◆石井妙子『日本の血脈。堤康次郎』を読み解く



副題→「堤康次郎。土地の亡者と五人の女」




★要旨



・西武グループ創業者の堤康次郎は、

明治22年、滋賀県八十荘村に生まれた。

生家は貧しい農家だった。



・堤家は二代続けて、

上村家という名家から嫁をもらい、

しかも、その嫁たちは息子を産み落とすと、

どちらも里に戻っているのである。



・この近江の地は、京に近く、

また北陸にも東海地方にも道が通じ、

交通の要衝地として早くから商業が栄えた。



・複雑な政治地勢下で

強い勢力を張っていたのが「近江商人」といわれる、

この地方独特の商人たちである。



・商売にのめり込み、

勉強をおろそかにしてきた堤康次郎だが、

早稲田大学の本科に進み、

専門科目を学ぶようになった。



・はじめ康次郎が土地開発を行ったのが、

軽井沢だった。



・大正12年、

堤康次郎の土地開発は東京でも本格化した。



・康次郎は、土地の魔力に引きずられ、

「土地の鬼」「土地の亡者」となっていった。



・戦争は資産を増やすという意味で、

康次郎にはプラスに働いた。


関東大震災が起こった際と同じように、

康次郎は焼け跡となった土地を、

次々に買い漁った。



・やがて終戦を迎えたが、

土地政策がどうなるのか分からない中でも、

康次郎は、さらに土地を買った。



・特に戦後、急に生活の基礎を失った元宮家や、

華族たちの本宅や別荘を次々と買い上げていった。



・これら都心の一等地にあった旧宮家や華族の

邸宅跡地をホテルにして開業したのが、

東京プリンスホテルであり、高輪プリンスホテルであり、

赤坂プリンスホテルだった。



★コメント

どんな大物にも、激動の人生がある。

学びとりたい。


 

 



 

 


◆吉田類『酒場詩人の流儀』を読み解く



★要旨



・僕の旅に欠かせないアイテムは、酒と俳句だ。

ほろ酔いて胸襟を開けば、

人の縁の輪が広がる。



・酒造りの神様として

京都の松尾大社は、よく知られる。

各地の造り酒屋で分社が祀られている。



・日本最古の神社とされる、

奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)には、

杜氏の祖という高橋活日を祀る社がある。



・県民性、あるいは県人気質という言葉が、

酒場談義に時折あがる。



・高知。

そこは酒の前に人の上下をつくらない無礼講が

信条の土地柄なり。



・島根の松江にある老舗酒蔵では、

「古事記」のスサノオが、オロチ退治に使った「八塩折之酒」の

再現酒を飲ませてもらった。


伝説が、平然と現代社会に息づいている。



・もし、人の成長過程で豊かな自然から学ぶ機会を失えば、

命のはかなさも、

憐憫の情も培わないように思える。



・酒や酔っ払いのことを詠む詩人たちの存在は、

現代に至るまで絶えることがない。



・芝木好子の著書、

『隅田川暮色』『洲崎パラダイス』

は、おすすめである。



・太宰治の師匠筋にあたる井伏鱒二は、

90歳を過ぎても中央線・荻窪駅から

新宿駅周辺の酒場を飲み歩いていた。


そして朝まで飲み続けても決して乱れることのない、

紳士然とした酒豪のエピソードを残している。



・もし人との縁をつなぐなら、

一献の力に頼るのもいい。



・かつて

「酒場は男を磨く道場」

とみなされてきた。

客は顔見知りの有無に関係なく、

他者とのコミュニケーション力が問われる、

パブリックな道場となり得た。


じつは近年、この大衆酒場そのものが

欧米人から注目されている。



・列島のいたるところ、

酒造りには欠かせない清らかな滴りがある。



★コメント

お酒の本を読んでいると、呑みたくなる。

さあ本を捨てて、酒場へいこう。


 

 



 

 


◆吉田類『酒は人の上に人を造らず』を読み解く



★要旨



・平安時代の歌人、紀貫之が著した「土佐日記」に、

土佐人の酒宴好きを垣間見ることができる。



・東北の陸奥最奥の地酒といえば、

「田酒」を筆頭に挙げる酒飲みは多い。



・縄文土器や土偶がアートとして開花し、

落葉広葉樹の巨木の森に

おおわれていた太古の青森。


今は、地理と歴史が時空を超えて、

錯綜する迷宮のように思える。



・立ち飲みは、古くは「立ち酒」と呼ばれていた。

「出立」あるいは「別れ」に際して

酌み交わす酒の儀式だった。



・ここで一句。

「ハイボール、弾ける初夏の、ブルージーン」



・酒縁は、めぐる。



・気の合う飲み仲間を得ることは、

無上の喜びかもしれない。



・粋な飲兵衛作家、坂崎重盛さん。

飲酒歴が半世紀にもなるご隠居の

話のネタは尽きない。


多彩な引き出しから

ブラック・ジョークまで飛び出してくる。

ほろ酔えば舌も滑らか、退屈などしない。



・下町酒場を渡り歩くことで、

見えてくるものがある。



・いい酒は、いい酔いに満たされる。



・女は、優れた女優の資質を生まれ持つ。



・祭りの熱狂は、魂のアイデンティティの確認なり。



・お酒の神様は、

いくつあってもかまわない。

万物に神々が宿るとする日本古来の神道は、

一種の精霊崇拝だろう。



★コメント

なんだかんだ言って、お酒は面白い。


 

 



 

 



◆倉山満『嘘だらけの池田勇人』を読み解く



★要旨



・池田勇人が、健康にめぐまれ、

佐藤栄作や安倍晋三のような長期政権を築いていたら、

間違いなく大日本帝国は、復活していただろう。


池田にとって、

経済は手段にすぎず、

池田にとって真の目的は、大国に戻ることだった。



・池田勇人の若き日は、

挫折、挫折、そして挫折の連続だった。



・京都帝国大学をでた池田は、大蔵省に入った。

同期には、迫水久常、福田赳夫がいる。

しかし同期が欧米に派遣されるなか、

池田は、函館税務署長や宇都宮税務署長と、

地方回りをする。

いわゆる「ドサ回り」である。



・池田が偉かったのがドサ回りによって

現場で仕事を覚えたこと。

左遷させられたなか、

現場のノンキャリの中に入って、仕事を覚えた。


地方の税務署員と一緒にメシを食い、

酒を飲み、仕事を教えてもらった。

ペーパーの数字だけでない、生きた知識である。



・いつしか池田は、「税務のプロ」となっていく。



・1930年、池田は難病にかかる。

1934年、職場復帰。



・やがて本省に戻されるが池田の冷遇はつづく。

重要会議も呼ばれない。

しかし池田は腐らなかった。


「役所でどんぶりメシの夜食を食べながら、

税務の下積み官吏と一緒に仕事をする。

親しくなる。

もちろん鬼のように仕事を言いつけるけれども、

連中の苦しみは分かるようになるし、

下僚のやっている仕事をすっかり把握することができた」

と回想している。



・池田は、税制の専門家であって、

経済の専門家ではなかったが、

石橋大蔵大臣の下で次官になり、

その薫陶を受けることとなる。


税という狭い視点ではなく、

経済全体を見る広い視野を持った。



・田中角栄は、なぜか高度経済成長の申し子とされ、

何がどう間違ったのか、

「戦後最高の総理大臣」とされる。

しかし、首相のときの角栄は、

日本列島改造論による狂乱物価で

高度経済成長を終わらせた。



・指導者が大国に戻る意思を示す。

そして国民に希望を示す。

経済を豊かにし、軍事力を持ち、

諸外国に媚びなくていい国とする。

強兵をつくるには、まず富国なり。



・池田は、人使いの達人だった。



・実は、池田は外交も得意だった。



・大事なのは、

アメリカは敵と味方を間違える天才であり、

敵をつくる天才であり、

回した敵を結束させる天才であるということを

理解すること。

だから、いざというとき、

誰よりも早く「味方だよ」

とアピールしなければならない。



・池田は、自衛隊の社会的地位の向上を図った。



・訪欧の際には、

英国のマクミラン首相との会談後、

池田は、秘書官のブーちゃんにこうぼやいた。


「日本に軍事力があったらなあ、

俺の発言権は、おそらく今日のそれに10倍したろう」



★コメント

あらためて、池田勇人について調べなおしたい。



 

 



 

 



◆加治将一『龍馬を守った新撰組。禁断の幕末維新史』を読む



★要旨



・そもそも京都の豪華な寺院を建てたのは、江戸幕府だ。



・幕府は、宗教各派の根っこを京都一か所で把握し、

コントロールすることによって、

厄介な地方の一揆、反乱を抑えた。


京都という厳かな街が維持でき、

公家はそこで蹴鞠や歌会で遊びながら、

のんびり暮らせたのも

武士という後ろ盾があったから。



・当時の寺は、

サイドビジネスとしてホテル業を営んでいる。

大きな寺院は、

団体専門だから、ホテルのほうが本業だ。



・幕末当時、幕府も諸藩も、

組織という組織は、お互い手当たり次第、

いたるところに密偵、チクリ屋を潜り込ませている。


商人、坊主、飯盛り女、女郎、剣道場、

高級スパイから下働きまで、

「接する相手はみなスパイだ」

とアーネスト・サトウは日記に書いている。



・近藤勇は、潜入工作員だった。



・近藤と会津は、

早い段階から秘密のパートナーだ。

近藤特務機関は、

めざましい勢いでノウハウを蓄積した。



・当時の日本は、もはやカオス状態である。

派閥争い、利権争い、内紛につぐ内紛、

それに開港だ、自由貿易だ、外国為替だ、

と頭痛の種は、どっさりあった。



・坂本龍馬の亀山社中は、

商材として武器、茶、建材、海運業まで手掛けている。


取引相手にも藩の垣根は無かった。

フリーハンド。

そんなことができたのは、

英国のトマス・グラバーがバックについていたから。



・グラバーは、

日本国内における第三国である土佐の龍馬をダミーにして、

薩摩や長州と武器取引をした。



・近藤勇は、龍馬とつながっていた。



・戊辰戦争も、古い封建社会をぶち壊し、

近代国家に近づいたという事実はある。

しかし、その裏側を覗けば、

ドス黒いカネの奪い合いで、

血に飢えた歴史が、まったりと横たわっている。



★コメント

おもしろい歴史の見方であり、

いろいろと気づかされる。

幅広く読み込みたい。



 

 


◆西岡常一『木のいのち、木のこころ。「天」』を読み解く



★要旨



・一人前の職人になるためには長い修業の時間がかかります。

近道や早道はなく、一歩一歩進むしか道がないからです。

学校と違って、頭で記憶するだけではだめです。

また本を読んだだけでも覚えられませんな。



・自分で経験を積み、何代も前から引き継がれてきた技を身につけ、

昔の人が考え出した知恵を受け継がなくてはならないのです。



・私らが相手にするのは檜(ひのき)です。

木は人間と同じで一本ずつ全部違うんです。

それぞれの木の癖を見抜いて、それにあった使い方をしなくてはなりません。

そうすれば、千年の樹齢の檜であれば、

千年以上持つ建造物ができるんです。

これは法隆寺が立派に証明してくれてます。



・法隆寺を造り守ってきたのは、

こうして受け継がれてきた木を生かす技です。

この技は数値ではあらわせません。

文字で本にも書き残せません。

それは言葉にできないからです。

技は人間の手から手に引き継がれてきた「手の記憶」なのです。



・古代建築はほとんどが檜ですな。

『日本書紀』に「宮殿建築には檜を使え」ということが書かれています。



・檜はいい材です。

湿気に強いし、品がいい、香りもいい、それでいて細工がしやすい。



・檜は材になっても生きてますのや。

千年たっても鉋をかけてやれば、いい匂いがしまっせ。



・自分だけで勝手に生きていると思っていると、

ろくなことになりませんな。

こんなこと、仕事をしていたら自然と感じることでっせ。

本を読んだり、知識を詰め込みすぎるから

肝心の自然や自分の命がわからなくなるんですな。



・鎌倉時代の建物はいいですね。

線が素直で独得の美観があって美しいですわ。

それは自然を生かしつつ自分らの意思を表現しているからですな。

当時の人たちの生き方が出ていきていますな。

生きること、死ぬことを考える潔さ、

それまでの古い仏教に衝撃を与えた禅という考え、

簡潔で力強く、斬新で控えめというんですかね。

精神性がありますな。



・わたしら檜を使って塔を造るときは、

少なくとも300年後の姿を思い浮かべて造っていますのや。

こうしたことは学校や本では学べません。

大工や職人の仕事というのは体で覚え、

経験を通して学んだ学問なんですわ。



・棟梁が弟子を育てるときにすることは、

一緒に飯を食って一緒に生活し、見本を示すだけです。



・われわれと学校や今の教育は違いますな。

まず手取り足取り教えますな。

わしらは一切そんなことをしません。

本は読まんでいい。

テレビも新聞も見習い中はいらん。

こうですわ。

こんなですから今の教育に浸った人たちは何と理不尽で、

遠回りな古くさいもんやと思いますやろ。

しかし、これが一番の早道ですな。



・大工の修業の基礎は刃物研ぎですな。

刃物研ぎのような基礎はすべてに通じるんですな。

ですからここで時間をかけても損にはならん。

むしろ納得がいくまでこの段階で苦労したほうがいいんです。

近道、早道はないんです。



・教わる弟子のほうも大変やし忍耐がいる。

しかし教える側も大変なんでっせ。

よっぽどの慈悲心、親切心がなければやれませんわ。



・大工はまず刃物研ぎです。

刃物をきちんと研ぐことは、道具を使う一番の基礎です。

いい仕事をしようと思ったら刃物が切れんことにはどうしようもない。



・「堂塔建立の用材は木を買わず山を買え」



・「木の癖組みは工人たちの心組み」



・木の癖が読める、腕がいい、計算ができる、

これだけではだめなんですな。

棟梁というからには工人に思いやりを持って接し、

かつ心をまとめなければならんのです。





★コメント

西岡氏の道を究めた言葉は含蓄がある。

奥が深い。

不器用に一つのことを突き進んでやるということは、

人間が磨かれるようだ。



 

 



 

 

 

 


◆小泉悠『ロシア情勢。KGB出身者の世界観』講演録メモ。



★要旨



プーチンは、昔の仲間との関係をなかなか切れない。

切らない。



ワグネルのプリゴジンは、刑務所を出て、

露店からレストランを出して成功したというストーリーがある。

それはカバー・ストーリーといわれている。

本当は、サンクトペテルブルクで闇カジノをやっていたとのこと。



当時、サンクトペテルブルクで副市長であり、

闇カジノ撲滅委員長だったプーチンは、プリゴジンのカジノだけ許したといわれる。

そのかわり、プーチンはワイロをもらっていたとのこと。報道ベース。

そのため、プリゴジンはプーチンの過去を知っている。



KGB出身者たちは、経済無知である。

タチが悪いのは、経済を知らないのに、

オレたちは情報機関出身者だから、経済を知っているぞ、

と謎の自信があること。



イワノフは、英国駐在経験があるにもかかわらず、

イギリスは国家の下で経済が管理されていると、発言していた。



プーチンは、情報機関のレポートを信頼している。

FSBのレポートを読んでいるので、

情報と状況をきちんと把握していると考えている。

西側の報道やニュースは、プロパガンダされていると思っている。



・FSBなども最初はきちんとしたレポートをあげていたが、

プーチン政権が長くなり、

だんだんと忖度するようになった。



FSBもウクライナに入って、世論調査のようなことをやっていた。

今回、ロシアがウクライナに侵攻すれば、

相当いやがられる、嫌われる、と薄々気づいていたが、

プーチンへのレポートでは、ロシア軍が入れば、

ウクライナの国民に歓迎される、と書いていたようだ。



ロシアの経済について、一般の国民生活には、そこまで影響は無いようだ。

食料もエネルギーも問題なく、足りているようだ。



ロシア国内において、今回の戦争は、

日本のかつての日華事変や満州事変などのようなものではないか。

どこか遠いところで兵隊さんが戦っている、

自分たちの生活には影響がないということ。



兵士たちも、モスクワやサンクトペテルブルクなどの

大都市からは徴兵されていない感じである。

地方の少数民族から徴兵されている。



西側の経済制裁についても、

ロシアの財政や政府高官やオルガヒなどに

焦点を絞っているように思われる。

一般国民には、影響しないようにしている。



制裁により、ハイテク機器が入らなくなり、

次世代兵器やハイテク兵器が作れなくなっていると思われる。

そのようなハイテク機器や部品は、

ますます中国に依存していくであろう。



ローテクな兵器は、きちんと作られているようだ。

榴弾砲のタマなどは、生産が追いついており、

工場は回っていると見受けられる。



ロシアは、石油や天然ガスの収入で、

今まで1日500億円ぐらいあった。

現状は、1日300億円ぐらいに落ち込んでいる。



ロシアが本気で総動員をかけたら、恐ろしいことになる。

第二次大戦の大祖国戦争の記憶が蘇ってくる。

本当に国家存亡の危機になったら、ものすごく力を発揮する。


 

 

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◆寺谷弘壬『プーチンは何をしたかったのか』を読み解く



★要旨



・私は18歳でロシア語を勉強してから

60年以上ソ連やロシアを研究し、

アメリカ、ロシアといったさまざまな大学や研究所で教えてきた。


ソ連とロシアに関する本を70冊以上書き、

ロシア語や英語から翻訳した本も20冊以上になる。


私はソ連もロシアも、

そこに住む人々や文化のことも熟知している。



・衰退国家ウクライナが、

今日までなんとか維持できたのは、

歴代政権がロシアと欧米を天秤にかけ、

互いに競わせながら援助を引き出して、

その場しのぎの国家経営を続けてきたから。



・ウクライナでは、2008年ごろ

数十人のオリガルヒで、GDPの85%を独占していた。



・プーチンは、大統領就任前後から

インナーサークルをいくつも作っている。

マフィアをうまく使うのは、

プーチンの特技であり、裏技でもあった。



・プーチンは、

自分を信頼してくれる上司のため、

その命じるままに一生懸命働くタイプだった。

ペテルブルクではサプチャーク市長のもとで、

モスクワでは総務局長ボロディンの下で

がむしゃらに働いた。


ボロディンはプーチンを気に入り、

すぐ総務局次長のポストにつけた。



・総務局にいれば、

旧ソ連の国有財産や資材、

クレムリンの財源などが詳細にわかる。

プーチンはクレムリンが海外に所有する資産の一覧表を、

セチンと丹念に作成した。



・シベリアのアルミニウムで財をなし、

2008年にロシア一の大富豪になったのが、

「アルミ王」のデリパスカだ。


マフィアとの付き合いが深く、

自らもマネーロンダリングに手を染め、

マフィアまがいの商売をやってきたデリパスカを

プーチンは強力に支援。



・プーチンの個人銀行とされるロシア銀行、

ロシアの天然ガスを独占するガスプロム、

その子会社ガスプロム銀行、

年金基金ガスフォンドなどが、

オーゼロの地縁血縁でがちがちに固められている。


プーチンを加えた8人が「オーゼロ」の8人衆。

かれらがロシアを牛耳る一大勢力といわれる。



★コメント

ロシアの全体像がだんだんと分かってきた。

調査を進めたい。



 

 



 

 

◆加治将一『西郷の貌(かお)、明治政府の偽造史』を読み解く



※要旨




・維新の三傑、西郷隆盛の人気は抜群だ。

鹿児島だけでなく、東北でも莫迦受けだ。




・上野の西郷さんには明確な意図がある。

裏に隠された思惑を読むのは難しくない。


上野の西郷像は、どの確度から見ても大日本帝国の陸軍大将ではない。

ぽんと突き出た丸い腹を見て、軍神や稀代の政治家といったイメージを持つ人はいないだろう。

犬をかわいがる、ほのぼのとした田舎のおじさんといった風情だ。



・もし仮に銅像が勇ましき軍人像なら、その放つオーラが旧武士たちをいたく鼓舞し、

不穏な空気が漂う。

つまり反乱の要となる。

明治政府が、西郷さんの本当の姿をほのぼのとした肖像画へすり替えたのだ。




・西郷の出世の切っ掛けは、第11代薩摩藩主、島津斉彬だ。

大抜擢にあづかるのだが、下級武士の出世のチャンスは、たいがい庭方役という役職にある。

現代風にいえば、社長の個人秘書兼セキュリティーガードだ。


秘書であるからには読み書きは必須だ。

切れ者でなければならない。

広い知識があって、機をみるに敏でなくてはならず、

セキュリティーガード役であるからには腕が立たなくてはならない。


頭はビジネス的で、身体は体育会系が条件だ。




・幕末維新の古文書、手紙、資料を読む場合、気をつけなければならないことがある。

当時を想像し、その懐に飛び込んでみることだ。

周りはスパイだらけだ。

漂う緊張感。


本当のことも書けない。

したがって障りのある記述はすべて暗号になっている。

歴史家は、その暗号に気をつけながら裏を読み解かなければならない。




・俳人、松尾芭蕉は忍者の古里伊賀の男だ。

地方を旅し、多くの俳句を残しているが、異常なまでの速足とこれまた尋常でない見聞域の広さから、

徳川の隠密忍者ではなかったか、という説が昔からある。




※コメント

加治氏の仮説は、歴史好きの人々を魅了する。

興味深い話がボロボロ出てきて、歴史のロマンを感じる。

どんな出来事のも裏表があることを教えてくれる。

自分の固定概念を外し、常に情報をアップデートすることを心がけたい。


 

 



 

 


◆須田仁之『恋愛依存症のボクが社畜になって見つけた人生の泳ぎ方』を読む


★要旨



・「おまえら、ホンキでやっているの!オレはホンキなんだよ!」



孫正義社長はホワイトボードの黒板消しを

壁に思いっきり投げつけた。

人がカンカンに怒って紅潮する顔を

見ることも初めてだった。

昭和の学園ドラマのワンシーンに

タイムスリップでもしたような気分だった。



・2001年、

まだソフトバンクはプロ野球の球団も持っていない。

携帯電話事業もやっていない。

一般的な認知度は低かった。



・孫さんにとって当時、

ソフトバンクがヤフーBBという

ブロードバンド通信事業へ参入することは、

事業家として大勝負の場面であったことは

間違いない。



・現場は日々昼夜を問わず働いており

決して手を抜いているわけではなかった。

しかし、やろうとしていることがあまりに無謀なのと、

スケジュールがドンドン前倒しになっていったりして、

まるで戦場のような混乱の日々だった。



・会議で孫さんから

「今すぐタスクを1000個書け!」

と言われた。

僕は頭を冷やすために一旦外に出て

朝の隅田川を眺めるべく逍遥する。



→川の流れに漂うかのように泳ぐカモは、

同じ都会の波にのまれている生命体の僕と比較すると

圧倒的に幸せそうに見えた。



「ああ、生まれ変わったら隅田川のカモになりたい」



・当時の会議はいつもエンドレスだった。

3時間でも4時間でもぶっ続けだった。



・なんでそんなに会議に時間が取られるのかというと、

今では考えられないけれど、

ソフトバンクは通信事業については

まったくのド素人だったからだ。



・「通信事業」というものを誰も分かっていなくて

わかっていない人たちで

分かっていないことを話しているので、

全員が物事をちゃんと理解するのに

時間がかかっていた。



・会議に駆り出される各社の社長もみな、

「通信」の素人であり、

何となく自分の見解を言っているような、

言っていないような、

孫さんのご機嫌だけをとっているような、

そんな雰囲気だった。



・ドタバタがあり、

本プロジェクト始まって以来の明るい報告があった。


「一般顧客宅にて、無事、通信が繋がった模様です」



→孫さんはものすごく上機嫌になった。

「やった!繋がったぞ。ほら、みんな、やっぱり繋がったぞ」

少年のような喜び方だった。

「よし、今日はみんなで焼肉でも行くぞ!」

30人近くが駅前の焼肉屋「トラジ」に集められた。



・恐らく、孫さんだけがこの「繋がった」という

事象の意味を噛み締めていたのだろう。

その後、ソフトバンクは本当に通信事業者になるわけだが。

今考えればこれは未来に向けた大きな一歩だった。



★コメント

筆者の文章力の面白さに圧倒された。

おもしろい経験と語彙力をもっていると

良い本ができる。