理科室には大きな実験台が4面もあります。これは本来の作業台としての機能を果たすだけでなく、ディスカッションをする時にも役立ちます。つまり、丸いテーブルではないものの四角いテーブルをラウンドテーブルに見立てれば、メンバー間でディスカッションが格段としやすくなるのです。

↑ラウンドテーブル・ディスカッション
(イメージ図;著作権フリーイラスト)
最初に気づいたのは、理科室で「仮説実験授業」のトライアルをした時の観察からです。仮説実験授業の最大の効用は、意見を引き出して、交換する点にあると私は考えてきました。極めつけは、「他人の意見を聞いてから、そちらが妥当であると思えば、自分の意見を捨てて乗り換えても構わない。」という絶妙なる選択肢が添えられているほどの見識の高さです。この仮説実験授業が示唆したエッセンスをスーパーサイエンスコースでは引き継ぎ、そして拡張して行きます。
日本では、「キチンと座って、黙って話を聞く」のが良い授業態度だという伝統に則ってきました。実は、欧米の学校では正反対です。それゆえ日本からの留学生が教室で黙っていると「白痴でないか?」と誤解された逸話も、あながち誇張ではありません。それほど「沈黙は金」という教えを堅持してきた日本人ですから、ディスカッションするのは世界一苦手な民族です。
しかし、ディスカッションする習慣をつけて、構成員の一人ひとりが意見を持ち、交換していく練習をしていかないと、学ぶ力も育成できないばかりか、英語で書いたり発言したりする情報発信力も手にできません。多くの人が「英語さえ身につけば、英語で発言し、英文を書いたりできるはず。」と錯覚していますが、それは永遠に届かない幻想です。日本語ですら意見がまとめられないから、英語で意見を述べられない。さらに言うと、英語で発信するに値する意見を集約することも覚束ないから、英語での発言ができない・・という真実に気づくべきでしょう。
この問題を解決するには、小規模グループで意見を出し合い、まとめて記録に残していくという地道な活動を一つの「教育システム」として構築し、実践してノウハウを蓄積していくしかありません。これをスーパーサイエンスコースでは「ラウンドテーブル・ディスカッション」として発信力を強化する教育プログラムとして実践して行きます。それには、理科室が持つ実験台を囲んでメンバーが座るというフォーメーションが最大の真価を発揮するのです(竹内)。
追伸:
日本語に訳させる英語の授業をしておいて、英語しか出てこないTOEIC試験を課すとか、黙らせて授業を聞かせておいて、面接練習で突如として発言を強いるとか、教育の効果があがるよう設計されていません。「教育デザイン」の欠如は、由々しき事態。酷(むご)いほどです。私が自ら「教育デザイン室長」を名乗っているのは、その強い想いあってのことです。

↑ラウンドテーブル・ディスカッション
(イメージ図;著作権フリーイラスト)
最初に気づいたのは、理科室で「仮説実験授業」のトライアルをした時の観察からです。仮説実験授業の最大の効用は、意見を引き出して、交換する点にあると私は考えてきました。極めつけは、「他人の意見を聞いてから、そちらが妥当であると思えば、自分の意見を捨てて乗り換えても構わない。」という絶妙なる選択肢が添えられているほどの見識の高さです。この仮説実験授業が示唆したエッセンスをスーパーサイエンスコースでは引き継ぎ、そして拡張して行きます。
日本では、「キチンと座って、黙って話を聞く」のが良い授業態度だという伝統に則ってきました。実は、欧米の学校では正反対です。それゆえ日本からの留学生が教室で黙っていると「白痴でないか?」と誤解された逸話も、あながち誇張ではありません。それほど「沈黙は金」という教えを堅持してきた日本人ですから、ディスカッションするのは世界一苦手な民族です。
しかし、ディスカッションする習慣をつけて、構成員の一人ひとりが意見を持ち、交換していく練習をしていかないと、学ぶ力も育成できないばかりか、英語で書いたり発言したりする情報発信力も手にできません。多くの人が「英語さえ身につけば、英語で発言し、英文を書いたりできるはず。」と錯覚していますが、それは永遠に届かない幻想です。日本語ですら意見がまとめられないから、英語で意見を述べられない。さらに言うと、英語で発信するに値する意見を集約することも覚束ないから、英語での発言ができない・・という真実に気づくべきでしょう。
この問題を解決するには、小規模グループで意見を出し合い、まとめて記録に残していくという地道な活動を一つの「教育システム」として構築し、実践してノウハウを蓄積していくしかありません。これをスーパーサイエンスコースでは「ラウンドテーブル・ディスカッション」として発信力を強化する教育プログラムとして実践して行きます。それには、理科室が持つ実験台を囲んでメンバーが座るというフォーメーションが最大の真価を発揮するのです(竹内)。
追伸:
日本語に訳させる英語の授業をしておいて、英語しか出てこないTOEIC試験を課すとか、黙らせて授業を聞かせておいて、面接練習で突如として発言を強いるとか、教育の効果があがるよう設計されていません。「教育デザイン」の欠如は、由々しき事態。酷(むご)いほどです。私が自ら「教育デザイン室長」を名乗っているのは、その強い想いあってのことです。
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