先に「和メープル エコツアー 」でもってカエデの樹液を舐めてみた際に、
甘いものに溢れているご時勢では仄かな甘みを感じる感覚が鈍っているかも…

てなことを書きました。


確かに「今」はそうですけれど、

かつては甘いものはそう簡単に手に入るものではなかったのだよなあと思うのですね。

(子供時代にそうだったというふうには思い出したりはしませんが)


ただ、そうだとすればもっともっと昔は

もっともっと甘いものはありがたがられたろうと思ったところで、
ずっと以前にtamaさん が読んでおられた本が頭に浮かんだのですね。
岩波ジュニア新書の一冊「砂糖の世界史」、早速読んでみたのでありました。


砂糖の世界史 (岩波ジュニア新書)/岩波書店


いやあ、こういう歴史へのアプローチは面白いものですなあ。
平凡社新書の「魚で始まる世界史 」も大変に興味深いものでしたけれど、

こちらはもっと通史的。


ですが「砂糖」という軸を設定してその面から見ていくと、
中学、高校で習う通り一遍の世界史で掬えない部分が見えてくるのですよね。


例えば奴隷貿易で言えば、

アメリカ南部綿花 プランテーションがクローズアップされるところながら、
砂糖やコーヒー、カカオ(チョコレート)のプランテーションも同様でありながら端折られがち。

これは世界史の流れの中でその後のアメリカという国が持つ国際社会における存在感からして、
アメリカ史 には触れておかなくてはという配慮(誰に対して?ですが…)でもあろうかと。


一方で、砂糖プランテーションが展開されたカリブ海の島国などは

世界史をざっくり掴まえるときに、「ヨーロッパの植民地になりました…おしまい」

(その後は授業の中には登場しない)のような扱いでもあろうかと。


ただでさえ授業時間が足らず、現代の部分など教科書に載っていても

授業で取り上げられなかったですから、やむを得ない部分もありますけれど、

ハイチに世界で初めての黒人国家が1804年に誕生したことなどは画期的なことですし、

ハイチのその後の混乱も含め、近隣諸国が産業の無い状態で喘ぐことになる背景も
砂糖プランテーションにあることを示しておくことは、

現代史の理解には必要なことのはずなのですが。


砂糖という製品を生み出すための原材料には、

カエデやビート(砂糖大根)といったもののありますけれど、何と言ってもサトウキビであって、

ニューギニアだかインドネシアだかの辺りが原産と言われるこの植物は
あったかいところが大好きですから、ヨーロッパでは育たない。


しかも、一度の栽培で土地の地味を弱らすので、

継続的な栽培には自ずと広い広い土地が必要になるとなれば、
ヨーロッパではたとえ作れてもそういう作物は「どこか他で作ってほしい」となりましょうなあ。


どこで?となれば、植民地でなっていくのが歴史の流れであったわけですね。

ですから、先ほどから触れているカリブ海諸国の植民地時代には、土地が痩せては順繰りに

収穫継続するために一面のサトウキビ畑と化してしまったのではなかろうかと。
つまり、他の産業はお構いなしということで。


ですが、こうしたことがあって、最初は高価だった砂糖が誰の手にも届くようになっていき、
イギリスでは紅茶に砂糖を入れて飲むという習慣が大衆化していったと。


そもそもイギリスではお茶も砂糖も自国の産品ではないのに、
アヘン貿易で紅茶を手に入れ、奴隷貿易で砂糖を手に入れしたものとは実に酷い話なわけで。


と、ここでちょっと考えてみたいのが、

何だってそんなに砂糖が持てはやされることになるかという点。


本書の中ではそれが主眼点ではないので、

誰しも甘いものは好きで…とされるくらいだったですが、
そもそも誰しも甘いものが好きなのは何故かということで、以下は勝手な想像です。


本書で紹介されていたことに、
イギリスの朝食にはたっぷりと砂糖を入れた紅茶がつきものということがありましたですが、
工場労働者などにしてもこの砂糖入り紅茶を飲んで仕事に出かけることで、元気いっぱい、
バリバリ働ける状態になったのだとか。


昨今、糖分控えめが喧伝される理由にはカロリーの高さがありますけれど、
違った見方をすれば活力源ということになりますですね。

要するに人間が行動するには手っ取り早い活力源である糖分が必要であることから、
糖分を好むという本能があるのではないかと。


本能として糖分を好むとは困ったものだと思うのは昨今の人間であって、
昔々、砂糖プランテーションができるよりも遥かに昔々は精製した砂糖などあるはずもなく、
それこそサトウキビをかじったり、カエデの樹液を舐めたり、

そんなことをして活力源を得ていたのかも。


その状態は仄かにでも甘いものがあれば摂取しておくべしという本能を生んだでしょうが、
その本能そのままでは砂糖という糖分たっぷりの生産品がやがて大量に出回りだしたこととの
バランスがとれていない…そんな状況にでもなっているのかもしれんなと思ったりしたですよ。


また、人間が額に汗してこなす仕事というのも、

昔々に比べて減ってきていますから消費しませんしね。

砂糖を巡る世界史も新たな段階に入っていると言えるのかもしれんと思うのでありました。


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