前にも行ったことはありますが、ちょいと深川江戸資料館を覗いてみたのですね。
常設展示として江戸末期の町並み(深川佐賀町だそうで)が実物大で再現されておりまして、
何度訪ねても楽しいものです。
長屋の軒が迫った狭い通路などは昭和にも繋がるもので懐かしい気もしますし、
一方で明らかに昔と考えればやおら江戸の町にタイムスリップした「仁」の主人公の
心持ちにもなったりするわけです。
そんな展示の端っこの一角では「長屋~住まいと暮らし~」という企画展が。
こちらもまた「長屋」なるものの実態を理解する点では助けになりましたですよ。
例えばですが、落語なんかではしきりに店子のことをぼやく大家さん
が出てきますが、
その大家さんがその長屋のオーナーなのではないということを知ったのは比較的最近のこと。
本当の長屋の持ち主は別にいて、管理を任せているのが大家さん。
となれば単なる管理人かというと、そうではなくて幕府からのお達しをちゃあんと店子に
伝達しなければならないという責務も負っていますし、店子の訴訟ともなると、
大家さんは連座しなくてはならない…この辺のことも落語を聞いてると分かってきますですね。
で、長屋の本当のオーナーはと言いますと、これまた例えばですが
豪商である三井越後屋は町屋敷経営を手広くやっていたそうなんですな。
何でも宝永七年(1710年)頃、三井家
の総資産のうちで不動産が占める割合は約45%、
お世話になった店子は江戸市中にかなりいたのではないかと思うところです。
と、これは常設展示の方ですけれど、深川
ゆかりの人物が多々紹介されている中にあっては
隅田川の東側でいわば新開地の深川には長屋が相当あったろうと思うにつけ
長屋住まいだった人々も多かったろうなあと。
中には立派なお屋敷を構えた方も混じっているとは思いますが、
深川ゆかりと紹介されていた人物たちとちと挙げてみるといたしましょう。
松尾芭蕉
、英一蝶、新井白石
、平賀源内、山東京伝
、伊能忠敬
、瀧沢馬琴
、佐久間象山
、
伊東甲子太郎、四世鶴屋南北、七代目市川団十郎…と実に多士済々ではありませんか。
というところで、長屋とは全く関わりなくなりますけれど、
深川で思い出す人がいますですね。極めて最近も飯坂温泉
で耳にした名前です。
今現在、深川のある江東区は明治早々にできた深川区と
後から隣接地にできた城東区が昭和22年(1947年)に合併してできたわけですが、
その深川区の区役所が置かれていたのが「白河」と言う町だという。
深川江戸資料館もまさにこの白河にあります。
でもって、この白河という地名の由来はといえば、
白河藩主で老中首座を務めた松平定信の菩提寺があるところから来ていると。
その菩提寺である霊巌寺はなんとまあ、深川江戸資料館のお隣にある…となれば、
立ち寄ってみるわけですなあ。
何故このような川向こうの地に老中首座を務めた人の墓所が?と思わなくもないですが、
お寺さんが立派だったのでもありましょうかね。
想像でしかないですが、京都の六地蔵に倣って造立されたという「江戸六地蔵」、
そのうちのひとつがこの霊巌寺にあるということですし。
ただ「お地蔵さん」というとわりと小さいものを想像してしまうところながら、
ここの「地蔵菩薩坐像」はあたかも大仏ででもあるかのよう。
像の高さは2m73だそうですから。
余談ながら「六地蔵」と聞きますと、スタンプラリー
よろしく6ヵ所制覇するか!てなふうに
思いかけるところですが、東京六地蔵は今は5つしかないのだそうで。
ひとつ欠けた理由は、明治の廃仏毀釈で取り壊されたからということですけれど、
どうも明治政府
にはタリバン的側面があったのだなと思ってしまいますね。
今から思えば、そして今さらながらにですが。