ちょいと前にふとした興味つながりから胡弓
の調べを耳にしましたけれど、
その際には「胡弓が日本の楽器であったとは?!」といつもながらの
もの知らずぶりを発揮してしまいましたですなあ。
では、なんだってそうした勘違いをしておったかでありますが、
中国の楽器である二胡との区別がついておらなかったわけでして。
そのときから「こりゃ、二胡の方も聴いてみんことには」と思いながら、
ついぞ取り紛れておりましたところ、先日に坂東玉三郎
の出るシネマ歌舞伎を見て
「おお、そうだった。二胡を聴くんだったっけ」と思い出したような次第。
もっとも、先日見たという「ふるあめりかに袖はぬらさじ
」で玉三郎は
三味線しか手にしないわけで、もっぱら玉三郎繋がりで「阿古屋
」を思い出したということ。
「阿古屋」では琴責めの段として箏
・三味線
・胡弓を演奏する場面が出てきますのでね。
とまあ、ことここに至る説明が長くなりましたですが、
気にかけておった二胡の調べを耳にすべく、
ようやっと近所の図書館でCDの借用に及んだのでありますよ
CDのタイトルは「中国の美音」というシリーズから「胡弓」?!とは、
「これ、違うんでないのぉ!」と思うところでありますね。
だいたい(にわか仕込の覚えによれば)日本の楽器である胡弓は胴体の部分が
三味線の四角っぽい胴をそのまま小さくしたような形ですので、
上のCDジャケットで見るように小さな六角形ではないのですな。
ですので、このCDの写真の方が「二胡」なのであろうと思うわけです。
この辺りの認識の混濁したところをWikipediaの記述で整理をしておくとしましょう。
日本においてはこの楽器(二胡)を胡弓と呼ぶ場合があるが、中国の二胡と日本の胡弓には直接のつながりがなく、胡弓は日本の伝統楽器、および伝統的な擦弦楽器群の総称をいう。また、中国には胡弓と呼ばれる楽器はない。
…と、また一向に二胡の音楽の世界に入り込めませんですが、
改めて仕切り直し、CDを聴いてみることに。すると…。
胡弓の音はどちらかというと「びよよよ~ん」としたあいまいな音であるのに対して、
二胡の方ははっきりとした音色でメロディーを奏で、いかにも独奏楽器の立場を確立しているふう。
もちろん全ての音にスラーがかかっているような音の流れはありますけれど、
これはむしろそういう個性として曲作りもなされておるのでありましょう。
全曲の中でいちばん情感豊かと受け止められたのは3曲目の「江河水」ですかね。
いささかステレオタイプとは思いながらも、中国の山川水墨の世界を想像させるわけで。
ここで山川水墨と言いましたのは、単に実景を思い浮かべるということではなしに
長く尾を引くような音色からは自ずと水墨画
の筆遣いを想起せずにはおれなかったのという。
中国の風景(わかりやすくは桂林とか)、水墨画、そしてこの楽器は
やはり同じ空気の中で生まれ、育まれたものでもあるかなと思ったものでありますよ。
一方で、ゆったりとした流れの「江河水」が悠揚迫らぬものであるならば、
最後の「賽馬」なる曲はプレストでちゃかちゃかと草原を駆け抜ける感じとでもいいますか。
それもそのはず元はモンゴルの夏祭りの曲であるということでもありますし。
ですが、中国は遥かに中央アジアを抜けて欧州まで陸続きであって、
そこで縦横無尽に馬を駆った民族がいたてなことまで思い出させるところですな。
と言いますのも、この曲の演奏には揚琴という楽器も使われておりまして、
これは最初「変わった琴の音?」とも思ったものの、よくよく耳を傾ければ
むしろハンガリーの楽器、ツィンバロンに近いのではと。
弦をバチで打って音を出す、あれです。
ハンガリーは言うまでもなく遊牧騎馬民族マジャール人の国で
(かつて言われたようにアジア系とまでは言えないようですけれど)
地続きの大地を疾駆する中では人種的にも文化的にも、
ユーラシア的な混淆を経ていることでありましょう。
そのハンガリーに伝わる楽器と近いと思しき楽器が出てくる「賽馬」を聴いていると、
小さな家の中でステレオセットの前にいるだけであるにも関わらず、
大きな大きな世界の広がりに思いを馳せたりするのでありました。