星野富弘さん「あの人に会いたい」
誰もが幸せになりたいと考えていますが、これは簡単なことではありません。ただ、私の意見では、一つのことを変えるだけで幸せになれるのではないかと思います。この変化は非常に強力で、幸福になろうという目的で変えたのでなくても、それだけで人をより幸せにし、より良くすることができると思います。他に努力をしなくても、より寛大で、より親切で、より良い人間になることができるのです。
この魔法とも言えるものは何でしょうか。それは感謝です。感謝の気持ちがなければ幸せにはなれませんし、良い人にもなれないのではないかと思います。ほとんどすべての良いことは感謝の心から生まれ、ほとんどすべての悪いことは感謝のなさから生まれると言っても、過言ではないかもしれません。
この世に、感謝の気持ちのない幸せな人はいないと思います。そして、この世に恩知らずの善人などいないのではないでしょうか。それには二つの理由があると思います。
一つは被害者意識です。恩知らずは被害者意識に繋がるか、被害者意識から生まれるのではないでしょうか。恩知らずの人は、自分を被害者だと考えているように思います。そして、自分を被害者だと認識したり、被害者グループの一員だと認識したりすることが、自分が人を傷つける行動の原因となり、それを正当化するのではないでしょうか。
自分を被害者だと考える人は、自分が他人に傷つけられたので、自分も他人を傷つけてもいいと感じる傾向があるように思います。大量殺人事件を起こすような人は、被害者意識が強い人が多いそうです。
恩知らずの人が善人ではない二つ目の理由は、常に怒りに満ちているということです。恩知らずの人は怒り、そして怒っている人は他人を激しく非難します。恩知らずは人を不幸で意地悪にし、感謝の気持ちは人を幸せで親切にすると思います。
実際、どうでしょう。最も感謝の気持ちを感じた時のことを考えてみてください。結婚した時、赤ちゃんが生まれたときなど、感謝の気持ちを持った時は、幸せな気持ちで満ちていたのではないでしょうか。そして、同時に、他の人にもっと優しくしたいという思いもあったと思います。感謝の気持ちを持つ人は怒らず、自分を被害者だとも思っていないのではないでしょうか。
しかし、多くの人が感謝の気持ちを失っているように思います。それは、人々が持っていないものを欲しているだけでなく、受ける権利があると考えているからではないでしょうか。そして、自分が得るべきだと思うものが多ければ多いほど、実際に得たものへの感謝の気持ちは薄れていくように思います。そして、得られなかったときには、怒り、不幸だと感じてしまうのではないでしょうか。
自分が権利を持っていると感じることが少なければ少ないほど、得たものへの感謝の気持ちは増し、より幸せになると思います。自分が権利を持っていると感じることが多ければ多いほど、より不幸になるのではないでしょうか。
欲しいものは何でも手に入る子供が、あまり幸せではないことが多いのはそのためだと思います。そのような子供はわがままです。わがままな子供は幸せではありません。わがままで優しい子供などいないでしょう。周りの人や社会が自分に借りがあると感じれば感じるほど、怒りは増し、幸福度は下がるように思います。
人は、生い立ち、偏見、物質的な不平等、自分が障害者、同性愛者、女性であることなど、色々な理由で自分は被害者であると感じ、社会もそれに同調する傾向があるように思います。もちろん、恵まれていない人に対する思いやりは大切ですが、被害者意識を奨励する結果になってはいけないと思います。
感謝は幸福と善の源だと思います。善良な人、そして幸せな人が増えれば増えるほど、私たちの世界はより幸せでより良いものになるのではないでしょうか。誰も、自分を不幸だと思っている人のそばにいたいとは思わないでしょう。あなたの不幸、あなたの不満は、周りの人も不幸にするのではないでしょうか。ですから、幸せになることは、あなたの責任でもあるのだと思います。
ちょうど1年前に亡くなられ、今月、HNKの「あの人に会いたい」でも放送された星野富弘さんは、若い体育教師時代、クラブ活動の指導中、事故で手足の自由を失いました。彼は、その後クリスチャンになり、口に筆をくわえて花の絵を添えた詩集を出したことで有名です。
事故当時、彼は怒りに満ち、献身的に看護してくれたお母さんに怒りをぶつけていました。後に、彼は、詩集の中で彼の考え方の変化についてこう述べています。「そうか神様に生かされていたのか。そう気付いた時、道端の花が輝きはじめ、苦しみにも、悲しみにも、意味があったのを知った。」番組の中でも、「この花を描いてやろうではなく、描かせていただく」と考えるようになったと述べています。
彼の詩集は、星野さんが人生の試練を乗り越え、神への感謝の気持ちを深めたことを表しています。彼の作品には、困難の中でも希望を見出し、感謝の心を持つことの大切さが込められています。
「すべての事について、感謝しなさい」(聖書テサロニケ人への第一の手紙 5章18節)。人生には悲惨な出来事もあり、「すべての事を」感謝することはできませんが、聖書は、「すべての事について」感謝することを教えています。
私は、102歳の母の介護をするようになってから、もう4年が経とうとしています。その話をすると、二つのリアクションがあります。「大変ですね」と言ってくれる人もいれば、「102歳のお母さんのお世話ができるなんて、素晴らしいですね」と言ってくれる人もいます。後者は、自分自身のご両親が早く亡くなって、お世話することができなかった人が多いようです。
私が母の介護についてどう感じているかと言うことは、気にしないようにしています。本当は大変だと感じているのに、素晴らしいと感じなさいと言われても、それは無理です。しかし、感謝するかどうかは、態度の問題であり、それは選択できるのです。その選択によって、あなたが幸せになることができ、周りの人も幸せになることができるのではないでしょうか。
タイで11回目のボランティア旅行:メソトの特殊詐欺事件
食べ放題のバーベキューに連れて行ってあげたらみんな大喜び
メソトで危うく拘束
最近、今まで日本人にほとんど知られていなかったメソトというタイの小都市が一躍有名になりました。川を挟んだ向こう側は内戦中のミャンマー。そこに日本人を含む世界各国の人たちが強制労働をさせられていました。私たちはメソトの教会が運営している二つの孤児院を助けるために行ったので、この事件は関係ないと思っていましたが、そんなことはありませんでした。
今回は、家内、常連のNさんとHさん、前回から参加してくれるようになったY君、以前私たちのハワイの家でホームステイしたS君の6人です。バンコクのスワンナプーム空港になかなか着陸できないで何回も旋回し、やっと着陸してタクシーに乗ろうとしたところ、家内が間違って他の乗客の荷物を取ってしまったことが判明。
急いで空港内に戻りましたが、家内はジャケットをタクシーの中に置き忘れたことに気付きました。戻りましたが時すでに遅し。私とS君がインフォメーションデスクで事情を説明すると、チェックインした本人じゃないと対応できないと言われました。
ところが、自動的につながるはずのスマホのデータローミングがつながらず、家内と連絡が取れません。やっとあの広い空港で家内を見つけて荷物を持ち主に返し、自分の荷物をもらった時には、メソト行きのバスの出発時間まで45分を切っていました。
バスターミナルまでは1時間近くかかると言われていたので、もう代替手段を考えるよりほかないと思っていたのですが、念のためグーグルマップを調べてみたところ所要時間35分。航空便の到着予定時刻はラッシュアワーでしたが、もう夜の8時過ぎでしたので、道がすいていたのです。
すぐにタクシーを見つけて、バスが20:50発だと言ったら、運転手は驚いた様子で、何度も聞き返されました。タクシーは通常、高速料金を乗客が現金で払いますが、かなり余分にタクシー代を払ってETCにしてもらい、出発2分前に到着。何とか自分たちが乗るバスを見つけて飛び乗りました。
問題はその後です。夜明け前、メソト市に入る前に入国管理のチェックポイントに来ました。6人チームの中の4人がこのバスに乗っていたのですが、例の特殊詐欺事件のおかげで、日本人は怪しまれるのです。実際、私たちの滞在中、ホテルを予約していなかった40代の日本人男性がここで止められ、強制退去させられたと報道されていました。バスを下ろされて尋問が始まり、バスは先に行ってしましました。
私たち夫婦より、まだ若いHさんやS君が質問攻めです。やっと私も「Youは何しにメソトに」と聞かれて、ジョン牧師の教会に行くと言ったら、そこにいた一人の男性が彼のことを知っている様子です。この男性は、他の人と違って、制服を着ていません。田舎のおじさん風の人でしたが、どこかで見覚えがありました。彼がジョン・スリウィッチャイ牧師に電話してくれて、すぐに疑いが晴れました。
夜行バスのメソト到着予定は8時半でした。これはバスが遅れたというクレームを避けるための方策だと思うのですが、実際に着くのはその4時間前です。前回バスで来たときは、そんなこと知らなかったので、真っ暗闇の中で、自分がどこに着いたのかもわからない状態でした。そんな早朝タクシーが拾えるかどうか不安だったのですが、すぐにジョン牧師が来てくれて逆に助かりました。
彼の話によると、彼のことを知ってた田舎のおじさんは、タイ市民ですがカレン人で、ミャンマーのカレン軍で政府軍相手に戦っているとのこと。以前、カレン人の村に布教に行ったときに会ったおじさんでした。こんなこと、ここでばらしてしまっていいのかどうかわかりませんが、後で、彼が銃を持っている写真や、武器弾薬などの写真を見せてくれました。彼はなぜそこにいたのかは分かりませんが、入国管理に協力していたのでしょう。
卒業式
着いたその日が中学高校の卒業式。今年は、孤児院から高校を卒業する生徒が二人、中学も二人です。中学の卒業生の一人は、私の知り合いが個人的にサポートしてくれているKちゃんですが、自分の村の高校に入ることになり、孤児院を出ます。高校を卒業するMちゃんは大学に進んで看護学部に、私のもう一人の知り合いがサポートしているFちゃんは看護助手になるために半年間、学校に通う予定です。
Mちゃんは国から4年間奨学金が出ます。Fちゃんはミャンマーからの難民の娘で、市民権がなく、国からの援助はもらえません。しかし、私の知り合いがごく最近まで働いていたチェンマイのキリスト教NPOから学費と家賃の奨学金をもらえることになりました。
3人しかもらえない奨学金に100人の応募があったそうですが、彼女はタイの田舎の少数民族としては珍しく英語が上手で、優秀なのでしょう。ちなみにFちゃんはカレン族とモーン族のハーフです。
でも、Fちゃんは、本当は4年制の大学に行って、看護師になりたいのです。半年の間にアルバイトを見つけて、自活しながら勉学を続けることを望んでいます。少しでも助けになるようにと、Hさんが生活費として月6,000バーツ(27,000円)サポートすることにしました。私の家内もフルタイムで働きながら夜学を卒業したと言う話をして励ましました。
中央がFちゃん、右は中学を卒業したCちゃん、左は中学を卒業して、里の高校に行くことになったKちゃん。
キャンプ
春休みに入ってすぐ、子供たちと一泊二日のキャンプに行きました。春休みと言っても、夏が早いので、こちらでは夏休みです。新学期が始まるのは5月です。車で3時間ほどのダムで、大きないかだに45人泊まりました。曳航船に引っ張ってもらって、湖の中央にある小島に接岸。泳いだり、カラオケをしたりして楽しみました。
私は、子供たちに3回話をするようにと頼まれていました。親がいない、あるいはいても育てられない貧しい子供たちです。また全員少数民族で、中にはミャンマー人で、タイの市民権がない子もいますが、神がすべてのことを働かせて益としてくださると言う聖書の話をしました。子供たちにも自分の体験談を話してもらい、泣き出す子もいました。みんなと今まで以上に仲良くなれてよかったです。
ダムでできた湖に浮かんだいかだで記念写真
私たちの滞在中、以前私がサポートしていたFちゃんが結婚しました。先述したFちゃんと同じ名前なので、そのことを伝えたところ、二人は同じ村の出身で、知り合いだそうです。
結婚したFちゃんは、去年、お母さんが焼き畑をしていてひどい火傷を負い、亡くなりました。お父さんに虐待されていたことが原因で孤児院に入ったFちゃんは、お母さんを慕っていましたので、とても辛い出来事でしたが、これで幸せな生活が始まることを願っています。今年も、近隣の山々で焼き畑の煙が上がっていました。
結婚したFちゃん
孤児院の修理
今回初めて参加したS君は、壊れた物の修理が得意です。今までも、お金を渡して孤児院の修理をしてもらうことはよくありましたが、今回は、自分たちで直すことができました。おかげで、充実した毎日を過ごすことができ、子供たちにも手伝ってもらって、より仲良くなれました。以下は、直したもののリストです。
台所の屋根の葺き替え、裏口の日よけの設置(これらは費用を出しただけ)。倉庫の屋根の葺き替え、コンセントの取り換え、自転車数台、網戸と窓の網十数枚、蛇口二つ取り付け、洗面台3台の下水パイプの取り付け、詰まったトイレと下水溝の修理、ドアノブを数個、ドアを新しく3枚。
バスルームのドアは4~5センチ高すぎたので切らなければいけませんでした。裏口の2枚のドアも幅がちょっと広すぎたので、こちらの方はドアの木枠を削りました。大きさが違うなんて、日本やアメリカではありえない。
そのほかにも、食事と勉強に使っているテーブルが古いので、新しいものを買ってあげようと思ったのですが、既成のものはすぐに壊れると言うので、鉄骨や板を買って大きなテーブルを二つ作りました。大きな子供用と、小さな子供用です。鉄骨を切って溶接する作業は、子供たちを世話している夫婦のご主人、パットさんが全部しましたが、大変よくできました。既製品を買うよりは費用がかかりましたが、ずっと長持ちするでしょう。
網を張り替える作業を手伝う子供たち
地震
松山に帰った翌日、ミャンマーで地震がありました。メソトはミャンマーとの国境にある市ですので、バンコクよりも揺れたと思います。チームの一員であるNさんは、一人残ってチェンマイの友人を訪ねていたのですが、泊まっていたマンションから飛び出たそうです。
私たちの知っている人やその家族知人の中で、怪我人はいませんでしたが、帰省したFちゃんの近所の家が倒壊したそうです。私たちの教団の教会はミャンマーにもありますが、牧師たちは全員無事だと聞いて、安心しました。宣教師のマイクさんの家はひびが入ったそうですが、構造上の問題はないそうです。
今回の地震で最も大きな打撃を受けたのは、もちろんミャンマー人です。特にメソトに隣接する地域は、特殊詐欺が見つかったことで、観光や輸出入が激減していましたので、泣きっ面に蜂です。中国資本でホテルやカジノが増え、飛行機でメソトまで行ってミャンマーに入国するのだそうです。カレン軍とミャンマー軍は、混乱状態に乗じて激しい戦闘を繰り広げているそうです。
Nちゃんの教室
ミャンマー人の孤児院
チームメンバーの一人で、何回もタイに来ているNさんは、数年前メソトの郊外で孤児院を運営しているエルジョンさんと知り合い、みんなで訪ねてみることにしました。敷地は大きく、元牛舎や、倉庫のような建物がありますが、家自体は決して大きくはありません。家賃は月1万バーツ、44,000円ほどだそうです。この小さな家に、自分の二人の子供以外に12人のミャンマー人を育てています。
全員が孤児であるわけではなく、最近は、戦闘を避けるためにタイに逃げてきた子が多いそうです。今は夏休みですが、子供たちが里帰りするのは危険ですので、逆に3人のお母さんが訪ねてきて、この狭い家に泊まっていました。ベッドはなく、硬い床に薄いカーペットが敷いてあるだけです。
タイでは、孤児院で男女が同じ敷地内に住むことが禁じられています。孤児院と言っても名ばかりで、寄付だけもらって子供たちの世話をろくにしていないところもあります。孤児院が人身売買に関わっていることさえありますので、厳しく規制しているのです。
この孤児院は男女共学ですので、政府からの認可は受けていないものと思われます。エルジョンさん夫婦が、個人的に始めたのでしょう。エルジョンさんはインド系の少数民族、奥さんはミャンマー人ですので、二人ともタイ語が話せません。とても大変だとは思いますが、ご夫婦も子供たちも、笑顔に満ちていました。
エルジョンさんの孤児院
宣教師のマイクさんが英語を教えている小学校に、3人のミャンマー難民の孤児がいます。彼らは、学校の給食を作っている夫婦の家に住んで、給食作りを助ける代わりに、生活費を賄ってもらっています。その一人、K君は、金色の箔を使ったタイの象の絵を作って、生活費の足しにしています。私たちもいただいたのですが、購入なさりたい方は一つ$30です。送料でほとんどなくなりますが、残ったお金は彼らのサポートのために使われます。
もう一人のMちゃんは、今月、小学校を卒業しましたが、中学の寮には外国人枠が少なくて、入れそうもありません。寮に入れなければ、どこかほかに住む場所が必要です。Mちゃんのスポンサーになる人が見つかれば、孤児院に住んで中学に進学できます。進学できなければ、タイに住むビザを取る資格もなくなり、ホームレスです。実際、3年前までは、ホームレスでした。
サポートの額は月100ドルなのですが、前回参加してくれた後藤さんに連絡したところ、快く引き受けてくれました。彼は、私が属している全米不動産管理協会の会員で、私が講師をしている認定不動産投資顧問協会日本支部の会長を務めたこともあります。ほかにもサポートが必要な子供たちがいますので、ご興味のある方はご連絡ください。
K君が作った象の絵、左から宣教師のマイクさん、家内のキャシー、私、Nさん、S君、Y君、Hさん
アメイジング・ジャーニー 神の小屋より
この映画は、宗教映画で、通常は日本で公開されるような映画ではありません。公開されたのは、多分すみれさんが出演したことがその理由でしょう。すみれさんは、ハワイに住んでいたことがあり、私の教会にも、彼女のお母さんを知っている人がいますので、なんとなく親しみを感じます。
この映画の原作は、ウィリアム・ポール・ヤング牧師の書いたThe Shack(小屋)です。私の教会の信徒さんのお友達が日本語に訳してそうですので、興味のある方は読んでみてください。
筋書は、ごく普通の生活をしていたあるお父さんが、幼い娘を誘拐殺害事件で失います。自分の幼少期に父から受けた虐待や、娘の死に思い悩んでいた彼は、ある週末、最後に娘と過ごした山小屋を訪ねに行くのですが、途中で交通事故に遭ってしまいます。意識不明の中で、彼は、小屋で3人の人に会う不思議な夢を見るのです。その3人とは、三位一体の神である父なる神、子なる神(キリスト)、聖霊でした。
三位一体の父なる神が、幼い時に彼を助けてくれた近所の黒人のおばさんだったり、途中で男性に変わったりします。面白い演出ですが、こちこちの伝統的なキリスト教徒の方は、面食らったかもしれません。すみれさんが聖霊の役を演じています。
この週末の出来事は、著者のヤング牧師が10年以上かけた神との葛藤を凝縮したものだそうです。映画の主人公も、虐待されてお父さんを毒殺すると言う、大変な過去を抱えていた人ですが、ヤング氏の体験はもっと数奇的なものでした。
彼のご両親は、パプア・ニューギニアの宣教師で、彼らは人食い人種に伝道していました。パプア・ニューギニアには、1,700の関連性のない言語があるそうです。彼は、幼い時からそこで育ちましたので、ご両親が伝道していた部族のことばと英語がしゃべれる世界で唯一の人だそうです。
部族たちが両親を殺すべきかどうか相談しているのを聞いたり、性的な虐待を受けたりして育った彼は、精神的に大きな傷を負っていました。それを隠して牧師として生きてきたのですが、その傷がばれそうになると、辞めて他の教会に移っていたそうです。
しかし、逃げられなくなりました。彼は、浮気をしていたのが奥さんに見つかり、離婚して逃げるのではなく、問題を解決する決心をしました。何年もかけて奥さんと対話し、カウンセリングを続けて、彼はだんだんと癒されていったのです。その時の神との葛藤を描いたのが、この小説でした。
小説を書いたきっかけは、カウンセラーから、子供たちのために自分の人生について何か文書にして残してあげたらどうか、という提案だったそうです。カウンセラーは、まさか一冊の小説を書くとは思っていなかったでしょう。ヤング牧師は、書き上げた小説を15部プリントアウトして、家族や親しい友人に配りました。
貰った人たちは、小説に感動し、読み終わった後、他の人と回し読みをするようになりました。そうこうするうちに、これを出版するべきだと言う意見が出たのですが、どの出版会社も話に乗ってくれなかったそうです。そこで仕方なく自費出版し、ニューヨークタイムスのベストセラーリストに1年も載りました。世界中で40か国語に訳され、2,300万分以上売れたそうです。
ヤング牧師は、決して成功した牧師ではありませんでしたが、彼が自分の葛藤をあからさまにすることによって、多くの人が癒されました。その一人が彼のカウンセラーの奥さんです。
カウンセラーには、麻薬中毒の息子がいました。ある日、ある女性が、カウンセラーと息子が住んでいる家を訪ねて来ました。麻薬の売人です。カウンセラーは、息子に、お前ももう大人だから、この家に残るか、この女性についていくか、自分で決めなさいと言ったそうです。息子は、女性について行くことにしました。
3人は、家の外で話していたのですが、カウンセラーは、家に入って戸を閉めました。息子が何かを取りに家に入ろうとして、自分のすぐ後ろにいたのに気が付かなかったようです。自分の目の前で戸を閉められた息子は、かッときて持っていた銃でドアノブを叩きつけました。そのショックで発砲し、弾はドアの向こう側にいた父親の心臓を打ち抜いたのです。そうとも知らず、息子はその場を立ち去り、父はそのまま亡くなりました。
その後、カウンセラーの奥さんはこの本を読み、非常に癒されました。何が理由かは知りませんが、この本の著者は亡くなったご主人の元クライアントかもしれないと思い、ヤング牧師に連絡したそうです。
米国だけでも400万部も売れた本の著者ですので、講演会に招かれることもあるようです。私も、二つほどYouTubeのビデオを見ましたが、普段着で、ミリオンセラーの著者という雰囲気ではありませんでした。ときどき、これだけ有名になっても天狗にならない理由は何だと聞かれるそうです。彼は、これだけ恥をさらして、天狗になれるわけがないだろうと笑っていました。彼の恥が、何千万もの読者を癒したのです。







