TV朝日「題名のない音楽会 」のCMで流れますように、
東京・丸の内の出光美術館
が開館して50年。
年度初めの記念展「やまと絵の四季」を見に出かけたときにもらった優待券がありまして、
年度内は入場料が半額となるこの券を使って「いつ行こうか…」と思っているうちに、早や年度末。
使わない手はないと出かけたのが「古唐津」を集めた焼きものの展覧会でありました。
と、さも止むを得ずのネガティブ・チョイスのような口ぶりになってしまいましたけれど、
ようやっと僅かばかりながら焼きもの
への興味も出てきた今日この頃。
そして、ひと口に焼きものと言いましても差し当たりの興味は磁器ではなくして、
陶器にありと思っているだけに、いささかの積極性をもって臨んだのでありますよ。
「古唐津」とは文字通りに古い時期の唐津焼ということであろうと思いますが、
展示解説の最初の方に「桃山時代の九州で朝鮮人陶工によって始められた」と
唐津焼のもともとを紹介していたものの、もそっと進んだ先の説明に寄りますと
「戦国大名が連れ帰った」という記載にぶつかったのですな。
戦国大名が朝鮮半島から陶工たちを連れ帰るとは
大名自らが半島へ渡らねばならないわけで、つうことは要するに文禄・慶長の役のときに
連れてきてしまった?もしかして無理やり?てなふうにも思ったりするところです。
どうも穏やかならぬ始まり方という気がしますが、後から参照したWikipediaによりますれば
調査の結果から「唐津焼の創始は文禄・慶長の役よりはやや早く、1580年代に開始された」とも
考えられるようになっているのだそうな。
とまれ、唐津焼のそもそもは朝鮮半島の文化の吸収であったというわけでして、
古来日本の文化は大陸・半島の影響を大きく受けてきていますけれど、
それは近世になっても尖端技術を取り入れるという点で続いていたということなのですね。
時に、そんな始まりの頃の古唐津には「奥高麗」と呼ばれて、
半島から渡ってきた製品であるとかつては考えられていたものがあるそうですが、
それが「茶碗」であったりする場合にどう考えたら良いのか…。
「茶碗」をその名のとおりに受け止めれば「茶」の「椀」であって、
お茶を飲むための器ということになりますな。
それも普段使いの煎茶を飲む湯呑みとは異なる、茶道の道具としてあるような。
で、これが半島渡りの茶碗と考えられたということは
半島や大陸に茶道があるのかと言えば、あっても日本の茶道とは違うものではなかろうかと。
器にしても、大陸ではお茶を飲むときに小さめの磁器の椀を使いますものね。
日本の桃山時代とは秀吉がいて、利休がいてという茶の湯が流行った時代といいましょうか。
器へのこだわりもこの時期か、も少し早い時代あたりのことだろうと思うのですよね。
つまり、日本の茶の湯で使うような茶碗は半島渡りの陶工が作ったにせよ、
顧客のニーズを捉えてまさに日本で作られたものでありましょうに、
そうとも知らず?品物自体が半島から来たと考えてしまったところは
当時の日本人の世間の狭さということにもなりましょうかと。
と、どうでもいい話が長くなってしまったですが、
均整の取れていない手作り感(轆轤にかけた後にわざわざ捻ったりするのですなぁ…)、
釉薬を自在に掛け回した結果生まれた偶然性の絵画のような抽象性を帯びた柄、
そして釉を掛け残して土そのものの風合いの素朴さ…いいですなあ。
どれがより芸術性が高いのかなんつうことは皆目判らんとしても。
差し当たり、いかにも侘び茶に似合いそうな器に惹かれる感じでいますけれど、
時に桃山文化とは正しく秀吉の時代であって、金ぴかの好きだった秀吉には
流行りものの茶の湯が侘び寂びの方向へ向かったとして釣り合わないものであったろうなあ…
てなことに思い至る展覧会でもありました。