先に秩父
へ行ったときから気にはなっていた映画なのですけれど、
ようやっと見ることができた「草の乱」、秩父事件を扱ったものでありまして。
幕藩体制の旧弊から脱し、日本を諸外国と肩を並べる国へ導くことを何より優先して、
そうしたお上の方針に楯突くことは罷りならんという立場だったのでしょう、
明治政府を牽引した人びとは。
富国強兵のためには銅の産出は必要なのだからとして
「足尾鉱毒事件 」なんつうのには構っていられようものか、てなもので。
秩父を訪ねたときに「秩父では年貢米を収めたことがない。なんとなれば、
その他の資源が豊富で、それによって得られた貨幣で納付していたから」と聞いたですが、
裏返して考えてみれば、山がちな土地柄であって大きく稲作を展開することができない、
つまり「やろうと思えば年貢米を収めることもできるが、そうしてこなかった」のではなくって、
稲作には不向きであったために、他のものでカバーしなくてはならなかったのでしょう。
その最たるものが養蚕であって、
他の地域での稲作、畑作もやりながら養蚕もするという以上に依存度が高く、
養蚕専業といった形でもあったろうかと思われます。
そうすると、生糸が売れたときには精算できることを前提に
借金で生活するのが日常的なことでもあったようで、映画を見ていても、
秩父地域という狭いエリアにこんなに金貸しがいたの?くらいに思えるわけです。
そんな秩父を襲ったのは、松方デフレによる増税と生糸価格の暴落。
これによって生活は困窮し、借金の返済もできず、首を括る者まで出るしまうという。
想定外の事態に村人たちは一丸となって金貸し連中に返済猶予を求めるも受け入れられず、
郡役所にも相手にされないばかりか、警察には不穏な集会と見られて目をつけられるありさまに。
確かに金の貸し借りの契約は当事者間の出来事であって、
完全な民事ですから当事者双方で解決すべき問題とも言えましょうけれど、
国にとっても生糸は一大輸出産品であったでしょうし、
当事者相互に想定外の事態となれば、何らかの対処があってもよかったのかも。
最終的には行き詰まった人たちは金貸しの屋敷に焼き討ちをかけることになりますが、
彼らが結束する一端には自由民権運動を推進する自由党の存在があり、
一部が尖鋭化して政府転覆を画する加波山事件のようなものがあった後ですから、
秩父の決起もまたこれと同類と見られて徹底的に弾圧されることになるわけですね。
いろいろと考えるところはありますけれど、
ひとつにはモノカルチャーの経済になっていたことが原因でもあろうかと。
これは先に読んだ「砂糖の世界史
」で触れられていたように
カリブ海諸国が植民地以来砂糖プランテーション一色のモノカルチャー状態で、
その後に困窮を来たしていることを思い出させますですね。
また、政府の側は政府の側の考えで優先すべきことがあるとしても、
そのために人びとの困窮を放っておき、暴発するまでに追い込んでしまうというのは
論外な姿勢なのではなかろうかと。
だいたいからして「国」のためにそこに住まう人びとが蔑ろにされるってのは
本末転倒ではありませんですかね。
ざっくり言ってしまえば、諸外国との関わりを通じて国家意識を目覚めさせられた幕末明治から
太平洋戦争の敗戦に至るまで、常に「国」は「国民」よりも優先される存在であったような。
「国のため」といって、そも何のために「国」があるのかと考えれば、
そこに住まう人びとが生きていきやすい仕組みとしてあるわけで、
人あっての国であるはずが、どこかでそうした思考回路がおかしなことになってしまったようです。
と、幕末明治から敗戦までとは言いましたですが、
本末転倒の思考が今は無くなっているのかといえば、そうも言い切れないような。
特定の国にことさら寄り添っていかねばならないのは何のためと考えてのことか、
自然災害があった場合に被害を甚大化させかねない施設をなくす方向性を示せないのは
何のためと考えてのことか。
いずれにも「そりゃあ、国民のためですよ」という答えが用意されているのかもしれませんが、
足尾鉱毒事件で切り捨てられた農民たちや秩父事件で徹底弾圧された人びとのような、
そういう立場に一部の人を追い込んだままにして平然と「国民」と言っているようでは
お門違いも甚だしいのではなかろうかと思ったりしたですよ。
そうそう、タイトルにつけたひと言は田中正造の言葉でありました。


