静岡の話と福岡の話が中途である中、長野の話(これはさほど長くならないはずですが)まで出てきて、いささかややこしくなってきましたですねえ(書き手にとって、ではありますが…)。取り敢えずはそれぞれに話を進めることにいたしまして、福岡の話は石橋文化センター内にある久留米市美術館を振り返る段階に到達いたしておりましたな。
そも、東京・京橋にあるアーティゾン美術館がブリヂストン美術館と名乗っておった当時、ブリヂストンの故郷である久留米には石橋美術館があって、主に前者が西洋美術を扱い、後者が東洋美術を担う存在ということで、一度は訪ねてみたいものだと思っていたのでありますよ。それがいつしか久留米市美術館へと変貌を遂げておったようでして。
そんな経緯で石橋コレクションの一端をこそ見られるものと思っていたわけですが、コレクション展示はどうやら石橋美術館当時の別館、現在は石橋正二郎記念館の方にこそあるとは、後で知ったこと。さらに、石橋正二郎記念館は先に触れました通りに改修工事中で立ち入ることもできず…。これまた積み残し課題になってしまいました。
では訪ねた折に開催中であった展覧会は?と言えば、上の写真にもありますとおり、『橋口五葉のデザイン世界』展というもの(すでに会期は終了)でして、実のところ、今年の夏休み前くらいに比較的近隣の府中市美術館で開催していたのが巡回してきたのでした。
「ここでこれを見るか…」てな思いもありましたですが、府中の方は近いからこそいつでもいけると思っていたところ、結局見逃していたので「やっぱり見とけよ!」ということであったのか…。結果からいえば、たいそう興味深いものでありましたよ。
ここだけは写真撮影可というエントランス部分にあったのは、夏目漱石の著作の数々でして、これの装丁を手掛けたのが橋口五葉だったのですな。漱石本の装丁といいますと、つい津田青楓を思い出したりしますけれど、橋口五葉は漱石と文壇デビュー以前から付き合いがあったようで、そも俳句雑誌『ホトトギス』の表紙やら挿絵やらをタンと手掛けておるようで、しかも漱石の推挙によってということであるそうな。
で、展示の最初の方では、多くを漱石との関わりの数々が紹介されていて、これがまた興味を惹くものでありましたよ。だいたい漱石自身、いろいろな意味で絵心のある人物と見受けられますしね(例えば『草枕』の主人公は画工だったりとか)。
そんな漱石がロンドンに留学していたのは世紀末、ヴィクトリア朝の英国であって、同時代的にはウィリアム・モリスの主導したアーツ・アンド・クラフツ運動が展開されていたり、ラファエル前派の後世代の画家たちが活躍していたりという時期なわけですね。そこで時代の美術思潮にたっぷりと使ってきただけに、五葉は「イギリス留学による漱石の世紀末芸術趣味を採り入れ」て作品作りをするようにもなったようで。
和の模様に西洋の近代感覚をどう織り込んでモダンデザインを形成するか
この言葉どおりの実践を、五葉は目指していたようでありますね。そんなことに触れた上で改めて『吾輩ハ猫デアル』の装丁を目にしますと、なるほど感が増してくる気がしたものでありますよ。
と、話は漱石のことばかりになってますが、「製本装幀と云う事は、装飾的形式に依って自己の芸術を表現する事」と語る五葉に信頼を寄せて、装丁を依頼する著述家は数知れず。泉鏡花や森鷗外も同様ですけれど、当然のこととして五葉流のテイストは通底しつつも、作家の個性というか、作品の個性というか、それによって雰囲気を変える芸域の広さはありますですね(時代によって自らのテイストにも変化はしましょうけれど)。
そうした懐の深さが後々、新版画の制作でも発揮され、(本展フライヤーに紹介されていたことですが)スティーブ・ジョブズをも魅了したとか(どうでもいい例ですが)。それだけに橋口五葉の幅広い活動とその結果の作品は、40歳になるかならぬかくらいで亡くなってしまって打ち切りになるのが、寂しい限りではありませんでしょうか。
ということで、当初の目論見(石橋コレクションをこそ見る)とは大きく異なるところとなった久留米市美術館探訪でしたけれど、これはこれで良しということに。この後はいよいよ西鉄に乗って移動しつつ九州らしいところ?も訪ねたりする方向にも向かうのでありますよ。


