2017年に、出羽三山での修験道体験(山伏修行)に参加した、参加者の方からいただいたご感想・ご体験をご紹介いたします。
●Hさん(男性、20代、非会員、2回目)
去年に続き、2回目の出羽修行体験となりました。
去年は滝行が悪天候により出来なかったのですが、今年は行うことができました。
車道から道なき道を入っていき、ふんどし一丁に着替えましたが、そこから滝までの道が意外と長く、人が歩くような道でもないので、川に足を入れたり岩場を飛んだりしてなんとかたどり着いたという感じでした。
大げさな表現をすれば、命がけでした。自然を前にした自分の無力さを痛感しました。
先達は「山伏修行で野生を取り戻す」おっしゃっていましたが、「野生を取り戻さざるを得ない」といった感覚になり、何となく、子供のとき非力ながらも外で遊び回っていたときを思い出しました。
滝行では圧倒的な水圧に耐えるのに必死で、滝と一体となるなんて微塵も思うことができませんでした。
終わったあと頭痛がしましたが、普通の空気が暖かく感じられ不思議な感覚でした。
人生初の貴重な体験でした。
夜間とそう(斗藪=修行)では、満天の星空と蛍を眺めましたが、去年とは違った場所、蛍が多く飛んでいる場所で立ち止まりました。
どちらも都会ではまず見られないもので、こんなに多くの天然蛍を見たのは人生初めてです(昔住んでいた街では蛍の人工飼育を行っているようでしたが、実際見たことがありませんでした)。
蛍や星を眺めていると、蛍達はそれぞれ光り方に個性があり、星はなんとゆっくり動くものを発見(後で調べてみましたが、人工衛星だと思います)。
肉眼で人工衛星を見ることができたのも、また人生初めてでした。
星空も蛍も見ていて楽しく、もっともっと眺めていたいと感じました。
同時に、生命、自然の神秘を感じ、温かい気持ちになることができました。
※修行後に先達の著書を読ませていただきましたが、とそう前の「受けたもう」(先達の指示に対して修行者が応じる際に発する言葉)の感じで、その夜のとそうコースが決まるとのこと。今回の「受けたもう」はどのように聞こえたのでしょうか?
羽黒山、月山とそうは去年経験していることもありきつさは感じませんでしたが、岩場の多い月山では何度も足を滑らせ、自分のバランス感覚の無さを思い知らされました。
歩くだけでなく山を走る修行とかであったら、根を上げてしまいそうです。
月山は去年と同じ季節であっても、霧や雪が多く、虫達もあまり飛んでいないと感じました。
私はまだ2回目ですが、季節や天候により、あるいは同じ季節、天候であっても、山は全く違った表情を見せます。
先達は山伏修行後のご自身の感想を述べられていましたが、子供の頃から何十回、何百回も登っているはずの山ですら、入るたびに新しい発見があるのかもしれません。
もしかしたら、そういった感性を磨きつづけることこそ、自然の中に身を置くことの本質なのではないか、と思いました。
2日間の修行体験でしたが、人生の中で本当に貴重な体験をすることができました。
最後に、先達、宿坊の皆様をはじめ、ひかりの輪のスタッフ、参加者の皆様に深く感謝致します。