映画「それでも夜は明ける」を見ていて、「酷い話だな…」と思う。
けれど、それも今だから思うことなのでしょうなあ。
当時のアメリカ南部
では黒人が奴隷以外に何ものでもないと信じられていたのでしょうから。
1841年、アメリカ北部の自由黒人ソロモン・ノーサップがワシントンD.C.で拉致され、
あろうことか南部へ連れ去られて奴隷として売り飛ばされてしまうという。
それから苦節12年を奴隷として
プランテーションで働かされるという運命に見舞われるのですが、
知人に宛てて秘かに書き送った手紙が奏功して、自由黒人たる身分が保証され、
晴れて北部に帰れることに。
ですが、手紙を書いて助かるのなら何故に12年も掛かったかですけれど、
そも黒人奴隷は読み書きなどできるはずもないのが当たり前のところで、
文字が書けると知れたりすることは袋叩きの元になるわけですね。
読み書きできない前提となれば、紙や筆記具を手に入れる機会もないですし、
はたまた常日頃から奴隷が怠けないよう監視の目がある中では、
手紙を書く時間を見い出すのも大変であると。
ソロモンが北部に戻れたのは奇跡というべきなのかもしれません。
ところで、アメリカ南北の成り立ちの違いは以前にも探究したところですけれど、
リンカーン大統領
が戦争指揮官として南北戦争を制し、その最中に発した「奴隷解放宣言」で
表向きの決着(人の心持ちはすぐには変わりませんですから)が図られる…という
結果のところだけを掴まえておりましたが、奴隷問題は連邦を揺るがすものであったにも関わらず、
リンカーン以前の大統領はどうも問題の先送りに終止したような。
「歴代大統領でたどるアメリカ史」というヒストリーチャンネルで以前放送したもので、
本来は初代ワシントンから現在のオバマまで歴代大統領の時代を紹介していく番組の
最初の3回分(ワシントンからリンカーンまで)が録画してあったのを思い出して、
見てみればそんなふうに思ったわけで。
そもそもワシントンを始め、国の基礎を作った人たちは
奴隷制の問題がやがて自然に解決するものと思っていたらしいのですけれど、
決してそううまい具合には運んでいかず、何かと北部と南部の対立の火種として
長らく燻り続けるのですよね。
なんとかバランスを取りながらの連邦の舵取りもだんだんうまくいかなくなる。
一つの転機は第10代大統領ジョン・タイラー(在任1841~1845)の時でありましょうか。
大統領就任が1841年とは
「それでも夜は明ける」のソロモンが奴隷として売り飛ばされてしまった年ですが、
当時は共和国として独立していたテキサス
が合衆国に併合するのを認めたのが
タイラー大統領でありました。
その何が問題かと言いますれば、
テキサスは奴隷を認める州として連邦に入ってきたものですから、
南北の力関係のバランスに影響を与えることになるわけです(領域的にも広いですしね)。
続く第11代ジェームズ・ポーク大統領(在任1845~1849)の時代には、
前任者が任期終わり間際に認めたテキサス併合をメキシコが罷りならんとしたことから
米墨戦争(1846~1848)が勃発。
結果としてこれがアメリカ側の勝利で終わり、
現在カリフォルニア州、ネバダ州、ユタ州となっているエリアを始め、
広大な土地を支配下に収めることになったのはいいとして、
これがまたやがて大きな問題になるわけですな。
単なる実効支配から正式に州として連邦に迎え入れる際に、
これらの州を奴隷を認める州とするのかどうかでその後の勢力圏が大きく変わるわけですから、
北部側、南部側共に譲れないてな状況になっていくという。
そんなところへ米墨戦争で大活躍した将軍ザカリー・テイラーが
第12代大統領(在任1849~1850)が登場します。
自らも奴隷所有者であったテイラー大統領は
当然に南部寄りかと思われるとさにあらず。奴隷制を容認はしていたでしょうけれど、
合衆国という国が南北対立しつつも何とかバランスをとっている状況から
そのバランスを崩すことは連邦の崩壊に繋がりかねないと考えていたようですね。
テイラー大統領就任の1849年は
まさに「フォーティーナイナーズ」の時代、ゴールドラッシュ
の時代で
カリフォルニアはたちどころに人口増となり、州への格上げ議論が起こるわけですが、
南部の意向に反してテイラー大統領はカリフォルニアを奴隷州とはしないよう
望んだのだそうです。
ところが、頑健であったはずの大統領が不意の病没を遂げると、
副大統領であったミラード・フィルモアが第13代大統領(在任1850~1853)に就任。
軍人として怖いもの知らずであったテイラーとは打って変わり、
いきり立つ南部を宥めねばの一心であったようで。
「米墨戦争の間に併合された領土に奴隷制度を導入しないという提案に反対」(Wikipediaより)
したばかりか、逃亡奴隷法(1850年法)を成立させているのですな。
簡単に言えば逃げた奴隷は元の場所に返還されるというもので、
元からあったとはいえ、より強固なものになってしまったようです。
お次に登場したのはフランクリン・ピアース第14代大統領(在任1853~1857)で、
時代背景としては大陸横断鉄道
が構想された時代。
ルート選定にあたって、またしても北部寄り、南部寄りの対立が巻き起こるわけですが、
妥協の産物として鉄道は北部寄りとするも、奴隷州と自由州の境界とされていたラインを
超えたところで新たに土地解放を行い、奴隷州とするか自由州とするかは
住民に選ばせる法律を通したのがこの大統領。
今のカンザス州・ネブラスカ州に当たる土地には双方の陣営から続々と移入してきて、
反って対立を激化させることにもなったようですね。
続く第15代大統領ジェームズ・ブキャナン(在任1857~1861)は
もはや南北の対立を収めることはできず、南北戦争(1861~1865)へと突入していく。
南部諸州の連邦離脱はブキャナン政権時ながら、
次期大統領としてリンカーンが当選したことが引き金というべきなのでしょうけれど。
こうしてお膳立て?はすっかり調ってという段階で登場するのが
第16代大統領エイブラハム・リンカーン(在任1861~1865)であったわけですが、
リンカーンの事績は、まあ語るまでもなく。
とまれ、こんなような紆余曲折を経て合衆国はひとつの結論に至ったものの、
先にも触れたように人の気持ちはおいそれとは変わらない。
ソロモン・ノーサップが北部の自由黒人だった頃も、
「自由黒人」として白人と同じ社会にありながらも、
どうにもエレファント・マンに対するケンドール夫人(アン・バンクロフト)のような、
自らが優位にあるのをベースにした憐れみのまなざしといったものを感じるところでしたから、
互いに何も変わらないと心底思えるには相当な時間を要したものと思われるわけで。
ということで、今だから思えることなのかも…と思ったものでありますよ。


