大聖堂
の尖塔にひいこら言いながら登って、シュヴェリン市街を一望したわけですが、
そこで早速振り返るに、ちと初日から動き回って飛ばし過ぎかも…と。
先はまだ長いですのでね。
そこで後ろ髪引かれるところはありますけれど、
取り敢えずリューベックのホテルに戻ってひと休みとしようということに。
ではありますが、手元には朝買った「シュヴェリン・チケット」があるとなると、
つい欲張ってしまう思いが募るのでありますね。
ところで「シュヴェリン・チケット」なるものですけれど、先にも触れましたように
市内交通が無料で利用でき、数々の提携施設の入場等が割引になるという代物。
昨年、一昨年に出掛けたオスロ、コペンハーゲン
、ストックホルム、ヘルシンキ、
(何だか北欧圏の首都巡りみたいでますが…)スウェーデンのウプサラにおいてさえ、
類似のツーリスト用パスを縦横無尽に使ってきた経緯から、
ここでも早速に買い求めたわけですけれど、北欧圏でのものと比べますと
使い勝手の点でどうかな…と思いますですよ。
こうしたパスの類いは、
市内の交通機関、トラムもバスも、場合によっては近郊列車まで無料で乗れるというのは
いちいち切符を買わずに済みますし、小銭を用意しておく必要もない点でとても楽ちん。
そしてもう一つの特徴である提携施設なんかへの入場料の関係ですけれど、
北欧圏のものが押し並べて入場が無料になるというのを基本としながら、
ものによってはいかほどかの割引という制度であるに対して、
シュヴェリン・チケットは元から入場無料になるというのはなくって、
全て割引を前提にしているのですね。
それだけに、北欧圏のパスはそれそのものの購入が結構な金額になりますけれど、
使いながら元をとれたかどうかが分かりやすいわけです。
しかしながら、シュヴェリン・チケットのように割引と言われ、
しかも施設によって元々入場料が異なる上に、割引率まで異なるとなれば
簡単に「ああ、得してるな」というのが分からないのですよね。
もっともシュヴェリン・チケットはたかだか€5ですので、
とやかく言うのもケチくさい話ではありますが…。
とまれ、シュヴェリン・チケットでもう一カ所くらい…と思ったときに、
あれこれ旅のプランを考えている時に、駅の近くに鉄道博物館を発見していたことを
思い出したのですね。
チケットの券面を見れば、有効な施設のひとつとして
「Mecklenburgisches Eisenbahn- und Technikmuseum」と書いてある。
(この「Eisenbahn」の部分が「Eisen」が「鉄」、「Bahn」が「道」で、鉄道の意になります)
そこで、リューベックへ戻るのに駅までは行くわけですから、
(ツーリスト・インフォメーションで貰った市内マップにも場所は出ていないながら)
近辺を探してみようということに。
少なくとも旧市街側に向いた駅の東側出口あたりには全く見当たらない。
そこで、ひとどおりが極端に少ない反対側、西側に抜けてみますと、
左手に続く道は普通に市街に続いていそうですが、
右手側は古びた煉瓦の倉庫みたいなものが建ち並び、
広くなっている辺りはどうやら駐車場でもあるようす。
いかにもどこかの企業の工場の敷地というか、資材置き場というか
そうしたところにしか続いていないように見えます。
が、そうした工場っぽいと思われる方向に
およそ工場と関わりなさそうな普通のおばあさんも歩いてのを見て、
どこかしらへ抜けられるのかなとしばし進んで見ると、
ドイツ語の例の亀の子文字まで判りにくくはありませんけれど、
凝り過ぎて読みにくいフォントでもって「Eisenbahn museum」の文字と「→」が。
「おお、こんなところにあるのか」
その後も矢印看板に気を付けながらゆるゆる進むと、果たして博物館はありました。
が、休館でありましたですよ。
「次の開館は8月30日」と掲示が扉tのところに出てましたですが、
「Mecklenburgische Eisenbahnfreunde Schwerin e.V.」と書いてありますので
(「freunde」は英語で「friend」ですから、鉄道愛好会みたいな団体でしょうか)
どうやらこの博物館をやっているのは任意の同好の士の集まりてなことなのかも。
それにしても、この古びた煉瓦造りの倉庫のひとつが博物館だったのか…と思いましたですが、
再び入口の扉に目を留めて「ん?」と。
「Deutsche Reichsbahn?」
今のドイツ国鉄(といっても民営化されてるんですが)を「DB(Deutsche Bahn)」と言うことは
先に触れましたですが、東西統一前、西ドイツでは「DDB」、東ドイツでは「DRB」でありました。
(DDB=Deutsche Bundesbahn、DRB=Deutsche Reichsbahn)
つうことは、この古びた煉瓦倉庫は東ドイツ国鉄当時の建物なのだね、
その辺りを保存して博物館にしているのだね…と思うと、それなりに何だか感慨深いというか。
シュヴェリンがかつて東ドイツ領であったことはもう書きましたけれど、
博物館の建物に使用されている、もはや打ち捨てられた感満載の煉瓦倉庫の点在は
当時の東ドイツ国鉄がこのシュヴェリン駅を操車場のように使っていた名残なのかなと。
博物館目指して前ばかり見ているときには気が付きませんでしたけれど、
振り返ると片隅にはこのような、いかにも操車場然とした施設が。
線路の敷いてあるところに雑草ぼうぼうになってしまって、
これもまた打ち捨てられ感、全開ですね。
折しも後ろから光が差す頃合いだっただけに、
建物の翳りが歴史の変転への思いを弥増すところになっていたような。
ところで、博物館入口近くに掛けられていた時計ですが、
「Historische Bahnhofsuhr」(historic station clock)として説明板が付されておりました。
装飾的なところが時代を感じさせる代物ですけれど、もともとはさらに装飾的だったようで。
何でも1885年(といいますと、ドイツ帝国時代ですな)、
パルヒム(シュヴェリンの南東50㎞ほどの町)とノイブランデンブルクとを
メクレンブルク南鉄道が結んだときに当時の有名企業から贈られて、
途中駅であるローム駅に掛けられていた時計であるとか。
ドイツ鉄道の黎明期から東ドイツ国鉄時代までも、そして統合された今の鉄道事情までを
見守り続けた時計であるとなると、いかにも博物館の入口を飾るに相応しいものであるなと
思うところでありますよ。
いろいろシュヴェリンを見て回り、最後に何やらしみじみとして
リューベックへの帰途についたのでありました。