これまた唐突にアメリカ南部のことでありますが、
録画したままになっている番組をたまに思い出したように見ることによるのでして、
このほどはヒストリーチャンネルの「アメリカ南部 ディキシーを知ってるかい?」であった…
とまあ、そういうわけです。
番組の中ではアメリカ南部のあれこれが紹介されていましたけれど、
改めて思いを巡らせてみますと、アメリカ南部とは行ったこともないですし、
実は知らないことだらけだなぁと。
アメリカへの移民と言うと、すぐさま浮かぶのはピルグリム・ファーザーズだったりするんですが、
彼らが到達した東北沿岸部よりも、実は南部にやってきた人たちの方が早いのだそうな。
そして、そもそも南部とはどこいらのことを指すのかも理解としてはあいまい。
番組に登場した南部の人たちが語るには「フロリダは地理的に南だけれど、南部じゃない」、
「テキサスは南部というより、ありゃ西部」…てな具合。
また、南部といえばバーベキューが郷土料理にようになってるようなんですが、
そのバーベキューでさえ、日本で「河原でバーベキューでもしようか」というときに作る代物とは
ずいぶん違うようで。
日本では何でもとにかく焼いちゃえばいいがいい的で、むしろお手軽料理と思うところながら、
実はそうではない。WikipediaからBBQの神髄(?)を借りてみるとしましょう。
豚や牛のリブや牛のブリスケットなどの柔らかくない肉を、蓋を閉めるなどして115℃程度の比較的低温で数時間から1日かけて、蒸し焼きにし、骨から簡単にとれるほど柔らかくなるまで調理した物をいう。南部で豚を長時間かけ丸焼きにして食べる習慣から始まった。
場合によって数時間もかかる、はたまた丸一日掛けるてなことになると、
お手軽料理との認識は見事に打ち砕かれますですね。
とまあ、アトランダムにあれこれ紹介された中から見つくろってみたですが、
ことほどかほどに南部を知らない。
だもんで、何かしらアメリカ南部のことが書かれた本でもなかろうかと探してみたところ、
想像以上に見当たらない中、ようやっと手にした一冊が「ふたつのアメリカ史」というもの。
読んでみましたですよ。
書いたのは南部出身の方とあっては、
それなりの見方で臨む必要が(もしかしたら)必要なのかもですが、
アメリカのイメージをこれまでどっぷりと北部史観で捉えていたであろうこともまた
改めておく必要がありましょうね。
アメリカは移民の国でいろんな国からいろんな立場の人が来ているわけですが、
そこをそもそものイングランドから来た人たちに絞ってみても、
やっぱりその人たち(集団)の立場や価値観は大きく異なっていたことからして
忘れてしまっていたような。
ピルグリム・ファーザーズの清教徒たちがイギリス国教会との軋轢を逃れて
アメリカ北東部のプリマスに到達したのが1620年。
寒冷な痩せた土地でとにかく自助努力によって生活を成り立たせていきますが、
何しろ背水の陣ですし、信仰もありますから、頑張って働くわけですね。
一方、英王お墨付き?の植民事業として南部ヴァージニアに(ジェームズ1世に肖って)
ジェームズ・タウンという砦を築いたのは、1607年。
なるほどこちらの方が早いですな。
プリマス辺りよりは温暖で山ほど未開の土地がある。
温暖な分、マラリアその他の危険にさらされたことなどはちと端折りますが、
何とか地歩を確立していきますが、こちらはイングランド王肝いりですから、
率いていたのは王党派(イギリス国教会派)なわけです。
そうこうするうち、本国イングランドでは清教徒革命 が起こり、今度は王党派が虐げられることに。
難をヨーロッパに逃れた貴族なども多い中で、「それなら、アメリカにこんかいね」ということに。
北東部の人たちと違って、元々人に世話を焼いてもらって生きていた身分の人たちですから、
アメリカに渡っても当然にそうした生活信条はそのまま。
本国に飢饉があったりすると下働きの年季奉公に来る階層の人たちもいましたけれど、
決して安定供給はされない一方、気候にあった煙草栽培、後には綿花栽培でもって
プランテーションが出来上がってくると、やっぱり安定的な労働力が必要になり…
となれば、すぐさま黒人奴隷の話だなと思い当たるところかと。
とにもかくにも、始まりからしてこんな具合であったとなれば、
お互い仲良くできないだろうなぁ…とも思いますですよね。
本の内容はさらにずうっと現代に至るまでの南北のすれ違いを綴っていて、
「ふ~ん」とか「ほぉ~」とか、ことあるごとに思わせられる。
ほんの入り口部分(それも相当以上にかいつまんで)しか触れてませんですが、
こりゃあ、やっぱり「南部」とやらを一度はこの目で見てみんといけんなと
想ったものでありますよ。