大野純司のブログ
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ジェンダー・アファーミング・ケアは医学界のスキャンダルか

 体と心が一致しないと感じることを性別違和と言います。米国では、ティーンの性的違和が過去10年間に5000%増加しているそうです。元々、男の子の方が圧倒的に多かったのですが、今は、女の子の方が圧倒的に多くなっているとか。社会的に受け入れられるようになったのでカミングアウトする子が増えたとは思いますが、それだけでこの急増と男女の逆転を説明できるとは思えません。
 私が最も納得できる説明は、SNSで綺麗な女の子たちが可愛い写真をアップしているのを見て、女性としての自分に満足できない子が増えているのではないかということです。また、SNSに没頭して、異性に限らず、人と付き合うことが苦手な子が増えています。女の子であることに嫌気がさし、男になれば幸せになれると勘違いして、現実逃避する子が多いと言うのです。
 もう一つの原因は、左派がこれを政治活動にしているということです。昔、ウーマンリブが政治活動になったのと、よく似ています。男女の区別を、二元的なものではなく、相対的なものとし、ジェンダー・アファーミング・ケアを奨励しています。ジェンダー・アファーミング・ケアとは、性別違和を解消するためのヘルスケアで、ホルモン療法や性転換手術などが含まれます。
 セントルイスのジェンダー・アファーミング・ケアのクリニックで働いていたある同性愛者の女性が、これについて警告しているのを聞いたことがあります。彼女は、同性結婚をしているくらいですし、政治的にもリベラルですが、今のジェンダー・アファーミング・ケアは異常だと言うのです。
 特に驚いたのは、ジェンダー・アファーミング・ケアを娘に勧める親、特に母親が多いということです。医者にこういう風に言えばホルモン治療や乳房切除手術をしてくれるということを知っていて、その通りに娘に答えさせているとしか思えないことがよくあるというのです。子供たちが、男女の概念そのものを消し去ろうとしている左派の犠牲になっている、と言うことになります。
 もう10年以上も前のことですが、保守穏健派の私は、リベラル穏健派のある友人に、こんなことを言ったことがあります。「革新派は、極端な人が多い。ある左派のグループが、父と母と言う言葉をやめて、すべて親と呼ぶようにするべきだと言っているのを聞いたが、常識や良識を逸している。」
 当時は、共和党で最も中寄りだった穏健派のマケインやロムニーが共和党の大統領候補になっていた時代でした。ですから、保守派よりも革新派の方が極端だと言う私の意見も、根拠がなかったわけではありません。その友人は、極端な人はごく一部で、そんな人の意見が受け入れられるようになることはないと、笑い飛ばしました。私は半信半疑でしたが、それを裏付けるようなことが実際に起きています。
 アメリカ合衆国下院議長のナンシー・ペロシと規則委員会委員長のジェームズ・マクガバンは、2020年12月31日に、第117議会の「未来志向」の提案の一環として、「父」、「母」、「息子」、「娘」などの性別に基づく用語を使用しないことを宣言しました。これらの変更は議会の公式文書のテキストにのみ適用されます。
 口頭での発言には直接適用されないものの、男女の区別撤廃に一歩近づいたと感じたのは、私だけではないと思います。今週も、バーモント州の公衆衛生局が、息子や娘と言う言葉ではなく、子供と言う言葉を使うようにと、奨励しました。カリフォルニア州やニューヨーク州などでは、出生証明書に性別を書かなくてもよいようになっています。
 現在のジェンダー・アファーミング・ケアは、30年前にオランダで行われた、わずか55人の被験者を対象とした一つの小さな研究に基づいています。これは、思春期抑制剤の製薬会社が資金を出した研究です。幼児期から深刻な性別に関する悩みを持っている人を対象としたもので、被験者には思春期抑制剤、異性ホルモン、そして時には手術が行われました。
 18か月後、一部の被験者にわずかな改善があったという報告がありました。この研究には対照群がなく、再現されることもなく、その他の多くの理由から、深刻な欠陥があり、信頼性が低いと考えられます。再現とは、以前の研究結果を再評価し、同様の方法で新たな実験を行い、結果を検証することですが、妨害されてできなかったそうです。
 対照群とは、臨床試験や実験において、新しい治療法や介入を受けない群のことを指します。一方、新しい治療法を受ける群は治療群と呼ばれます。対照群は、新しい治療法の効果を評価するための基準として設定され、治療群と比較されます。実は、私はハワイでコロナワクチンの臨床実験に参加しました。後でわかったのですが、私が受けた注射はプラシーボでしたので、私は対照群の一人だったのです。
 話を元に戻しますが、これは「オランダ・プロトコル」と呼ばれています。自分の性について悩んでいるすべての人を助けることを意図したものではなかったにもかかわらず、そうなってしまいました。
 欠陥のあるこの小さな研究が、世界のジェンダー医学の基礎となってしまったのです。一部の医師は、これは医療スキャンダルであり、人災であり、子供たちだけでなく、多くの家族の人生を元に戻せない状態にしてしまったと批判しています。
 しかし、この状況に変化が起きています。最近、英国の国民保健サービス(National Health Service)が、ジェンダー・アファーミング・ケアに関するこれまでで最も包括的な調査をしました。
 英国王立小児科学会の元学長であるヒラリー・キャス博士は、2024年に閉鎖されるまで世界最大の規模を誇っていた英国のタヴィストック・ジェンダー・クリニックのデータを分析しました。彼女の報告書は、クリニックの慣行に対する痛烈な告発です。彼女は、医学的介入がジェンダーに悩まされている若者に利益をもたらすという証拠はないことを示しています。子供たちに必要なのはカウンセリングであると結論付けているのです。
 英国、ノルウェー、フィンランド、スウェーデン、デンマークは、肉体的に健康である場合は心に焦点を当てることにしました。10代の若者たちのジェンダー・アファーミング・ケアを基本的に停止したのです。オランダ、フランス、ベルギーもそれに追従しています。2024年3月、フランスの報告書で、未成年者の性転換は、「医学史上最大の倫理的スキャンダルの一つ」となる可能性があると評されました。
 しかし、米国とカナダでは、まだ全速力で進んでいます。これを止めるのは、訴訟による賠償責任かもしれません。ヨーロッパにおいてもそうであったように、犠牲者の親子がジェンダー・アファーミング・ケアのプロバイダーを訴えるケースが増えています。前述した英国のタヴィストック・ジェンダー・クリニックの閉鎖も、訴訟が原因でした。
 このクリニックは、性同一性発達サービスを提供していた世界最大の小児ジェンダークリニックでした。しかし、一部の元患者が起こした臨床過失請求により、閉鎖されたのです。
 特に、思春期ブロッカー薬の使用に焦点を当てた集団訴訟で、タヴィストック&ポートマン国民保健サービストラストが、有害な副作用のある思春期ブロッカーを無謀に処方し、精神衛生上の分析が不十分なまま、子どもの性同一性を疑うことなく肯定していたと非難されています。
 たまたま、このブログを出す直前、もう一度見直していてある記事を見つけました。今日付けのイギリスのサイトに、原告が千人に上る可能性があると書かれていたのです。訴訟を起こした法律事務所のCEOであるトム・グッドヘッド氏は、「これらの子供たちは、彼らが受けた治療によって人生が変わり、場合によっては取り返しのつかない影響を受け、長期にわたる身体的・心理的影響を受けています」と述べています。
 「私たちは、性自認について議論することへの恐れから、議論を封印してはいけませんし、責任者は責任を負わなければなりません」。なぜ性自認について議論することを恐れるのでしょうか。欧米では、このような問題に関する左派の意見はLGBTQの方々に対して寛容であり、その意見に異論を唱える人の動機は、彼らに対する偏見であると決めつけられることが多いからなのです。
 日本では、このようなことが政治問題になることは少ないです。政治的イデオロギーが日本医師会の治療方法に影響を与えるというようなことはほとんどないだろうと思います。しかし、日本が欧米の考え方やプロトコルを取り入れることはよくあります。その多くはいいことだと思いますが、社会問題などに関するニュースを見ていて、リベラルな米国の報道をそのまま受け売りしていると感じることはあります。
 日本で、ジェンダー・アファーミング・ケアが米国と同じように流行ることはないと思いますし、そうならないことを願っています。何事も、鵜呑みにする前に、その背景や反対意見を知ることが重要かと思います。

ビーサン履いて裁判所で通訳

 もう四半世紀も前のこと。当時、私は、ヘルピング・ハンズ・ハワイと言う非営利団体で働いていました。所長は現連邦上院議員のブライアン・シャッツ氏。私の仕事は、病院や警察など、主に公共施設に行って通訳をすることでした。仕事と言っても、アルバイト程度でしたが、上司に頼まれて、団体のオフィスで電話番をすることがよくありました。

 ある朝、日本人通訳を移民裁判所にすぐに派遣して欲しいという電話がありました。私は早速、日本人の通訳に連絡しましたが、急だったので、行ける人がいません。そこで、私が行くことにしたのですが、家に帰って着替えをする時間がありません。当時、家内は裁判所の近くで働いていたので、事情を説明し、仕事に行くときに私の着替えを一式持ってきてくれと頼みました。ちょうどいいタイミングだったのです。

 裁判所に行くときは、本当は背広を着なければいけないのですが、ここはハワイ。アロハシャツとスラックスで大丈夫です。家内の職場に行って着替えをしたのですが、家内は靴を持ってくるのを忘れたのです。私は、いつも通りビーサンを履いていました。しかも、移民裁判所の判事は、厳しいことで有名でした。ほかの日本人通訳が行けなかったのも、もしかしたらこの判事の通訳をしたくなかったからかもしれません。

 私は、家内の職場で夫婦げんか。家内の同僚が私の味方をしてくれました。しかし、決着をつける時間もないので、ビーサン履いて裁判所へ。判事は、気が付かなかったのかどうかは分かりませんが、何も言われなくて助かりました。夫婦喧嘩は犬も食わないと言いますが、後で笑える夫婦喧嘩は、いいのではないでしょうか。

ゲーム・オーバー

 進化論に関する記事は、今回が最後になります。今回は結論ですので、まだの方は、進化論に関する今までのすべてのブログを先にお読みください。これは、化学進化のブログも含めた結論ですので、そのブログも参考にしてください。

 

 

 

 

 

 

 科学革命は、16世紀から18世紀における科学的な進展と考え方の変革を指します。コペルニクス、ガリレオ、ケプラー、ニュートン、ベーコンなどが代表的です。彼らは、神がデザインされたからこそ宇宙にはインテリジビリティー(理解できるという特性)があると考え、今風に言うとID(インテリジェント・デザイン)論者でした。

 当時、神抜きで科学を説明することは、今より容易だったと言えるかもしれません。ビッグバン、宇宙の微調整、DNAがコードであることなどが判明した今は、それらの裏に何らかの知性が働いていたのでなければ、説明することが困難になっています。なのに、どうして現代の方が無神論者の学者が多いのでしょうか。

 当時、有神論を否定した学者は、迫害されたか、少なくとも冷たい目で見られたことでしょう。それが大きく変わったのが19世紀で、この変化に最も貢献したのが1959年に出版されたダーウィンの「種の起源」だったと言えるでしょう。進化論的思想は、人文科学にも取り入れられ、有神論と無神論の社会的立場が逆転したのです。現在、米国のほぼすべての大学は、一部のキリスト教系の大学を除いて、思想的にも政治的にも、無神論で革新派です。

 例えば、2020年のアンケートによると、ハーバード大学教授の41.3%がリベラル、38.4%が非常にリベラル(通常米国ではレフト「左派」、あるいはプログレッシブ「進歩主義者」と呼ばれる)だと自称しています。18.9%が穏健派、1.4%が保守派です。2015年から18年までに政治献金をした2,000人の大学教授を調べると、95%が民主党、共和党はわずかに1%でした。

 共産主義は無神論に基づいた政治理論で、社会進化論を提唱しています。共産主義でなくても、左派は無神論者が多いですが、欧米の大学に無神論者が多いことは、左派が多いことと深い関係があります。

 そのため、ID論者でなくても、有神論者であるというだけで風当たりが強いと述べる大学教授は多いです。授業中に有神論の学生に対するパワハラ的発言があったと言う話もよく聞きます。宗教に無関心な人が多い日本では想像できないかもしれません。

 ID信奉者が口をそろえて言うことは、公表はしていないが自分も実はID信奉者である、と内密に彼らに打ち明ける教授が多いということです。先述したケニオン氏のように終身在職権のある教授はまだいいですが、若い教授は職を失うことを恐れているのです。終身教授は、その大学や機関において安定した地位を獲得し、解雇が難しくなり、研究と教育に専念できる環境を提供されているのです。

 しかし、ディスカバリー・インスティチュートが主催した声明「科学的立場からのダーウィン進化論への異議」には、千人以上の学者が署名しており、その数は増え続けています。これはID論者でなくても署名して差し支えない内容です。しかし、主催がIDの本家本元であるディスカバリー・インスティチュートですので、IDに賛同しない学者が署名することは少ないのではないかと思われます。以下は、その声明文とリンクです。

 「我々は、ランダムな変異と自然選択によって、生命の複雑さを説明することができるという主張を疑問とする。ダーウィン理論の証拠を注意深く吟味することを要求する。」

 

 

 「化石記録における過渡的な形態の存在が極めて稀であることは、未だに古生物学の企業秘密だ。」「この進化的自然史の伝承に基づく『とにかくそうなんだ』と言う語り口は、何の証明にもなっていない。」(ハーバード大学進化論学者、スティーブンJグールド)

 「私たち古生物学者は、適応的な段階的変化を生命の歴史が立証すると言ってはいるが、実はそうではないことを知っている。」(アメリカ自然史博物館、ナイルズ・エルドリッジ)

 これらのコメントは、ダーウィニズムに反対する進化論者によるものであり、ID論者のものではありません。ID論者でなくても、このようにダーウィニズムを厳しく非難する有名な学者は増えていますが、ダーウィニズムにとって代わる説はまだありません。

 対照的に、ダーウィニストのリチャード・ドーキンス氏は以下のように述べています。「進化論を信じていないと主張する人に出会った場合、その人は無知、愚か、狂気じみているか邪悪だと断言しても全く差し支えない。」この違いはどこから来るのでしょう。彼は、生物学者としてより、むしろ無神論者として有名ですが、無神論という彼の信仰以外には、考えられません。

 カリフォルニア州立大学バークレー校は、カリフォルニアの州立大学の中では最も優秀な大学です。その進化論学者、リチャード・ゴールドシュミット教授は、「ダーウィンの進化論は種の中における変化しか説明できない」と述べました。このコメントに対するダーウィニストからの批判に関して、彼は、「今の私は狂気であるばかりか、ほとんど犯罪人だ」と述べています。ドーキンスに同調する学者がいかに多いかが伺えます。

 方法論的自然主義とは、科学的な研究や探求において自然の法則や物質的なプロセスのみを考慮し、超自然的な要因や干渉を排除するアプローチを指します。対するIDは、必ずしも超自然的な要因や干渉を説いているわけではありませんが、生命の起源やカンブリア爆発には知性が必要だと主張しています。イースター島の石像が、知性によらなければ作れないものであり、自然にできたものではないと考えるのと同じです。

 イースター島の巨大な石像を誰がどうやって作ったのかは未だに謎ですが、だからと言って自然の法則や物質的なプロセスでできたと考える人はいないでしょう。ID論も同じで、具体的なプロセスはまだ分からないが、知性なしには無理だと主張しているのです。石像と違って、生命の起源やカンブリア爆発は、人間が起こすことはできませんので、超自然的存在がそれをしたのではないかと言う推測ができます。

 リチャード・ドーキンス氏は、生命が自然に発生した可能性が著しく低いと言う計算結果の有神論的意味合いについて、以下のように述べています。冗談ではないかと疑いたくなるような記述です。

 「一般的な人間の意識には分かりにくいが、生命の起源に関する問題について、奇跡のような理論がまさに私たちが探し求めるべき理論だ。進化が、我々の脳を、寿命が1世紀に満たない生物に適したリスクと不可能性の主観的な意識で装備したためだ。…とは言うものの、計算には非常に多くの不確実性があり、もし化学者が自然発生的な生命の創造に成功した場合、私は動揺しないであろうことを告白しなければならない。」

 筋の通らない論理を説明するのは難しいですが、試みてみましょう。「人間は弱い存在なので、リスクのあることや不可能なことを主観的に考える傾向がある。客観的に見て奇跡的と思われる化学進化論は、そのような人類にとっては最も適した理論だ。」奇跡的な理論だが、人間にとって受け入れやすい理論だから正しい、とでも言いたいのでしょうか。と言いながら、この奇跡的理論が正しいと証明されても驚きはしないと言うのです。

 「たとえすべてのデータがインテリジェント・デザイナーを指し示しているとしても、そのような仮説は自然主義的ではないために科学から排除される。」(カンザス州立大学生物学者スコット・トッド)

 「我々は、科学の一部の概念が極めて不合理であるという事実、多くの健康や生命に関する誇大な約束が果たされていないこと、科学者のコミュニティーが未検証の話を容認する姿勢などにかかわらず、科学の側に立つ。なぜなら、我々は、前提として物質主義への忠誠心を持っているからだ。科学の方法論や機関が、何らかの形で、現象の世界の物質的な説明を我々に受け入れるよう強制するわけではなく、逆に、我々は物質的要因の先験的な信奉によって、どんなに直感に反するものであろうと、初心者にはどんなに神秘的に見えるものであろうと、物質的な説明を生み出すための調査体制と概念を作り出すことを余儀なくされている。さらに、この唯物論は絶対的だ。なぜなら、神聖なるものが入り込む余地を許すことができないからだ。」(ハーバード大学進化論教授リチャード・レウォンティン)

 彼が持っている「物質主義への忠誠心」、「物質的要因の先験的な信奉」とは、「唯物論」、つまり無神論という信仰です。科学者たちがどういう動機で自説を主張しているかは、その真実性とは関係ありません。しかし、これらの引用を見てもお分かりのように、この論争は単なる科学的なものではなく、思想的なものでもありますので、どういうバイアスがあるかを知ることは、理解に役立つと思われます。

 多くのダーウィニストが守ろうとしているのは、ダーウィニズム自体ではなく、物質主義的自然主義です。物質だけが実在するとし、超自然的な要素や存在を否定する概念です。つまり、物質の法則とプロセスだけが宇宙を説明する基本的な要素であると考える立場で、簡単に言えば無神論なのです。

 その点、動機やプライドに反する結論を出した人の意見には、説得力があります。アンソニー・フルー氏は、世界で最も有名な無神論哲学者の一人でした。ところが、2004年、一転して神を信じ、哲学界を驚かせ、バッシングを受けました。その後、彼の考えが変わった理由について、以下のように述べています。

 「特に二つの決定的な要因があった。一つは、アインシュタインや他の著名な科学者たちの洞察に共感するようになったことだ。彼らは物理的な宇宙の統合された複雑さの背後に知性が存在するに違いないと考えていた。二つ目は、私自身の洞察であり、生命そのものの統合された複雑さ、これは物理的な宇宙よりもはるかに複雑だが、その源は知性であるとしか説明できない。

 私は生命の起源が生物学的な観点から単純に説明できないと信じている。これについては多くの試みがなされてきたが、そのいずれも説得力がない。毎年新たな発見があり、生命の豊かさと内在的な知性について知られるようになるにつれ、化学的な混合物が魔法のように遺伝子コードを生み出す可能性はますます低くなった。私にとって明白になったのは、生命と非生命の違いは化学的なものではなく、存在論的(存在や実在、実体に関する研究や考察)なものであるということだ。

 この根本的な隔たりを最もよく示しているのは、リチャード・ドーキンスが『神は妄想である』で、生命の起源を幸運な偶然に帰すると主張した滑稽な試みだ。ベストを尽くした議論がこれなら、ゲーム・オーバーだ。私は(神の)声を聞いたわけではない。私をこの結論に導いたのは、証拠そのものだ。」

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