◆西岡常一『木のいのち、木のこころ。「天」』を読み解く
★要旨
・一人前の職人になるためには長い修業の時間がかかります。
近道や早道はなく、一歩一歩進むしか道がないからです。
学校と違って、頭で記憶するだけではだめです。
また本を読んだだけでも覚えられませんな。
・自分で経験を積み、何代も前から引き継がれてきた技を身につけ、
昔の人が考え出した知恵を受け継がなくてはならないのです。
・私らが相手にするのは檜(ひのき)です。
木は人間と同じで一本ずつ全部違うんです。
それぞれの木の癖を見抜いて、それにあった使い方をしなくてはなりません。
そうすれば、千年の樹齢の檜であれば、
千年以上持つ建造物ができるんです。
これは法隆寺が立派に証明してくれてます。
・法隆寺を造り守ってきたのは、
こうして受け継がれてきた木を生かす技です。
この技は数値ではあらわせません。
文字で本にも書き残せません。
それは言葉にできないからです。
技は人間の手から手に引き継がれてきた「手の記憶」なのです。
・古代建築はほとんどが檜ですな。
『日本書紀』に「宮殿建築には檜を使え」ということが書かれています。
・檜はいい材です。
湿気に強いし、品がいい、香りもいい、それでいて細工がしやすい。
・檜は材になっても生きてますのや。
千年たっても鉋をかけてやれば、いい匂いがしまっせ。
・自分だけで勝手に生きていると思っていると、
ろくなことになりませんな。
こんなこと、仕事をしていたら自然と感じることでっせ。
本を読んだり、知識を詰め込みすぎるから
肝心の自然や自分の命がわからなくなるんですな。
・鎌倉時代の建物はいいですね。
線が素直で独得の美観があって美しいですわ。
それは自然を生かしつつ自分らの意思を表現しているからですな。
当時の人たちの生き方が出ていきていますな。
生きること、死ぬことを考える潔さ、
それまでの古い仏教に衝撃を与えた禅という考え、
簡潔で力強く、斬新で控えめというんですかね。
精神性がありますな。
・わたしら檜を使って塔を造るときは、
少なくとも300年後の姿を思い浮かべて造っていますのや。
こうしたことは学校や本では学べません。
大工や職人の仕事というのは体で覚え、
経験を通して学んだ学問なんですわ。
・棟梁が弟子を育てるときにすることは、
一緒に飯を食って一緒に生活し、見本を示すだけです。
・われわれと学校や今の教育は違いますな。
まず手取り足取り教えますな。
わしらは一切そんなことをしません。
本は読まんでいい。
テレビも新聞も見習い中はいらん。
こうですわ。
こんなですから今の教育に浸った人たちは何と理不尽で、
遠回りな古くさいもんやと思いますやろ。
しかし、これが一番の早道ですな。
・大工の修業の基礎は刃物研ぎですな。
刃物研ぎのような基礎はすべてに通じるんですな。
ですからここで時間をかけても損にはならん。
むしろ納得がいくまでこの段階で苦労したほうがいいんです。
近道、早道はないんです。
・教わる弟子のほうも大変やし忍耐がいる。
しかし教える側も大変なんでっせ。
よっぽどの慈悲心、親切心がなければやれませんわ。
・大工はまず刃物研ぎです。
刃物をきちんと研ぐことは、道具を使う一番の基礎です。
いい仕事をしようと思ったら刃物が切れんことにはどうしようもない。
・「堂塔建立の用材は木を買わず山を買え」
・「木の癖組みは工人たちの心組み」
・木の癖が読める、腕がいい、計算ができる、
これだけではだめなんですな。
棟梁というからには工人に思いやりを持って接し、
かつ心をまとめなければならんのです。
★コメント
西岡氏の道を究めた言葉は含蓄がある。
奥が深い。
不器用に一つのことを突き進んでやるということは、
人間が磨かれるようだ。