先に少々ピチカート を気に掛けた折のこと、
擦弦楽器やら撥弦楽器やらに関してネット上であれこれの記述を見たですが、
Wikipediaにはこのように書かれていたのですなあ。
胡弓(こきゅう)は日本の擦弦楽器。和楽器であり、多くのものは3本の弦を持ち(4本のものなどもある)、ほぼ三味線を小型にした形をしている。
ここでやおらモノ知らずぶりを白状することもないのですけれど、
「胡弓とは日本の楽器であったのかぁ…」といささか驚いたわけでして。
てっきり中国の楽器だと思い込んでおりましたですよ。
以前、シネマ歌舞伎で見た「阿古屋」
には琴責めの段という箇所がありまして、
平家残党の悪七兵衛景清の行方を知っているものとして捕らえられた遊女・阿古屋が
「知らぬ存ぜぬ」を繰り返す中、源氏方ではその証言に偽りがないがないか、
嘘発見器代わりに楽器を弾かせ、演奏に心のざわめきが現れないかを探ろうという
実に風流な作戦に出るのですね。
その際に弾いてみろと言われる楽器、琴
、三味線
、胡弓の三種類。
三味線や胡弓の成立は江戸の頃らしいですので、
源平合戦の頃には存在しない楽器なのですが、歌舞伎の演目には
時代を昔に移し替えても時代考証は極めてあいまいなものが多くありますので、
この辺りに目くじらを立てるのは筋違いではありましょうか。
ただ、ヴェネツィア
のコルティジャーナではありませんけれど、
江戸で遊女とはいえ太夫と謳われるほどになりますと、ひと通り以上の教養があったわけで、
楽器演奏などにも当然に長けていたのでありましょうなあ。
それも琴、三味線、胡弓のいずれにもとなれば、阿古屋の人物が知れようとも思うところです。
それはともかく、ここで琴と三味線に並んで胡弓の演奏が求められたのは
遊女の中でも阿古屋の上位性を示すものでもあらんか、なんとなれば異国(中国)の楽器にも
通じているとは…と、「阿古屋」を見たときにはそんなふうに思っていたのでありました。
ところがところが、これが日本の楽器であったのですなあ。
これまでずうっと胡弓であると思い込んでいたのは、
どうやら中国の「二胡」という楽器だったようでありますよ。
そんなことがあったものですから、近くの図書館で借りてきた一枚のCD。
タイトルに「古典芸能ベスト・セレクション名手名曲名演集 胡弓」とあって、
やっぱり日本の古典芸能だったのですなあ。
で、早速に聴いてみたわけですけれど、
解説文に「(胡弓は)昔からマイナーな存在であった」とあるだけに
琴や三味線、そして歌唱を伴う曲が並んでおりまして、そうした合奏の中で胡弓は
至って目立たない、ともすると効果音的な役回りを引き受けておるような気も。
一方で少ないながら胡弓の独奏曲も収録されており、
こちらの方がより特性が際立つものの、元来緩く張った弦に指を押し当てて音を定めるせいか、
期せずして多用されるポルタメントの印象はどうもやっぱり中国っぽいような気が
してしまうのですよねえ。
かつて戦時歌謡的に李香蘭が歌った「支那の夜」や「蘇州夜曲」などでは
その歌い方がかなりポルタメントのかかったふうでもあり、
それがいかにも中国っぽく感じたことでしょうから、こうしたこととの類似性を
胡弓の音色に見てしまうのではなかろうかと。
とまれ、いやはや知らぬことがまだまだたくさんあるものですよね…。