◆清水唯一朗『内務省』を読み解く
★要旨
・太政官政府における内務卿となった面々は、
知らぬ者がない著名な政治家ばかりである。
大久保利通、木戸孝允、伊藤博文、松方正義、山田顕義、山県有朋と、
太政官政府の参議や、内閣制度下で首相となる者が並ぶ。
・太政官政府における内務省の高い政治的位置が見て取れる。
・創設者である大久保のあとは伊藤が継いだ。
巨大官庁を背負って近代化を進めていた大久保の死は、
明治政府に再度の政治的混乱を予想させるものであった。
しかし、実際にはこののち2年ほど政治は安定を見せる。
・伊藤は大久保が台湾出兵の戦後処理で清国に渡航した際も内務卿を務めており、
その継承は順当であった。
・伊藤は2年弱で内務卿を退き、松方正義にその座を譲った。
このため、外見上、伊藤の任期はごく短い。
しかし、実際には伊藤は内務省担当の参議として省内外で奔走した。
・実際に比して影の薄い伊藤に対して、
そのライバルとなる山県有朋は圧倒的な存在感を持つ。
・山県は1883年から実に6年半にわたって内務卿、初代内相を務め、
市制・町村制、府県制・郡制といった地方制度の基礎を固めた。
・山県といえば陸軍軍人のイメージが強いが、
この経験を通じて山県は内務省を起点に内政、文官へ影響力を広げていった。
・議会政治が始まり、内務省の役割が地方行政から地方政治へと拡大したことで、
政党の関係を調整しうる能力と人脈が重視されたことが窺える。
★コメント
かつての内務省の名残りは、
現代の官僚組織にも通じる。
研究したい。