もの知らずもいいところであったと思うわけですが、

三味線というのはひとえに歌(要するに声楽です)の伴奏楽器であるように

思い込んでしまっていたふしがありまして。

どうしても「ちんとんしゃん、はぁ」なんつう芸事のお稽古のさまが浮かんでしまうような。


それがいつだか津軽三味線の演奏に接して、もちろん民謡の伴奏でもあったりはしますが、

その単独で演奏されたときの「べんべん!」という太棹のどっしりした音に驚かされたのですね。

三味線にはこういうのもあったかと。


ですので、津軽三味線の音を生で聴くという機会を常々探っておったところ、

ようやっと昨年、思いもよらぬご近所で演奏会 があって悲願(?)達成。

津軽三味線、いいのお!と思って帰ってきたのでありますよ。


で、こうしたふうに思う個人的背景として(今、唐突に考えてみたわけですが)

どちらかといえば声楽曲よりも器楽曲の方に惹かれるというのがあるなあと。

クラシック音楽を聴くときにも同様なのですけれど。


つまり、津軽三味線が「いいのお」と思ったときに「『津軽三味線』はいいのお」なのか、

「歌の伴奏でなく器楽曲としての津軽三味線はいいのお」なのか、

どちらによるものかと考えてしまうと俄かには答えられないような…。


それを改めて思い知ったのが先ごろアンコールとして放送された

Eテレ「にっぽんの芸能」の「色とりどり 三味線の世界」という番組でありました。


長唄、義太夫、新内というそれぞれの世界で名を成す三味線弾きが登場して、

曲を披露してくれたですが、いずれも器楽曲としての三味線だったのですなあ。

あたかも器楽曲としての三味線は津軽三味線こそてなふうに思ってしまっていたのが

何ともお恥ずかしい話でございまして…。


取り分け「ほお~!」と思いましたのは

長唄の三味線がメドレーで演奏した「大薩摩・流れ・滝流し」というもの。

ちょいと前に「クラシック音楽館」でピンカス・スタインバーグ指揮のN響が

「わが祖国」全曲を演奏したようすを放送していたのを見たこともあり、

「こりゃあ、三味線版『ヴルタヴァ(モルダウ)』でもあらんか」と思ってしまいましたですよ。


しずくの一滴が沢を流れ下って、川幅を広げてゆったりと…といったようすを

だんだんに数が増えていく三味線で(最後には鳴り物入りの三味線オーケストラとなって)

描写するのですから。


長唄とは単にその語感から

先にも言ったような「ちんとんしゃん」の類いだとばかり思い込んでおって、

番組で接するまではかような器楽曲までが「長唄」の範疇に入ろうとは

これっぽっちも思っておらず…。

毎度思うことながら、知らないことはた~くさんあるのですよねえ。


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