◆奥山真司・訳『スパイと嘘。世界を欺いた中国最大の秘密工作』に注目します。



アレックス・ジョキス著。

峯村健司さん、解説。

奥山真司さん、翻訳。


副題

→「アメリカを油断させ、追いつく国家安全部の謀略」



★ポイント



・「平和的台頭」と民主化・国際化路線は国家ぐるみの偽装だった。



・なぜ、どうやって歴代米政権を油断させることに大成功したのか。



・「民間団体」を駆使して、西側の大物政治家、

政府高官やビジネスリーダーを巧みに取り込み、

中国のナラティブを信じこませる。



・従来のスパイ活動とは違う、国家安全部の秘密工作を全編実名で解明。



・刊行とともに欧米に衝撃を与え、

著者は米豪議会の公聴会に相次ぎ呼ばれて証言。



・中国で育ち、

「目に見えぬ侵略」のアシスタントを務め、

最年少でオーストラリア戦略政策研究所(ASPI)アナリストになった著者の

画期的な研究、全訳完成。


 

 

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◆倉本圭造『日本人のための議論と対話の教科書』を読み解く



サブタイトル

→『「ベタ正義感」より「メタ正義感」で立ち向かえ』



★要旨



・「論破」よりも大事なのは、抵抗勢力を「理解する」こと。



・「現場の良心さん」を理解すれば、「改革」は自然に起きる。



・自分から見た「敵」の存在にも意味があり、

むしろ改革を行うに当たって、

「自分では気づかない、見落としてはいけない価値」を

教えてくれる存在にもなり得る。



・「論破」を目的とせず、「敬意」を払うことで、

意味のある対話が可能になる。



・「国譲り神話」を持つ日本の土壌を活かそう。



・一周回って、

国譲り神話的に、

「敵を完全に征服せず、一緒に協力し合うことでお互いを受け入れる」

という解決のあり方が必要とされる時代が、

世界的にやってきていると、私は考える。



・「出雲に引っ込んでいただく態度」が必要なり。



・要するに、

社会を本当に前に進ませたいなら、

「保守派を打ち倒す」のではなく、

「自分と対等な宮殿を用意して、出雲に引っ込んでいただく」態度が、

必要なのだということ。



・日本神話において、

征服された側は、征服した側と同じくらい尊重され、

それと同時に征服した側と同じ国造りに参加することを

受け入れるという構造である。



★コメント

古代日本の歴史には、多くの知恵が埋まっている。

見直したい。



 

 



 

 




◆大西康之『最後の海賊。楽天・三木谷浩史』を読み解く



正式タイトル

→『最後の海賊。楽天・三木谷浩史は、なぜ嫌われるのか』



★要旨



・2023年4月、

東京・品川区の桐ケ谷斎場でひとりの男の通夜が執り行われた。


「國重惇史」


彼の77年の生涯を書けば、

それだけで一冊の本になる。



・1968年、東大を卒業後、住友銀行に入行。

MOF担(大蔵省担当)、本店営業第一部長など

エリートコースを歩んだ。



・國重は、仕事はできるが

女癖がめっぽう悪く、

住銀で頭取、会長を歴任した磯田一郎の女性秘書と

不倫関係になる。

それが磯田の逆鱗に触れ、

住銀子会社の証券会社に飛ばされた。



・國重は、住銀頭取だった西川善文を

三木谷に引き合わせ、

楽天にこの証券会社を買収させる。

これが楽天証券の始まりである。



・國重は、

会社と一緒に自分も楽天に買わせ、

三木谷の参謀に収まった。

2003年のことである。



・六本木ヒルズ森タワーにオフィスを移転し、

「ヒルズ族」の筆頭格として

世間を騒がせていた楽天には、

「大人」が必要だった。

堀江貴文や村上世彰ら、ヒルズ族の「筆頭格」が

楽天の三木谷だった。



・元気で無軌道な経営者に必要だったのは、

ドンペリや美女たちではなく、

経営の指南役となる「大人」だった。



・若い海賊たちの明暗を分けたのは、

「手練れの軍師」と出会えたか、

出会えなかったか、

だったのだ。



・2004年から2005年にかけての

楽天による、あおぞらカード買収、

プロ野球参入の表明、

東京放送の株の買い占めなど、

連日、三木谷の顔がテレビで大写しになる。

この頃、

三木谷の隣には、必ず軍師・國重の姿があった。



・フィンテックへの進出、

プロ野球参入、

TBS買収など

ベンチャーの楽天にとって、そのうちのひとつだけでも

手一杯のはずの大仕事を同時並行でこなせたのは、

住銀時代に政官財と深いコネクションをもつ國重が、

水面下で激しく動いたからだ。



・既得権を握る人々の分厚い壁を

突き破っていくためには、

酸いも甘いも知り尽くした「大人」が欠かせない。

それが國重だった。



・目立つことが何より好きな國重にとっても

世の中を騒がせ続ける楽天は「楽園」だった。

一流バンカーは、

これまでに培った人脈と経営ノウハウを

縦横無尽に駆使して、

水を得た魚の如く働いた。



・國重の仕事ぶりは、

まさしくプロフェッショナルの名に値するものだった。

その一方で私人としての生活は、破綻していた。

2014年、

國重は「一身上の都合」で楽天を去る。



・楽天に籍を置いていた頃の國重は、

20歳年下の若き起業家を持てる力の全部で支えた。

三木谷の決断力と行動力に惚れていた。

その恩を三木谷は忘れない。



・國重の通夜に三木谷の姿があった。

「触らぬ神に祟りなし」

とばかりに不義理を決め込むのが日本人の常だが、

恩人に花の一つも手向けられないようでは、

「海賊稼業」は務まらない。



★コメント

三木谷さんの周りは、どのような感じなのか、

いろいろ知れて面白い。



 

 



 

 

◆伊勢雅臣さん新刊『大御宝。日本史を貫く建国の理念』に注目します。



8月1日、発売予定です。

発売日が楽しみです。



★ポイント



・民を大切な宝物として考え、その安寧を祈る「大御宝」の思想。 



・神武天皇即位の詔に示され、

歴代天皇の責務とされてきた理念が日本の歴史を支えていた。



・「大御宝」知恵と力で日本が直面する第3の国難を乗り越える。



★伊勢雅臣さん略歴。


「まぐまぐ」殿堂入りメールマガジン『国際派日本人養成講座』編集長。

(1953)年東京生まれ。

東京工業大学社会工学科卒。製造企業に就職。

カリフォルニア大学バークレー校に留学。

工学修士、経営学修士、経営学博士取得。

(2010)年、海外子会社の社長としてイタリア赴任。

(2014)年より3年間、現地法人社長としてアメリカ勤務。

(2017)年より、国内にて執筆、講演活動に従事。


著書に

『世界が称賛する日本人が知らない日本』

『世界が称賛する日本の経営』

『世界が称賛する日本の教育』

『日本人として知っておきたい皇室の祈り』



 

 



 

 



◆大平誠『徳田虎雄。病院王・外伝』を読み解く



副題

→『国内最大病院を巡る闘いの舞台裏』



★要旨



・1973年、第一号として

徳田病院を大阪の松原市に開設した徳洲会は、

45年たった2018年には、

病院71を含め、

診療所、クリニックや介護老人保健施設、

介護・福祉・施設事業所など300余の医療施設を

経営する巨大な医療グループに成長した。



・1976年、

会計事務所に勤務していた、今岡正則は、

徳田との出会いの場面を今も鮮明に覚えている。

そのあと、徳洲会に入り、

大阪本部の経理担当として、長く組織を支えた。



・今岡は、こう語る。


「理事長はあのころ、大学ノートに走り書きをしておられた。

1つの病院が立ち上がったら、

次の病院を仕掛けるんやと。

2つオープンしたら、また次に2つを同時に仕掛けて

オープンさせれば4つになる。

次は、4つ作れば、8つになる。

そうして、ネズミ算式にどんどん病院を増やしていくんやと、

大学ノートに書き込んでいた。

凄い人やなと思いました」



・徳田虎雄は、若手の人材育成に関しても、

奄美出身者には、ことのほか厳しく当たった。


「東京や大阪に行ったら、

もっとしっかりしたやつがおるんや。

お前らは、虫けらと一緒や。負けるな。

奄美から出てきたとバカにされるな」



・徳田が指摘するのは、小さなミスだけだった。


「小さなミスは、その場で注意しとかんと繰り返す。

だから叱る。

しかし大きなミスは、本人が反省して2度と繰り返さない。

だから俺が怒る必要はない」



・屋田は、徳田からこう言われた。


「病院内で国家資格を持っていないのは、お前だけだ。

診療は医者や看護師が行うが、

経営をやるのはお前だ。

そのためには、彼らの2倍働かなければ信用されんぞ」



・徳田の言葉を肝に銘じ、

屋田は、考えて仕事の質を高めていった。

毎晩病院に残っては、

仕事を終えた医師たちに声をかけ、

杯を酌み交わしては、彼らの話に耳を傾けた。


医師が、看護師が、メディカルスタッフが、

何を考え、求め、不満を感じているのか。

コミュニケーションを重ねるにつれて、

医療のことが分かってきた。



・経営者として必要なところには出し、

必要のないところには出さないという

メリハリの効いた徳田の慧眼に、

屋田は改めて、恐れ入った。



・堀川も、

経営者としての徳田をこう評価する。



「自分の故郷に貢献しようと思ったら、

診療所を開いて、

1人でできる範囲の仕事をするぐらいの

アイディアしか普通の医者にはないでしょう。

でも彼は違う」



「徳之島に総合病院をつくるには、どうするか、

死に物狂いで考えて、

大阪から始めて沖縄、福岡、京都と

大きな病院を10以上つくって利益を出し、

そこから医師を派遣して徳之島につくった」



・並の経営者の発想では、

いくつも病院を建てて

収益を上げていくのは困難だが、

徳田は徹底的に調査し、

地域の人口に合わせた病院の規模などを緻密に計算し、

採算をプラスにした。

簡単にいえば、

通常の半分の値段で、新規に病院をつくり続けた。



★コメント

実業家としての徳田さんに学ぶべきところは多い。

モーレツな起業家のようだ。


 

 



 

 


◆J.D.バンス『ヒルビリー・エレジー』を読み解く



副題→「アメリカの繁栄から取り残された白人たち」



J.D.バンスは、共和党の副大統領候補となった。

2024年の大統領選における。



J.D.バンスは、貧困家庭に育ち、

高校卒業後、アメリカ海兵隊に入隊。

除隊後、オハイオ州立大学で学位を取得。

その後、エール大学のロースクールを卒業。

ピーターティールの所有するベンチャーキャピタルで働いた。

2022年、オハイオ州選出の連邦上院議員に当選。

その後、共和党の副大統領候補となった。



★要旨



・私は白人には違いないが、

自分がアメリカ北東部のいわゆる「ワスプ(WASP)」に

属する人間だと思ったことはない。



・そのかわりに、

「スコッツ・アイリッシュ」の家系に属し、

大学を卒業せずに、

労働者階層の一員として働く白人アメリカ人のひとりだと、

見なしている。



・そうした人たちにとって、

貧困は、代々伝わる伝統といえる。



・先祖は、南部の奴隷経済時代に

日雇い労働者として働き、

その後はシェアクロッパー(物納小作人)、

つづいて炭鉱労働者になった。

近年では、

機械工や工場労働者として生計を立てている。



・アメリカ社会では、

彼らは「ヒルビリー(田舎者)」

「レッドネック(首筋が赤く日焼けした白人労働者)」

「ホワイト・トラッシュ(白いゴミ)」

と呼ばれている。



・私は「ラストベルト(さびついた工業地帯)」

と呼ばれる一帯に位置する、

オハイオ州の鉄鋼業の町で、貧しい子ども時代を送った。



・私の人生の背景には「民族」という要素がひそんでいる。



・18世紀に移民として新世界にやってきた、

スコッツ・アイリッシュは、

アパラチア山脈に強く心を惹かれた。



・アパラチアは、

南はアラバマ州やジョージア州から、

北はオハイオ州やニューヨーク州の一部にかけての

広大な地域だが、

グレーター・アパラチア(大アパラチア)の文化は、

驚くほど渾然一体としている。



・産業経済が落ち込むなか、

現実の生活で人々に何が起きているのかを、

ここに書きたい。



・私がいた、タイル会社の倉庫で

私が目にした問題は、

マクロ経済の動向や国家の政策の問題よりも、

はるかに根が深い。


あまりにも多くの若者が、

重労働から逃れようとしている。

よい仕事があっても、長続きしない。



・本書で焦点をあてるのは、

私がよく知っている人たち、

すなわちアパラチアに縁のある白人労働者階層である。



・この物語は、

私の人生をつくりあげてくれた人たちの力を借りずには語れない。

したがって、

本書は個人的な回想録であるだけでなく、

家族の回想録でもある。

つまり、アパラチアに暮らすヒルビリーの家族の目を通してみた、

社会的機会と社会的地位上昇の歴史を描いている。



★コメント

アメリカの歴史と政治と社会問題を一気に学べる。

読み解きたい。



 

 



 

 

◆菅原出『民間軍事会社。戦争サービス業』を読み解く



副題→「戦争サービス業」の変遷と現在地。



★要旨



・ロシアの「ワグネル」によって、

民間軍事会社の存在が多くの人々に認知された。

一方、民間軍事会社の歴史上、

避けて通れないのがエグゼクティブ・アウトカムズ社である。



・交戦地帯に近い「前線」と、

そこから物理的に遠く離れた「後方」という空間概念で民間軍事会社の業務を整理してみると、

民間軍事会社の主な活動は「後方」でなされることが多い。



・例えば軍事基地や政府系施設の警備、

そこに運び込まれる物資の輸送警護、

そこで働く政府の要人たちの警護、武器や装備品のメンテナンス業務や

現地の治安部隊や兵士たちの訓練といった業務も、

基本的には「後方」地域で実施される。



・自国の正規軍が十分に機能していない途上国の弱小国家や

いわゆる破綻国家の場合、

敵との直接戦闘を含めて「前線」から「後方」まですべての戦域における業務を

民間企業に委託してしまうことがある。

こうした例はとりわけアフリカの内戦においてみられる。



・アフリカの内戦において見られ、

実際に1975年から2002年にかけて起きたアンゴラ内戦や

1991年から2002年にかけてのシエラレオネの内戦において、

南アフリカの

エグゼクティブ・アウトカムズ社(EO)が内戦に参入し、

戦況に大きな影響を与えたことはよく知られている。



・EOの創設者は

南アフリカの旧アパルトヘイト体制下で

南ア国防軍第32大隊の副司令官を務めたイーベン・バロウである。



・もともと、

軍の情報機関CCBの諜報活動を行う目的で、

バロウは南アフリカの貿易会社や防衛装備品を扱う会社の社員、

すなわちビジネスマンを装って活動を行った。



・バロウはCCB内の不祥事に巻き込まれてCCBを退職し、

EOの活動に集中することになった。



・EOで初めに獲得した民間の仕事は、

ダイヤモンドの大手デビアス社向けのセキュリティ・コンサルティングの業務だった。

デビアス社の経営陣は違法なダイヤモンドの取引により

毎年数百万ドル相当の損失を抱えており、

ダイヤという高価で運びやすい「商品」の盗難に頭を悩ませていた。



・デビアス社からの依頼を受けたバロウは、

ダイヤモンドの密輸取引を行うグループにスパイを潜入させ、

そのネットワークの全体像を明らかにしたうえで警察と共に密輸グループを一網打尽にする計画を立案し、

デビアス社のセキュリティ・チームや各国の警察と組んで計画を実施した。



・これはバロウが南アフリカ軍で培った特殊偵察やCCBで培った情報収集、

秘密工作活動のスキルを、

民間企業向けに適応させて行ったサービスだと言える。



・EOに飛び込んできた次の大きな仕事は、

その後の民間軍事会社の歴史に大きな記録を残すことになる

アンゴラでの「戦闘」業務だった。



★コメント

世界の裏側は、知らないことばかりだ。

学びたい。


 

 



 

 



◆カズ『最強の外国語習得法』を読み解く



正式タイトル

→『ゼロから12か国語マスターした、私の最強の外国語習得法』


著者

→カズ・ランゲージズ

ユーチューバーであり、インフルエンサー。



★要旨



・私が今までに習得した言語は、以下の12か国語。

スペイン語、英語、フランス語、

アラビア語、インドネシア語、ロシア語、

ポルトガル語、ドイツ語、トルコ語、

中国語、タイ語、韓国語。



・言語によって違いはあるが、

ネイティブの人とおしゃべりする、

ライトな文章を読む、書くなどは、

不自由なくできる。



・外国語学習は、とても楽しい。



・じつは習得言語が増えるにつれ、

新しい言語の習得は、楽に、早くなる。



・普遍的な「言語習得の勘所」を

つかんだような感じになって、

新たな言語のマスターがスムーズになる。



・実践から入り、「ルール」は後から覚える。



・ある程度、フレーズが蓄積されていくと

自然と「パターン」のようなものが見えてくる。

それから文法に着手したほうが、効率的。



・「先にフレーズを蓄積して会話力の素地を作ってから、

自然に文法を学んでいく」

という感覚的な学び方を紹介したい。



・紹介する言語習得のメソッドは、


1、ネイティブの発音を真似る。

2、実践的な文法を学ぶ。


の2ステップ。



・まず、実践的なフレーズを

ネイティブの発音を真似して声に出す。

というのを積み重ねる。



・最速で学べる最強のコンビは、

「デジタル学習ツール+録音」なり。



・自分が正確に発音できる音は、

正確に聴き取れるものだ。



・つまり

「耳を鍛えること」

「正しく発音できるように訓練すること」

は、セット。



・「単語の集合体」であるフレーズを覚えれば、

最低限の基本的な語彙は、おのずと身に付く。




・流れのポイントは、

ネイティブの発音を真似する。

フレーズを覚える。

教材の物語や会話文を書き写す。

自分で簡単な文章を作ってみる。


→これらを反復することで、

リスニング、スピーキング、

リーディングはどんどん上達する。



・「画像検索」で語彙力を磨く。



・外国語で、外国語を学ぶ。



・その国の流行、スラングを知っておく。



・相手の母語のスラングを使うと、

たいていの人は、まず驚き、

笑い、

そして気が付いたときには、

すっかり打ち解けている。



・「大意」をつかむだけでいい。



・海外の映画、ドラマ、マンガ、エッセイ、ブログなどを

聞いたり読んだりするとき、

「完璧」を求めない。

完全に理解しようとしないほうが、早く上達できる。



・コミュニケーションとは、

互いに「大意を理解する」のを繰り返す、

ということ。



・細部にこだわるより、ぼんやり、

ざっくりとでも全体を捉える練習をしたほうが、

上達は早い。



★コメント

語学習得への新しいイメージができた。

反復したい。



 

 



 

 



◆廣津留すみれ『超・独学術』を読み解く



正式タイトル

→『ハーバード、ジュルアードを首席卒業した私の「超・独学術」』



★要旨



・私が幼少期に自慢できることは、

英語塾をしている母の影響で

4歳のときに英検3級を取得できたことや、

バイオリンのコンクールで複数回、賞をとったことくらい。



・私は、自分を天才だとはまったく思っていない。

自然に囲まれた田舎で、公立小学校から、

公立中学、公立高校と通った「普通の日本人」なのだ。



・では、なにをしたのかというと、

「ごく小さなことの積み重ね」です。



・実際、ハーバード大学のホームページをみると、

受験すること自体は決して困難ではないことがわかった。

渡米する必要もなく、

出願から合否決定まで、

すべて日本でできることがわかった。



・もう私に、ハーバード大学を受験しない理由はなくなった。

高校2年生の2月に

「ハーバード受験」を決意した。



・ヨーヨー・マの素晴らしい芸術と人間性から

学んだことは数知れない。

この共演が決まったときに感じたのは、

「一つ一つの仕事を丁寧に行う」ことの大切さ。



・昔から、バイオリンの先生に、

「誰がどこで聴いているかわからないから、

どんな演奏会でも一生懸命弾くのよ」

と言われてきた。

そのため、規模の大小にかかわらず、

手を抜かずに演奏することを信条としていた。



・試験勉強は、

「概観→反復」が最強なり。



・母のモットーは

「5分あれば何かできるでしょ」


私も、5分を漫然と過ごさず、

何か意味あることをしよう、

と決めて実践していた。



・「濃い5分」を12回積み重ねれば、

とても濃い1時間になる。



・「ゾーン」の作り方について、

最低条件として「練習量」がものを言うことは確か。

頭で考える前に、

身体が勝手に演奏してくれるような状態に

なるまで練習するのが大前提。



・練習を重ね、量をこなし、

頭で考える前に体が勝手に動くようになれば、

本番には余計なことを考えたりせず、

「頭が空っぽの状態」で

臨むことができる。

その上で、弾きながら

楽しい、気持ちいい、という気分が訪れたら、

ゾーンに入れる。



・考えなくてもできる「マッスルメモリー」を習得せよ。



・何度も何度も同じ曲を聞いて、

マッスルメモリーのレベルまで叩き込むことで、

「曲が自分のもの」になる。



・仕事などの頭脳労働も、

慣れれば一連の作業として流れるようにできる。



・週間、月間に行う定番の仕事があれば、

その最短の段取りを書き出し、

その通りに毎回なぞってみる。



・身体で覚えてしまえば、

複雑な仕事でも「何も考えずに」、

スピーディに行える。



・「精魂尽くして颯爽たり」

という言葉が、私の座右の銘である。



・苦も無く高いレベルの演奏ができるくらい、

精魂尽くして努力する。

その努力の跡をかけらも見せず、

颯爽と笑顔で演じる。

そんな演奏家でありたいと、いつも思っている。



★コメント

バイオリストでありながら、

さまざまなことにチャレンジする姿に憧れる。

その謙虚さに学びたい。


 

 



 

 

◆鈴木洋嗣『文藝春秋と政権構想』を読み解く



★要旨



・雑誌で政治に関わる取材を始めて今年で40年となる。



・1985年2月7日午前7時、

平河町の砂防会館別館前。

寒さに震えながら

木綿のトレンチコートの襟を立てて張り込んでいた。



・この日は、親分である田中角栄から袂をわかって、

竹下登を担ぎ上げる「創政会」の旗揚げの日だった。



・田中角栄に反旗を翻すというのは、文字通り命懸け。

政治生命をかけた闘いになる。



・最後に竹下登がクルマを降りてくるところは、

運良く絶好の位置にいた。

顔面蒼白とは、こういう人のことを言うのだな、

あの表情はいまも忘れられない。 



・結局、田中派121人のうち、竹下についたのは40人だった。



・当時、永田町において週刊誌記者の地位は低く、

政治家にはまったくと言っていいほど相手にされない。

国会議員に面会のアポを取るのも一苦労であった。



・はじめは、

各メディアの「出来る記者」にお教えを乞うてネタをもらってくるわけである。

恥ずかしいといえば恥ずかしい。

特にNHKの記者はせっかくの特ダネも立場上、書けないことが多い。

「ウチでは出来ないから」と取材メモを丸ごとポンともらったことも一度や二度ではない。



・わたしのキャリアにおいて

いちばんの強烈な記憶は、2012年、安倍晋三第二次政権が打ち出す

「アベノミクス」の基本的な設計に関わり、

月刊「文藝春秋」に安倍の政権構想を掲載したことだ。



・雑誌記者は、

「自ら名乗れば政治記者になれる」と書いたが、

実は「経済記者」にも「社会部記者」「スポーツ記者」

「文化部記者」「芸能記者」にもなれる。



・永田町を長く取材していて気づいたことがある。

大手メディアの政治記者は政局しか取材しないことだ。



・彼らの関心事は、

第一に人事であり派閥の動き、

第二に選挙、

三番目は国会の動向、

予算の中身、そして、外交、政党間の離合集散と続く。



・不思議なことに、政治記者たちは政策、

とくに経済・金融政策についてあまり興味を持っていない。

そもそも取材対象になっていない。



・国民生活にとってダイレクトに重要な経済対策は、

メディアのセクショナリズムの狭間に落ち込む形となっている。

このビルの谷間に気づいた時、

この狭間の空間こそが

雑誌ジャーナリズムの出番なのではないかと考えた。



★コメント

斬新な切り口の本である。

政治と記者の関係において、

新しい視点ができた。