寝る前にはいい気分になりたい!
怒られた、
失敗した、
ミスした、
間違えた、
など
イヤな気分のままで眠りにつくことは
絶対に避けたい。
夜中にうなされることは間違いない。
そもそも、
そんな状態で寝れるのか!?
やっぱり
正反対の成功体験がよいと思う。
いい気分で一日を終わりたい!
一日を過ごしたのだ。
とても頑張ったではないか!
そのパワーを「明日への活力」とするべきだ。
寝る前にはいい気分になりたい!
怒られた、
失敗した、
ミスした、
間違えた、
など
イヤな気分のままで眠りにつくことは
絶対に避けたい。
夜中にうなされることは間違いない。
そもそも、
そんな状態で寝れるのか!?
やっぱり
正反対の成功体験がよいと思う。
いい気分で一日を終わりたい!
一日を過ごしたのだ。
とても頑張ったではないか!
そのパワーを「明日への活力」とするべきだ。
夢を語るときって、
めちゃくちゃ楽しい。
宝くじが当たったら何をする?とか
自由な時間が1年あるとしたら?とか
子どもが東大に入ったらどうなる?とか
今から子どもに戻ったらどう過ごす?とか
市長になったら今の街をどう変える?とか。
夢は尽きない
なんと言っても、
夢が叶ったときの嬉しさや快感をイメージできるそのことが楽しくてしかたない!
感覚だけだが
一瞬の幸せならいつでも味わえる
夢が叶う=ひとときの幸せ
ずっとイメージしていたいくらいだ。
ただし、
そこで終わったら勿体ない!
ぜひ叶えよう!
夢実現に向かって動いてみよう!
一歩踏み出してみなければ、
叶うか叶わないかなんて誰も分からないじゃないか。
誰からも決められることではない。
もちろん自分でも決めれることじゃない。
踏み出さない自分がいるのは、
勝手に叶わないと信じ込んでいるだけ。
ムダな心配は捨てて、
動き出してみればいい。
壁にぶつかれば修正すればいい。
動き出さなきゃ何も始まらない
何も変わらない
いつまでも他人が変えてくれると思っているな。
自分を変えれるのは
いつも自分だけだ
人生は目標を明確にすることから始まるのだ!!と思う。
だって、
何に向かって進んでいるのかが分からないままだと、
「今、この瞬間に何をすべきか」が分からない。
今までのボクはそうだった。
ヒマで、
退屈で、
やることがなくて、
休みの日に何をすればいいのかが全く分からない状態だった。
休みの日には、
みんな嬉しがっているのが不思議だった。
なにをやって過ごしているのかが謎だった。
やることが何も思いつかないから、
ほとんど昼過ぎまで寝てた。
何も予定がない日はただただ苦痛だった。
何のために勉強をするのか?
何のために仕事をするのか?
何のために子育てをするのか?
そんなことも分からなかった。
そんなあるとき、
義務のように全てをこなしていることに気が付いた。
このままでは、
「何のために生きているのか分からない」なと。
ただ呼吸をし、
ただ飯を食らい、
ただ生命を維持しているだけ。
ただただ生きるためだけに
生きているのだなと思った。
決してそうじゃない。
やりたいことがあるからこそ生きるべきなのだ!
ただ勉強をするのではない。
確かに物理や文学が今すぐに役立つ訳ではない。
長い人生の中、
幾度と出会うであろう躓く場面で、
手をついて立ち上がれる方法を
勉強することで得ることができるのだ。
子どもの頃は勉強の仕方を、
転んだときや壁にぶつかったときの解決法を
探す方法を学んでいるのだ。
ただ仕事をするのではない。
給料をもらい生活費を稼ぐためだけではない。
仕事を通じて身をもって世の中に需要があるものを知ることができる。
世の中に足りないものを学ぶことができる。
長い人生において、
必要な人間関係の構築やスキルを得ることができるのが仕事だ。
それらを活かして世の中に足りないものを与えることができる人間へと成長できるのだ。
ボクも今ではやりたいことだらけだ。
子育て
英語
教育
畑仕事
お笑い
マンガ
作家
人の夢を叶える手伝い etc.
もはや寝てる時間も惜しい。
ご飯を食べる時間も惜しい。
本当に世の中は輝いて見える!!
時代は大きく変わった。
ボクが子どもの頃なんて、
ネットも無かったし、
スマホも無かったし、
SNSなんて、もちろん無かった。
今となっては、
当時のボクは、どうやって友達と遊ぶ約束をしていたのかさえ覚えていない。
どうやって会えていたのか不思議なくらい、
今では一瞬で連絡が取れる。
ホントに便利な世の中になったものだ。
スマホ1つで、
名前も顔も知らない世界中の人達と、
一瞬で繋がることができることが、
もはや当たり前でとなった。
それほどネットとスマホは時代を変えてきた。
コロナをきっかけに
その変化はさらに進化し続けている。
さらに、
その加速度を上げている。
もう誰にも止められない。
そこに気付かなければならない。
変化についていけない者達から、
世界に順応していけない者から順番に消えていく。
実際には、
外食自粛、旅行制限、リモートワークに伴い、
かなり多くの分野が消えていった。
飲食店、
貸店舗、
イベント業界、
映画業界、
旅行業界、
観光地などは大打撃を受けている。
どこへ行っても人がいない。
「このお店大丈夫か?」と経営が心配なくらいに、
お客さんがいない。
テレワークが普及して、
フリーランスのような働き方が拡大していくと、
通勤時間がない分、
プライベートの時間も増え、
充実した生活をおくれるようになる。
さらに
ムダな会議、
ムダな出張、
ムダな使用料が炙り出される。
必要ないものが、ハッキリ見えてきたと言っていい。
伝統芸能のように見直されることがなかった、
昨年と同じことを繰り返すだけの古い習慣を断ち切った。
素晴らしいことだと思う。
テレワークとか意味わからん。
手続きがめんどくさい!
zoomってなに?
会議は顔を合わせなきゃ。
そんな人から脱落していく時代だ。
「取引先からzoom会議で」と言われることが当たり前である。
「無理です」じゃあ通用しない。
もうそこまで時代は変わったのだ。
受け入れるしかない。
逆に、
今までの常識を覆すチャンスなのかもしれない。
ここのチャンスを逃すと二度と変われるチャンスは来ないだろう。
それでも人は、気づかない。
昨日とほぼ同じことの繰り返しの毎日を生きていると感じている。
明日も今日と同じ日だと思っている。
だが、
想像以上に変わっている。
身近な所では気付かない変化が、
至る所で起こっている。
歴史を見てほしい。
少しずつの変化がひとつの時代を作ってきた。
そう考えると変化しなかった年があっただろうか?
ならば、
今の毎日が続くはずがない。
平穏な日常など、
未だかつてなかったのだ。
これからもあるはずがない。
変化に気付かなければ、
気付いたときには遅いのだ。
こんなことを聞いたことがある。
他の人間にできることならば
人は、
挫折を子どものうちから経験すべきだと思う。
私の職場には、頭のいいと言われている大学の出身者がたくさんいる。
話し方からしても、
「小さい頃から成績優秀だったんだろうなぁ」と感じ取れる人達だ。
ただ、そんな人達は残念なことに仕事ができるとは、到底思えない。
その原因のひとつに、
「順風満帆な人生を歩み過ぎたことで、
失敗したときの反動が大きくなってしまう」ことがあると思う。
何の問題もなく生きてきた人にとっては、
たった一度の失敗ごときで「途方もない挫折」を味わうことになる。
褒められ続けて生きてきた結果が、
ちょっとした失敗さえも、眠れなくなるほど悩み、後悔するタネになってしまうのだ。
どこまでも自分を責めてしまう現象を起こしてしまっている。
勉強ばかりして遊ばないことで、
逆に学ばなかったことがあるのかもしれない。
学校ではずっと成績優秀だったのに、、、だ。
社会人になってからは、学校で必要としたものと全く違う能力を必要とする。
仕事では、
人間関係が重要だし、
計画通りに進まなかったときの対応力も必要だし、
人前で堂々とプレゼンする能力も必要となる。
要は、
焦らず、
ビビらず、
自分ができることを十二分に発揮することだ。
学校の勉強では教えてくれないそれらの能力を
子どものうちから学んでこなければ、
そりゃ、仕事で何をしていいのか分からなくなるだろう。
いつもホームランばっかり打っていた学生レベルと
社会人レベルとは全く違う。
そこに誰も気づかない。
何故まったく打てなくなったかを分からないまま、
気付こうとしないまま過ごしている。
そもそも、
怒られて生きてきたならば、
怒られることに免疫がついているのだ。
そんな
命がかかったわけでもない仕事のミスに対して、
今更、何を気にすることがあるだろうか。
もともと、
ずっとゴロしか打てなかったら、
打てないことをいちいち気にすることなどない。
挫折することを子どものうちから知っている。
ワクチン何回分もの免疫が既にできているのだ。
大人になってからも挫折を経験せずに、
うまくすり抜けて生きていける人がこの世にいるのだろうか!?
人生は仕事だけじゃない。
結婚、
育児、
社会情勢などで
ライフスタイルはどんどん変わる。
挫折を避けられないなら、
どんどん味わった方がいい。
失敗ばかり繰り返している者ほど、
底辺を知っている者ほど、
物事に動じることはないだろう。
それこそ中途半端に無難な生活をおくるほど、
周りの評価を気にしなければいけない人生をおくることになる。
周りの目を気にしてビビって生きていくことになる。
そんなくだらない評価を無視できる者は強い!
自分の弱さを知っている者は強い!
ボクのような勉強ができなかった者は、
子どもの頃に学校という不得意な分野にいたというだけだ。
そこでは、たくさんの挫折を味わったかもしれない。
ただ、
そこから這い上がり、
別の分野や、
いざと言うときに、
自分の力を発揮できることを知っている。
肝心なところを押さえていれば、
他人の評価など気にせず、
自分の道を生きていいくことができる。
自分のできることさえ
できればいいのかもしれない
最近、
「どうせムリ」
「できるはずないじゃん」
「私はバカだからやらない」と、
すぐ諦める子が多くなった。
そんな気がする。
そんな子ども達に、
おじさんから一言いいたい。
「お前たち、
生まれて何年経ってんだっけ!?」
その歳で、自分の人生を悟ったつもりなのか?
そんなに諦める理由がどこにあるのだい?
そんなキミ達にもあった、
あの天真爛漫だった幼少期を思い出してほしい。
どんなこともやればできると思っていなかったか?
そもそも「できない」なんて概念自体なかったはず。
おもちゃ屋に来るたびに、
「今日はこれでいい。」と欲しいゲームを持ってきては、何の躊躇いもなく買ってもらえると思っていたではないか。
公園に迎えに着いた瞬間、「次はパパがおにね」と言って、一目散に逃げていったではないか。
世界は自分を中心に回っていたのではないのか?
そんな自信はどこへ行った?
常にキラキラ輝いていた目はいつから光を避けるようになった?
そして、
いつから諦めることを覚えてしまったのか。
なぜ、
自分の限界を自分で設定してしまうようになったのだろうか?
学校という狭い競争社会に入ってからか?
あの試合で負けたことがきっかけか?
この前のテストでいい点が取れなかったのが原因?
おじさんから言わせてもらえば、
次の一言で片付けられる。
それがどーした!?
キミ達が発するその諦めを意味する言葉たちは、
できないと自分に言い聞かせてるだけだろう。
やらなければ、
挑戦しなければ、
できなかったときに傷つかなくてすむからだろう。
くそババァか!?
もう歳でヨボヨボなのか?
歩くのがやっとなのか?
人が頑張ってる姿を見て、
「すごいねー、〇〇ちゃんは」と穏やかな目で外野から眺めているだけなのか?
人生の挑戦に参戦しないのか?
まだ起き上がれるなら、
歩けるなら
諦めるの早くない?
一応の人生の先輩からアドバイス。
諦めないためには、
自己肯定感が大事!
他人と比較してしまうと、
どうしても自己肯定感が下がってしまう。
ボクは、もう40近いぞ。
今だになんにも諦めてはいない。
今まで何も達成できてこなかったからこそ、
これから自分の好きな人生を歩む!
何でも好きなことをやってやる!!
死ぬまで全力で生きてやる!!!
ボクは、
なんてセンスがないのだろう、、、。
こんな思うことがある。
子どもに対しても。
自分自身に対しても。
この子、野球の素質あるのかな!?
もう高学年だよ。
低学年の子の方がうまいじゃん、、、。
このまま今の仕事を続けたらどうなるのかな。
給料も上がらず、楽しいと思えることもなく、
やりたいと思えることもないのでは、、。
転職だって企業だって道はあるのに、、、。
このまま続けても時間のムダではないだろうか!?
そう思えることばかりだ。
ただ、
「ムダだと思えるキツいこと」をやり続けているからこそ、体験できることもある。
イヤなことから解放されたとき、
晴れやかな気分になることは間違いない。
誰しも経験があるだろう。
金曜の仕事帰りに仲間と集まったとき、
野良作業後に涼しい部屋に入ったとき、
雨で部活が中止になったとき、
倒れるほど腹が減ってからご馳走を食べたとき、
ツライ練習に耐え試合に勝ったとき、
やっと言葉にできない感覚を得るのだ。
人によっては「幸せ」「心地いい」と呼ぶ。
そんな感覚は、
一度、屈まないことには感じることができない。
底辺を知っているからこそ、今の感覚に注目されるのだ。
ケガを乗り越えて金メダルを取ったからこそ、周囲に感謝できるのだ。
どん底を味わって初めて幸せを感じることができる。
ずっと変化のない人生で幸せを感じる人はいないのだから。