◆春名幹男『世界を変えたスパイたち』を読み解く




★要旨


・ロシア情報機関、対外情報局(SVR)も、
2015年にDNCのネットワークをハッキングしている。
ロシアは、ウィキリークスのような外部組織も利用する大がかりな対米工作を展開していたのだ。


・2016年11月8日の米大統領選挙に向けて、
ロシア情報機関は活発に動いた。
特に、トランプが共和党の大統領候補指名を確実にした時点から、
プーチン関係者とトランプ陣営はせわしなく接触していた。


・トランプの娘婿、ジャレド・クシュナーもロシア側と再三接触している。
2016年4月と12月にキスリャク駐米ロシア大使、12月にはロシア国営「対外経済活動銀行(VEB)」のセルゲイ・ゴルコフ総裁と会談している。


・ゴルコフの経歴で疑問があるのは、かつてロシアに存在した大手石油会社「ユコス」に入り、副社長まで務めたことだ。


・トランプは2017年の大統領就任から2年間、
世界の5カ所でプーチン大統領と非公開の米露首脳会談を行ったことが公式発表で明らかにされた。
だが問題がある。
両首脳のやりとりの内容は米政府内でも一切明らかにされていないのである。


・このため外交安保政策を担当する米政府当局者でも、
CIAや世界最大の盗聴機関である国家安全保障局(NSA)などの情報機関に問い合わせ、
同時に会談後のロシア大統領府の対応に関する情報を参考に会話内容を類推するという奇妙な状態が続いている。


・トランプは会話の内容が公開されないよう極めて神経質になっていることが分かる。

 
・第1回の会談となった2017年7月7日のドイツ・ハンブルクでは、
トランプは会談後、通訳からノートを取り上げた上に、
聞いたことは誰にも口外してはならないと命じたという。


・トランプがこれほどの神経質な態度を示していることもあり、
ダン・コーツ元国家情報長官やストローブ・タルボット元国務副長官ら元米政府高官は、
「プーチンはトランプを操っている」との見解で一致している。


・プーチンとしてはまず、NATOの拡大を止めたい。
具体的にはウクライナのNATO加盟阻止、米国のウクライナへの軍事援助停止、
米国のNATO離脱を実現したいと考えてきたに違いない。


・プーチンは米国の支配体制を崩壊させようとしていると、
「エスタブリッシュメント」の米政府高官らは警戒している。

 
・しかし、トランプは「NATOからの離脱」と口にしただけで、ジョン・ケリー首席補佐官、
ジョン・ボルトン/ハーバート・マクマスター両補佐官(国家安全保障問題担当)らの猛反対に遭い、引き下がった。


・トランプはこれらエリート官僚を「ディープステート」と呼んでいる。意訳すれば「地下政府」とも言える。
「秘密結社」と誤解させて、陰謀論につなぐ意図があるかもしれない。

 
・トランプは今なおこの言葉を使い、
2025年1月からの第2期政権では、これらエリートを一掃して、新たに5000人の同志を入れるとも発言していた。


★コメント
世界は、激しく動いている。


 

 





◆宮下遼『オスマン帝国全史』を読み解く




★要旨


・およそ600年ものあいだ「世界史の中心」に君臨していたオスマン帝国。
多民族・多宗教の大帝国は、いかに栄え、そして滅びたのでしょうか。


・オスマン帝国とその世界に分け入ろうとするとき、踏まえるべき前提が3つある。
それは、その広大さ、地域多様性の保持、そして類稀な長命の3点である。


・13世紀末、
オスマンという名の1人の戦士がアナトリア半島の西北部に喊声を響かせて以来、
トルコ系のイスラーム教徒であったこのオスマンとその一族を主家と仰いだ。


・オスマン家に仕える文武の公僕たちによって統治され、
その支配が臣民たちによっても感得された広大な地域、
それがオスマン世界である。


・しかし、オスマン帝国の統治者たちは強力な軍事力によって征服したその土地から、
ただ財と人とを収奪するのではなく、
むしろ末永く支配すべく優秀かつ信頼のおける人材の獲得と
その養成という不断の努力を重ねた。


・さまざまな民族的出自を有し、
しかし一様に王朝に仕官する人々を繋ぐためのある1つの言語が形成された。
それはオスマン語と呼ばれる。


・オスマン語は、
トルコ語を基調としながらもアラビア語、ペルシア語などの語彙と文法が
ふんだんに取り込まれた高踏かつ難解な行政・芸術のための文語として発達した
このリングァ・フランカ(母語が異なる者たちの共通言語)こそが、
オスマン帝国の王朝正史を綴った。


・この国の統治者たちは治安が保たれ、
滞りなく納税が行われているのであれば、臣民たちの日常生活や信仰には立ち入ろうとしなかった。
その点で、オスマン帝国の支配は放任的であり、
寛容とも評され得る質を備えていた。


・こうした広大かつ多様でありながらも
緩やかなまとまりを有する1つの地域世界が成立し得たのは、
ひとえに帝国が623年に及ぶ長命を誇ったからにほかならない。


・国家の長命はやがて、人々の意識さえも変えていった。


・帝国が最後の半世紀を迎えようというころ、
もとはオスマンという一人物、一王家の名称に過ぎず、部族名でもなければ、
地域名でもなく、ましてや民族名でもなかったはずの固有名詞が
「オスマン人」という新たなナショナリティを生み出そうとする努力へ結びついていくのだ。


★コメント
永く続く国家やファミリーには、理由がある。
ひたすら研究して、自分の国家や家族に、応用したい。


 

 



◆峯村健司『あぶない中国共産党』を読み解く


橋爪大三郎さんとの共著

★要旨


・鄧小平の改革開放路線は、その後の中国の貧富の格差と、
深刻な汚職という大きな負債をもたらすことになりました。


・私が初めて中国に行った2005年は、
改革開放がピークに達していたといってもいいでしょう。
1か月ほど出張に行って北京に戻ってくると、
空き地にはビルの骨格ができているのがふつうでした。


・いっぽうで、改革開放の「負の遺産」も頂点に達していました。


・共産党や政府のほか、国有企業にまで汚職は蔓延しており、
地方の国有企業の幹部が一人あたり50億から60億円もの賄賂を受け取ったり、
横領して海外に逃亡したりしていました。


・さらに深刻なのは人民解放軍でした。


・実際には実施していない軍事演習をしたことにして費用を横領したり、
幹部が昇任するごとに
賄賂を求めたりする軍高官が後を絶ちませんでした。


・経済発展の矛盾が放置されていたのか。
その大きな理由は、
鄧小平の改革開放路線が中国における「第5の近代化(現代化)」を潰してきたからだと考えています。


・改革開放のアイデアやコンセプトは、
元をただせば1964年に周恩来が提唱した、
農業、工業、国防、科学技術の「4つの近代化」です。


・鄧小平の改革開放路線で「4つの近代化」は
進展しましたが、
5つ目の近代化、すなわち「政治の近代化=民主化」が完全に除外されていた。
そのことが、
中国に歪みが生まれた最大の原因だと思います。



・中国を理解するには、中国共産党の徹底的な理解が不可欠です。
中国共産党は「国家と人民を指導する」ことになっている。
憲法にもそう書いてある。


・でも日本では政府も、ビジネス界も、その研究が絶望的に立ち遅れている。


・1949年の新中国建国以来、どの政権になってもすべての政策は、
中国共産党の支配下にあります。


・たとえば中国の産業政策について知ろうとする時、
日本の経済産業省や外務省は、それぞれのカウンターパートの中国政府の商務部や外交部と対話をします。
しかし、
政府部門から政策の真意や意図を知ろうとしたところで、本質には迫れないのです。


・政府部門は政策執行機関に過ぎず、
重要な政策は共産党中央がすべて決めているからです。


★コメント
またまだ、中国の研究が足りないので、
本書を読み込み、
中国のエキスパートを目指したい。
◆伊藤敏『地図で学ぶ、世界史「再入門」』を読み解く


★要旨


・地図を読み解き、歴史を深読みしよう。


・地図を活用すれば、
文字や年表だけでは捉えにくい歴史の背景や構造が
鮮明に浮かび上がります。


・イギリスやフランス、オランダでは、
重商主義を進める過程で、商業や商人を保護します。
ここで問題なのは「商人には投資がつきもの」ということ。


・イギリスとフランスは、17世紀より海外市場をめぐって激しく争いました。


・イギリスとフランスの両国は、
北アメリカとインドにそれぞれ拠点を設置して進出しており、
双方の市場独占をめぐる対立が深刻になったのです。


・軍事力を背景に、ルイ14世は活発な侵略戦争を繰り返し、
これを阻止しようと他の列強諸国が同盟する、
という構図が形成されます。


・第1回十字軍に話を戻すと、
クレルモン教会会議での教皇の呼びかけは、
当時のヨーロッパの人々に熱狂をもって迎えられました。


・11世紀の後半になると、民族大移動が次第に落ち着きを見せ、
また気候の温暖化と農業の改良により、人口が増加したのです。


・死活問題だったのは領主たちで、
フランスを中心に長子相続が定着し始めると、
領主の次男以下は財産が分与されず、新天地に活路を見出したのです。
このため、十字軍で主力となったのは領主(教会や俗人を含めた聖俗諸侯)一族でした。


・十字軍は中世ではラテン語でPeregrinatioと呼ばれ、
これは「巡礼」を意味する言葉であり、必ずしも組織的な軍事行動とは限りません。


・また、イタリアの都市共和国ヴェネツィアが主導権を握った第4回十字軍(1202)では、
東ローマ帝国を一時滅ぼし、十字軍国家であるラテン帝国を打ち立てるなど、
次第に宗教的な目的から逸れた動向が目立つようになります。


・古代や近代といった時代区分には、
それぞれの時代を特徴づける大枠があり、これを「システム(世界システム)」といいます。


・古代の場合、これら領域国家や商業民族ですら、
一つの政治体に統合されていくのです。
それが、古代を特徴づけるシステムである、「世界帝国」です。


・王国は「(ほぼ)単一民族の国家」です。
無論、国王(君主)の存在は不可欠ですが、
その国家を構築する民族は、その大多数が同一の言語を扱う民族である、
といえます。


・一方で、帝国は「多民族国家」、
すなわち、様々な民族(あるいは言語・文化集団)を支配下に置く広域国家です。


★コメント
やはり、さまざまな視点から
歴史を見ると面白い。


 

 



◆蔵研也さん訳『ミレイと自由主義革命。世界を変えるアルゼンチン大統領』を読む




ニコラス・マルケス著
自由主義研究所、編。


★ポイント


・ハビエル・ミレイは
2023年12月にアルゼンチン大統領に就任してから、
わずか1年あまりの間に世界的に高く評価される改革を成し遂げています。


・アルゼンチンの快進撃は、
ハビエル・ミレイ一人の力だけで成し遂げられたわけではありません。
改革の初期に経済が悪化したときでも政権を信じ、
支え続けた国民がいたからこそ、
成果が出るまで改革を続けることができたのです。


・自由主義には段階がある。
ミレイは自身の思想を「無政府資本主義」だと公言しているが、
政策としてはより現実的な「古典的自由主義」や「最小国家」を目指している。


・.「今までの左翼政権のすべてがアルゼンチンの衰退の原因」とし、
痛みを伴っても「自由主義」での改革の必要性を訴えたミレイが
国民の支持を得て大統領に選出された。


・ハビエル・ミレイの台頭を、
「文化の戦い」という概念を使わずに理解することは難しい。


・文化そのものが
政治的対立の本質であるということだ。



・文化の戦いは極めて多様な分野で繰り広げられているのである。
ハビエル・ミレイの最大の強みは、
こうした文化の戦いを深く理解していることだ。


・ミレイはリバタリアンの経済学者として、
問題の根源が文化にあると判断した。


・アルゼンチンの経済的惨状は、
肥大化した無秩序な「国家介入主義」の産物であり、単なる経済政策の転換だけでは解決できないと考えたのだ。
同時に、その略奪と惨状を維持してきた「政治カースト」の
覇権的・社会主義的な枠組みを撤廃する必要がある。


・ミレイは社会学者や人類学者ではないが、
オーストリア学派の多くの理論を熟知している。


・ミレイは経済が政治や文化といった
他の社会システムと相互に関連していることを十分に理解しているのだ。


・ミレイの文化の戦いには、
従来の政治的・選挙的な戦いとは全く異なる論理がある。


・彼は、生命や自由、財産などの基本的価値や権利に強くコミットしており、
世論調査やフォーカス・グループの意見に左右されることはない。


★コメント
アルゼンチンの事例は、
日本においても、参考になる。
多くの点で、日本の政策に転用していきたい。


 

 



◆蔵研也さん訳『ミレイと自由主義革命。世界を変えるアルゼンチン大統領』に注目します。




ニコラス・マルケス著
自由主義研究所、編。


★ポイント


・なぜアルゼンチンの国民は、
世界で初となる「リバタリアン」の大統領を選んだのか
なぜミレイの言葉を信じ、支え続けたのか


・そもそもミレイの信じる「自由主義」とは何なのか。
ミレイが属する「オーストリア経済学派」とは一体どのようなものなのか


・ミレイが重要だと語る「文化の戦い」とは何なのか。
自由主義者と保守主義者は、どのように共闘したのか。


・左傾化・社会主義化に拍車がかかり、
経済停滞が続き、一人当たりGDPも低下の一途をたどっている現在の日本こそ、
アルゼンチンの「自由主義革命」に学ぶべきではないだろうか。


・本書は二部構成で、
ニコラス・マルケス氏による第一部は「アルゼンチンの近現代史」と
「ミレイの登場と躍進、そして大統領選挙」。


・マルセロ・ドゥクロス氏による第二部は「ミレイと自由主義思想、
特にオーストリア学派経済学」がテーマとなっている。


・かつては先進国だったアルゼンチンは、
社会主義による汚職や腐敗が進行して自由な経済活動が衰退したことにより、
貧困国へ転落した。


・それを「自由主義(リバタリアニズム)」により大改革を断行しているのが、
2023年12月に大統領になったハビエル・ミレイである。


・ミレイは大統領に就任後、すぐに財政の立て直しをはかり、
ハイパーインフレの怖れのあったアルゼンチン経済を急速に回復させている。
しかし、アルゼンチンの大改革は、ミレイ一人の力だけで成し遂げられたわけではない。


・改革の初期に経済が悪化したときでも政権を信じ、
支え続けた国民がいたからこそ、

成果が出るまで改革を続けることができたのだ。



 

 

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◆ジェイコブ・ソール『自由市場の世界史』を読む。


ジェイコブ・ソールは、
著書『帳簿の世界史』で有名。



★要旨


・自由市場は確固たる証拠よりも、
情熱や欲望によって動かされることが少なくない、
という事実だ。


・フランスには、国立銀行と紙幣が必要、
だというジョン・ローの言葉は、正しかった。


・驚くべきことに、
自己維持的な自由市場の哲学は、
ルイ14世の破産した夢の国ベルサイユにおいて
復活することになる。


・アレクサンダー・ハミルトンは、
フランスの農村を中央集権的な徴税制度、
統一された度量衡、
国家補助で整備された交通網によって
大規模な産業地域へと変貌させたコルベールの成功を
称賛した。


・大胆でときには無謀でさえあったハミルトンは、
有能な政府経営者であり、
アメリカという若い国に適用するための
明確な経済ビジョンを持っていた。


・有名なスコットランドの経済理論家で、
賭博しでもあったジョン・ローについての噂は、
デレマの耳にも入っていた。


・デレマは、
コルベールの甥でフランスの財務総監であった。


・ジョンローは、現代の市場ツールを先見していた。
彼は銀や土地の価値に連動した紙幣の発行を提案した。


・スコットランド人のローと、
フランス人の摂政のオルレアン公フィリップ2世は、
パリの上流階級向けの賭博場で出会った。


・ローは、新しく西方会社を設立。


・1719年には、ローの会社は、
フランス東インド会社や中国会社を吸収して、
奴隷などの植民地貿易から利益を得る
グローバルな金融コングロマリット、
インド会社となった。


・自身の考案した市場計画は、
完璧であるとローは主張した。


・その推進力となるのは、
信用、
安定した貨幣供給、
ミシシッピ川の無限の富、
そしてビジネスに友好的かつ絶対的な権限を持ち、
減税の実現を目指す王政であった。
ただし、ひとつの問題があった。
これは、ポンジスキームだった。


★コメント
経済から世界史をみると、
新しい発見がある。


 

 


◆渡瀬裕哉『トランプ凱旋!』を読み解く


サブタイトル
→「アメリカの現在がわかれば、日本の未来がわかる」


★要旨


・トランプは、とことん現実主義的な経営者なり。
主義主張ではなく、役に立つ者を選ぶ。


・トランプの言動を見聞きすればするほど、
「過去の大統領とくらべて俺のほうが凄い」
という実績を残すことが、
トランプの行動原理となっているように思う。


・FOXなど保守系のメディアが
伸びているとはいえ、
大手メディアの多くは左派が占める。
トランプ圧勝となった背景には、
ソーシャルメディアの存在が大きい。


・アメリカ国民は、
左派の主張にうんざりしていて、
ポリコレに庶民が勝ったという構図が、今回の大統領選。


・アメリカも縁故社会であり、
上層階級ほど閨閥を重視している。
日本と同じ。


・共和党と民主党の戦いは、
選挙のルールづくりから始まっている。
州ごとに独自に選挙のルールを決められる。


・日本は自立を求められ、
インド太平洋諸国との繋ぎ役を期待されるだろう。
アジアに関して、
米国が日本に頼る場面が増える。


・日本は、米中の経済悪化に備えて、
減税&規制緩和すべし。


・アメリカ人の多くは株を持っているので
企業の法人税が下がって株価が上がれば庶民も喜ぶ。


・いま、
中南米諸国のほとんどが左派政権なので、
これを親米政権に戻すことが急務なり。
トランプ政権は、
不法移民対策と同時に、
中南米国家の立て直しを図るであろう。


・第二次トランプ政権は「トランピスト政権」なり。
トランピストとは、トランプ個人を支持する団体。
MAGAグループ。


★コメント
トランプ政権の基本方針は何かを

よく理解できる貴重な一冊である。



 

 



 

 



 

 




 

 




◆大西康之『起業の天才。江副浩正』を読み解く




副題
→8兆円企業リクルートをつくった男


★要旨


・東京大学在学中にリクルートを創業し、
グループ27社を擁する大企業に育てた江副浩正氏。


・1989年に「リクルート事件」で逮捕されるまで、
卓越したベンチャー経営者として脚光を浴び、
没後10年を過ぎた現在も高い評価が聞かれる。


・数学教師の息子に生まれた江副は、
誰にも経営やビジネス・マナーを教わっていない。


・祖父は佐賀の公務員であり、知り合いに商家の人間はいない。


・江副自身も大学を卒業してすぐ起業したのでサラリーマンの経験がない。

 
・会社を立ち上げて間もないころ、
マミヤ光機(現・マミヤ・オーピー)の創業一族で、
同級生だった菅原茂世(すがわらしげよ)に勧められてピーター・ドラッカーの『現代の経営』を読んだ。


・たちまち江副は、
マネジメントの神髄を説くドラッカーを「書中の師」と仰ぐようになる。


・自分が作った小さな会社で、
師が唱える「近代経営のマネジメント」を純粋に実践した。


・学園紛争で燃え上がったキャンパスでマルクス主義に傾斜することなく、
生きるためにアルバイトに精を出していた江副もまた、
理念より「神の見えざる手」を信奉する者のひとりだった。

 
・江副は『企業への招待』(のちの『リクルートブック』)で稼いだ利益を、
自社の人材確保に惜しみなく注いだ。
工場を持たないリクルートにとって、唯一(ゆいいつ)の生産設備は人材である。


・採用と教育に法外なカネをかけ、
日本リクルートセンターという柵(さく)の中にせっせと優秀な人材を囲い込んだのだ。


・江副は自分を含めた社員に対して
「こうしろ」とは言わない。
社員が常々、不満を持っている事業や、
自分が「やってみたい」とか
「変えなければいけない」と思っている事柄について
「君はどうしたいの?」と問いかけるのだ。


★コメント
過去にも、江副さんのような、
元気な起業家がいたことを忘れてはならない。


 

 




◆保阪正康『田中角栄の昭和』を読み解く




★要旨


・田中角栄のもっとも大きな特性は、
その記憶力にある。


・田中のインタビュー記事、あるいは口述筆記した内容を検証していて驚かされるのは、
日時、場所、人名などが
すべて記憶のファイルにしまいこまれているかのようなのだ。


・40年前の出来事をスラスラと語る。


・日時、場所、人名などが縦横にでてくる。
まるで目の前に「現実」が浮かんでくるかのような話しぶりだ。
話の内容が微細な事実に及べば及ぶほど、
それは説得力をもっているかのように思える。


・田中のこういう記憶力を駆使した話法を解析してすぐに気づくことがある。
それは柳田国男や宮本常一のまとめた民俗学、
あるいは民俗誌、生活誌の書の中に登場する庶民の語り口ときわめて似ているという事実だ。


・記憶するというのではなく、生活の智恵を獲得することで現実社会を遊泳してきた者は特別の苦労もなく、
人名や日時などを覚えてしまうのだ。


・それを仲間うちで語り継ぐことによって、
しだいに記憶の中に刷り込まれていったのではないかと思えるのである。


・戦後の政党づくりは、
資金面に関しては政治家たちは無定見、無原則、無節操そのものであった。
現金があればいい、その出所は問わないというのである。


・社会党とて、その資金は旧華族の徳川義親の提供によって結成された。
田中もまた軍需で獲得した利益を還流させたのである。

 
・田中の証言には、このような事実や当時の背景が一切語られていない。
田中の話法は、むしろこうした構図を気づかせまいとしているかのように巧妙である。
徹底して自らの体験を麗句で飾るようにして語り継ぎ、
むしろ本質をはぐらかす一助として日時、場所などの細部が語られている。


・田中は、このようなテレビ受信機ブームを
演出した政治家としても家電業界に名をのこすことになる。


・田中が情報操作に「卓越した能力」を発揮する素地もこのときに固まった。
ここで私のいう「卓越した能力」とは、テレビ放送事業そのものを意のままに動かすという手法を
つくりあげたということでもある。


・郵政大臣を経験したあとの総選挙では、
田中は前回の5万5千票に3万票以上も上積みした8万6千票を集めた。


・10年余の代議士生活で、田中は選挙区内で支援者に、
ささやかな利益誘導から始まって、東京見物というお土産つきのバス旅行まで、
多くの利益を与えつづけたのだが、そのような目に見える形の利益に加えて、
新たに「庶民政治家」「実行力ある政治家」というイメージが加速度的にふり撒かれた。


★コメント
角さんの経済政策や金融政策はイマイチであったが、
組織の動かし方は、抜群であったようだ。

その点は、見習いたい。