「幸せ」には定義があることを知った。


ちなみに「幸せ=お金」ではない。


そもそも、

人によって考え方も違えば捉え方も違う。

「幸せ」という形の無きものをどう考えれば良いのか!?


もちろん、

他人からお金や賞賛をもらうことで幸せを感じる人もいれば、他人に自分ができる何かを提供することで幸せを感じる人もいる。

感じ方は人それぞれなのだろう。



ただ、これまで曖昧なものでしかなかった「幸せ」。

それがなんたるかをここで示したい。



幸せとは

「これまでの自分から変化し成長を続けることで得られるもの」である



つまり、

人は変化し成長を続けられることでのみ幸せを感じることができるということだ。


ボクには、

この感覚がすごくよく分かる!



ボクは、

読書が好きだ。


本を読むことで、

新しい知識を得れば、

自分が変化していることが実感できる。


この変化が行動を起こさせ、

仕事、スポーツ、遊び、日常会話に好影響を与えていく。



そんな変化が続くことが「幸せ」なのだ。



宝くじが当たった人は、

お金持ちの生活にすぐ飽きるらしい。

「なんとも贅沢な悩みだな」とは思うが、

幸せの感覚は一瞬で、

しばらくすふと幸せではなくなるらしい。


なぜなら変化が続かないから。


豪邸暮らしも始めてしまえば、

たちまち飽きてしまうのだという。


環境を変化させるより、

日々、自分が変化した方が間違いない。

お金では頭の中に知識は入らないし、自ら教材の購入や講座に参加することでしか新しい知識を得ることはできないのだ。


幸せという曖昧な感覚を得たければ、

とっとと、今の自分から脱却した方がいい。


同じ生活を繰り返すな。

会ったことがない人と会え。

やったことがないことをやれ。

行ったことがないとこへ行け。

さぁ、知らない世界へ飛び立て。


さもなくば、

幸せは逃げていく。

「頭がいい」と聞いて、

どんなイメージを思い浮かべますか?



東大生。

医者。

ピアニスト。

作曲家。

漫画家。

お笑い芸人。

英語が話せる人。

年収10億の社長。

など様々あると思います。




それでは人それぞれの考えによって違い曖昧なので、

なにか一つに定義できないものか。



では、

「頭がいい」を「頭の回転が早い」として、

「頭の回転が早い」を「問題に対する答えを即座に思い付くこと」だと仮定します。




すると、

頭がいい=クイズ王

となる!



ただし、

私の思うクイズとは

「火星で一番高い山はなに?」などのクイズ番組で出てくるような問題だけではない。



「飲食店業界において、コロナ禍でも今までの売り上げを保つためにやるべきこととはなに?」といった現実の問題も含まれる。



つまり、正解がないもののクイズも解けなくては頭がいいとはとても思えない。



いくら学校の勉強ができたからといって、

社会に出てからは役に立つものなどほとんどない。

正解がある学校の勉強とは全く別物だからだ。



我々は気づかなければならない。



天変地異や災害が至る所で起き、

100年に一度のウイルスが流行り、

AIが現在の仕事を奪っていく。

そんな変化の激しい時代に生きているということを。



正解のない現実の生き方を、

学校では誰も教えてくれないだろう。

時代の唸りに飲み込まれそうになっても、

周りの自分達と似たような人が手を差し伸べてくれることはないだろう。



なぜならば、

日本人は知識が足りなさ過ぎる。


日本における成人の1日の平均勉強時間を知っているだろうか?


たったの6分らしい。


逆に6分で何を学んでいるのか聞いてみたい。


こんな時代を生きているのに

何も学ばずにいるなんて

詰んで当たり前ではないだうか。



もはや今の時代を生き抜くためには、

様々な知識を身に付けるしかない。



ただボク達一般人が知識を身に付けるためには、

選択肢が少な過ぎるのも現実。



身近なところに

大企業の社長やベンチャー企業の経営者がいるはずもなく、荒波を乗りこなす方法を教えてくれる人がいないからだ。



だとするならば、

ボク達にできることとは

「本を読む」しかないだろう。



ボクは週に4冊のペースで図書館で借りた本を読んでいる。

なぜ週に4冊かというと、2週間で8冊借りれるからだ。

2週間以内に8冊読み終えなくてはならない。


読みたい本が次から次へと現れるのだから不思議なものだ。


そんな生活を繰り返してきた。



この生活を続けて1年が経とうとしているが、

ハッキリ言って別人のように変わった。

読書は知識を増やせるだけではない。

脳を鍛えることもできるのだ。



何かを達成するために、

何をして良いか分からないのであれば、

まずは「本を読め」と答えるしかない。

寝る時間を削ってでも本を読んだ方がいい。



ここまで読書を取り入れた生活に慣れてくると本を読まない生活には怖くて戻れない。

知識を入れないことが恐怖でしかないのだ。





本を読む習慣さえ身に付けば、

間違いなくなんとかなるだろう。



なにが起きても

どんな状態に陥っても

「知識と頭の回転で乗り切れる考え」が思い付くのだ。



本当に不思議だ。


こればっかりはやってみた人にしか分からない。


本を読まない生活の自分と、

本を読む生活の自分とでは、

1年後に同じ人とは思えない程の差が生まれる。



何をしていいのか分からないのであれば、

スマホを見る時間を削り、

ゲームをする時間を削り、

テレビを見る時間を削り、

睡眠時間を削り、

本を読めばいい。



本を読めば分かる!

人は

「自分が持っている知識を披露したい」という欲求があると思う。



なぜなら、

私自身も初めて知ったことや、

自分にとって有益な情報は、

いつだって誰かに話したいし、自慢したい!からだ。

そもそも説明すること自体が好きってのもあるが。



調べてみると、

人は「他の人より優れていると周りに認めてもらいたいと思っている」のだそうだ。

これを「自己顕示欲」と言うらしい。



さらに人は、

「支配する側に立ちたいという思い」も持っているらしい。

上司が部下に、

偉そうに説明している姿をよく見る。

あれは「私はあなたより上ですよ」「そのことを周りの人も知っててね」と全体に向けてアピールしたいらしい。

実に人間っぽい。



人は生まれながらにして、

そういう構造をしているのだから仕方がないのかもしれない。


しかし、

これがいたって厄介なこととなる。

顕著に現れるのが上司になったときだけではなく、親になったときもだからだ。

この人間的な機能が全開になってしまう。




結果、

一番の迷惑を被るのは「子ども達」なのである!




今まで生きてきて学んだ自分オンリーの教育論や道徳論、根性論、恋愛論を振りかざして教育を始めるから困ったものだ。


「いや、それ正しいの!?」である。





偉そうに言っているが、

かく言う私もそのひとり。

その辺の親と同じことをやっている。



「勉強しない」

「習い事をサボる」

「言うことを聞かない」

「店で騒ぎまくる」

こんなときは叱らなければならない。


「勉強しないと将来困るぞ」

「イヤなことがあるとすぐ辞めてしまう人になるぞ」

「話を聞かないと怒るぞ」

「他の人の迷惑を考えろ」

こんな、一見正しいそうなことを口では言ってる。


だが、

正しくはない。


なぜなら、

正解はないからだ。

「これが正しい」と思っているだけだ。



親だって、

所詮は人生という名の旅の途中いる未完成者。

そんな親が正解のないこの世の中について、

これまで得てきた古い価値観を武器に生きる術を教えなくてはならない。

未完成な知識を、

親になってしまったから、仕方なしにぶつけていることになるのだ。



そんなもの、

これから新たな時代を生きていく子ども達には必要ないことが多い。

凝り固まった独自の考えを家庭教育としてやっているのだ。



それが真理とは違ったとしても、

とにかく「教えたい」のだ。

欲望のままに。



気をつけて。


あなた(親)の人生は、

あなたがやってきたことであって、

これからを生きる子どもたちには、

窮屈な知識なだけかもしれない。


ムダな先入観を植え付けるだけかもしれない。


本来のミライは

子どもが自分の手で創りあげるもの。


親の意見や考えは、さほど必要ない。


ただのアドバイス程度にしかならないからだ。


「こうしろ!」「ああしろ!」の命令は、

子どもの成長を妨げることになる。


本来の教育とは

親子ともに成長するもの。


「これでなければならない!」はない。

「自由」でなければならない。







とても悲しいことがあった。

そのとき感じた
感情だったり
気持ちだっり
心情だったり
直感的なものを
相手に伝わるように言葉にする。




とても大きなミスをしてしまった。

そのとき自分に足りていないと思うこと
次に活かすべきこと
なぜ起きてしまったのかの過程
そんな目に見えないモノを
相手に説明できるように文字にする。


これが言語化するということ。


言語化できると、
同じようなミスをしている人や
また同じことを繰り返しそうな自分に対しても
アドバイスができるようになる!


このアドバイスは、
挑戦した結果、
失敗した者にしかできない。

失敗したことがなければ問題を見た瞬間に成功へのルートが浮かぶ。
成功までの道のりがほとんど発生しない。

それに対し、
時間をかけて失敗した過程がある者は、
その道のりを修正可能となる!


成功者達に追いつくには、
自らの足りないことを知り、
それを得るために血の滲むような努力することが必須となる。


このためには
まず言語化が必要だ。
そこで足りないモノを見える化するしかない。
闇の中のモノを改善しようがない。


成功者達は、
成功に至るまでに改善を何度も繰り返してきた。
その結果で、やっと成功を手に入れたのだ。
どんな成功者も必ず同じルートを辿っている。
いきなりの成功した者は見たことがない。 

みな目には見えないモノを言語化し
改善すべきところを見つけ出したのだ。


だから、
ほとんどの成功者達は他人へのアドバイスすることができる。
まったく別な分野のことでも的確な答えを出してくれる。



なぜなら言語化するチカラが強いからだ!








テストの点数とは、
ただの結果。

一喜一憂するほどのことではない。

もはや「何点だったか」なんて、
どうでもいい。


そんなことより、
プロセス(これまでやってきたこと)と
次につなげることを重要視することの方が大切。


できるはずの問題を間違えたり、
単純ミスをおかしているのは、
単なる注意力と実力不足。



能力が足りていない訳ではない。
点には繋がらなかったとしても、
これまでの努力のおかげで、
問題が理解できるようになったのだ。

そこまでは素晴らしい。

あとは、
その凡ミスが本番でのストレスが影響しているのであれば、ひたすら経験を積めばいい。

仮テストを繰り返して慣れればいい。

それだけで次につながるのだ。


能力があるのに、
ストレスなどの別な原因で間違えたり、
仕方のないことでは凹む必要はない。
次に同じミスを繰り返さなければいい。


そんなことより、
全く理解できない問題が存在することは
ただの努力不足である。

単純に努力すればいい。
そのためにテレビを見る時間を削るのか、
スマホを見る時間を削るのか、
寝る時間を削るのかを考えればいい。

努力不足は大問題だ!


そこに気付ければ次に繋がる。
明日への糧になるのであれば、
今のテストの点数など気にする必要はない。
例えば
運動神経はないが、
考える能力はあるガリ勉くんが、
「スポーツをやりたい!」と思い、
野球を始めたとする。


周りからは、
「やめときなよ」
「向いてないよ」
「もっと勉強した方がいいんじゃない!?」
と言われるだろう。


それって、
一見、理にかなったアドバイスだ。


今更始めてもケガするだろうし、
いく度も惨めな思いをするだろう!


だが、
人生という長い時間の中で見た場合に、
果たして「やめたほうがいい」と
始める前の段階で言い切れるのだろうか!?


多くの人は言う。
「自分の能力に合ったところを伸ばせばいい」と。


卓球の愛ちゃんが別なスポーツをやっていたとしたら、そのスポーツでメダルが取れたかと言えば難しいだろう。
ボクシングの亀田興毅さんが勉強をやっていたとしたら、ボクシングのように大成していたかと言えば難しいだろう。


人には個々の能力に違いがあるのだから、
適所は必ず存在する。


だが、
また別な人達は言う。
「やりたいことをやればいい」と。


冒頭のガリ勉くんが野球を始めて、
案の定、エラーばっかりだとしても、
「なぜ、うまくいかないのか」を言語化できるかもしれない。
詳しく分析できるかもしれない。
分かりやすく解説できるかもしれない。
なぜ、このチームは勝てないのかを見出すことができるかもしれない。
将来、指導者や監督になれるかもしれない。



「野球を始める」とは、
ホームランを打つ選手になるだけではない。


勉強✖️スポーツにより、
新たな分野が現れる可能性がそこにはあるのだ!


それが新たな適所を作ることだってあるのだ!!


結局、
始めてみなければ、
結果がどうなるかなんて、
まったく分からないのだ。


「向いてること」
「能力を最大限に発揮できること」だけに、
注力するだけの人生は、物足りない!


未知の分野に飛び込むことで、
全く新しい観点が生まれる!
生きることの難しさと挑戦の大切さが学べる。
慣れ親しんだ環境に身を置き続けていては、
絶対に経験できないことがある!

人は挑戦するために生まれてきたのだ!



脳がブレーキをかけようが、
周りからワーワー言われようが、
やりたいことをやる方が命が輝く!













マジメな人って「損をしているなぁ」と感じる。

マジメであればあるほどに、、、。

きっと、
マジメな人って、ルール大好き人間
なのだろう。


今日も一生懸命、
ルールを守りながら、
みんなにルールを守るように叫んでいる!


SNSが普及してからは、
ネット上ではいつも
ルールを気にしない派とルールを守る派
の口論が勃発している。


「なんであの人はマスクしてないのよ!
マスクは当たり前じゃない!?
おかしいでしょ!!」


「最終的には個人の判断じゃなの!?
人に近づいてなければ問題ないよね。
そもそも、あなた自身には何の影響もないじゃん!」


そう、
ルールを守らない人が、
ルール厳守を叫ぶ人へ、
直接に迷惑をかけてはいないのだ!


そこまで自分の時間をかけて、
ルール厳守を叫ぶ必要があるのだろか!?



本来、
ルールなど、あってないようなもの。


例えば校則。
廊下を走ってはいけません。
授業中、しゃべってはいけません。
スマホを持ってきてはいけません。
髪を染めてはいけません。


これらは
学校(他の生徒や教師等)の迷惑になりそうなことをやるな
学校側が自分都合で決めたことに過ぎない。

できるだけ事細かにルールを決めなければ、
学校側に不利益が生じてしまうのだ。


そりゃ、学校側として、
学校内で子どもが大ケガでもしたら一大事だ!
学校側の設備管理不足や、
教師への指導体制を叩かれる。


苦情に発展しそうなことを事前にルール化して潰しているのだ。


無駄口を叩かなければ、
子どもがうるさくて授業にならないことはない。
教師が不快な思いをしなくて辞めることはない。
授業に集中できる環境を整えているPRにもなる。


ルールがあるのだから、
それを守れないで苦情を言うなら、
「ルールを守らないあの子に原因があるでしょ!?」
「あなたに原因があるでしょ!?」と反論できのだ。


ルールなんて、
所詮そんなもんだ。

誰かが自分の都合に合わせて作っているのだ。


その学校に行く以上、
それは仕方がない。
そこで決められた最低限のルールを守った上で、
他人に迷惑をかけずに生きればいい。


それを躍起になって、
掃除をサボってる人を許せない。
授業中、寝ている人を許せない。と
なってはならない。


そんな、
ルールを守らない日があってもいいじゃないか。
人は皆、生きているのだ。



どう考えたって、
最低限である法律上は何の問題もない。


仮に
遅刻したって、
ミスしたって、
その人しかできない特殊な仕事ができればいい。


迷惑をかけないことに注力するより、
人の役に立つことに注力した方がいい。


無駄なことに力を注ぐ暇はない。
もっとあなたにしかできない能力を発揮してくれることを世の中は期待している!








学生の頃はサッカー部に所属していた。
当時のサッカー人気はすごくて、
部員は50人くらいいた。


小学生の頃からやっている子がほとんどの中、
中学から始めたボクは、ついていくのが必死だった。


そもそも体力もないし、
動き方も分からないし、
ボールの蹴り方も分からなかった。


ただ、
本当に楽しかった。
仲間といることがとてもおもしろかった。

だからこそ「上手くなりたい!」と強く願って、
練習に参加していた。

当時の練習は、ろくに水も飲ませてもらえなかったので死ぬほど疲れた。
夏場なんて、ほぼ脱水症状の中、練習してた。

たまにサボったりしたけど、
練習には参加していた方だ。
それは上手くなりたかったからだった。


ボクは常に「練習すれば上手くなる」と思っていた。
部活に行けばいいと。


でも学年が上がっても、
上手くなる気配すらない。

後輩に抜かれて、
自信とプライドなど捨てるしかなかった。

そう、
練習に行っても上手くはならないのだ。


しっかりとした指導者がいなければ、
自分で何が足りないかを理解して
そのための努力をしなければ、
絶対に上手くはならない。


ボールだけ蹴ってても意味がない。
スタミナだけつけても意味がない。


試合で勝つためにやるなら尚更だ。


当時のボクはそれに気付かず、
「小さい時からやってないと上手くならない」と
結論付けていた。

なんてショボい言い訳だろう。
我ながら恥ずかしい。

正しい努力をしていないだけなのに、、、。


自分に何が足りないのかを知ろう。

なぜやるのかを見出だそう。

そして
努力でそれを掴むのだ!










何事においても
その人によって
「向き」「不向き」がある。


これは間違いない事実だ。


例えば、
バレーを始めたとする。

身体が低い選手は、
アタックやブロックは難しい。

ルール上、
ネットが高いのだから、
身長が高い方がどうしても有利になってしまうのだ。

これは、
どうこう言っても仕方ない。
バレーをする上でのルールなのだ。

だからと言って、
バレーを諦めるべきかと言えばそうではない。
それは安易な考えだ。

バレーにはリベロというポジションがある。
拾いまくってトスを上げまくる役目だ。
点を決める訳ではないので地味かもしれない。

ただ、
とても重要なポジションだ。

そこで活躍するには「俊敏さ」が必要だ。
逆にデカイ選手には向いていない。

それぞれの
生きる道を見つければいい。



例えば、
野球を始めたとする。

パワーがないと
ホームランを打つのは難しい。

打球が柵を越えるためには、
どうしても足腰の力が必要だからだ。


だからと言って、
野球を諦めるべきかと言えばそうではない。

マルチヒッターという人がいる。
豪快にかっ飛ばす人から見れば地味かもしれないが、
内野安打でもなんでもヒットを打ちまくればいい。


そこにも俊敏さが必要だ。
パワー系の選手には向いていない。


自分の「向き」「不向き」を考え、
自分にとって最善の
生きる道を探すことこそ、
人生を楽しむ方法だと思う。








勉強やスポーツの上達に大事なことは、
要領や技術なんかじゃない。


最も重要なものは、
モチベーション!

要は「やる気」だ!


どんなに優秀なコーチが指導したところで、
本人のやる気がなければ、
本人がやろうとしなければ、
なんの成果も成長もない。



親に言われていやいや塾に来てるヤツを
東大に入れることはできないし、
なんとなくスポーツをやってるヤツを
オリンピック選手にすることはできない。


どんなに効率がいい教え方や、
どんなに最先端の技術を得たとしても、
本人がやらなきゃ「何も始まらない」のだ!


逆に、
やる気さえあば、
勉強もスポーツもなんとかなる!


偏差値60程度には確実になれる!


いかにやる気をてっぺんまで上げていくのかが
何かを達成するための最短ルートだ。



では、やる気を上げる方法はないのか?だが、
まず初めに「やる気がない原因」を探った方がいい。

そもそも「やる気がないこと」がおかしい!
幼稚園児はやる気に溢れている。
あまり記憶がないが、私も小さい頃はやる気に満ち溢れて毎日が楽しかった。

どうやら、
我々は成長の途中で、
「やる気が失われること」をやっているようだ。


はっきり言えることがある。
「やる気がない」は
体調不良だ!


体調不良に関わっている原因のひとつが
食生活だ。

食は超重要だ。

なぜなら、
食べたもの=身体になるからだ。

ただ、
3食なにを食べているかが問題ではない。


水分補給時にジュースを飲んでいること、
小腹が空いた時に甘いものを間食すること、
ドカ食い、飲み過ぎも、
その行動すべてが問題。

口に入れるもののすべてを考えなければならない。


最近の健康関連の書籍では、
「脱糖」「脱小麦」は、
もはや当たり前となっている。


ただただ血糖値を跳ね上げるジュース。
腸や脳に悪影響を与える菓子パン。


もっとも「簡単に」かつ「長期的に」できる
やる気を上げる方法。

それは、
身体に不要なものをなるべく口に入れないことだ。


多くの人達はランチや小腹が空く度に、
手軽に食べられるパンやお菓子を選ぶ。

どちらかと言うと、
そんな頻繁に食べることの方が手間である。
必要以上に食べなくすることが、
もっとも手間のかからない方法だ。