ちょいと前にひょんな経緯から三波春夫 の長篇歌謡浪曲を聴いてみましたときに、

図書館の借物とはいえ三波春夫のCDに手を伸ばすことになろうとはゆめゆめ考えたこともなく。

このほどやはり図書館で手に取ったCDもまた同様の思いではありますなあ。


決定版/箏の名曲~春の海~

「決定版 筝の名曲~春の海」というタイトルの一枚を何ゆえ唐突に?!ということですが、

しばらく前にEテレ「にっぽんの芸能」で取り上げられていた筝曲作品に触れ、

「筝曲の演奏会を探して聴きに行ったりしてみようかな」と思ったりしたことを思い出したわけで。


あいにくとそのつもりで検索して気に掛けておきませんと、

筝曲の演奏会は多くあるでもなく気付かぬままに、あるいは見落としたままに時は過ぎ、

代わりにといってはなんですが、こうした名曲集というベタなタイトルの一枚に

手を出すことになったのでありました。


先にも言いましたように、琴の曲と言っても「六段」と「春の海」しか思い浮かびませんので、

はて名曲集とはどんな曲が収録されておろうかと思ったところながら、実はこれ、

「筝の名曲集」という以前に「宮城道雄の名曲集」だったのですなあ。


ほぼ知識の無い者(自分のことです)でも「春の海」は宮城道雄の作品と知っているほどですが、

筝曲家であることはもとより作曲家でもあり、また十七絃箏を考案した人でもあるそうな。

楽器に改良を加えて表現の幅を広げようと目論むあたり、琴という古風な世界に思える場所で

新しいことを目指した革新者でもあったということでしょうかね。


そうした宮城道雄の作品集ですけれど、

収録曲には「さくら変奏曲」、「数え唄変奏曲」なんつう変奏曲形式の曲があったのですな。

明治27年(1894年)生まれの宮城は日本が西洋音楽を受容する過程をたどった時期に生きて、後に東京音楽学校の講師となったときには筝曲の譜面に五線譜を取り入れたりもするという

人物であったとか。ベースは「和」でもそこに留まらない人だったのでありましょうか。


他に「落葉の踊り」という、題名からは和のテイストを思わせる曲ではライナーノーツの解説に

「バイオリンによる「妖精の踊り」を耳にしたことが、直接の作曲動機になった」とあって、

西洋音楽の楽曲から直接に刺激を受けていたこともわかります。


もっとも、ここでの「妖精の踊り」というのが誰の作品なのかは定かでないながら、

ヴァイオリンでということからバッジーニの作品かもしれません。

奇しくもバッジーニの「妖精の踊り」はロンド形式で書かれており、

宮城道雄の「落葉の踊り」もまたロンド形式で作られているというあたりも

かかる想像を呼ぶところでありますね。


と、そんなこんなのことを知った上で改めて名曲「春の海」に耳を傾けてみますと、

もとより尺八と琴の合奏曲であるとは知りつつも、両者の掛け合いのようすに

こりゃあ例えて言うなら「尺八ソナタ」でもあらんかと思ったり。


ちょいと前の「題名のない音楽会」に登場した三浦文彰と辻井伸行が

フランクのヴァイオリン・ソナタを演奏するときに

ヴァイオリンとピアノの対等性と掛け合いのありように触れていましたっけ。


おそらくですが、ヴァイオリンとピアノの楽曲を「ヴァイオリン・ソナタ」と言ってしますのは

日本にありがちなことであって、楽譜の原語では「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」といった

表記がされてもいようかと(フランクに限った話ではありませんが)。


同様に「春の海」も「尺八と箏のためのソナタ」的な曲なのでありましょう。

もっともこの曲がソナタ形式で書かれているわけではありませんので、

掛け合いの妙を生かす作曲のことを例えで言っているわけですが。


てなぐあいに、出だしのフレーズに「ああ、お琴だね。優雅だね」と思うだけだった「春の海」に

今さらながら奥行きと陰影を感じることになったわけですが、宮城の和魂洋才的才能も

個人的にはちと行きすぎたかという面を思うこと無きにしもあらず。

さきほど触れた「落葉の踊り」や「瀬音」という曲では、

聴いていて箏としてはスムーズに受け止めにくい音列が出てきたりするように感じたものですから。


まあ、そうしたことも聴き馴染むことで克服されることなのかもしれませんですね。

とにもかくにも、また知らなかったことに近付く機会とはなったのでありました。