JUN!のmy Pick
努力が必要なのは、
始めてからしばらくの間だけ。
なにかをやり遂げたいことがあるのなら、
最強の流れはこうである!
努力→無意識→夢中
とにかく
努力は有期である
「ランニングの習慣を身に付ける」となると大変だ。
そこで最初は、
3ヶ月後にどうなっていたいかをイメージする。
「体力をつけたい」
「夏までに腹筋を割りたい」
「痩せてモテたい」 などの欲望がある。
しかし、
なにもやらなければ
全く同じ自分が3ヶ月後の自宅に存在しているだろう。
そのイメージを浮かべた上で、
どちらが良いかは自分で決めることができる。
欲望に特化した目的と明確なイメージがあれば何事も始められるはず。
始めた後の
注意点としては
途中で「挫折してしまう」ことだ。
そうなる前に目的をスライドさせよう。
見た目を変えたいという目的から、
「走ること自体が楽しい」
「走りながら景色を見ることが好きだ」
「知らない道を通ったら新しいお店を見つけた」
「想像以上に走ってる人が多くて勇気づけられた」
など喜びを別なところに移そう!
走って疲れる感覚を捨てるのだ。
別なところに意識を持ってこよう!
毎回、新たな何かを発見をしよう。
プロセスを目的に変えるのだ!
とにかく1ヶ月やる!
ここまでくれば、
歯磨きをするかの如く、
無意識で外に足が向くようになる。
慣れちゃえば、
歯磨きすることとなにも変わらない。
そんなレベルまで日常化させてしまう。
この後、
本当に好きになって、
のめり込んでいき、
夢中になったら最強だ。
マリオでいうところのスター状態だ。
無敵だ!
もう誰も止められない!
努力が必要なのは一生じゃない。
最初の一定期間だけだ。
それ以上は頑張らなくても、
体が、
脳が、
勝手にやってくれる。
自動化システムを使えるようになるのだ。
安心して努力すればいい。
努力は続ける必要がないのだから
JUN!のmy Pick
できる人は
いちいち考えていない
車の運転に慣れた人は、
「ハンドルを回している」
「アクセルを踏んでいる」
「信号が赤だからブレーキを踏もう」などと意識していない。
ほぼ自動化されている。
いちいち考えていたら、
急な飛び出しには対応できない。
仕事でも、ブログでも、何でも、
文章を書かなきゃいけないとき、
慣れていない人は、
なにをどう書けばいいのか構成が分からない。
文章を書くことが得意な人は、
テーマさえ与えられれば、
多少のネタを集めて、
実体験と重ねて、
過去の作品からの引用を使って、
質は置いておいても書くことはできる。
さらに、
自分で書いていて「ああそういう書き方もあるんだな」と自分で新しいことに気付いたり発見したりする。
自分で書いているのに不思議だ。
でも実際できる人はそんな感覚を知っている。
格闘家も相手をKOで倒したけど、
どのように倒したかは、
後からハイライトを見ないと
自分でも分からない。
こんな風に倒したんだなと
映像を見て初めて知る。
そういうものなのだろう。
脳の97%は潜在能力だと言われている。
そもそも意識している部分は3%しかないのだ。
いちいち意識していてできるはずがない。
できるとは
意識が必要ないことなのだ
不安をなくすには
その不安になってる要因を潰すしかない
実際に解決しなくても、
こうすれば解決できると道筋が見えて
ある程度の答えを出すだけでも不安は軽くなる
不安をなくすためには
納得できるプロセスがあればいい
例えば
子どもに勉強をできるようになってもらいたいと思ったとする。
一見、希望のようだが頭の中では「不安」としてしっかり保存される。
学年で10位くらいに入らないと、いつまで経ってもこの不安は消えることはない。
間違いなく時間がかかる。
だが、そこまでたどり着くルートが分かれば不安は軽くなる。
カリスマ教師の塾に通わせるなどで、自ら勉強を始められたとなれば、これを継続することである程度のゴールが見えたことになる。
例えば
子どもに野球ができるようになってもらいたいと思ったとする。
一見、要望のようだが頭の中では「不安」としてしっかり保存される。
誰でも納得いく形でレギュラーを獲得しないと、いつまで経ってもこの不安は消えることはない。
間違いなく時間がかかる。
だが、そこまでたどり着くルートが分かれば不安は軽くなる。
体の使い方やルールを学ばせて自ら自主練を始められたとなれば、これを継続することである程度のゴールが見えたことになる。
不安なんて消えるものではない。
簡単に解決しないのだから。
なら軽くすればいい。
極論を言う。
まだ解決できてなくてもいい
「こうなれば安心だ」という答えを出せればいい。
その答えを全力で探す!!
不安をなくすためにやることはそれだけだ。
世の中はうまくいかない。
うまくいかぬいようにできている。
これは生きる上での前提条件だ。
だったら代替案が多くあることに越したことはない。
A案がダメならB案
B案がダメならC案
C案がダメならD案
やってみてダメなら別の手立てを講じる。
即改善。
即変更。
これが今の世の中をうまく生きていく唯一の方法。
換えが効かない計画は確実に詰む。
どんな大きいプロジェクトも
柔軟な対応に対応しなければならない。
昔のような
上司の決断を伺う必要があるプロジェクトは
必ず立ち回らなくなる時代にきている。
うまくいかないことは予め予測しておこう。
そして代替案を予め持って生きていこう。
子どもがどんな大人になるかのベースは、親の教育方針によって決まる。
無限にある選択肢の中から何を選ぶのか。
その家庭では何に力を入れるのか。
子どもの成長の方向性が決まる。
「子どもが好きなことをやらせればいい」と言う親がいるが、そんな単純な話ではない。
子ども自身は将来のことをよく分からない。
未来の設計はできない。
大人になったことがないし、お手本は周りの大人たちしかいないからだ。
ハッキリ言って、「子どものやりたいことに任せる」というのは危険すぎる。
子どもの意見を踏まえて、
子どもの得て不得手を見て、
将来を見据えた総合的な判断は親がすべきだ。
なにをやらせるかも
なにをやめさせるかも
最後は親次第だ
運動をさせたいのであれば、スポーツをやらせるし、
勉強をさせたいのであれば、塾に通わせるだろう。
ただ、
運動をさせた分、勉強をする時間は減る。
勉強をさせた分、運動をする時間は減る。
野球を始めたとしたら、基本、土日は朝から晩まで練習だ。
勉強する時間は、ほとんどなくなる。
程度にもよるが、もし試合に勝つために野球をやるなら野球漬けになってしまうのは致し方ない。
練習でやったことを家でも復習しなければ、とてもついていけないからだ。
これは事実だ。
とても中途半端な気持ちでは親の子育ての任務を遂行できない。
もし勉強でトップを狙っていくなら、中学受験を目指すなら、野球をやりながらだと、かなり厳しいと言える。
もちろん文武両道の子もいるが、それはかなりのレアケースだ。
どんな子に育っていくか
どんな大人になっていくかを
子どものせいにしてはならない
将来、子どもに文句を言われないために
子どものやりたいことをやらせるだけでは
子育ては務まらない。
そこには必ず親の判断が入っているはずだからだ。
職場でいつも「忙しい」と言ってる人がいる。
私からすればとても忙しいとは思えない。
私の事務量の半分くらいだ。
仕事量は部署で決まっている。
そこに配属された人達でやらなきゃならない。
すると能力によって分量がどうしても偏るのだろう。
みなで同じ時間内にやらなきゃならないのだから。
それは仕方がない。
ただ「忙しい」と言ってしまうことに対しては、疑問を感じる。
きっと
忙しいことに慣れていないのだろう
暇なことに慣れているのだろう
ぬるい環境で生きていると
どうしてもそうなるのだ。
要は忙しいという経験がないだけ。
痛みも同じこと。
経験がないだけ。
慣れるよ、そんなもの。
ボクサーが殴られる度に
「痛い、痛い」と思うだろか。
殴られる度に、
「絶対にやり返す!」という気持ちになるはず。
「痛い」という感覚に慣れれば、
痛いは気にならなくなる。
別な感情で上書きされる!
痛いが痛いでなくなるのだ
経験して慣れよう。
自ら「忙しい」環境へ、
自ら「痛い」が経験できる環境へ!
すぐ「忙しい」「痛い」と言うことは
恥ずかしい以外の何者でもない
「〇〇だからできない」という人がいる。
頭が悪いから、
集中力がないから、
身長が低いから、
太っているから、
体力がないから、
女(または)男だから、
お金がないから、
コミュニケーション能力が低いから、
なにをやってもダメだから。
すべて
ただの言い訳だ。
〇〇になにを入れても同じ。
単なる言い訳に過ぎない。
子どもがスポーツができないから、
レギュラーになれない。
勉強ができないから、
行きたい高校に行けない。
その悩みに対する答えは簡単!
できるようになる方法を探してやれば!?
それだけ。
世の中、同じ悩みを持つ親だらけだ。
逆に悩みを解決した親も歴史上あふれるほどいる。
調べりゃいくらでも方法があることが分かる。
じゃあ調べて
分かったら試せばいい
本当に、
心の底から子どものことを思うなら、
今の10倍大変になってもやるはず。
子どもが少しでも成長する可能性があるのだ。
どう考えても、やるべきだろう。
でも大変になるのは嫌だと言うなら、
そこまで子どもに労力をかけられないと言うなら、
現状維持が待っている。
苦労するのが嫌なら現状を続ければいい。
良くなりたいと思っているだけで
何も変わらないけどね
最後の最後は
どれだけ本気なのか