◆大山祐亮『外国語独習法』を読み解く




★要旨


・語学力のすべてのピースはつながっています。
仮に読むことだけが目的であったとしても、
読む練習以外の勉強もしたほうが最終的には実りある結果を生みます。


・語学においては挫折さえしなければ、
いくら間違えようが、混同しようが、大した問題ではありません。
最終的に上達につながりさえすれば良いのです。



・世界のどの言語も、程度の差こそあれ、
まわりの他の言語からいくつもの単語を輸入して使っています。
単語を輸入して使うことを言語学の用語で「借用」といいます。


・言語の語彙は、さまざまな由来をもつ単語が同居している「語源のるつぼ」です。


・さまざまなことばが絡み合った状態を少しずつ解き、
同じ起源に由来する単語のグループをまとめてみるという作業は、
単に「暗記しなきゃっ!」
と気合で機械的に覚える作業より楽しいです。


・私はもう「人間というのは忘れるものだ」
と開き直って、
忘れるたびに辞書や自作の語彙集を見ることにしています。


・音読で単語の暗記をするときにもいくつか注意点があります。
まずひとつは、単語だけ繰り返して音読するのは効果が薄いということです。


・ものを暗記するときには、何かと紐づけて覚えるのが王道です。


・単語だけ単独で見聞きして理解しなければならないという場面はほとんどありません。
そう考えると、単語は例文やフレーズ単位で音読して覚えるほうがいいのです。


・休日などで時間に余裕があって、今日は腰を据えて勉強しようという場合には、
まずはテクストや単語の書き取りか音読から始めましょう。


・読む・聞くではなく、書く・話すという単純作業です。難しいことは考えず、
適度に手や口を動かす機会のあるものが良いウォーミングアップになります。


・だんだん無心になってくる


・私は、1時間以上勉強する日にはウォーミングアップとして文章の書き写しから始めます。
題材には初級の教科書の読解用テクストや、
研究の一環として精読したい文章を使っています。


・書き始めのうちはおっくうに感じるのですが、
そのうち無心に近い状態で書けるようになってきます。


★コメント
語学を学ぶ楽しさを知った。
いろいろ試したい。


 

 



 

 




◆松本佐保『ローマ教皇とバチカン 2000年の謎』に注目します。




★ポイント


・本誌では、映画のテーマでもあるローマ・カトリックの教皇選挙「コンクラーベ」や、
聖職叙任権を巡るローマ教皇と神聖ローマ帝国皇帝の有名な対立「カノッサの屈辱」などに触れながら、
作品の背景を理解するのに役立つ、
ローマ教皇とバチカンの連綿たる歴史や制度を徹底解説。


・ベールに包まれた「謎」がまるっとわかる一冊です。


★松本佐保さん略歴

聖心女子大学卒業(歴史学)学士。
90年慶應義塾大学大学院文学研究科・修士号。

96年英国ウォーリック大学大学院・国際政治史博士号(PhD)。


イタリア政府給費留学生として、
バチカン使徒文書(機密文書)館で調査、ローマ教皇研究を行う。

名古屋市立大学大学院・人間文化研究科・教授を経て、
現在、日本大学・国際関係学部・教授。

専攻は国際政治史・比較文化論(英米日、イタリア、バチカン政治・外交・文化史)。


 

 





◆徳安茂『インテリジェンス大国バチカンの政治力』を読み解く
(なぜローマ教皇は世界を動かせるのか)



★要旨


・自分の言葉で話す、原稿を読まない教皇。


・少数精鋭のスピード外交と忍耐外交。


・世界中に張り巡らせれた情報ネットワーク。


・バチカンが誇るソフトパワー。


・欧州の歴史はバチカンが中心。


・欧州動乱の裏にバチカンあり。


・日本製品がバチカンの運営を下支えする。


・フランシスコ教皇の人気の秘密は、
類まれなるコミュニケーション能力もその一つに違いない。


・彼の原稿に頼らず、聞き手の目を見ながら直接、
自分の言葉で話しかけるというスタイルは、
とくに国際ジャーナリストの間では大好評である。


・ワインのような老人力。


・バチカンの世界にあっては、神童の天才性より、
老人の成熟と経験がより重要な意味をもつのである。


・あるワイン通のバチカン外交官は70歳であった。
彼はこう言っていた。
「最高品質のワインをつくるためには長い年月を必要とする。
私は自分自身を『熟成を続けるオールド・ヴィンテージ・ワイン』
だと思っている。
もちろんフレンチではなく、イタリアンだがね」


・世界中に張り巡らされた情報ネットワーク。
法王庁には、正式な外交使節からの情報のみならず、
世界各地に根を張った司教区や末端の教会から
上がってくる膨大な情報が蓄積させている。


・問題のある国においても
チャンネルを閉ざすことなく、
困難な活動を継続するバチカンの姿勢は、
宗教的な信念に下支えされているにせよ、
実利的な外交資産をともなっている。


・北朝鮮におけるバチカンの情報収集能力は
隠れた宝の山ともいえる。


・一見すると、さほど意味のない情報をつなぎ合わせ、
これまで得られた知見も加味して分析を施し、
「商品」に仕上げるのがインテリジェンスに携わる者の
腕の見せ所である。



★コメント
改めて、バチカンの隠れた情報力を垣間見た。
情報力には、歴史の積み重ねが大切だ。



 

 



 

 




◆清水唯一朗『内務省』を読み解く




★要旨


・太政官政府における内務卿となった面々は、
知らぬ者がない著名な政治家ばかりである。
大久保利通、木戸孝允、伊藤博文、松方正義、山田顕義、山県有朋と、
太政官政府の参議や、内閣制度下で首相となる者が並ぶ。


・太政官政府における内務省の高い政治的位置が見て取れる。


・創設者である大久保のあとは伊藤が継いだ。
巨大官庁を背負って近代化を進めていた大久保の死は、
明治政府に再度の政治的混乱を予想させるものであった。
しかし、実際にはこののち2年ほど政治は安定を見せる。


・伊藤は大久保が台湾出兵の戦後処理で清国に渡航した際も内務卿を務めており、
その継承は順当であった。


・伊藤は2年弱で内務卿を退き、松方正義にその座を譲った。
このため、外見上、伊藤の任期はごく短い。
しかし、実際には伊藤は内務省担当の参議として省内外で奔走した。


・実際に比して影の薄い伊藤に対して、
そのライバルとなる山県有朋は圧倒的な存在感を持つ。


・山県は1883年から実に6年半にわたって内務卿、初代内相を務め、
市制・町村制、府県制・郡制といった地方制度の基礎を固めた。


・山県といえば陸軍軍人のイメージが強いが、
この経験を通じて山県は内務省を起点に内政、文官へ影響力を広げていった。


・議会政治が始まり、内務省の役割が地方行政から地方政治へと拡大したことで、
政党の関係を調整しうる能力と人脈が重視されたことが窺える。


★コメント
かつての内務省の名残りは、
現代の官僚組織にも通じる。
研究したい。

◆村野将『米中戦争を阻止せよ』を読み解く


副題→「トランプの参謀たちの暗闘」


★要旨


・日米の戦略を論じるにあたり、岡崎久彦大使は、無視することができない存在である。


・筆者は、岡崎大使から直接教えを乞うことができた最後の世代であり、2014年に大使が亡くなるまでの8年間、ほぼ毎日のように情勢分析についてやりとりする機会に恵まれた。


・これは筆者にとってかけがえのない財産となっている。


・情報の分析や戦略を論じる上で岡崎大使から教わったことはたくさんある。


・情報分析の仕事を手伝うようになって最初に言われたのが、

「あなたは日々のストレートニュースは追わなくていい。
それはプロの記者やメディアの仕事だ。

僕らの仕事は、専門家が書いた論説や論文を読み込んで、それに対する自分の考えをまとめることだから」

ということだった。


・単なる情報ではなく、政策判断に資する情報であるためには、そこに何らかの思索が加わっていなければならない。


・そしてそれらの思索や論文に対して、その都度自分なりの肯定的意見や批判を加えていくことで、初めていざということきの判断に役立つ材料になる、

という趣旨だった。


・振り返れば、岡崎大使に促されて始めた思索の繰り返しが、筆者にとって米国の戦略コミュニティへの最初の入り口だったように思う。


・一方的な質疑応答と双方向の意見交換とでは、議論の深まり方に雲泥の差がある。


・こちらも当事者意識を持って自分の考えをぶつけると、彼らはまだ結論に辿り着いていない生煮えの問いを返してくれることがある。

これが、日米が直面している政策課題をどう解決していくかという共同作業の出発点となる。


★コメント
研ぎ澄まされた村野氏の文章に、学ぶ点が多すぎる。熟読したい。


 

 

 

 


◆岡崎久彦『情報戦略のすべて』を読み解く


★要旨


・私は戦略論を論じてきたが、煎じ詰めればそれは情報論である。

何か問題があって解決しようと思ったとき、問題点が全て見えて、
整理されていれば、それを解決する方策は、おのずから道筋が見えてくる。
それが私の戦略論だ。



・情報の処理は、まず収集、ついで整理分析、最後に伝達で終わる。

真っ先に申し上げたいことは、情報事務の基本は、
公開情報の分析能力にあるということ。




・情勢判断において、専門家の意見を尊重すべし。
専門家というのは、特定の地域なら地域について、土地勘もあり、
入手可能なあらゆる事実と過去の経緯を知っている人たちである。


・土地勘のある専門家というのは貴重なもの。
一つの国について入手できるあらゆる刊行物を読み、
過去数年の出来事の日誌が頭に入っていると、おのずから、
情勢の流れの中に目に見えない筋が見えてくるもの。


このことは専門家だけでなく、情報事務の管理者にとっても同じで、
部下の作った要領だけに頼ることなく、なるべく多くの原典を読んで、
その紙背に徹することが大切。



・文化革命を予言し、ソ連のチェコ侵入を予言したヴィクター・ゾルザは、
決して秘密の情報は読まず、共産圏の公開資料を1日9時間読んでいました。
ですから旅行すると失われた時間を取り戻すのが大変だと言って、
ほとんど旅行もせず、今までに本を1冊も書いていない。


・国際情勢は「一寸先は闇」ということを何時も忘れないこと。



・歴史的ビジョンを持て。
国際政治の原則には千古不易のものがあるという
しっかりとした歴史観を持っていることが必要だ。
「人間が人間であり、国家が国家である以上」孫子やマキャベリの言った真理は、
現在でも適用される。


・各情報機構のセクショナリズムに捉われない、
真に国家的な観点から取り上げられ、分析された情報こそが、
政策判断に必要な情報である。

要は情報の多様化を認める寛大さ、柔軟さと、
情報機関の間におけるフェア・プレイの精神を確立すること。




★コメント
大局観や歴史観は、情報マンにとって欠かせない。
現在におけるビジネスや社内外の関係において、歴史の教訓は応用できる。
ビジネスにおける根回し、調整、後方支援は、
偉人たちのうまいやり方を真似できる。



 

 


 

 



◆藤永丈司『超速・英語プログラム』を読み解く


★要旨


・赤ちゃんが語学を習得する時の流れに逆らわず、別の方法で脳に第二言語として、英語回路を作る。


・耳から入ってきた英語を和訳するのでなく、イメージ化、映像化する。


・2万5000語の英語に触れた瞬間、意味、発音、文脈などが、すべてフラッシュバックする。


・英語の参考書、問題集などから例文を抜き出す。

例文を具体的なイメージとして脳に描く。

例文から3語を抜き出し、ノートに書く。

翌日、ノートに書いた3語を見て、文章全体をフラッシュバックさせる。


・自分の好きなジャンル、テーマの新聞記事を日本語で読む。そしてイメージ化。

同じ関連記事を、英語で読む。


・英語ドラマのDVDを見ながら、聞き取った文章を書き出す。

文章の中で、意味の分からない単語を、英英辞典で調べる。

文章をレコーダーに吹き込み、ネイティブ発音と自分の発音の違いを比べる。

英英辞典で調べた単語と、単語の説明文をレコーダーに吹き込み、それぞれフラッシュバックできるようにトレーニングする。



★コメント
画期的な方法だ。色々試していきたい。


 

 



 

 



◆大山祐亮『外国語独習法』に注目します。



★ポイント


・ウサギではなく意識してカメになる


・机に座る勉強からはもう卒業する
「和訳だけ、作文だけ」の教科書はNG


・巻末の語彙集と変化表はマスト
教科書の一周目は「速く浅く」


・ノートは書き散らすためにある
文型優先型と活用優先型を知る


・「文の中心は動詞」が鉄則
写経は最強の暗記法と心得る


・フレーズ音読で暗記効果アップ
発音の鍵、「サンディ」を制する


・教科書選びから単語暗記まで、なぜ私たちは語学に躓いてしまうのか。
スラスラ読めてコツが身につく、「ここまでやればいい」がわかる。


・100の言語をあやつる若き天才学者による、外国語学習の決定書


・どんな言語にも使える
挫折知らずの
外国語独習50のルールを大公開


 

 




◆マーチン・ファン・クレフェルト『戦闘力。なぜドイツ陸軍は最強なのか』を読む



★訳者、塚本勝也氏の解説


・ドイツ軍は、
第二次世界大戦で、ポーランドを二週間で降伏させ、返す刀で大国フランスをわずか四二日間で陥落させた。
ドイツはその後もヨーロッパを席巻し、ナポレオン以来最大の版図を手中に収めた。


・また、ドイツの高度な科学力を活かして、優れた戦車や航空機だけでなく、ジェット機や弾道ミサイルなど、画期的な新兵器を生み出したこともその評価を高めるうえで寄与したことは間違いない。


・ドイツはその地理的位置から常に東西の二正面作戦を強いられており、
また国力という点でもその周辺国に対して圧倒的な有利に立っていたわけではなかった。


・それゆえ、物量面では常に不利な立場に置かれ、
それが苦境を打開する新たな戦術や兵器の開発を促したことは疑いない。


・ドイツ兵の個人的、あるいは集団的な特性がその強さに何らかの影響を与えたのではないだろうか。


・そうした問いに正面から取り組み、
ドイツ軍における主要な軍種であったドイツ陸軍における士官や下士官の採用、
教育、訓練、昇任、賞罰といった人間的な要素に着目したのが本書である。


・著者マーチン・ファン・クレフェルト教授は、
世界的に有名な戦略研究者であり、とりわけ軍事史の権威である。
クレフェルトは一九四四年にオランダで生まれ、
一九五〇年以降はイスラエルに居住している。


・博覧強記のクレフェルトの代表作の一つである本書は一九八二年に刊行され、
一九七八年に出版された『補給戦』に次ぐ古典に属する。
しかし、「戦闘力」とクレフェルトが呼ぶ、軍事力の人的要素に着目し、
その構成要素を実証的に分析した本書はいまだに色あせていないと考えられる。


・本書は古典とはいえ、ドイツ陸軍総体としての戦闘力を論じている点で、
その価値はいささかも低下していないと思われる。


・本書で着目する戦闘力の根源は、部隊を同郷の人間で固めたり、
指揮官や戦友との仲間意識を醸成したりするというものであった。


・偉大な戦略家であるカール・フォン・クラウゼヴィッツが指摘するように「戦争はカメレオン」であり、
技術を含めて常に変化するが、戦闘力の前提となるものは人間の本質に根差しており、
時代が変わっても変化しないとクレフェルトは主張する。


・ 戦争は他の手段を組み合わせた政治の継続であるが、
戦闘力は政治に部分的にしか依拠していない。


・ どのような政治体制であれ、軍隊は市民社会からの支持と尊敬を受けていることが重要である。
とりわけ現代でも事実上戦闘職種の大半を占める男性兵士が女性から支持され、
尊敬されていることが不可欠である。


★コメント
今こそ、こういう骨太の本を読むことで、
日本の防衛のレベルアップにつながる。


 

 



 

 




◆井上寿一『 戦争調査会 』を読み解く




★要旨


・敗戦後、幣原喜重郎内閣が立ち上げた国家プロジェクト、
それが「戦争調査会」。


・日本人自らの手で開戦、敗戦の原因を明らかにしようとしたものの、
GHQによって1年弱で廃止された、
知られざるプロジェクトは、いったいどのようにして始まったのか。


・1945年10月になると幣原は、「終戦善後策」を携えて、吉田茂外相を訪ねる。
この意見書を手渡して、幣原は吉田に考慮を求めた。
吉田は幣原を首相にする心積もりだった。


・後日マッカーサーの内諾を取りつけた吉田は、幣原に首相就任を要請した。
10月9日、幣原内閣が成立する。


・11月20日、幣原内閣は「大東亜戦争調査会官制」を閣議決定する。
「敗戦の原因及実相」を調査する政府部局が設置される。
この調査会は総裁・副総裁各1名、委員25名未満をもって組織し、
臨時委員を置くことができるようになっていた。


・総裁のポストと同等以上に重要だったのは、事務方のトップに当たる長官のポストである。
次田大三郎内閣書記官長は庶民金庫理事長の青木得三に依頼する。


・1909年に東京帝国大学を卒業して大蔵省に入省した青木は、
エリートコースを歩む。
課長クラスの時から論壇誌の『改造』に寄稿して、注目されていた。


・青木は戦争調査会で辣腕を振るう。
総裁候補者のところへ足を運び、説得する。
諸会議へもっとも熱心に出席する。
会議の議事進行を滞りなくおこなう。調査項目を指示する。
とびきり優秀な国家官僚の出身者ならではの行政手腕だった。


・事務局内の5つの調査室には常勤職員の調査官と嘱託が配置されて、
内閣事務官とともに調査に当たることになった。
調査の出張先は北海道から九州まで全国津々浦々である。


・別の内閣事務官は5月9日から11日間、
福岡と熊本に出張し、両県に所在する沖縄県事務所を訪れている。
沖縄県からの引揚者に対して、戦時中の沖縄の情況を聴取することが目的だった。


・新潟県に赴いたある内閣事務官は、国内油田開発に関する資料収集をおこなった。
戦争末期、南方からの航空機用燃料の輸送が困難に陥った。国内油田の開発が急務となる。
それにもかかわらず生産実績は進捗しなかった。
原因を探究する資料が必要だった。


・2月に長野県に出張したある調査官は、
「飯田町を中心とする下伊那郡に於ける中小工業に関し戦時中の運営状況並に之に対する統制実施状況調査」をおこなった。
調査官は調査の結果を翌3月の報告書にまとめた。
この調査報告は戦時下の中小工業の実情に関する第一級の分析を展開している。


・事務局の書類ファイルで確認できるだけでものべ40人が出張している。
戦争調査会はこのように大がかりな調査が下支えする各部会によって構成されていた。


・総会の議論を主導したのは幣原である。
幣原は冒頭、3つの基本方針を打ち出す。

第一に戦争調査会は「永続的性質」を帯びている。

第二に戦争犯罪者の調査は「別に司法機関とか或は行政機関」が担当すべきである。

第三に歴史の教訓を後世に遺し、
戦後日本は「平和的なる、幸福なる文化の高い新日本の建設」に邁進すべきである。


★コメント
やはり、戦後多くの検証、分析が行われたようだ。