この間、張家界 の奇観を紹介するドキュメンタリー番組を見て、
その立ち並ぶ石柱に松がしがみついている景観から水墨画を思い出したりしたのですね。
だもんですから、東京・丸の内の出光美術館 で確か水墨画の展覧会をやっていたっけと思い出し、
立ち寄ってみることに。「水墨の風 長谷川等伯と雪舟」というタイトルでありました。
先に同じ美術館で田能村竹田 の作品に接し、
水墨画は墨の濃淡で勝負するばかりでなく着彩したりするのもあるんだあねと
今さらながらの知識を得たわけですが、今回見たくなったのはやはり墨の濃淡の方。
それだけに展覧会の最初を飾っていた南宋末の画僧・玉澗による「山市晴嵐図」は、
我が意を得たりの感がありましたなあ。
全くもって墨の濃淡と筆の勢い、そして余白の巧みさで
コンパクトなサイズの中に広大無辺の山峡を描き出しているやに見えるではありませんか。
何ともしみじみと味わい深い作品ではなかろうかと。
そして、この玉澗作品のお次に控えているのが雪舟の「破墨山水図」。
上のフライヤーの真ん中に部分引用されている作品です。
雪舟は大いに玉澗の影響を受け、「玉澗様」とも言われる作風を見せたりしているのだとか。
作品をみれば、これまた墨の勢いで見せるものとなっていますですね。
そも「破墨」とは水墨画の技法なのだそうで、Wikipediaによりますれば
「濃墨が淡墨をはじき、『濃墨が淡墨を破る』(黄公望、写山水訣)効果を生む」技法だとか。
なるほどです。
ただ、ここでの玉澗と雪舟の2枚を比べる限りにおいてですが、
玉澗の深遠なる世界はまさに深山幽谷を想像させずにはおかない点で、
要するに絵に見えるもの以上に想像の広がりが優る点において、
深みある作品だなあとつくづく思いましたですよ(深い、深いばかりですが…)。
そして、展覧会タイトルに雪舟と並んでその名を冠されております長谷川等伯。
絢爛な「楓図」などでも有名な等伯ですけれど、
水墨の腕は「松林図屏風」を見れば一目瞭然でもあろうかと。
かつて東京国立博物館で長谷川等伯展がありましたとき、
一点突破で他の人たちが最初の方の展示をうろうろしている間に「松林図屏風」を見に行き
「ほお~」とひとり呻ったことが思い出されますよ。
と、それはともかく等伯は「雪舟五代」を名乗ったそうですから、
水墨画の腕もそこらの絵師に負けない気負いがあったのでありましょう。
展示作品である「松に鴉、柳に白鷺図屏風」(フライヤーの上部に部分引用)の
松の幹や根を見れば、やはり味わい深いものだと思うところでありますなあ。
ちなみに等伯はこの屏風で鴉を描いていますけれど、
中国では古来、白黒対比の黒を担うものとして叭々鳥(ははちょう)が描かれていたと。
で、中国水墨を範とした日本でも叭々鳥を描いたりしていたようながら、
本来は南方の温かい(暑い)場所の原産で日本におらない鳥(今は観察記録があるらしい)、
それをあたかも見て来たかのように描くより、等伯は黒を鴉に担わせればよいと考えたようで。
分からんことではありませんですが、
ムクドリの仲間とされる叭々鳥の大きさ含めて良しとして中国で描かれたと思うと、
置き換えがカラスではちと大きすぎのような。
実際、上の等伯作品に描かれた鴉も存在感があり過ぎな気がするわけで…。
ところで、展覧会ではその他作家の作品、着彩の水墨画も含め結構な点数が展示されてたですが、
今回覗きに行った発端が発端ですので、
会場をうろうろしながらも結局は玉澗の作品に立ち戻ることを繰り返した
水墨画展詣でとなったのでありました。