お勧めパワースポット・聖地のご紹介:第27回
天川と吉野 水の神と修験道の聖地
お勧めのパワースポット・聖地の第27回は「天川と吉野」です。天川と吉野は、古来より、水の神と修験道の聖地で、多くの修験者の修行の地であり、奥奈良にある秘境の聖地と言うことが出来ます。
まず、①文献から天川や吉野の自然と聖地をご紹介し、その後に、②私たちが実際に、これらの天川や吉野の自然や聖地を訪問した時のレポートをご紹介します。
最後に、③天河・吉野を含めたひかりの輪のパワースポット・聖地巡りの思想や、聖地巡りの際に行うと心身の健康に良いヨーガ歩行瞑想に関する記事をリンクして、ご紹介します。
●文献からの天川と吉野の自然と聖地のご紹介
奈良の聖域である天川と吉野は、水の神と修験道の聖地であり、古来より、多くの修験者の修行の地でした。『古事記』によると神武天皇は、熊野に上陸した際、ヤタガラスに導かれ、吉野山中から三輪山のある大和に入り大和朝廷を橿原の地に立ち上げたとされ、今回巡る天河・吉野は、神武天皇の国作りのルートでもあります。
また、天武天皇が壬申の乱の勝利の前に、この地域に隠棲したため、復活の地ともいわれています。
●天河大弁財天社(吉野郡天川村)
水の神・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと・弁財天)を祀る神仏習合の社。
水の湧く巨大な磐座(神の降りる神聖な岩)の上に社殿が建ち、初代天皇とされる神武天皇がここで祈りを捧げたといわれている。社伝によると、神武天皇が、現在の天河神社の地で、「ヒノモト」という言葉を天から賜り、「ヒノモト」が「日本」の源であると考えられていることから、おそらく「日本」という国名はこの地で生まれたということになる。
天河大弁財天社のはじまりは、今から1300年余り前の飛鳥時代、修験道の始祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が、大峰連峰にて苦行を行い、衆生済度のための本尊を懇願されたとき、金剛蔵王権現に先立って出現された弁財天女を、天河大弁財天社の奥宮である弥山の山頂にお祀りしたときとされる。
最初の社殿は、天皇神道の思想と国家体制の確立者である、天武天皇の創建と伝わる。吉野をこよなく愛でられた天武天皇が、壬申の乱の際、天武天皇の前に天女が現れ見事勝利し(天皇として即位)したことから、その天女が弁財天であるとして現在の地に「天ノ安河ノ宮」(天河神社)が建立された。
天武天皇は、「日本」という国名を授かり、現人神としての天皇の位置づけと呼称を確立し、天皇を天孫として神道思想の経典=古事記・日本書紀の編纂を行った。
無差別平等・受容融和の精神に富んだ神仏習合の古社であり、現在も神主・僧侶が一体となって、神道の祝詞と仏教の般若心経や真言が唱えられる神仏習合のご神事が行われている。
ここは、弘法大師・空海の修行の地でもあり、境内には寺があり、密教の法具や仏像、梵字碑などが残されている。空海は、ここで修行を行った後、高野山で真言宗を築くに至った。
社には、60年に一度しか公開されないという秘神「日輪天照弁才天」が祭られている。
縁あって2008年の御開帳の際、上祐代表らはご尊顔を拝むことができた。その日輪弁財天は、日輪(光の輪)を伴う底抜けに明るい迫力の弁才天像であった。日輪を抱いた弁財天であるから、日と水の結合が想起され、名前からもご縁を感じる秘神である。
なお、この弁財天は、蛇の神・宇賀神も伴うとし、水の神と龍の神が結合してもいる。神社の近くには、「天の川」という美しい名を持つ川が流れ、銀河・宇宙をも意味し、神話上の川を意味するサラスヴァティー=弁財天の源ともつながっている。
地理的には、意味深いことに日本の三大霊場である高野、吉野、熊野を結んだ三角形の中心に位置する。なお、2011年9月に起こった台風12号と15号では、熊野と天河を、河川の氾濫と土砂崩れが飲み込み、社のある坪内地区は有史以来の甚大な被害を受け、復興に相当の年数がかかっている。
また、宮司はその役行者に付き従った鬼神・前鬼の子孫であるという。毎年二月二日の節分祭の夜に行われる「鬼の宿」という特殊な古代的神事では、通常は忌み嫌われる鬼を、祖先神として手厚くお迎えするのである。翌日の節分では「鬼は外、福は内」ではなく、「鬼は内、福は内」とあたたかく唱えられ、豆まきが行われる。
このように、歴史的に無差別平等受容の精神に富む希な伝統を持つ社であるといえる。
●金峯山寺(きんぷせんじ)(吉野郡吉野町)
前記の役行者が、大峰山での修行の際に感得した金剛蔵王権現の像を、桜の木で刻み、堂を建ててお祀りしたのが蔵王堂であり、この寺の創建である。このことから、桜が保護・献木され、吉野山が桜の名所となった。大峰修験の総本山である。
2004年に、「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つとして、金峯山寺本堂蔵王堂及び仁王門が世界文化遺産に登録されている。
日本では古くから山岳信仰があり、奈良の吉野・大峯や和歌山県の熊野三山は、山伏や修験者の修行の場であったところ、日本古来の山岳信仰が神道、仏教、道教などと習合し、役行者によって修験道がつくられた。
なお、金剛蔵王権現は、神仏習合の教説によれば、安閑天皇(あんかんてんのう・第27代の天皇)と同一視されてきた。
安閑天皇は、その名(和風諡号〈わふうしごう〉)を広国押武金日尊(ひろくにおしたけかなひのみこと)というが、江戸初期の学者・林羅山の著した『本朝神社考』によれば、吉野山の金峯神社の項に「世伝金峯山権現者、勾大兄広国押武金日天皇也」と記されていて、安閑天皇の御霊は蔵王権現と同じと考えられていたという。
その後に記された『和漢三才図会』(1713年)には、「然ルニ俗ニ傳ヘテ曰ク 人皇二十八代 安閑天皇崩後 至四年宣化天皇三年 現干金峯山告人曰 吾是広国押武金日◯也 仍知権現乃安閑天皇也牟」と記されており、金峯山に現れた蔵王権現が、自ら吾は広国押武金日命(安閑天皇)なりと名乗ったといわれている(広国神社のHPより)。
安閑天皇は、器量に優れ、武威にたけ、寛容な性格であったことや、その名に含まれる「金」の文字から、「“金”峯山」の「“金”剛蔵王権現」と同一視されたとの見解もある。
そのため、明治時代の神仏分離の際に、本山である金峯山寺以外の蔵王権現を祀っていた神社では、祭神を安閑天皇とした例が全国に見られる。
●丹生川上神社
丹生川近くに位置する丹生川上神社は、現在、下社・中社・上社の3つの神社があり、今回は、中社を巡る。
古来、朝廷・幕府から厚い崇敬を受けてきた社で、平安時代に、国家の重大事や天変地異が起こると、勅使が遣わされ奉幣をたてた神社が、伊勢神宮を始め二十二社あるが、その二十二社に三つの丹生川上神社が含まれる。
祭神の両親は、イザナギ、イザナミの神で、水を主宰する神とされている。水は万物生育の根源であり、その神徳は、あらゆる物象の上に恩恵を授け、守護することにあるという。下社は闇?神(くらおかみのかみ)、中社は罔象女神(みづはのめのかみ)、上社は高?神(たかおかみのかみ)と、異なる名前の神を祀るが、すべてイザナギ・イザナミから生まれた、日本最古の水の神であり、ご神徳も同じである。
水一切をつかさどる水の神・雨の神という性質があり、祈雨(雨乞い)、止雨の祈願として、農家や水利業者の崇敬をあつめ、水源地やダムの守護神としても崇敬されている。日照りで雨の降るのを祈る時には黒馬(黒雲)、祈晴時に白馬(晴れの空)が奉納された。
神武天皇が、天神の教示で天神地祇をまつり戦勝を占った聖地とされ、7世紀に、天武天皇が、くらおかみのかみから『人声の聞こえない深山に我が宮柱を立てて祀れば天下のために必要な雨を降らし大雨を止める』という御託宣をうけ、創立された神社と伝えられている。
◎丹生川上神社・中社(吉野郡東吉野村)
丹生川が目前に流れ、その先には三つの川が合流する「夢淵」という聖域がある。神武天皇の戦勝祈願の碑があり、吉野離宮はこの地であるとの説がある。
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●天川・吉野参拝レポート:2024年2月13日
※以下同行したスタッフのレポートです
まず、天川大弁財天社(吉野郡天川村)を参拝しました。水の神・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと・弁財天)を祀る神仏習合の社です。
天川弁財天社の鳥居
神社本殿に登る階段
天河弁財天社の秘仏のご本尊:日輪弁財天
弁財天社で行われる大峰修験道の儀礼
天河弁財天社の隣にある来迎院
弘法大師にゆかりのある石碑や仏塔
次に、天河弁財天社を後にして、近くを流れる天川に向かいました。
天川の川の流れ
河の向こう側の六角形の石
天川の河原の近くにある高倉山禊殿
天川弁財天社の伝統的な祭祀の鬼の宿
次は、吉野の金峯山寺(きんぷせんじ)です。
金峯山寺の本堂
有名な吉野の桜
金峯山寺の本堂に祀られるご本尊の金剛蔵王権現
最後に、丹生川上神社です。丹生川上神社は、現在、下社・中社・上社の3つの神社があり、今回は下社と 中社を巡りました。
下社
中社
夢淵三川合流
●参考情報 皆さんのご参考になれば
◆ひかりの輪のHPのパワースポット・聖地巡りコーナー
ひかりの輪のパワースポット・聖地巡りに関する様々な情報が掲載されています。その思想、過去の訪問地、上祐代表の聖地巡りに関する講義などです。
◆ひかりの輪の聖地巡りの意味合い
◆ひかりの輪の聖地巡りの予定
◆聖地巡りに関する上祐代表の講義動画
◆自然の中で行うと心身の健康によいヨーガ歩行瞑想の解説
●お勧めの聖地のご紹介
■お勧めの聖地のご紹介
これまでひかりの輪で訪れてきた多数の聖地の中から、特にお勧めするところを厳選して、ご紹介しています(ひかりの輪公式サイトへ)。
■聖地巡りレポート
ひかりの輪で巡ってきた数多くの聖地を、美しい写真をつけてレポートした記事です(ひかりの輪副代表・水野愛子のブログへ)。