大人になったタイミングと、
子育てを始めたタイミングで、
日本の教育方針が
どうしようもないことを悟った。

はっきり言ってヤバい。

このままでは、
この国は確実に詰む。
滅亡に向けて、ひた走っている。



子どもの頃は、
何とも思わなかった先生の授業や親の教え。
大人達に従順な子だった。

しかし、
当時のことを振り返って、
大人達に言われてきたことを思えば、
「何言ってたんだ、こいつらは!?」である。


当時のボクは必死だったから、
そのとき何もできなかったのこは仕方がない。

勉強はできなかったし、
スポーツもできなかったし、
大人から言われることを
まったく理解できなかった。


そんな当時のボクは、
自分でなんにもできないことを、
「自分の頭が悪いからだ」と思っていた。


けど、どうやら違ったらしい。
「自分の頭が悪い」というのは、
ただの思い込みだった。
「頭が悪いと思わせる」ような仕組みになっているのだ。

日本教育で行われているのは、そんな洗脳作業だ。

みなさんは、
どこでそのことに気づくのかは分からない。

私がそれに気づくのは、
大人になってからとなった。




私は分からないことを、
分からないまま放置しておくことがイヤな性格だ。
子どもの頃に勉強ができなかったことが、
大人になってからも、
ずっと頭の中で引っかかっていた。

だから、大人になってからもう一度勉強を始めてみようと思い、関連図書を開いた。

すると、
とんでもない感覚に襲われた。

あれだけイヤだった勉強が
おもしろいのだ。

と言うか、
めっちゃ簡単なのだ。

「ボクは何を教わっていたのか!?」と、
不思議に思う。


例えば英語。
学生当時のボクは、単語さえ分かれば英語を理解できると思っていた。
というか、何をやれば理解できるようになるのかを詳しく教わることはなかった。
ただ、やり直してみると単語なんかより大事なことが初めて分かった。
まず文法を知らなければ「絶対に理解できない」ということだ。
文法が必須であること、
それを理解しないと絶対に訳せないことを、
大人になって学び直したことでやっと知ることができた。



他にも歴史。
学生当時のボクは、歴史の年表さえ覚えれば全て理解できると思っていた。
なぜなら理解の仕方を教わっていないからだ。
当たり前だが、実際はそんなハズがない。
文化や経済の発展による「時代の流れ」やその時代の流れを基に人間が織りなしてきた「人の世の移り変わり」を学ばなければ絶対に理解できない。

そういった「ツボ」のようなものが各教科にあることを知った。


今まで何で気づかなかったのだろうと、
何で分からなかったのだろうと、
自分を疑問に思うほどコツを掴むと勉強って簡単なのだ。


だとするならば、
明らかに教え方がおかしい!


教師のカリキュラムがあるのだろう。
そこに沿ってしか教えてはいないのだろう。

子育て真っ只中の今なら、はっきり言い切れる。
日本の教育方針はおかしい!

周りの親達は「ウチの子の勉強しなさ加減」が会話のネタになっている。
勉強ができなくて、
勉強をしなくてが、
当たり前なのである!

「この前のテスト、ヤバかったのよ。」が自慢だ。

いやいや、
ちゃんと教えれば絶対に理解できる!

よくこんな教育方針で、
少数派であれど頭のいい子が育つなと思っている。

よっぽど学校以外で努力しているのだろう。



当然、勉強だけではない。
教育には「自立させること」なども含まれている。
自分のことは自分でできるようにさせることだ。

学校だけに教育を頼っていては
自立することはまずない。
ダメな人間になる可能性が高い。
学校に任せっきりは、ほぼ自立できないのだ!

スポーツなどで「自分のことは自分でやる」精神が教わっていれば、そんな子に育つだろうが、決して学校で身につくものではない。


私自身も
幼稚園、
小学校、
中学校、
高校と日本教育を経験してきたけど、
「生きていく上で必要なこと」は、
ひとつも教わらなかった。

学校の知識なんて、
社会人になった途端、
何の役にも立たなくなるのだ。

本当に必要なことは、
自分に何が足りないかを自分で把握し、
それを補うためには自分が何をするべきであって、
何をすればそれが身につくのかを調べることができて、実際にその足りないものの習得に向かって行動できる人間になることだ。


学校で得た知識は、
ただのテストの点稼ぎの手段でしかない。

その知識では、
社会人としての成功はしないし、
絶対に稼げるようにはならない。


教育で言いたいことには他にもある。

例えば、
スポーツ。
運動神経を鍛えるのは12歳までが重要だと言われている。

つまりは、ゴールデンエイジ!

これは小学生までのことだ。
そんな重要な時期に、
なぜ必要なことを教えない!?

おかげさまで、私の運動神経は惨めなものだ。

日本で運動神経があると言われる人は、
生まれ持った才能があるか、
恵まれた体格を持って生まれたか、
親が熱心に教えたかのどれかに当てはまる人だ。
それが運動神経がある人の前提条件。

その上で、
本人の努力があって運動神経が良くなるのだ。

運動神経=自分の身体を思い通りに動かすこと

走り方だったり、
投げ方だったり、
飛び方だったり、
この重要な基礎的なことについて、
学校ではなにも教えない。

ただ、
徒競走をやる。
マットをやる。
サッカーをやる。
野球をやる。
バスケをやる。

やり方を教えるハズもなく、
「これをやりますよー」と言うだけ。

そんなもんでもよければ、ボクにでもできる。

それ、
本当にやる意味あるか!?

今のYouTubeですら、
「走り方教室」
「体操教室」
「サッカー教室」
「野球教室」がいくらでもある。

まぁ、なんて分かりやすいことだろう。
教育者には、ぜひ見習って欲しい。

小学生には
体の動かし方や体の使い方を教えることから教育はスタートした方が絶対に効率が良い。
どんなスポーツにも対応できる子に育つだろう。



また、
どのスポーツ教育にも同じことが言える。
とにかく下手くそは試合に出れない。
その結果、経験を積むことはできないのだ。

試合経験は、
試合を積むしかないのだ。

ヘタクソはヘタクソになるように設計されており、
上手い奴は上手くなっていく仕組みになっている。

親も自分の子が出ることがない試合に、わざわざ配車してまで行く意味を見つけられない。
そんなことが続けば、
ヘタクソな子の親は退団させるだけ。

ただでさえ少子化の影響を受けて、
消えかけているスポーツ団体。
もはや消えゆく運命だ。


突破口としては、
学問も、
スポーツも、
何もかも、
年齢ではなく、
レベルで分ければいい。
上の者は、もっと上を目指せばいい。
下は下の集団の中で多くの経験を積めばいい。


世界は科学的根拠に基づいた教育方針へと、
どんどん改善を図っている。

そんな時代の中、
日本はいつまでこの教育を続けていくのだろうか!?






多くの親が目標とする子育ては、
「ホームランを打てる子に育てる」ということが理想だろうと思う!

試合でもホームランを打てば大盛り上がりで、
周りの大人達は、とても喜ぶ。
そして、とても目立つし、スーパースターとなる!

ただ、
ホームランを打つには、
相当なパワーが必要だ。

どんなにスムーズな体の使い方をしようとも、
どんなに理想的なフォームで打ったとしても、
フェンスを越す長打はパワーが必要だ。

必然的にカラダの大きい子が有利となる。

それをカラダの痩せた子や小さい子に求めてもキツいだろう。

いつまでもホームランを打てるように粘っても、
ホームランを打つ子を羨ましく思っていても、
なかなか現実は変わらない。

とっとと切り替えて、
「走り」を極めた方がいい。

カラダのでかい子より、
スリムな子の方が早く走れる。

ケガもしにくい。

そう、
その子に合った目標に変えるのだ!
やってみてダメなら改善するのだ!


無理してホームランを目指す必要はどこにもない。
ホームランは打てる子に任せればいい。

内野安打を目指そう。

地味かもしれないが、必ず必要なポジションだ。


キャッチャーやファーストより、
どんなフライでも取れる外野選手を目指そう。

監督としたら、
同じパワー系の選手より、
足が速い、
球が速い、
バントがうまい、
頭の回転が速いなど、
それぞれの特徴を活かした選手を使いたい。

お互いの足りない箇所を補うのがチームだ。
協力して生きる。
それが人生だ!

ホームランを打てないからと躍起になる必要はまったくない。

それぞれの生き残る道を見つける方が重要だ!







「あいつ、ホントにマジメだよな〜。」とは
思われたくない。

だからと言って、
ふざけ方を知ってる訳でもない。
そもそも、
はっちゃける方法を知らない。

結局、マジメな人なのである。


他人から思われたくない自分のイメージはあるけど、
その逆のことはできないのが人間だ。

だから他人から見た自分と、
「思われたくないイメージの自分」とが
一致するのだ。


バカにされたくないけど、
「頭がいいなコイツは!」思われる行動を
することはできない。
そもそも、
そんな行動なんて思いつかない。

結局、自分のことをバカだと認められないのである。


他人の意見は、高確率で正しい。
自分のことを正確には分析できないのだから、
勝手にそうなるのだろう。


めちゃくちゃ遊んできた人や海外の人からすれば、
大体の人がマジメだし、
めちゃくちゃ頭のいい人からすれば、
大体の人がバカだろう。

ただ、
それは自分が自分を分析した結果よりも正しい意見となる。
成功者や世界基準から見れば尚更だ。
だから今の自分を素直に認めることが大事だ。


子どもには、
しっかりしてもらいたいけど、
しっかりさせる方法を思いつかない。

つまりは、
思われたくないイメージと逆のことを
やろうとしていない。
そもそも思いつかない。 
できるはずもない。

だからイメージとおりの人間になるのだ。










親、習い事、仕事など、
人生においては
様々な技術(やり方)を教えてくれる。

ただ、
それを理解して、
実践するのかどうかは自分次第だ。

どれほど名コーチが教えようが、
名監督の指示を仰ごうが、
超名門塾の講師が家庭教師にいようが、
やらなければ意味がない。





A 得たい人
金持ちになる方法を教えてください。

B 教える人
明日の5時に駅前の宝くじを買うと1億円あたるよ。

A 
その時間は行けません。

そうですか。(知らねぇよ。教えてくれと言ったから教えてるだけなんだよ。)


これと同じことが
どの家庭でも、
どの職場でも、
どの学校でも、
どの習い事の場でも、
繰り返されている。


「バビロン大富豪の教え」では
序盤で金持ちになるための
「7つの教え」を伝授される。


「知識の前ではみな平等。
さぁ、お前らには知識を与えた
あとは行動するかしないかだけだ」




そう。
やりたいことや
なりたい理想の姿があるのであれば、
知識を得てやればいい!

それがすべてだ。





「〇〇やりなさい!」

こんな親の言うことに対して、
不満な態度を示す子ども。
それを見た親は
輪をかけて怒り出す。

「なんだその態度は?」
「やる気ないのか?」
「なんとか言ってみろよ!」

よくある光景だ。

子どもから見れば
あなたのおっしゃる通り、
やる気がないんだよ

分かってんじゃん。
あなたが言うことはつまらないんだよ。
マジで。

だからやらないの。
ただそれだけ。


親は子どものためを思って、
「言いたくないけど言っている」と言う。

いやいや、
全く思ってないから。
相手のことを考えたら、
そんな言い方にならんでしょ。

結局、言ってる理由は自分のためだよね?
自分のやってもらいたいことを押し付けてるだけだよね?
自分の感情をぶつけてきてるだけだよね?

子どもにだって、
やりたいことは山ほどある。
友達と遊ぶもそう、
ゲームをやるもそう、
映画を観るもそう、
マンガを読むもそう。

結論。
親の言うことを聞いてるヒマはないのだ。
映画のクライマックスの場面で、
横から親が言ってきたことをやるか?
子どもにとってはタイミング最悪だろ。


親は、
そんな子どもの不満を理解できていないだけ。

なぜ不満を抱いてあるのかすら分からない。
そもそも理解しようとすらしない。

不満を抱いているのは単純だ。
今やってることより、
つまらないからだ。

もっと言い方を変えるなり、
不満を解消する方向に進めるなり、
いくらでもやり方はある。

相手はあたなの子どもだ。
考える余地はいくらでもあるはずだ。
その手間を惜しんで、
他にやることがあるのか?

まずは相手の「その時の状況など」を理解すべきだ。
親自身のためにも。



ある脳科学者は言った。

物事を覚えるのは
「思い出すときだ」と。


それを聞いて、
「あっ、なるほどな!」と思った。

まったく
その発想はなかったからだ。

私達の年代は、
一所懸命にひたすら書いて覚えてきたタイプの人間ばかりだ。
漢字練習帳など何冊も書かされた。
それが当たり前だと思っていた。

だから、
「書いた事柄」を
「書いているときに覚えるもの」だと信じていた。

でも、
どうやら違ったらしい。

確かにいくら書いても、
ほとんど覚えられてはいなかった。

「書いて覚える」という行為は
効果が薄いのだろう。

では、
【「思い出す」で覚えられるか】が、
本当かどうかやってみようと思う。


実験対象は子どもだ。


「どの場面で試してみるか?」と思い悩んでいたが、
なにも覚えるという行為は勉強だけではない。


スポーツや日常生活でも、
覚えることは山ほどある。


例えば
なにかエラーをしたときも、
そのエラーをした原因を突き止め、
同じエラーを繰り返さない方法を編み出し、
覚えなければならない。

先生や親から怒られたときも、
その怒られた原因を突き止め、
同じ過ちを繰り返さない方法を編み出し、
覚えなければならない。

そう、
覚えなければ、
いつまで経っても同じエラーや過ちを繰り返すことになるのだ。
「何度言っても言うことを聞かない」とは
ただ単に覚えていないのだ。


では、
覚えてもらおうではないか!

ということで、
一日の最後に「反省文」と「できるようになったこと」を書かせてみようと考えた。


覚える=思い出す
であるとするならば、
一日の最後に記録をつけることで、
今日の出来事を思い出すことになる。
「反省すべきところ」と
「できるようになったこと」を
思い出すことで覚えていくはずだ。

日記というほどでもない。
たったの1行でいい。
覚えるべきことを書くだけでいい。
ただの記録だ。
いつからでも誰でもできる。



実際やってみると、
1週間程度で効果は現れてきた。


「ピッチャーの投げるフォームに合わせて、打つタイミングを合わせる」
「捕球時にはグローブを立てる」
「取ったらすぐに投げる」
「そのためには何アウトであるかを常に頭に入れておき、自分のところにボールがきたらどこに投げるかを事前に考えておく」
「授業中しゃべらない」
「返事をしっかりする」
「跳び箱が7段くらい飛べるようになった」
「逆上がりができるようになった」
「積極的に手伝いをするようになった」 など。


1日だけでも5個くらいある。
それを毎日、思い出し続けるのだ。

すると少しづつ変化し始めた。
何回言っても改善されなかったことが、
やろうとするようになってきたのだ。

やるべき事柄を意識的に
はっきり思い出すのだろう。

できなくてもいい。
やろうとする気持ちが大事だ!
そのためには、
まず覚えるしかない。
しかも意識的に。

ならこの方法は使えると思う。

効果的に覚えてもらって、
「何回も言わせるな!」を
子育てから消し去ろうではないか!









何事においても、

「うまくいかない」には明確な理由がある。


その理由の一つが

ずっと同じレベルにいる

からである。


スポーツでも

勉強でも

仕事でも

なんでもそう。


ずっと同じレベルのことしかやらないから

いざと言うとき、

試合のとき、

試験本番のとき、

トラブルが起こったときに対応できない。


結果、うまくいかない。



ずっと同じチームで、ずっと同じ練習をしていても上達しない。

3年生なら4年生がやる練習を、

4年生なら5年生がやる練習をするべきだ。

学校のように徐々に上げる必要など全くない。



「いや、無理だろ」

「1つ上でもとんでもない差があるぞ」と思われるだろうが、決してそんなことはない。

頭をフル回転させれば必ずついていける。

どうすればついていけるか考え抜くのだ。

いつでも諦めるヤツは、ついていける方法を自分で考えていないだけだ。





練習がハードであればあるほど、試合で実際の年代と戦ったときに初めて効果が現れる。

同年代だと楽だなと感じることができる。

同じレベルの同じ練習を繰り返し、同じレベルの試合をするなら難しく感じるのは当たり前だ。

それ以上の実力がついていないのだから。



勉強においても同じことが言える。

割り算を習ったのなら100の位で終わってはならない。

最低でも1000の位まで計算できるようになれば、学校の2桁なんてとても簡単だ。




仕事においても最低限のことをこなすだけなら誰でもできる。


敢えて他人の分まで手伝ってでもやろう。

ジャンルが違うこともどんどんやろう。


普段からこの生活を繰り返せば、

通常の仕事なんて、

途端に物足りなくなる。


人生がイージーモードに切り替わる。


レベルを敢えて一つ以上、上げるよう。


子どもなら

ひとつ上の年齢の学年をやろう!

そこに慣れれば、

実際の学年を

これほど簡単に思える方法はない。











最近、認知症の高齢者が増えている。

最強のボケ防止は「学ぶこと」


歳を重ねれば重ねるほど、
新しいことを学ばないと、
脳は衰えるばかり。

こんな
当たり前の話だが、
誰もやらないし、
誰も気付かない。


みんな
「もう歳だから」
が決まり文句!

40歳そこらで、
この発言をする者すらいる。

じゃあ、
高齢者になったとき、
一体なにをして生きていくのか!?

自分の好きなことや、
これまで時間がなくて諦めていたことをやるべきだ!

本当にやりたいことが、
誰が作ったのか分からないテレビを
ボケーっと見ることではないはず。


歳を重ねれば、
今までできてたことをキープすることで精一杯。
どんどん、
柔軟な新しい環境に適応する能力は衰えていく。

変化の激しい、
新しい時代から取り残されていくだけ。


死ぬまで学ぼう!

様々な言語があること

無限に学ぶことがあるということは
神様に感謝しなければならない
我が子は、
なぜ勉強をしないのか!?

それには明確な答えがある!

親が
勉強好きにさせてあげていないから
これが子どもが勉強をしない理由。

子どもをうまく
乗せられていないし、
もっていけていない。


要は
子どもに伝えたいことを伝えられない

子どもと
そんな関係と状態を築き上げてきただけ。

これは
単純に親の責任です。


親が子へ
伝え方が分からない。
伝えられる方法を知らない。
伝える方法を学ぼうとしない。


子どもが勉強をしないのは、
子どもの責任ではありません。


親の勉強不足
です。


伝わらない一番の理由としては、
親側に「気持ちがない」から。


そもそも親に
「なんで勉強をする必要があるのか」の明確な理由がない。
答えを持ち合わせていない。


よくある、
テストでいい点を取るためとか、
いい大学に入るためでは、
理由としては不十分すぎる。


テストでいい点を取ってなんになる?
100点のテストをコンビニに持って行けば、
おにぎりと交換してくれるのか!?

いい大学に入ってなんになる?
サッカー選手や医者、YouTuberなど、
自分のやりたいことができるようになるのか?

そんなはずがない。
親自体も勉強するワケを答えられない。
結果、良く分からないまま「勉強しろ」と言ってしまうのだ。

一体なにを伝えたいのか!?
言ってる本人が分からないのだから、
聞いてる子どもは、たまったもんじゃない。


第二に、
子どもに対する思いやりがない。
「勉強しなさい!」とは単なる命令形だ。

英語の勉強でしか聞いたことはないだろうが、
「命令形」など軍隊の上官でもなければ使うことなどない。

こっちが100%の攻撃的な言葉で伝えれば、
当然ながら相手も100%で身構える。
または100%で逃げていく。
または奴隷のように従うしかない。


子どもは
ペットでもなければ、
部下でもない。
ましてや奴隷でもない。


立派な人間だ!
しかもミライ輝く日本の宝だ!


親からすると、
ムカつくことらいくらでもある。
生意気な口を聞くこともあるし、
無視されることもある。


だが、
伝わらないのは、
伝える側に
「伝える技術がない」だけだ。


それを忘れてはならない。
それを端折って「うちの子どもは勉強キライだ」なんて言うもんじゃない。

勉強もただの一部であって、
無限にある伝えたいことが
伝えられていないだけだ。






スポーツをやっている多くの子ども達に問う

キミは、
なぜ練習をしてるのか?


それこそ
ドヤられ、
命令され、
呆れられ、
茶化され、
ガミガミ言われながら、
涙を流しながら、
それでも練習を続けているのは「なぜ」なんだ?


本当は気付いているのではないか!?


いつの間にか
「怒られないために練習をやっている」
ということに。


練習を始めた最初の頃は、
「やってみたい」
「上手くなりたい」
「楽しい」
「おもしろい」
からやっていたはず。


もうだいぶ前に忘れてしまっただろうが、
練習をやる理由はそこだ。

そこにしかない。


試合に勝つためではない。
試合に出るためでもない。


ましてや、
怒られることを避けるためなんかじゃない!


やりたいからやるのだ。


キミたちが悪い訳ではない。
楽しさを忘れるすべての原因は大人達だ。


楽しさを子どもの脳みそから完全消去させる大人達。
まるで魔法使いのようだ。
頭の中から「楽しさ」をいとも簡単に消し去る。


大人達は、
試合に勝つために指導しているのだから仕方がない部分は理解できる。
中には段々と上手くなって、おもしろくなって、成長してくる子もいるのは確かだ。

だが、ついていけない子ども達も確実にいる。
大人はそんな子ども達には興味を示さない。
「辞めたい奴は辞めればいい」とまで言う。
なんせ試合に勝てればいいのだから。


だが、勝てるはずもない。

チームを見てはいないのだから。
チームの底上げが大事なことも分かっていない。
一人残らず上手くならなければ「絶対に勝てない」のだ。
ただでさえ子どもが少ない時代。
控えの選手ですら貴重だ。


そんなことも理解せず、
補欠の選手を見て、
ミスれば怒鳴るのだ。
呆れて笑うのだ。


そんな大人達をどう思うか?
どんなに素晴らしい実績を持った監督だとしても、なんの魅力も感じない。
そのスポーツには詳しいのだろうが、
指導力はあるのだろうが、
監督の器はあるのだろうが、
人としての器は小さい。


最初だから周りの大人達も
子どもが「楽しめるように」
「また来てもらうように」と接していたはず。

慣れ親しんだら、
突如、「勝つため」へとモードが変わる。


子ども達に目的を忘れさせるな。
親達との目的とは明確に違うのだ。


大人にできることなんて、
子どもが上手くなることを
一緒に喜んでやることくらいだ。
楽しく笑ってやることくらいだ。


それを忘れて、
怒ってくるヤツは
アドバイス程度に聞いといてやれ。

今やっていることの目的を忘るな!
絶対に!