クラバート・ガレージ -59ページ目

20年目の邂逅 その5

1999年。20歳を過ぎ、いつしか自分も成人していた。

恐怖の大王はやってこなかったが、ZOIDSが還ってきた。



そう、アニメ版の放送に伴う再販である。アニメ化、再販の情報を模型誌で知った僕は狂喜乱舞した。バトルストーリーのテイストでアニメ化されるものだと考えていたのがその要因であった。結局のところアニメはドラゴンクエストのようなファンタジックな世界観に設定され、渋い大人たちであるはずの主人公たちは、かわいらしい絵柄の少年少女たちに代わっていた。


再版されたZOIDS達のカラーリングも、かつての「大人のホビー」的な配色から、少々玩具じみたものに変更されており※1、僕は随分落胆した。このあたりの経緯は、まだまだ書きたいことが多くあるが、この項の趣旨とは趣を異にするので割愛する。別項でいずれ語ってみたい。



とにかく、ZOIDSは復活したのだ。再販に伴う価格の上昇等もなく、むしろ気楽に買える値段になった。

これで、大いにZOIDSを改造できる。気に入らない配色は、現在の自分のスキルで塗りなおせばよい。



だいたいの年季の入ったファンは同じことを考えるもので、当時黎明期であったインターネットにも、改造ZOIDSが続々とアップされ始めてきていた。


僕がネットを導入したのも、パオパオワンダーランドのゴジラ掲示板等のGK情報、ヤフオクの利用、そして全国の同志たちの改造ZOIDSを閲覧したかったからだ。


メインの趣味は怪獣ガレージキットの収集に移行していたが、同時に、かなりの年月に渡ってZOIDSのHPのチェックも欠かさなかった。怪獣ガレージキットの世界は狭い。多くの「送り手側」の方々と知り合い、のめり込んでいった。しかしZOIDSは広い。広すぎて、手に負えなかったこともある。正直、莫大な量のHPがあったのだ。勿論、その莫大な数のHPの中には、自分のセンスに合う人も多少なりとも存在した。しかし、そのHPに向けて自分から発信しようとは思えなかった。メインとして怪獣GKに趣味が移行しすぎていたこともあるが、ZOIDSは、90年代半ばの生産終了時期がうそのように、あまりに手軽に手に入るため、「まぁそのうち」「いつでも」と思ってしまっていたのだ。




この時期から現代まで、莫大な数の改造ZOIDSを目にしてきたが、その改造パターンは、概ね、以下のように分別することが出来るであろう。



①既存のキットのディティールアップ

 既存のキットをほぼそのまま使用し、ディティールアップを行うタイプ。塗装の変更のみ、というのもこのタイプに入る。



②既存のキットを軸に、大幅に形状変更

 この場合に多く見られたのが、自分設定的なディティールを大幅に追加したもの。面白い事に、キットのプロポーションの改造のみに絞ったものはほとんど見られなかった様に思う(考えられる要因として、もともとが『玩具』に位置する商品であるが為に、模型として再構築する際には過剰なディティール、形状変更を入れてしまう)。



③キット化されていないモティーフを製作するタイプ

 見ていて一番面白かったのがこのタイプであった。かつてZOIDSに熱中した時代がある人間には、商品化されていない生物の再現という点に拘る気持ちは非常に解る。しかし、当然、既存の商品と並べて遜色のないほどの

デザインを造り上げるにはそれなりのスキルと、なによりセンスを必要とする。



④バトルストーリー登場機体の再現

これもほとんど見られなかった。特徴的な改造をされた機体が小型機ではフロストイグアン※2程度、ケンタウロスはコストがかかりすぎるし、デスドッグをはじめとした改造デスザウラーはかなりのスキルを要する為か。




僕自身、手始めにフロストイグアン等を作った記憶がある。既存のキットを軸にフル可動化とプロポーションの調整を行った。この場合②と④の混合にあたる。羽から胸にかけてのパーツ解析出来無かった点、並びにそれに代わるパーツの作成を行えるスキル、なにより情熱が足らなかったため、結局完成はしていないが…。

あえてここに写真を晒したいと思う。



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そして、①と④の混合にあたるデスザウラー トビー・ダンカン機の製作も始めていた。




この項を書くにあたり、物置に眠っていた作成と中のパーツを引っ張り出してきたのでこれも晒すこととする。



トビー使用のデスザウラーを製作するにあたり考えていたのは以下のような点であった。



1.ギミックは残す。(作例写真を見る限り、電動モーターと駆動ギミックを残したままでも似たようなものを造れると考えていた。)



2.頭部周辺や手甲等のディティールアップ、並びにパーツ解析は出来る限り行う。(例えばフロストイグアンは右手の特徴的なガン部分には1/144マラサイの部品を流用している。このように、当時のバトルストーリー作例には、他のジャンルのプラモデルからも多くの流用部品が使われている。その解析、再現は徹底したかった。)また、アイアンコングの手甲も用いられている。写真解析を行う中で、あのファーストカットを再現するためには商品状態から相当の手を入れなければならない事に気付いた。



3.マニューバスラスターユニットの再現。この部分をアイアンコングMK‐Ⅱのものと勘違いしている人は意外と多い。僕もそうであった。再販時以降の解析の際に、幸運にも旧大型ゾイド改造セットに付属していた高機動ブースターを改造したものであると気付き、それを所持していたことが製作の決め手となった。



結局、写真をご覧になると解るように頭部部分のディティールアップの途中でとん挫しているのだが…。もし完成していたらある程度はあの作例に近づいたものが完成していたかもしれない。事実、僕より先に同じような作例の再現を施したトビー・ダンカン使用機の画像もネットでチラホラ見掛けるようになった。それらも概ね上記1~3をなぞって作られていたと思う。そして、1を無視した瞬間、頭部ラインが劇的に変化することに、この時点では気付かされていなかった(それに気付かされたのが、このレビューを行った真の目的である、ある作品によってなのだが)。




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とりあえず、最終目標は作例のディティール再現だったのだ。



しかし、2010年、僕は自分の認識の甘さを痛感するとんでもないものに遭遇することになる。






※1とはいえ、かつてのゴジュラスMK-Ⅱ限定型、アイアンコングMK-Ⅱ限定型を実質的にほぼ同じ色合いで復刻してくれたり、と旧ファンへのサービス的な面も多々あった。

※2バトルストーリー 2 「国境の橋争奪戦」にて帝国軍空てい部隊隊長フロスト中佐は、共和国軍ゾイドプテラスの羽を偽装として取り付け、全身を真紅に染め上げたイグアンに搭乗、共和国軍国境警備隊に奇襲をかけた。その際の改造イグアンはファンの間でフロストイグアンと呼ばれている。

20年目の邂逅 その4

クリスマスの夜、無事にデスザウラーは我が家にやってきた。

当然、喜び勇んで組み上げた。


しかし、組み上げたときの感想は



「意外とアッサリしている」



というものであった。勿論造型的には最高峰にカッコいいものであり、十二分に満足できる出来栄えであったことは追記しておく。

この印象の違いについて、当初は「写真の撮り方かな…」と考えていた。



しかし、ファーストインパクトで受けた「ゴチャゴチャ感」がまったくなくなっていることが原因だと気付いた日から、ゾイドバトルストーリー2巻の検証がはじまった。


その後小学生なりに出した結論としては、つまるところ


「背部のマニューバスラスターユニットが無い。」

「コード類が無い」


という点であった。本当は雑誌作例はもっと全面的に改造されているのだが、小学生の僕にはその程度の違いしか発見することが出来なかった。


ところで、何故に小学生時分の僕は、このような、「写真の撮り方かな…」という勘違いをしたのであろうか。今回、このレビューを書く際に面白い事に気付いた。


新製品の「ファーストカット」がここまで大幅に改造されていたゾイドは後にも先にもこの「デスザウラー」のみなのである。色の塗りたし位はあった(バトスト1巻の表紙のウルトラザウルス等)。


しかし、このデスザウラーに至っては、マニューバスラスターユニットの装着、過剰なまでの頭部周辺のデコレートで、流線的ともいえる製品版の印象を大きく変えるほどの改造を施しているのである。

これは当時のクリスマス商戦へのトミーのキラータイトル的商品であったが為の意気込みなのか、ジオラマチームの暴走なのか、購買層が年長者が多かったために、改造例としていきなり提示してしまったのか、今となっては解らない。



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言うまでもないが、左が製品版である。随分と印象が違うことに気づいていただけるだろう。










20年目の邂逅 その3

最初の項で紹介した ゾイドバトルストーリー 2 に話を戻そう。


ゾイドバトルストーリーはこの2巻より、特定兵士のストーリーを大きくピックアップしてゆくこととなる。勿論、戦争全体を俯瞰的な視点で眺めた語り口は健在ではあるが。



帝国軍少尉 トビー・ダンカン


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柳沢しんごではない。



共和国軍大佐 ヨハン・エリクソン


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バトルストーリー 2は


この両名の使命と運命を通して語られた。


帝国軍の大陸外脱出シーンから物語は始まる。トビー・ダンカンは皇帝ゼネバスを護り、エイ型ゾイド シンカーを飛ばす。そのシンカーに照準を合わせたのは、ヨハン・エリクソンの搭乗する「Eのマークのついたウルトラザウルス」。砲撃の瞬間、ウルトラザウルスの前に躍り出たのは、トビーの兄、ダニー・ダンカン将軍の駆る虎型ゾイド、サーベルタイガーであった。


この脱出劇の最中、トビー・ダンカンは「Eのマークのついたウルトラザウルス」を兄の仇として認識、ゼネバス帝国の大陸凱旋後も執拗につけ狙う。最高級パイロット「トップハンター」として名をあげてゆくトビー・ダンカン。

皇帝ゼネバスはトビーを大戦の切り札となる超巨大ゾイドのパイロットに任命する。


そのゾイドこそが「デスザウラー」であった。特殊部隊「がい骨(スケルトン)」の面々と共闘し、向かう敵をを壊滅させつつ、共和国首都を目指すトビー、一方エリクソンは「Eのマークのついたウルトラザウルス」で首都防衛に着いていた。ついに両者の運命が交差する…。






デスザウラーの登場は学年誌でも数カ月前から予告されていた。


アオリ「デスザウラーを確保!」→巨大なパーツだけでした…。


アオリ「共和国軍、デスザウラー秘密基地を襲撃!」→巨大な足跡が残されていた…。


と、散々我々少年読者は焦らされたのである。


僕自身がデスザウラーを確認したのは忘れもしない、小学4年の秋、近所のスーパーの雑誌コーナー、「小学●年生」だった。

何故●年生なのかと言うと、僕自身、この号を買ってもらった記憶が無いのである。ということは、当時の僕の該当学年以外の学年誌であった可能性があるのだ。近所1キロ以内が生活圏のすべてであり、書店らしい書店の無かった当時、該当学年の学年誌は売り切れていた際には購入は不可能であった(最近、小6、小5の休刊が発表されたが、それぐらい当時は売れていたのだ。少なくとも僕の周囲はみんな買っていたと思う)。とにかく、デスザウラーとの初対面は、そのスーパーで祖母が買い物をしている数十分間の事であった。

ファーストインパクトはこのカットである。


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印象としては、

「ウルトラザウルスにも勝る巨大さ」

「首周辺を覆うパイプ、コード、背中のゴチャゴチャ具合、カッコいい」←この印象が後々問題になってきます(笑)

「ツリ目じゃない…。でもそれが怖い」

そしてなにより

「大好きな 肉食恐竜 型だった!よかった!」

であった。



大いに興奮し、クリスマスまではまだ期間があったとはいえ、「今年のプレゼントは、デスザウラーで」と頼んだのを覚えている。

amazonなどなかった当時、デスザウラーの購入は大変に苦労したらしい。

どの店舗に行っても売り切れ、売り切れ、結局、当時母が交際していた恋人が、市内すべての玩具店を回り、最期の1店舗でみつけてくれたということだった。この苦労談は、後年も良く聞かされたので非常に印象に残っている。


はたして、デスザウラーはクリスマスに無事に我が家に来た。

20年目の邂逅 その2

このゾイドバトルストーリーであるが、非常にセンスが良かった。

勿論学年誌連載のバージョンは、各学年に沿って解りやすいように描かれていたであろうことは想像に難くないが、一冊に纏められた同作品を見る限り、文章力、構成、すべてにおいて卓越したものを感じる。


例えば新製品の発売がコンスタントに行われている時期には


「空前の新型ゾイド開発競争」や「第二次新型ゾイド開発競争」の章題が踊る。


虎型高速ゾイド、サーベルタイガー発売時期には、新型高速ゾイドの開発をキャッチしたゾイドゴジュラスが単身敵基地へと乗り込むミッションが掲載されている。


最大のゾイド、ウルトラザウルス発売時期には、敵側のコマンドに奪われるという事件が発生している。


「『サラマンダーのミサイルもきかない!』共和国軍は自ら開発した兵器の恐ろしさに言葉を失った」※1


味方陣営に以上の言葉を語らせることにより、敵陣営に語らせる以上の恐怖感をだすことを演出、また、今度発売されるゾイドの強力さ、強大さがこれでもかと感じられる。



今あげたこれらはすべて、ゾイドバトルストーリー1 小学館 昭和62年 1月10日発行 のものである。


各ゾイドに章ごとに焦点を当てつつ、後半では少々ドラマ性を盛り込んだ「大氷原の戦い」というエピソードになだれ込む。この「大氷原の戦い」はゾイドバトルストーリーの中で転機ともいうべきエピソードである。


共和国軍側のパイロット、「ロイ・ジー・トーマス」と、先述したウルトラザウルスを強奪したコマンド「エコー(山びこ)」の激闘が繰り広げられるのである。


それまでのバトルストーリーでは、特定のパイロットの名前が出ることが極端に少なく、まさに戦争全体を俯瞰的に眺めた絵物語といった感が強い。この体制はその後もきっちり持続していくが、この章の存在によって、「特定の人物およびパイロットに焦点を当てる」という方法論が追加されたのである。

この章における「トーマス」の愛機は「ゴジュラスMK-Ⅱ」対するエコーは「アイアンコングMK-Ⅱ」。共に両国のヒーロー機体であった。それはいい。優秀なパイロットが、カッコいい機体を駆って活躍する。ガンダムをはじめとして多くのロボットモノにもまんべんなく用いられるモティーフである。


しかし、このゾイドバトルストーリー1 の真価は、最終章にある。

トーマスはふたたび「カノントータス」というお世辞にも格好の良いと言えないゾイドを操縦し、帝国首都攻防戦に参加しているのである。この1点で、僕はこの物語を非常にリアルなものだと感じた。兵器としてのゾイド、そして、軍人としての、いや、人間としてのキャラクターが描けているのである。


この最終章の記述を一部引用する。ゾイドバトルストーリーという物語のセンスの良さ、文章力の高さを是非感じていただきたい。


「『こいつが敵の土地に入るのをいやがってね』

 トーマス大尉は、故障した愛機を軽くたたきながらおどけてみせた。

 半年前、帝国軍精鋭の渡ったこのバーナム川を、共和国の大軍が東から西へと移動していた。彼らに勝利を運んでくれた東風が、今も軍服のすそをはためかしていた。

 『修理班を手配しました。ここでしばらく休息してください。なに、敵は逃げはしません。』

 兵士の言葉使いの中にも、どことなくよゆうが感じられ、うっかりすると、まだ戦争中であることを忘れそうであった」 ※2


いかがだろうか。那須正幹氏のタッチにも通づる、この流麗な文体。小学生の僕はウットリと身を任せていたものである。




このゾイドバトルストーリーは数年前に発売された「ゾイド核(コア)BOX」に全巻当時のまま復刻されて付属している。まだ探せば入手できるかもしれないので、是非購入し、感じていただきたい。







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共和国軍 旗艦 ウルトラザウルス

このミリタリー描写に注目!!








まだまだ続きます(笑)



※1「小学館スペシャル4 ゾイドバトルストーリー 1、 発行人 畠山洸一郎 編集人 武生宏之、小学館、昭和62年1月10日発行 p.48引用」

※2「同上、p.62引用」

20年目の邂逅 その1


ハイカラスター金曜クラブ



今、手元に1冊の本がある。

22年間にわたり、ボロボロになるまで読み倒され、ホッチキスとセロテープの補修痕さえ痛々しいそれは、



小学館スペシャル11 ゾイドバトルストーリー2

 

昭和62年11月1日発行



である。


当時、ZOIDS という玩具があった。動物や絶滅生物をモチーフとした所謂「メカモノ」である。今もあるけど、その趣は大きく違う(理由は後述する)


接着剤いらずのスナップフィットキットでありながら、高いデザイン性とユニークなギミックが売りであった。


所謂「小型」は、600円程度で入手でき、ゼンマイを駆動源とした10cm足らずのものであったが、歩行だけでなく、元となった生物の特徴的な動作を再現したものまであった。

大型のそれは電動歩行であり、値段も2000円~5000円程度と大幅にアップする。


僕の家はそれほど裕福でもなかったので、この「大型」を年に2、3回程度買ってもらうのを常としていた。

年に2、3回というのは大抵、春先(子供の日)、夏(誕生日)、冬(クリスマス)であった。今思うと、メーカーのクリスマス商戦等に完全に符合していたんだなぁと、少々笑える。


小学生時代というのは、自分の一生の中でも公私ともに非常に印象深い出来事が多く、今でも地元に帰って遊ぶのは小学校時代の友人たちだ。良い学校生活を送れたものだと、友達や担任の先生に感謝したくなる。


そして、僕たちの世代を風靡した玩具が、このZOIDSだった。


ZOIDSが他の多くのロボットモノ、メカモノ玩具(含プラモデル)と大きく違うのは、そのアプローチ方法であった。


他の多くはテレビのアニメをモチーフとし、その関連商品としての位置づけであり、それはつまるところ作品世界から派生した立体物であることを意味する。バンダイ等を筆頭に現代も推し進められているマーチャンダイジングというやつだ。


しかし、ZOIDSは、所謂「原作」を持たなかった。先ず、立体物としての商品自体が存在し、その立体物に沿ったストーリーが構築されていったのである。ここで、工業生産品的なZOIDSの外観、設定が生きてくる。「商品の状態」がいわば完成形なのである。

ZOIDSのパッケージには、大まかなストーリーが添えられていることが多く、そこから自分で想像の輪を広げて遊ぶことが出来るようになっていた。

そして、もう一つの特筆すべき点、原作を持たない代わりに、「バトルストーリー」と称した「ジオラマ」写真を各学年誌、コロコロコミック等で連載したのである。テレビアニメというメディア媒体を持たぬZOIDSには、いわばこれが「正史」となった。


このバトルストーリーであるが、全編手作りのジオラマ仕立てであり、小学生でも、「頑張ればまねできるかもしれない」「このシーンの再現を」「このシーンから派生した自分なりのジオラマを」と、これまた想像力並びに、自分のスキルを駆使できるようになっていたのである。再初期は「知育玩具」として出発したZOIDSであるが、この時期においても、このような点で当時の子供たちの「想像力」「自分で手を動かす」という点に貢献していたのである。


そして、商品の時点で工業完成品であるZOIDSであるがゆえに自分で手を加えたものは「改造ZOIDS」として、自分の物語世界に組み込むことが出来る。


僕らの世代はZOIDSを通じて、いわばロールプレイを、知らず知らずのうちに学習していた。




この項、長くなります(笑)