき、問題点が全て見えて、
整理されていれば、それを解決する方策は、おのずから道筋が見えてくる。
それが私の戦略論だ。



・情報の処理は、まず収集、ついで整理分析、最後に伝達で終わる。

真っ先に申し上げたいことは、情報事務の基本は、
公開情報の分析能力にあるということ。




・情勢判断において、専門家の意見を尊重すべし。
専門家というのは、特定の地域なら地域について、土地勘もあり、
入手可能なあらゆる事実と過去の経緯を知っている人たちである。


・土地勘のある専門家というのは貴重なもの。
一つの国について入手できるあらゆる刊行物を読み、
過去数年の出来事の日誌が頭に入っていると、おのずから、
情勢の流れの中に目に見えない筋が見えてくるもの。


このことは専門家だけでなく、情報事務の管理者にとっても同じで、
部下の作った要領だけに頼ることなく、なるべく多くの原典を読んで、
その紙背に徹することが大切。



・文化革命を予言し、ソ連のチェコ侵入を予言したヴィクター・ゾルザは、
決して秘密の情報は読まず、共産圏の公開資料を1日9時間読んでいました。
ですから旅行すると失われた時間を取り戻すのが大変だと言って、
ほとんど旅行もせず、今までに本を1冊も書いていない。


・国際情勢は「一寸先は闇」ということを何時も忘れないこと。



・歴史的ビジョンを持て。
国際政治の原則には千古不易のものがあるという
しっかりとした歴史観を持っていることが必要だ。
「人間が人間であり、国家が国家である以上」孫子やマキャベリの言った真理は、
現在でも適用される。


・各情報機構のセクショナリズムに捉われない、
真に国家的な観点から取り上げられ、分析された情報こそが、
政策判断に必要な情報である。

要は情報の多様化を認める寛大さ、柔軟さと、
情報機関の間におけるフェア・プレイの精神を確立すること。




★コメント
大局観や歴史観は、情報マンにとって欠かせない。
現在におけるビジネスや社内外の関係において、歴史の教訓は応用できる。
ビジネスにおける根回し、調整、後方支援は、
偉人たちのうまいやり方を真似できる。



 

 


 

 



◆藤永丈司『超速・英語プログラム』を読み解く


★要旨


・赤ちゃんが語学を習得する時の流れに逆らわず、別の方法で脳に第二言語として、英語回路を作る。


・耳から入ってきた英語を和訳するのでなく、イメージ化、映像化する。


・2万5000語の英語に触れた瞬間、意味、発音、文脈などが、すべてフラッシュバックする。


・英語の参考書、問題集などから例文を抜き出す。

例文を具体的なイメージとして脳に描く。

例文から3語を抜き出し、ノートに書く。

翌日、ノートに書いた3語を見て、文章全体をフラッシュバックさせる。


・自分の好きなジャンル、テーマの新聞記事を日本語で読む。そしてイメージ化。

同じ関連記事を、英語で読む。


・英語ドラマのDVDを見ながら、聞き取った文章を書き出す。

文章の中で、意味の分からない単語を、英英辞典で調べる。

文章をレコーダーに吹き込み、ネイティブ発音と自分の発音の違いを比べる。

英英辞典で調べた単語と、単語の説明文をレコーダーに吹き込み、それぞれフラッシュバックできるようにトレーニングする。



★コメント
画期的な方法だ。色々試していきたい。


 

 



 

 



◆大山祐亮『外国語独習法』に注目します。



★ポイント


・ウサギではなく意識してカメになる


・机に座る勉強からはもう卒業する
「和訳だけ、作文だけ」の教科書はNG


・巻末の語彙集と変化表はマスト
教科書の一周目は「速く浅く」


・ノートは書き散らすためにある
文型優先型と活用優先型を知る


・「文の中心は動詞」が鉄則
写経は最強の暗記法と心得る


・フレーズ音読で暗記効果アップ
発音の鍵、「サンディ」を制する


・教科書選びから単語暗記まで、なぜ私たちは語学に躓いてしまうのか。
スラスラ読めてコツが身につく、「ここまでやればいい」がわかる。


・100の言語をあやつる若き天才学者による、外国語学習の決定書


・どんな言語にも使える
挫折知らずの
外国語独習50のルールを大公開


 

 




◆マーチン・ファン・クレフェルト『戦闘力。なぜドイツ陸軍は最強なのか』を読む



★訳者、塚本勝也氏の解説


・ドイツ軍は、
第二次世界大戦で、ポーランドを二週間で降伏させ、返す刀で大国フランスをわずか四二日間で陥落させた。
ドイツはその後もヨーロッパを席巻し、ナポレオン以来最大の版図を手中に収めた。


・また、ドイツの高度な科学力を活かして、優れた戦車や航空機だけでなく、ジェット機や弾道ミサイルなど、画期的な新兵器を生み出したこともその評価を高めるうえで寄与したことは間違いない。


・ドイツはその地理的位置から常に東西の二正面作戦を強いられており、
また国力という点でもその周辺国に対して圧倒的な有利に立っていたわけではなかった。


・それゆえ、物量面では常に不利な立場に置かれ、
それが苦境を打開する新たな戦術や兵器の開発を促したことは疑いない。


・ドイツ兵の個人的、あるいは集団的な特性がその強さに何らかの影響を与えたのではないだろうか。


・そうした問いに正面から取り組み、
ドイツ軍における主要な軍種であったドイツ陸軍における士官や下士官の採用、
教育、訓練、昇任、賞罰といった人間的な要素に着目したのが本書である。


・著者マーチン・ファン・クレフェルト教授は、
世界的に有名な戦略研究者であり、とりわけ軍事史の権威である。
クレフェルトは一九四四年にオランダで生まれ、
一九五〇年以降はイスラエルに居住している。


・博覧強記のクレフェルトの代表作の一つである本書は一九八二年に刊行され、
一九七八年に出版された『補給戦』に次ぐ古典に属する。
しかし、「戦闘力」とクレフェルトが呼ぶ、軍事力の人的要素に着目し、
その構成要素を実証的に分析した本書はいまだに色あせていないと考えられる。


・本書は古典とはいえ、ドイツ陸軍総体としての戦闘力を論じている点で、
その価値はいささかも低下していないと思われる。


・本書で着目する戦闘力の根源は、部隊を同郷の人間で固めたり、
指揮官や戦友との仲間意識を醸成したりするというものであった。


・偉大な戦略家であるカール・フォン・クラウゼヴィッツが指摘するように「戦争はカメレオン」であり、
技術を含めて常に変化するが、戦闘力の前提となるものは人間の本質に根差しており、
時代が変わっても変化しないとクレフェルトは主張する。


・ 戦争は他の手段を組み合わせた政治の継続であるが、
戦闘力は政治に部分的にしか依拠していない。


・ どのような政治体制であれ、軍隊は市民社会からの支持と尊敬を受けていることが重要である。
とりわけ現代でも事実上戦闘職種の大半を占める男性兵士が女性から支持され、
尊敬されていることが不可欠である。


★コメント
今こそ、こういう骨太の本を読むことで、
日本の防衛のレベルアップにつながる。


 

 



 

 




◆井上寿一『 戦争調査会 』を読み解く




★要旨


・敗戦後、幣原喜重郎内閣が立ち上げた国家プロジェクト、
それが「戦争調査会」。


・日本人自らの手で開戦、敗戦の原因を明らかにしようとしたものの、
GHQによって1年弱で廃止された、
知られざるプロジェクトは、いったいどのようにして始まったのか。


・1945年10月になると幣原は、「終戦善後策」を携えて、吉田茂外相を訪ねる。
この意見書を手渡して、幣原は吉田に考慮を求めた。
吉田は幣原を首相にする心積もりだった。


・後日マッカーサーの内諾を取りつけた吉田は、幣原に首相就任を要請した。
10月9日、幣原内閣が成立する。


・11月20日、幣原内閣は「大東亜戦争調査会官制」を閣議決定する。
「敗戦の原因及実相」を調査する政府部局が設置される。
この調査会は総裁・副総裁各1名、委員25名未満をもって組織し、
臨時委員を置くことができるようになっていた。


・総裁のポストと同等以上に重要だったのは、事務方のトップに当たる長官のポストである。
次田大三郎内閣書記官長は庶民金庫理事長の青木得三に依頼する。


・1909年に東京帝国大学を卒業して大蔵省に入省した青木は、
エリートコースを歩む。
課長クラスの時から論壇誌の『改造』に寄稿して、注目されていた。


・青木は戦争調査会で辣腕を振るう。
総裁候補者のところへ足を運び、説得する。
諸会議へもっとも熱心に出席する。
会議の議事進行を滞りなくおこなう。調査項目を指示する。
とびきり優秀な国家官僚の出身者ならではの行政手腕だった。


・事務局内の5つの調査室には常勤職員の調査官と嘱託が配置されて、
内閣事務官とともに調査に当たることになった。
調査の出張先は北海道から九州まで全国津々浦々である。


・別の内閣事務官は5月9日から11日間、
福岡と熊本に出張し、両県に所在する沖縄県事務所を訪れている。
沖縄県からの引揚者に対して、戦時中の沖縄の情況を聴取することが目的だった。


・新潟県に赴いたある内閣事務官は、国内油田開発に関する資料収集をおこなった。
戦争末期、南方からの航空機用燃料の輸送が困難に陥った。国内油田の開発が急務となる。
それにもかかわらず生産実績は進捗しなかった。
原因を探究する資料が必要だった。


・2月に長野県に出張したある調査官は、
「飯田町を中心とする下伊那郡に於ける中小工業に関し戦時中の運営状況並に之に対する統制実施状況調査」をおこなった。
調査官は調査の結果を翌3月の報告書にまとめた。
この調査報告は戦時下の中小工業の実情に関する第一級の分析を展開している。


・事務局の書類ファイルで確認できるだけでものべ40人が出張している。
戦争調査会はこのように大がかりな調査が下支えする各部会によって構成されていた。


・総会の議論を主導したのは幣原である。
幣原は冒頭、3つの基本方針を打ち出す。

第一に戦争調査会は「永続的性質」を帯びている。

第二に戦争犯罪者の調査は「別に司法機関とか或は行政機関」が担当すべきである。

第三に歴史の教訓を後世に遺し、
戦後日本は「平和的なる、幸福なる文化の高い新日本の建設」に邁進すべきである。


★コメント
やはり、戦後多くの検証、分析が行われたようだ。


 

 




◆春名幹男『世界を変えたスパイたち』を読み解く




★要旨


・ロシア情報機関、対外情報局(SVR)も、
2015年にDNCのネットワークをハッキングしている。
ロシアは、ウィキリークスのような外部組織も利用する大がかりな対米工作を展開していたのだ。


・2016年11月8日の米大統領選挙に向けて、
ロシア情報機関は活発に動いた。
特に、トランプが共和党の大統領候補指名を確実にした時点から、
プーチン関係者とトランプ陣営はせわしなく接触していた。


・トランプの娘婿、ジャレド・クシュナーもロシア側と再三接触している。
2016年4月と12月にキスリャク駐米ロシア大使、12月にはロシア国営「対外経済活動銀行(VEB)」のセルゲイ・ゴルコフ総裁と会談している。


・ゴルコフの経歴で疑問があるのは、かつてロシアに存在した大手石油会社「ユコス」に入り、副社長まで務めたことだ。


・トランプは2017年の大統領就任から2年間、
世界の5カ所でプーチン大統領と非公開の米露首脳会談を行ったことが公式発表で明らかにされた。
だが問題がある。
両首脳のやりとりの内容は米政府内でも一切明らかにされていないのである。


・このため外交安保政策を担当する米政府当局者でも、
CIAや世界最大の盗聴機関である国家安全保障局(NSA)などの情報機関に問い合わせ、
同時に会談後のロシア大統領府の対応に関する情報を参考に会話内容を類推するという奇妙な状態が続いている。


・トランプは会話の内容が公開されないよう極めて神経質になっていることが分かる。

 
・第1回の会談となった2017年7月7日のドイツ・ハンブルクでは、
トランプは会談後、通訳からノートを取り上げた上に、
聞いたことは誰にも口外してはならないと命じたという。


・トランプがこれほどの神経質な態度を示していることもあり、
ダン・コーツ元国家情報長官やストローブ・タルボット元国務副長官ら元米政府高官は、
「プーチンはトランプを操っている」との見解で一致している。


・プーチンとしてはまず、NATOの拡大を止めたい。
具体的にはウクライナのNATO加盟阻止、米国のウクライナへの軍事援助停止、
米国のNATO離脱を実現したいと考えてきたに違いない。


・プーチンは米国の支配体制を崩壊させようとしていると、
「エスタブリッシュメント」の米政府高官らは警戒している。

 
・しかし、トランプは「NATOからの離脱」と口にしただけで、ジョン・ケリー首席補佐官、
ジョン・ボルトン/ハーバート・マクマスター両補佐官(国家安全保障問題担当)らの猛反対に遭い、引き下がった。


・トランプはこれらエリート官僚を「ディープステート」と呼んでいる。意訳すれば「地下政府」とも言える。
「秘密結社」と誤解させて、陰謀論につなぐ意図があるかもしれない。

 
・トランプは今なおこの言葉を使い、
2025年1月からの第2期政権では、これらエリートを一掃して、新たに5000人の同志を入れるとも発言していた。


★コメント
世界は、激しく動いている。


 

 





◆宮下遼『オスマン帝国全史』を読み解く




★要旨


・およそ600年ものあいだ「世界史の中心」に君臨していたオスマン帝国。
多民族・多宗教の大帝国は、いかに栄え、そして滅びたのでしょうか。


・オスマン帝国とその世界に分け入ろうとするとき、踏まえるべき前提が3つある。
それは、その広大さ、地域多様性の保持、そして類稀な長命の3点である。


・13世紀末、
オスマンという名の1人の戦士がアナトリア半島の西北部に喊声を響かせて以来、
トルコ系のイスラーム教徒であったこのオスマンとその一族を主家と仰いだ。


・オスマン家に仕える文武の公僕たちによって統治され、
その支配が臣民たちによっても感得された広大な地域、
それがオスマン世界である。


・しかし、オスマン帝国の統治者たちは強力な軍事力によって征服したその土地から、
ただ財と人とを収奪するのではなく、
むしろ末永く支配すべく優秀かつ信頼のおける人材の獲得と
その養成という不断の努力を重ねた。


・さまざまな民族的出自を有し、
しかし一様に王朝に仕官する人々を繋ぐためのある1つの言語が形成された。
それはオスマン語と呼ばれる。


・オスマン語は、
トルコ語を基調としながらもアラビア語、ペルシア語などの語彙と文法が
ふんだんに取り込まれた高踏かつ難解な行政・芸術のための文語として発達した
このリングァ・フランカ(母語が異なる者たちの共通言語)こそが、
オスマン帝国の王朝正史を綴った。


・この国の統治者たちは治安が保たれ、
滞りなく納税が行われているのであれば、臣民たちの日常生活や信仰には立ち入ろうとしなかった。
その点で、オスマン帝国の支配は放任的であり、
寛容とも評され得る質を備えていた。


・こうした広大かつ多様でありながらも
緩やかなまとまりを有する1つの地域世界が成立し得たのは、
ひとえに帝国が623年に及ぶ長命を誇ったからにほかならない。


・国家の長命はやがて、人々の意識さえも変えていった。


・帝国が最後の半世紀を迎えようというころ、
もとはオスマンという一人物、一王家の名称に過ぎず、部族名でもなければ、
地域名でもなく、ましてや民族名でもなかったはずの固有名詞が
「オスマン人」という新たなナショナリティを生み出そうとする努力へ結びついていくのだ。


★コメント
永く続く国家やファミリーには、理由がある。
ひたすら研究して、自分の国家や家族に、応用したい。


 

 



◆峯村健司『あぶない中国共産党』を読み解く


橋爪大三郎さんとの共著

★要旨


・鄧小平の改革開放路線は、その後の中国の貧富の格差と、
深刻な汚職という大きな負債をもたらすことになりました。


・私が初めて中国に行った2005年は、
改革開放がピークに達していたといってもいいでしょう。
1か月ほど出張に行って北京に戻ってくると、
空き地にはビルの骨格ができているのがふつうでした。


・いっぽうで、改革開放の「負の遺産」も頂点に達していました。


・共産党や政府のほか、国有企業にまで汚職は蔓延しており、
地方の国有企業の幹部が一人あたり50億から60億円もの賄賂を受け取ったり、
横領して海外に逃亡したりしていました。


・さらに深刻なのは人民解放軍でした。


・実際には実施していない軍事演習をしたことにして費用を横領したり、
幹部が昇任するごとに
賄賂を求めたりする軍高官が後を絶ちませんでした。


・経済発展の矛盾が放置されていたのか。
その大きな理由は、
鄧小平の改革開放路線が中国における「第5の近代化(現代化)」を潰してきたからだと考えています。


・改革開放のアイデアやコンセプトは、
元をただせば1964年に周恩来が提唱した、
農業、工業、国防、科学技術の「4つの近代化」です。


・鄧小平の改革開放路線で「4つの近代化」は
進展しましたが、
5つ目の近代化、すなわち「政治の近代化=民主化」が完全に除外されていた。
そのことが、
中国に歪みが生まれた最大の原因だと思います。



・中国を理解するには、中国共産党の徹底的な理解が不可欠です。
中国共産党は「国家と人民を指導する」ことになっている。
憲法にもそう書いてある。


・でも日本では政府も、ビジネス界も、その研究が絶望的に立ち遅れている。


・1949年の新中国建国以来、どの政権になってもすべての政策は、
中国共産党の支配下にあります。


・たとえば中国の産業政策について知ろうとする時、
日本の経済産業省や外務省は、それぞれのカウンターパートの中国政府の商務部や外交部と対話をします。
しかし、
政府部門から政策の真意や意図を知ろうとしたところで、本質には迫れないのです。


・政府部門は政策執行機関に過ぎず、
重要な政策は共産党中央がすべて決めているからです。


★コメント
またまだ、中国の研究が足りないので、
本書を読み込み、
中国のエキスパートを目指したい。
◆伊藤敏『地図で学ぶ、世界史「再入門」』を読み解く


★要旨


・地図を読み解き、歴史を深読みしよう。


・地図を活用すれば、
文字や年表だけでは捉えにくい歴史の背景や構造が
鮮明に浮かび上がります。


・イギリスやフランス、オランダでは、
重商主義を進める過程で、商業や商人を保護します。
ここで問題なのは「商人には投資がつきもの」ということ。


・イギリスとフランスは、17世紀より海外市場をめぐって激しく争いました。


・イギリスとフランスの両国は、
北アメリカとインドにそれぞれ拠点を設置して進出しており、
双方の市場独占をめぐる対立が深刻になったのです。


・軍事力を背景に、ルイ14世は活発な侵略戦争を繰り返し、
これを阻止しようと他の列強諸国が同盟する、
という構図が形成されます。


・第1回十字軍に話を戻すと、
クレルモン教会会議での教皇の呼びかけは、
当時のヨーロッパの人々に熱狂をもって迎えられました。


・11世紀の後半になると、民族大移動が次第に落ち着きを見せ、
また気候の温暖化と農業の改良により、人口が増加したのです。


・死活問題だったのは領主たちで、
フランスを中心に長子相続が定着し始めると、
領主の次男以下は財産が分与されず、新天地に活路を見出したのです。
このため、十字軍で主力となったのは領主(教会や俗人を含めた聖俗諸侯)一族でした。


・十字軍は中世ではラテン語でPeregrinatioと呼ばれ、
これは「巡礼」を意味する言葉であり、必ずしも組織的な軍事行動とは限りません。


・また、イタリアの都市共和国ヴェネツィアが主導権を握った第4回十字軍(1202)では、
東ローマ帝国を一時滅ぼし、十字軍国家であるラテン帝国を打ち立てるなど、
次第に宗教的な目的から逸れた動向が目立つようになります。


・古代や近代といった時代区分には、
それぞれの時代を特徴づける大枠があり、これを「システム(世界システム)」といいます。


・古代の場合、これら領域国家や商業民族ですら、
一つの政治体に統合されていくのです。
それが、古代を特徴づけるシステムである、「世界帝国」です。


・王国は「(ほぼ)単一民族の国家」です。
無論、国王(君主)の存在は不可欠ですが、
その国家を構築する民族は、その大多数が同一の言語を扱う民族である、
といえます。


・一方で、帝国は「多民族国家」、
すなわち、様々な民族(あるいは言語・文化集団)を支配下に置く広域国家です。


★コメント
やはり、さまざまな視点から
歴史を見ると面白い。