優しい 人が時々見せるわがままの心理
私の家内は、とても優しくていい人です。「これはめっちゃ怒るだろうな」と思っていたら、全然気にもしていないということもあります。ところが、そんな家内が、時々わがままを言ったり、人に無理な要求をしたりすることがあります。「何であの家内が?」長い間、それが不思議でなりませんでした。
母についても同じようなことが言えます。母はキャリアウーマンでしたし、典型的な優しいお母さんというわけではありませんが、とてもあっさりした性格の人です。父は昔ながらの気難しい人でしたが、母は人当たりがいいし、昔の部下には100歳を超えた今でも慕われています。しかし、父と母とどちらが気配りができるかと聞かれたら、ちょっと迷ってしまうのです。
一例をあげましょう。父は、生前、一人っ子の私に迷惑をかけたくないという配慮から、将来はホームに入るという計画を立てていました。母は全く逆で、自分はそこまで衰えることなぞ絶対にないと言い張って、よく父と口論していました。父はそうなる前に亡くなりましたが、母は98歳まで一人でとても元気に暮らしていました。
ところが、玄関の外で転倒して入院し、私はハワイから駆け付けました。その後肺炎になり、いつ亡くなるかわからない病態したが、すっかり元気になり、今は103歳です。私は母の介護を始めてもう5年になりますが、母がこんなに元気で長生きするとは、夢にも思いませんでした。
私は、自分の仕事を辞め、ボランティアでやっていた牧師も辞めて日本に戻ってきました。母は、客観的にはそれが大変なことであることを理解していますが、父が持っていたような息子への気配りはないのです。もちろん、母には大変お世話になっているので、私も当然と思っているのですが、母がそれを当然と思っているとすれば、正直、ちょっと抵抗があります。父とはえらい違いです。
家内と母はその点似ているところがあると思うのですが、最近、なぜなのか考えることがよくあります。以下が、私の推論とその検証結果です。
私の推論
私は、家内や母のような優しい人間ではありません。クリスチャンになったので、表向きはまともな生活をしていますが、もしなってなければ、女性関係や、グレーなビジネスなど、色々手を染めていたでしょう。クリスチャンになって、何事も自分の望む通りにしてはいけないということを学ばされたのです。
家内や母は、二人ともクリスチャンですが、多分元々いい人だったのだと思います。ですから、自分の思い通りに行動しても、ほとんどの場合、差し障りがないでしょう。ところが、思い通りにしてはいけない事情が発生した時、自制することに慣れてないのではないかと思うのです。
あるユダヤ教のラビが、男は自制心が必要だと話していました。男は利己的なので、自制する必要があるけれど、女性は男性ほど利己的ではないので、自然体でも大丈夫だということなのでしょう。
調査結果:自我消耗とセルフ・モニタリング
調べた結果、心理学に自我消耗という考え方があるということがわかりました。自発的な努力や、感情をコントロールする力(自制心)は、無限に湧き出るものではありません。実は筋肉のように限界があり、有限のエネルギー(脳のブドウ糖など)を消費していることが証明されているそうです。筋トレ直後は疲労して一時的に力が入らなくなりますが、心も全く同じなのだそうです。
私のようにいつも自分をチェックしなければ暴走する人は、自分勝手になっていないか、人に迷惑をかけていないか、日頃から自分を監視しなければなりません。それが必ずしもよくできているわけではないかもしれませんが、こうして無意識のうちに「自制心の筋肉」を日々トレーニングしているわけです。そのため、葛藤が生じる場面でもスタミナが切れにくく、理性を保ちやすくなるそうですが、ホントかいな。
しかし、もともと自然体で優しい人、生まれつき善い人で、自分の感情のままに行動しても周囲と衝突することがない人は、日常的に我慢する必要がほとんどありません。これは一見幸せなことですが、見方を変えれば、自制心の筋肉が未訓練のままになりがちとも言えます。
このため、どうしても感情を抑制しなければならない重大な局面では、未訓練の心の筋肉はすぐに限界を迎えてしまうのです。その結果、普段の優しさからは想像できないような、感情的なわがままが抑えきれずに表に出てしまうことがあるのだそうです。
また、心理学には、セルフ・モニタリングという概念があります。これは自分が他者からどんなふうに見られているかを意識し、自分の行動をコントロールする度合いのことだそうです。
- セルフ・モニタリングが高い:「今、自分がこれを言ったら相手はどう思うか」に敏感で、状況や相手の反応に合わせて自分のキャラクターや言動を柔軟に変えることができます。
- セルフ・モニタリングが低い:周囲の目線よりも、自分の内発的な感情や一貫した信念を大切に行動します。
私は、セルフ・モニタリングは高いと思いますが、相手がどう思うかに関して決して敏感ではありません。敏感でない分、気を付けなければいけないと思っているので、余計にモニタリングするよう気を付けているということだと思います。
普段から優しい良い人で、セルフ・モニタリング傾向が低い人の場合、他者への親切は「そうしたいからする」という純粋な気持ち(内発的動機)から生まれています。しかし、自分を客観視する(自己モニタリング)習慣が欠けているのです。
そのため、自分の「こうしたい」というストレートな感情が生じたときに、それが「相手にとってどれほど無理な要求か」に気づきにくい、という死角を持っているのです。これは、家内や母にも当てはまるのではないかと思います。
心の免罪符
もう一つ、無意識の「免罪符」の仕組みであるモラル・ライセンシング(道徳的認可)という概念があることもわかりました。人間は、何か良い行いや他者への貢献をすると、心の中に道徳的貯蓄(ライセンス)が貯まります。すると「私は十分に正しい人間だ」という安心感が生まれ、その後に少しわがままな行動をとることへの心理的ハードルが下がってしまう(罪悪感が軽減される)のです。
「普段からこれだけ周りに尽くしているのだから、今、これくらいわがままを言っても許されるはず」ということです。「今日はたくさん運動したから、ケーキを食べてもいいよね」という心理に似ているかもしれません。
ちなみに、家内や母は、運動しなくてもケーキを食べる人です。対照的に、私は、健康のためにペスカタリアンダイエット(ビーガンだけど魚は食べる)と、毎日16時間断食を始めて、もう3年続いています。
このように、普段から非常に優しくて良い人として周囲から高く評価されている人ほど、心の中には膨大な道徳的貯蓄があります(私は貯蓄じゃなくてサラ金地獄)。そのため、自分の中に利己的な欲求が生じた際、無意識の免罪符が働き、罪悪感なしに無理な要求を押し通すことを自分自身に許してしまうのだそうです。
これは、家内と母には当てはまらないのではないかと思いましたが、無意識のうちにそれが働いている可能性はあるかもしれません。特に母の場合など、「自分は息子のために大きな犠牲を払ってきたのだから、今度は自分が面倒見てもらう番だ」と感じているかもしれません。
これを封じる技もあるそうです。彼女たちにいつも感謝することで道徳的貯蓄をこちらから引き出して、精算してあげるのが効果的だそうです。「いつも本当にありがとう」と日常的に伝えることで、承認欲求が満たされ、無理な要求という形で免罪符を行使する心理が低下するらしいのです。
そこまで計算して感謝をするというのはどうかと思いますが、感謝をすれば、されるほうの人間形成にも役に立つということでしょう。残念ながら、私はそれができていないのですが、何とか私の唯一の頼みの綱である自己制御力を使って、それができるようになりたいものです。
私としては、二人の自然体が羨ましいというのが本音です。しかし、私の周りには、全然優しくはないけれど、いざというときに頼りになる人もいます。そのような人はよく自制の鍛錬ができているのでしょう。皆それぞれ長所短所があり、改善点があるということですね。
ジャニーズを暴いたBBCが暴け(か?)なかった超重大事件
2023年にBBCが制作したドキュメンタリー『Predator: The Secret Scandal of J‑Pop』で、元所属の未成年男性たちが性的被害を告白し、大きな反響を呼びました。日本でも大事件となり、当時、毎日のように報道されていたのを、皆さんも覚えていらっしゃるでしょう。
日本の大手メディアにとって、ジャニーズ事務所は強大な権力であり、利益共同体であったため、彼らは「不都合な真実」として沈黙していたのです。一方、イギリスのBBCにとっては、日本の芸能界のタブーなど知ったことではないため、しがらみなく果敢に調査し、事実を世界に暴露することができました。
しかし、そのBBCでさえ、比較にならないほど深刻な自国の「不都合な真実」は、見て見ぬふりをしていたのです。イギリスの中部ロザラムや北部ロッチデールなどの都市で、地元の少女たち(主に白人の社会的弱者やケアホームの子どもたち)に起きた事件です。主にパキスタン系移民のグループが、酒や麻薬、言葉巧みな誘惑(グルーミング)を用いて近づき、組織的に性的虐待や人身売買を行っていたことが発覚しました。
2014年に発表された独立調査報告書(ジェイ・レポート)によると、ロザラムだけでも、1997~2013年までに、少なくとも1,400人以上の子どもたちが被害に遭っていたことが明らかになっています。
問題はそれだけではありません。警察や政治家が「見て見ぬふり」をしていたことが、公式の調査報告書でも明確に指摘され、イギリス社会に大きな衝撃を与えました。地元の自治体や警察、ソーシャルワーカーは、被害者や家族から何度も訴えを受けていたにもかかわらず、長年にわたり組織的な捜査を怠り、事件を過小評価していました。その主な理由は、
- 人種差別と非難されることへの恐れ: 加害者の多くが少数派民族(ムスリム/パキスタン系)であり、被害者が白人であったため、本格的に捜査・非難することで「人種差別主義者」や「イスラム恐怖症」の烙印を押されることを恐れたこと。
- 地域コミュニティの緊張回避: 人種間の衝突や暴動、地域の評判が落ちることを懸念し、政治的配慮(いわゆるポリティカル・コレクトネスへの過剰な配慮)が優先されたこと。
- 被害者への偏見: 被害に遭った少女たちの多くが貧困層や家庭環境に問題を抱える子どもたちだったため、警察が「彼女たちが自ら進んでやっている」と決めつけ、真摯に取り合わなかったこと。
事件が明るみに出た2014年以降、このスキャンダルはイギリスの主要メディアで連日のようにトップニュースで報じられました。現在でも新たな裁判や政府の対策が発表されるたびに大きく報道されています。BBCはニュース番組でこの問題を厳しく批判的に報じただけでなく、以下のような独自の検証やコンテンツ制作も行っています。
- ドキュメンタリーの制作: 事件の全貌や行政の失敗を告発するドキュメンタリー(例:『裏切られた少女たち』など)を複数制作・放送しています。
- 社会派ドラマ『Three Girls』の放送: 2017年、BBCはロッチデールの事件を基にした3部作の実話ドラマ『スリー・ガールズ』をゴールデンタイムに放送しました。このドラマでは、警察や行政がいかに「人種差別と批判されることを恐れて」あるいは「被害者の少女たちを軽視して」事件を黙殺したかが極めてリアルに描かれ、イギリス国内で大反響を呼び、数々の賞を受賞しました。
しかし、事件発覚後、イギリス国内では、メディア(特にBBCやガーディアンなどのリベラル系メディア)が痛烈に批判されたのです。BBCは、ジャニーズ事件のように、自らこれを暴いたわけではなく、他紙のスクープや公式報告書の後追いをしたに過ぎなかったのです。彼らにとって、加害者の人種的背景は「不都合な真実」であり、踏み込むのを躊躇した事実は、イギリス国内のメディア検証でも共有されています。
1. 誰も知らなかったのか? 警鐘を鳴らす人はいなかったのか?
「被害者家族以外にも、警鐘を鳴らし続けた人はいました」。しかし、彼らの声は長年黙殺され続けました。
最も有名な内部告発者は、ロザラムの青少年支援ワーカーだったジェーン・シニアという女性です。彼女は1990年代末から2000年代にかけて、少女たちが組織的に狙われていることに気づき、10年以上にわたって警察や自治体に何度も通報し、データを提示して警告し続けました。しかし、当局は彼女の訴えを無視し、逆に彼女を「トラブルメーカー」扱いして組織から排除しようとしました。
2. 事件を暴いたのは誰か?
この巨大な闇を最初に暴いたのはBBCではありません。イギリス全土を揺るがす発端となったロザラムの事件を執念の調査報道でスクープしたのは、中道右派系の高級紙「タイムズ」のアンドリュー・ノーフォーク記者でした。彼はジェーン・シニアらからの情報提供をもとに、2011年から2012年にかけてこの問題を大々的に報じました。
この「タイムズ」の報道によって社会問題化した結果、自治体が外部調査を依頼せざるを得なくなり、その結果出てきたのが2014年の「ジェイ・レポート」なのです。つまり、BBCは自らの調査で巨大な闇を暴いたのではなく、タイムズ紙のスクープや、警察の逮捕劇、そして公式のジェイ・レポートが出た後に、「後追い」で大々的に報じ始めたというのが実態です。
3. BBCにとって「不都合な真実」だったのか?
BBCやガーディアン紙などの左派系メディアにとって、この事件の構図は強烈な「不都合な真実」でした。BBCは「多様性(ダイバーシティ)」や「多文化共生」を強く推進する立場をとっています。そのため、この問題に深く切り込むことを無意識、あるいは意図的に避けていたと批判されています。その理由は、
- 極右勢力への警戒: 当時、イギリスでは極右政党(BNPなど)が台頭しており、「イスラム系移民が白人の少女を狙っている」という事実を報じれば、極右に利用され、人種暴動が起きることをメディアも恐れていました。
- ポリティカル・コレクトネス(政治的妥当性): 「加害者がマイノリティ(パキスタン系移民)で、被害者がマジョリティ(白人)」という構図は、彼らの「マイノリティ=弱者・守るべき存在」というイデオロギーと矛盾しました。そのため、事実を直視することに「腰が引けていた」と、後にメディア関係者自身も反省の弁を述べています。
この背景には、イギリスの2つの歪みがあります。
① 業界の「思想的同調圧力」
BBCなどの主要メディアだけでなく、イギリスのエンタメ業界や大学は、リベラル・進歩主義的な思想が主流です。そのため、一度「人種差別主義者」「多様性に反する者」というレッテルを貼られると、スポンサーや制作会社、エージェントが一斉に手を引くシステム(システム化された村八分)が出来上がっています。異論を唱えること自体がキャリアの死を意味するため、BBCの記者たちもこの事件の報道をためらったのです。
② 警察の介入(言論への厳しい規制)
イギリスには、オンライン上のヘイトスピーチや「悪意ある通信」を取り締まる法律があります。実際、SNSでジェンダーや移民に関して物議を醸す投稿をした一般人や著名人の自宅に、警察が「警告」や「事情聴取」のために訪問するケースが多発しています。法律の運用が「進歩主義的な価値観を守るための言論弾圧」のようになっていると、保守派から激しく批判されています。
多文化主義や政治的言葉選びの風潮に異を唱えた有名人が、「差別主義者」という聖水を浴びせられ、社会的・経済的にキャンセルされるというのは日常的に起きています。日本人にもよく知られている人では、ハリー・ポッターの著者のJ.K.ローリングが、性別は生物学的に固定であり、女性の権利を守るために重要と主張してキャンセルされました。その発言がトランスジェンダー差別と受け取られ、全世界で炎上したのです。
投獄されるわけではないものの、生存権(職業の機会)を奪われるという意味で、それは現代民主主義における洗練された政治的迫害と呼ぶにふさわしい状況だと言えます。
警察の介入はイギリスほどではないにしろ、思想的同調圧力は私が住んでいる米国でも同じです。日本は、文化的には保守的で、現実派が多いので、移民問題に関して本音を言ってもキャンセルされることはあまりありません。しかし、多数派意見に流されやすいという点ではイギリスよりもその傾向が強いと思うので、気をつけなければなりません。この事件とジャニーズ事件を比べると、イギリスは理念の暴走、日本は理念なき忖度です。
今の日本においても、気が付かないだけで、多くの「不都合な真実」がまだまだ隠されているに違いありません。私たちは、陰謀論に走ることなく、それらを見抜く力を養わなければならないのです。
タイで12回目のボランティア旅行:続き
湖でキャンプ
タイでも3月は卒業式のシーズンです。去年も卒業式に出て、その後、孤児院の子供たちをキャンプに連れて行ってあげました。それが楽しかったので、今年もそうすることに。キャンプと言ってもダムでできた湖の小さな無人島。大きないかだを曳航船に引っ張ってもらって岩場に着岸し、寝泊りや食事はいかだの上です。
一泊二日で、2回子供たちに話をするように言われていたのですが、二日目は卒業する子供たちに話してもらいました。彼らは、キャンプの翌日、里の村に帰り、長い夏休みを過ごしたり、進学する子はその準備をしたりします。タイは4~5月が一番暑いので、3月末から夏休みなのです。
卒業生たちがみんなと過ごせるのはこの日が最後ですので、その心境を話してもらいました。高校を卒業して大学に進学する子が三人と、中学を卒業して、何らかの理由でほかの市の高校に行くために孤児院を出る子が三人です。
最初に話したのはT君。彼に限らずみんな恥ずかしがり屋で、何を話せばいいのか困っている様子。そこで私が質問をしました。
去年、チームメンバーのY君が彼にサッカーボールを買ってあげました。彼は、今年中学を卒業したのですが、体育専門の高校にサッカー選手として受かったのです。そのため、別の市に引っ越さなければなりません。Y君のサッカーボールが練習の役に立ったかと聞くと、うなずいていました。Y君の小さな心遣いが、彼の一生を変えるかもしれません。Y君は、今年も孤児院にサッカーボールを二つ寄付しました。
一番感動したのは、6人の中で孤児院滞在期間が最も長かったMちゃん。私は、彼女が10年前にお兄ちゃんと一緒に孤児院に入った時、私とよく鬼ごっこをしていました。そのほかにも当時の思い出話をして、覚えているかと聞いたら、首を振りながら泣き出してしまいました。進学先は、お兄さんが働いているバンコクだそうです。
今年から孤児院のサポートを始めるSさんやそのほかのメンバー、孤児院の世話をしている御夫婦などにも話をしてもらって、大変いい時を持つことができました。タイの卒業式は直前まで予定が決まらないので旅程を組むのに困るのですが、彼らの人生の節目に来たいと思ったのは、私だけではないでしょう。
貧しい子供たち
Mちゃん(卒業生のMちゃんとは別人で12歳)とSちゃん姉妹は、孤児院に入っているわけではないのですが、メソトの教会がサポートしています。二人はキャンプにも一緒に行きました。孤児院のCちゃんはMちゃんの同級生で、Mちゃんがお弁当を持って来ないことがあり、毎日同じ服を着ているので、教会の牧師さんに相談しました。教会は、二人の昼食代を出してあげることにしたのです。
お父さんが亡くなり、お母さんは家政婦の仕事をしているそうですが、一軒半日で収入は150バーツ、約730円だそうです。それも、仕事があればの話。タイの物価も上がってきて、日本とそう変わらなくなってきた感じがするのですが、730円では生活できません。
ところが、この姉妹はすごく明るくてとてもかわいい。家が教会のすぐ近くにあり、そうと知らないで通りかかったときに、Sちゃんが家から飛び出してきて飴をみんなにくれました。
見ると、家は、一部屋の掘立小屋。チームのI君のごみ屋敷よりひどい住居です。I君は、来年は彼らの家を直してあげようかと言ってましたが、自分のアパートもちょっときれいにしたほうがいいのでは?
Sちゃんにお返しをしようと思って、ハワイから持ってきたお菓子を携え、Cちゃんと一緒に尋ねてみました。あいにくSちゃんはお友達の家に遊びに行っていませんでしたが、Mちゃんとお母さんがいたので、いくらかお金を渡しました。学校がある間は教会がお昼ご飯代を出してくれると聞いていましたが、長い夏休み中はそれがないのではないかと思ったからです。
私は、お母さんに上げるように伝えてMちゃんにお金を渡し、お母さんにどう言えばいいか分からなかったので、すぐに立ち去りました。お母さんは家から出て来ませんでした。お母さんもどう対処してよいか分からなかったのでしょう。Cちゃんに、あの子たちは本当に貧しいねと言ったら、リッチじゃないけど、それほど貧しくもないという答え。えっ、と思ったのですが、そう言えば、Cちゃんも同じ境遇です。
実は、私は個人的にCちゃんをサポートしていて、今回も、小学校卒業祝いに中古のスマホを買ってあげました。8人兄弟の末っ子で、お父さんが亡くなってから家族は極貧状態。下の3人が孤児院に預けられました。お姉ちゃんのSちゃんは今年高校を卒業して孤児院を出ることになり、看護学校に入学するそうです。進学手続きのためか、二人ともキャンプ翌日に里帰りせず、孤児院に残っていました。
チームメンバーも全員帰り、一人残っていた私がメソトを出る日、バス乗り場まで送ってもらうために車に乗ろうとしている私めがけて、Cちゃんが走ってきました。手製のカードを渡してくれたのですが、「私の二人目のお父さんへ」と書いてありました。私は、年齢的には彼女のおじいさんですが、ハグして別れました。
私の教会が孤児院のサポートを止めたので、もう私が来なくなるのではないかと心配していたようです。再会を約束してお別れしました。それにしてもまるで映画のシーンのようなタイミング。もう少しでカードをもらい損ねるところでした。
卒業生と10年ぶりの再会
私は、タイでの最後の一晩を、一足先にバンコクに行っていた次男と過ごしました。10年ほど前に孤児院を卒業したS君と妹のBちゃんがホテルに来てくれて、一緒に食事をしました。二人とも英語が好きで、今は英語の先生をしているのですが、特にBちゃんの英語が、ネイティブじゃないかと思うほど上達していてびっくり。日常会話もままならなかった孤児院時代からは、想像もできません。
驚いたのはそれだけではありません。実は、私はBちゃんに関してあまり良くない想い出がありました。あれは確かBちゃんが高校を卒業する前のクリスマス。孤児院を運営している教会のスリウィッチャイ牧師に、子供たちにプレゼントを買ってあげたいのだが、何か必要なものはないかと聞きました。彼に、靴を買ってあげて欲しいと言われ、孤児院のスタッフのビサヌがみんなを安い靴屋に連れて行ってくれたのです。
ところがBちゃん、タイ語で「こんな安物の靴は履けない」と言っていたのだと思うのですが、買おうとしません。結局ビサヌが適当に彼女の靴を選んで買いました。タイは、お隣のミャンマー、カンボジア、ラオスほど貧しい国ではありません。孤児院の子供でも、女子高生ともなれば、学校の上履きみたいな安物は履きたくなかったのでしょう。その事件以外にも不満が多い子でしたので、あまりいい印象は持っていなかったのです。
ところが10年ぶりに会って、すっかり変わっていました。「私の人生は、どこに行っても神様が周りに本当にやさしい人を送ってくださり、すごく祝福されている」と話していました。私と次男、そして今回行けなかった家内のためにお土産を持って来てくれ、帰るときにはお祈りをしようと言われて、祈って別れました。何という変わり様。彼女の人生の一部を担えて、嬉しいです。
サポートにご興味ある方や、行ってボランティアをしたい方は、ご連絡ください。あなたもBちゃんが言う「やさしい人」になれるかもしれません。いや、もしかしたら、誰かの二番目のお父さんかお母さんになれるかも。
