「夏目漱石の美術世界」展
を見てきた後には、
やっぱり漱石作品を読んでみようかという気分にもなろうかというもの。
(といって、ずいぶん日にちが経ってしまってますが・・・)
そこで近所の図書館で蔵書検索をしてみたのですね。
夏目漱石といえば、公立図書館なら必ず置いてあろうとはいうものの、
日常的にちょこちょこ借りて行く人があるでもない状況では、市の中でもメインでない分館に
全て揃っているわけでもあるまいと思ったわけでして。
で、他館から取り寄せるでなくその場ですぐに貸し出してもられるものをと
検索結果のページを次々見て行きますと、
「え?こんな本、あったんだ?!」という一冊に出くわしたという。
題して「『漱石の美術愛』推理ノート」というもの。
結局のところ漱石の小説ではなくなってしまいましたが、借り出して読み始めたのでありました。
読み始めたところでは、
先に見た展覧会はこの本が元ネタになっているんでないの?と思えたりしましたが、
どうやら漱石と美術の関係を研究というか、追究しておられる方とはいうのはいるようで、
展覧会にしても先に見たものが画期的というわけではなく、
先行した企画もいくつかあったのだと分かりました。
ところで、この本の興味深いところは、タイトルからして「推理ノート」と名付けられているように、
研究を極めたところ「こうした事実が裏付けられました」的な成果を披露するものではなく、
もそっと自由に、著者が思いついたことに従って、あれこれの資料から傍証を得たりもしますが、
「確かにそうだ!」とまで研究的には言いきれないような事例も紹介してしまうのですね。
思い付き勝負である点は何やら自分のブログとおんなじ方向性が感じられたりするものの、
それでもちゃあんと美術史的な観点等から資料を渉猟していく点できちんと筋道は考えられていて、
その点は同じ土俵に乗れもしませんが…(笑)。
展覧会で見てきたことと重なる部分もある一方で、こちらでしか提示されないようなこともあります。
例えば森鴎外との静かな炎ともいうべきライバル心のような辺りは、
周囲の関係者あるいは弟子筋までも絡んで、実に実に人間臭いところが感じられますね。
例えばですけれど、
漱石は1907年東京美術学校(今の芸大ですな)で「文芸の哲学的基礎」という講演をします。
どうやらこの講演依頼の背景には鴎外の影がちらちらするのだとか。
この講演の演者というお鉢が漱石に回されたのは大村西崖という彫刻家によるのだそうで、
この西崖は美術学校で鴎外から美術解剖学を習ったという師弟関係があり、
また後に美学研究に転じてからは、鴎外の共著者になっていたりするという。
こういってはなんですが、いわゆる「鴎外派」の人物てなことに。
1907年当時の漱石は初期作のほかに「猫」と「坊っちゃん」、
「二百十日」、「野分」くらいまでしか仕上げていない状況で、
後世から考えれば「文豪」というより「気鋭の小説家」的な位置づけでしたろうか。
ただ、その「気鋭さ」が実際どんなものか鴎外は気になってしかたがなかった・・・
で、西崖経由で漱石に講演をさせてみたというのが「推理」ということになりましょうか。
確証はないながら、ありそうな話だと思いますよね。
で、その評価のほどはといえば、
会場に潜り込んで(?)聴いていた志賀直哉あたりによりますと
「カタのコるやうな話であるにはらず大に得た所があった」と日記にあるそうな。
お手並み拝見と考えた鴎外は、脅威を実感するところとなったかもしれませんですね。
と、何だかこれではちいとも「漱石の美術愛」ではないではないかと思われてしまうところですが、
たまたま面白そうなエピソードのことで長くなってしまっただけでして、
本書の本領はやっぱり美術のお話。
ターナーの松や黒田清輝、藤島武二、青木繁らとの関わりは先の展覧会にもありましたけれど、
もそっともそっと掘り下げてあるのが何とも興味深いところでありました。
そして、展覧会で見たときには「思わず微笑まずにはおれない」てなふうに思った漱石自筆の南画も、
じっくり見つめて分析されると「なるほど、なるほど」と思うわけでありますよ。
うむぅ、漱石と美術の関係、展覧会ではまだまだ表面的なところしか
示せていなかったのだなぁ(受け止める側の理解としても・・・)と思わずにはいられなような。
座右において両者の関わりをじっくり探究したくなる一冊でなのでありました。
