碧の森の相談者さんが、最近ブログを書き始めました。

 

 

tomosibiさんの息子さんは、これから刑務所へ行きます。

 

息子さんがまだ外に居るとき、私はtomosibiさんにはっきりと言いました。

 

 

「息子さんは刑務所へ行くことになると思いますが」と。

 

 

tomosibiさんはその言葉に、とてもイラっとしたそうです。

 

「何言ってんの!?そうならないためにあんたに相談してるんじゃない!!」と。

 

 

tomosibiさんは、そんなイラっとした私と、今でも定期的に通話やLINEをしています。

 

 

受刑者のご家族、そして待ち人さんに、tomosibiさんの過去の出来事や心の葛藤を、知っていただきたいです。

 

 

 

 

前回のブログでは、最近読者になってくださった方へ向けて、手紙と面会について、改めて私の考えを書かせていただきました。

 

優しさと甘やかしの違いを見極めはるのは、本当に難しいですよね。以前にも書いたことがありますが、夫が私に書いた、手紙の一文を紹介させてください。

 

俺はこれからもどんどん前へ進んでいきます。進むスピードをゆっくりにすることはできるし、手も差し伸べるけど、その手を掴むか離すかは、症子次第です。

 

私はこれが、厳しさであり、優しさだと思っています。

 

一見すると、突き放したような文章に見えます。実際に私がこの手紙を受け取ったとき、「あっそ。私を見捨てるんだ」と思いました。

 

刑務所の中だからひねくれて受け取る。素直に聞くことが出来なかった時期に、この手紙が届いたのです。

 

それはもうショックでした。あぁ、私は一人になる。孤独になる。

 

でもよく見てください。夫は“見捨てる”なんて、一言も書いていないんですよね。

 

私は何度もこの手紙を読み返しました。穴が開くほど読み返しました。そして私なりの解釈をしました。

 

『俺は後ろを振り返らずにこれからも前進して行く。症子が付いてこれるように、ゆっくり歩くことは出来る。手も差し伸べる。

 

だけど肝心の症子が、自らの足で立って、俺の手を掴んでくれなかったら意味が無い。俺が無理矢理手を引っ張っても、症子は成長しない。

 

自ら考え更生するのか、これまでのように責任転嫁する人生を生きるのか、その選択は症子自身がすればいい。』

 

私は後者を選択し、自ら立ち上がり、自分を変えようと努力した結果、今に至ります。

 

文春の記者さんとの出会い

 

2021年11月28日㈰正午、私の記事が文春オンラインにupされました。

 

私の記事を書いてくださったのは、進藤さんの記事を書いた記者さんで、初めて進藤さんの教会へ行ったときに、この記者さんにお会いしました。

 

私は進藤さんの講話を立川拘置所で聞き、更生した受刑者の一人です。進藤さんの取材の一環でお話ができる程度かと思っていましたが、碧の森のプロフィールを見た記者さんは、「進藤さんとは別で取材をさせてください」と言いました。

 

その場に夫も居たので、取材を受ける旨の許可をもらい、10月末に早速取材を受けることとなりました。

 

批判・非難・誹謗中傷

 

私は取材を受けたあと、どんな批判が来るか、ある程度の予測をしていました。いつもブログに書いていますが、私は非難や誹謗中傷は気にしません。が、批判はしっかり受け止めます。

 

批判→物事の真偽や可否を検討し、誤りや欠点を指摘してそれを正すように求める

非難→欠点や犯した過ちを指摘し責める

誹謗中傷→根拠のない悪口を言いふらして他人を傷付ける行為

 

以上を踏まえて、今回の記事を振り返って行きます。

 

私が予測していた批判・非難と実際の批判・非難

 

・どれだけ酷い幼少期を過ごそうが、犯罪を犯さず真面目に生活している人はいる

・過去の犯罪を美化、美談化するのはやめろ

・自分が犯した犯罪の責任転嫁をするな

 

これらは絶対に来るだろうと思っていました。

 

もし私が真面目に人生を歩んでいたとしたら、同じように思うからです。真面目に生活していれば、道から外れた人間にスポットライトが当たるのはおかしい、そう思うのが当然かと思います。

 

Twitterのリプライ欄に、こんなものがありました。

 

 

こちらは「火ノ丸相撲」という、ジャンプで連載されていた漫画の名セリフです。実は私は刑務所で、週刊少年ジャンプを私本として購入していました。このシーンを読んだのは立川拘置所だったと思います。ここに書かれていることはごもっともで、ぐうの音も出ません。

 

実際に来た非難はこちらです。

 

・どうせまた再犯するだろう

・自己顕示欲の塊

・誰かを救う前に謝罪が先だ

・自分勝手、身勝手、見たくもない

 

ネットニュースはタダで読めますから、深く読もうとせず、タイトルの過激な部分だけを切り取って意見をする人が、一定数いるように思います。

 

アメブロも、深く読み込む人がどれくらいいるかと言うと、2割いるかいないかだと、私は勝手に感じています。

 

応援、肯定的な意見もたくさんいただきました。

 

私のように生育環境が良くなかった方から、応援のメッセージをいただきました。

 

記事を見て、涙が出たという方もいらっしゃいました。

 

読んでいる途中で自分の過去がフラッシュバックして、気分が悪くなってしまったという方もいらっしゃいました。

 

文春オンラインで初めて私を知って、アメブロに辿り着いた方も多くいらっしゃいました。

 

個人的にメッセージを頂いたり、ブログにコメントをくださる方もいらっしゃいました。

 

 

実は記者さんからは、批判5:肯定5、もしくはそれより悪く、批判6:肯定4になるかも知れないと言われていました。だから相当な覚悟をしていたんです。

 

私が見ていないだけで、もっと多くの批判があるかも知れませんが、思っていたよりも受け入れてくださる意見が多いことに、私はかなり驚いています。

 

実名と顔を出した理由

 

あの記事に、私の現在の写真だけ出ていて、“依存症者や受刑者、その家族の支援をしている「依存症子」さんは”と書かれていたとしましょう。

 

もし私が依存症者や受刑者を支える側だったら、「本名を出せない理由も分かるけど、何だかね……」と、違和感を感じるのではないかと思ったのです。

 

本名を出したほうが、私の覚悟や思いが、読者に伝わるのではないか。私はそう考えました。

 

もちろん、勇気が必要でした

 

これまで私と仲良くしていた人で、私の過去や受刑歴を知らない人が、文春と言う大きな媒体に載ることで、私から離れていくかもしれない。今後の付き合いを断られるかもしれない。

 

私はそれでもいいと決意しました。

そんな小さなことに構っていられない。私には大きな目標がある。

 

いつか必ず法務省で講話をし、受刑者を雇用し、保護司になるという目標が。

 

受刑者と元受刑者の、道しるべになると決めたじゃないか。

 

そして今現在、私を頼って相談に来てくださる方たちの、勇気と力にならなくてどうする!

 

私は元受刑者で依存症者だけど、今このような活動ができています。こうして私が矢面に立つことで、変えられることがあると信じています。

 

矢面に立って何が変えられるんだ!?どうせ何も変わらない!そういう意見の方もいらっしゃるでしょう。

 

具体的に何を変えられんの!?と今聞かれても、ごめんなさい。答えられません。

 

今後の私の活動と活躍次第で、何かが変えられると信じています。

 

誰かの力になれる、勇気になれることを、信じています。

 

 

これから結果が残せるように、実現できるように、私にできることを、精一杯やって行きたいと思います。

 

 

依存症子と碧の森を、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

突発更新です。

 

文春オンラインさんから、先ほど記事がアップされました。アメブロでもご紹介させてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

文春オンラインの記者さんとは、進藤さんの教会でお会いしました。

 

進藤さんの教会の16周年記念礼拝、新会堂2周年記念の日です。縁とは本当に不思議なものだなと思います。

 

そのときのブログはこちらです↓

 

 

私の活動が、依存症当事者、依存症者や受刑者を支える方たちに届きますように。

 

私の存在やこのブログが、皆さんの勇気や希望になれば、こんなに幸せなことはありません。

 

 

 

 

前回のブログでは釈放前の静思寮と言う場所で、内掃工場の先生と最後のお別れをしたと書きました。

 

コメントをたくさんいただきました。受刑者全てが私のように、良い先生と出会えるかは分かりません。でも本気で更生しようとしているか、刑務官はしっかり見ていると思います。

 

中には頑張っているフリをする受刑者もいるでしょう。
刑務官の前だけいい子ぶる受刑者もいるでしょう。
仮釈を早く貰いたいが為に、偽りの手紙を書く受刑者もいるでしょう。

 

刑務官はプロです。そんな小細工は通用しません。1人1人をちゃんと見ています。

 

適切な面会数と手紙が、どれだけ大切か

 

新しいフォロワーさんが増えてきましたので、ここで改めて手紙と面会の重要性について書いて行きます。私は昨年の12月18日に、このようなブログを書きました。

 

まだ読まれていない方は、ぜひご一読お願いいたします。

 

 

これまで私のブログを読んでくださっている、受刑者のご家族と待ち人さんが、上記のブログの内容について、少し勘違いをされているように感じる出来事がありました。

 

このブログを書いて約1年が経過し、改めて依存症子の思う「適切な面会の回数」と「手紙の内容」について、解説していきます。

 

最近待ち人になった方、そのご家族、そして中の人にもこのブログが届くことを願います。

 

まず依存症子のパターン

 

私の夫は、私が刑に服する直前の留置場、その後移送された拘置所、立川拘置所、栃木刑務所と、一度も面会に来ることはありませんでした。

 

その理由を、いくつか簡単に箇条書きで挙げていきます。

 

・さっさと刑務所へ行け!と思っていた(外で何をやらかすか分からないため)

・私に対する恨みと憎しみがあった

・永遠に帰って来るなと思っていた
・平日に仕事を休めない

・仮に仕事を休めても、長時間をかけて私に会いに行く価値が無い

・初犯のうちに厳しくしないと、必ず再犯を犯すと考えた

・出所後、自分で考え行動できる力を身につけて欲しい

 

↑これを読んで、皆さんどう思ったでしょうか。


ひどい!と思いましたか?
厳しすぎる!と思いましたか?

夫のような強さを持って、受刑者に接したいと思いましたか?

理解できる部分もあるけど、自分にはできないと思いましたか?

 

叫びたいほどイラつく自分の過去

 

母も夫も面会に来ることはなく、夫から手紙が届けば、過去を責めるような内容ばかりでした。

 

薬が抜けて、少しずつまともな考えが出来るようになってから読む手紙は、「それって私が本当にやったの…?」とか、「本当にそんなこと言ったの…?」ということがたくさん書いてありました。

 

その現実を直視し、自分がどうしようもない人間で、嘘つきで、人を裏切ってばかりで、本当にどうしようもない人生を歩いてきたことに、ものすごく腹が立ちました。

 

出来ることなら時間を戻したい、受刑する前に戻るんじゃなく、私の幼少期に戻してほしい。そしてちゃんと勉強し、今のような堕落した人生など絶対に送るもんか!そんなことを考えていた時期もあります。当たり前ですが、時間は戻らない。

 

でも、二度と刑務所に戻らないことはできる

 

受刑者を観察し、特に累犯から話を聞き、依存症、アダルトチルドレン、機能不全家族、共依存、毒親、パーソナリティ障害について、刑務所にある本で徹底的に勉強しました。

 

そして自分の人生を振り返る作業を始めます。小さいころ、どんな子供だったか。何を思い、何に傷付き、何を嫌だと思ったか。どんな大人になり、なぜ刑務所に来ることになってしまったのか、深堀りし始めます。

 

母からも夫からも見捨てられれば、きょうだいの居ない私は一人ぼっちになる。行く場所なんて何処にもない。

 

言い方はおかしいかも知れませんが、私は夫に「更生をせざるを得ない状況」へ上手く追い込まれたのです。

 

人生を振り返る、これがものすごく辛い作業でした。なぜだか分かりますか?

 

母にも夫にも、すぐに意見を聞けない、答えをもらえない、自分で考えるしかない。

 

しかもその答えが出ても、正しいか間違っているか、刑務所でジャッジしてくれる人は居ない。何が正解かなんて分からない。そしていくら振り返ったところで戻れない。

それがもどかしくて、クソが!!と叫びたくて、人生が本当にどうしようも無くて、そんな自分に無性に腹が立ちました。

 

上手く表現できませんが、胸の奥を掻き毟って居ても立っても居られないほど、自分で自分をぶん殴りたいほど、自分がやってきたことが人としてクズすぎて、過去の自分を心から軽蔑しました。

 

でも悲しいかな、そんな過去の自分も、間違いなく私自身なんです。
 

責任転嫁、どこか他人事、他力本願

 

あんた等が私を甘やかしたのもこうなった原因の一つだろ!?面会に来て私の依存症に対する思い、話を聞けよ!納得いかない!オカンやオトンのせいでもあるじゃん。私は子供のころ、ろくな教育をされなかった。挙げ句は毒親で、私はまんまとアダルトチルドレンになった。

依存症の私に、向精神薬を貰える病院をハシゴする金、ギャンブルする金を渡し続け、私がおかしくなるのを見て見ぬふりをした、旦那も悪いだろ!

 

こうして責任転嫁をし始めます。

 

確かに私の生育環境が悪かったのは、その後の人生にいい影響は与えなかった。

 

夫も、私が薬でおかしくなっていくのを見ていても、止めなかった。
 

でも結局、刑務所へ来てしまったのは他でもない、私自身の責任なんです。

 

母にも夫にも、この私の考えについてどう思うか聞きたい。でもすぐには聞けない、それがもどかしくて、またクソッ!!!と叫びたくて、自分の人生が本当にどうしようも無くて、そんな自分に本当に本当に腹が立ちました。
 

自省・自立・自律を促すような手紙と面会を

 

上記に書いた依存症子のパターンが、全ての受刑者に当てはまるとは思っていません。

 

私の場合、夫が我慢強く、甘やかさない支援をしてくれました。

 

答えを与えるのではなく、私が1人で立ち上がり、歩けるように、少しずつ問題提起をしてくれたのです。

 

そのお陰で私がどう変化したか?自ら考えることを覚えました。自分の問題を受け入れられるようになりました。

 

 

中には「そんなに厳しくしたらうちの人は自暴自棄になる」とか、「厳しくすることが逆効果になる」という方もいらっしゃるでしょう。

 

受刑者の罪名も、性格も、年齢も性別も、育った環境も、十人十色ですよね。

 

受刑者の特性をしっかり見極めて、自省・自立・自律させるような支援をしていただきたいのです。なぜなら、

 

出所はゴールではなく、第二のスタートだからです。

 

私で例えます。

 

仮に夫が自省・自立を促さず、全て私に答えを教え、手取り足取り世話をし、コントロールしてたら、出所後の依存症子はどうなっていたと思いますか?

 

私は上記に書いてある通り、「あんた等が私を甘やかしたのもこうなった原因の一つだ!面会に来て私の話を聞け!オカンやオトンのせいでもある!私がおかしくなるのを見て見ぬふりをした旦那も悪い!」こんなふうに考えていたのです。

 

その考えのまま出所していたら、私は一体、どんな人生を歩んでいたでしょう?

 

ここでは敢えて、どうなっていたかの予想は書かないでおきます。皆さん、想像してみてください。

 

 

一つだけ間違いなく言えるのは、「ろくな人生を送っていないだろう」ということです。

 

 

面会の数と手紙の内容

 

ブログの冒頭に書いた“受刑者のご家族と待ち人さんが、内容について少し勘違いをされている”と書いた出来事について書いて行きます。

 

 

私は、絶対に面会に行くなとは言っていません。

手紙を一切書くなとも言っていません。

 

 

中の人に嫌われないために毎日手紙を書いたり、自分がただ書きたいからと言う理由で毎日手紙を書いているようなら、それは単なるあなたの我儘です。

 

それ、本当に中の人のためになっていると思いますか……?

 

 

「いえ!私の手紙の内容は自省を促していますし、ちゃんと指導していますから!」と言う人がいらっしゃるかも知れません。

 

毎日、同じ内容の手紙が届く、受刑者の身になって考えてみてください。

 

どれだけ濃く良い内容であっても、毎日手紙が来るようでは、そのありがたみは少なくなります。これが恐ろしい「慣れ」ですね。

 

慣れによって、手紙の内容を熟読する気も失せるでしょう。人間とはそういう生き物です。

 

 

私がこのブログでお伝えしたいのは、受刑者のご家族や待ち人さんには、適切な面会数と、答えを与えずに気付きを促す手紙を書いていただきたい、ということなんです。

 

 

厳しくするより、甘やかす方が簡単ですよね。

 

自分でコントロールしたいですよね。

 

二度と失敗してほしくないから、自分の言うことを聞いてもらいたいですよね。

 

 

その気持ちをグッと堪えて、受刑者の出所後のことを、考えてあげてください。

 

 

今あなたができる最善の支援は何なのか?少し立ち止まって、一緒に考えてみませんか?

 

 

 

日曜日ですが、突発更新です。

 

今日は産業カウンセラー養成講座で共に学んだ受講者さんと、セッションの練習をしてきました。皆さん久しぶりのセッションだとは思えないほど、技法を大いに活用して、カウンセラー役をこなしていました。

 

私は無事に実技試験が免除となりましたが、受講者さんの中には、免除にならなかった方もいらっしゃいます。

 

何かのご縁で一緒に勉強することになった仲間、戦友。全員が合格できるように、今後も定期的にセッションの練習をしたいと思います。次はzoomで開催予定です。

 

一人で進藤さんの教会へ

 

産業カウンセラーのセッションが終わって、一人で進藤さんの教会へ伺いました。進藤さんの恩師、中野牧師の説教を聞くことが出来ました。

 

進藤さんから写真を送って頂きましたので、22日に以下の写真を追記です。

 

 

一番左が私、その隣が進藤牧師、進藤牧師の隣はベテル・カルバリーキリスト教会の原田牧師、その隣が中野雄一郎牧師です。進藤さんの後ろにいらっしゃるのは、進藤さんのお母様です。

 

教会の方が仰っていましたが、中野牧師が居なかったら、進藤さんは存在しないそうです。

 

イコール、依存症子も存在しなかったことになります。

 

その動画が早速YouTubeにupされていました。冒頭1分は、進藤さんが碧の森と依存症子の紹介をしてくださっています。ぜひご覧ください。

 

 

 

前日の土曜日も教会へ

 

昨日20日㈯は、にゃん吉さんと一緒に教会へ伺いました。

 

産業カウンセラーの実技免除のお祝いにと、素敵なお花をいただきました。その気持ちがとても嬉しかったです。なんとしても筆記に受からねば……(笑)

 

この日の罪友教会では、父の学校というのを開催していました。女性は本当は入れませんが、特別に見学をさせて頂くことができました。

 

あとでにゃん吉さんと熱い話を繰り広げましたが、二人とも「ノートとペンを持ってくるべきだった!」と後悔したほど、良いお話をされていました。

 

そのYouTubeもアップされていますので、貼っておきます。

 

 

私も(俺も)進藤さんの教会へ行ってみたい!という方

 

縁とは、自らたぐり寄せるものだと依存症子は思っています。

 

待っているだけでは、何も始まりません。動きません。変わりません。

 

勇気を出して、依存症子にお声がけください。

 

あなたが勇気を出して踏み出した一歩を、私は全力で応援します。

 

 

 

 

 

前回のブログでは内掃工場の先生と一緒に、どのような会話や作業をしていたかを書きました。

 

コメントをたくさんいただきました。刑務官も日々葛藤しながら仕事をしていること、受刑者には刑務官の名前は一切知らされないこと、刑務官とも信頼関係を築けること。

 

刑務所のことを知らない方々に、刑務官にどのような人がいるか、少しでも知って頂ければと思います。

 

炊場へ移動した先生

 

先生が栃木刑務所から居なくなってしまったと思い込んだ私は、大変落ち込みました。内掃の担当が変わったと聞いたその直後、泣きながら大浴場を掃除をしました。

 

でも実際は、炊場へ移動していただけでした。それを炊場の受刑者から聞いたときは、嬉し涙を流したほどです。

 

たかが刑務官の移動に泣くのかよ?そう思った方もいらっしゃるでしょう。私の中で、この先生の存在はそれだけ特別だったということです。

 

移動から2日後、元担当が居室まで会いに来てくれました

 

夕食が終わって余暇時間です。元担当が内掃工場の受刑者の居室まで会いに来てくれました。

 

先生、「依存さん、○○さん(タイ人)、久しぶり~!」

 

私、「先生!!急に居なくなっちゃったから本当に心配したんですよ!」

 

先生、「聞いた聞いた~!(安達祐実似の金線の)先生から、依存さんがこの世の終わりみたいな顔してたって聞いてさ~。笑っちゃった~!」

 

私、「笑い事じゃないですよ!本当に心配したんですよ!あとアイスベルトと氷、いつもよりたくさんありがとうございます!」

 

先生、「心配してくれてありがとう。そうそう、アイスベルト欲しかったら言ってね。まだまだ暑いからさ。」

 

先生はそのあと、炊場の受刑者と少し話をして、戻って行きました。

 

 

私、この世の終わりみたいな顔してたんだ……(笑)

やっぱり私はあの先生が大好きだ。このとき改めて思いました。

 

 

元担当は、内掃の受刑者をその後も気にかけてくれました

 

炊場に居る元担当の先生から、時間があるときで構わないから、指定された場所の掃除をお願いされることもありあました。バラが綺麗に咲いていること、食堂前の花の手入れについて褒められることもありました。

 

内掃工場がやっていることを、工場は違えどしっかり見てくれている。そして「よくやってるね、綺麗だったよ」と声を掛けてくれる。前回のブログでも書きましたが、そんな先生が、私は人として大好きでした。

 

 

そんな私に、仮釈放の兆しが見えてきました。いわゆるペーパーというやつです。

 

更生保護委員の面接に向けて書く、「出所後の生活計画」という用紙を貰います。洗濯工場や内掃の受刑者から、「もうそろそろ仮釈だよ!」と言われます。

 

刑務所からいよいよ出るときが来たんだ。もちろんそれは嬉しい。でも嬉しさと同時に、こんな私が社会に出ていいのだろうか……?そんな不安も襲ってきていました。

 

 

釈放前指導に入り、静思寮へ

 

釈放前になると、作業に従事する受刑者とは一切接触を持つことはなくなります。栃木刑務所では、「静思寮(せいしりょう)」という場所で2週間生活したのち、仮釈放となります。

 

静思寮では釈放前指導を受けます。略して「釈前(しゃくぜん)」と呼びますが、出所後のことを簡単に学びます。

 

以前のブログでも書いたことがありますが、長期刑の受刑者だと、切符からSuicaに変わった、ガラケーからスマートフォンになったことを知らない人もいます。時代の流れと共に変わった事柄を、一通り学ぶのが釈前です。

 

女区の場合、出所後に必ず婦人科系の健康診断を受けるようにと言われます。刑務所では定期的に健康診断を受けることができませんから、特に子宮関係は間違いなく行くように!と言われた記憶があります。

 

余程の短期刑でない限り、運転免許証も失効になっていますから、その手続きに必要な書類が何か、教えてもらうのも釈前です。

 

静思寮では、起床時間も就寝時間も少しだけ緩かったと思います。正確な時間はうろ覚えですが、朝は7時か7時半起床、就寝は21時半か22時だったと記憶しています。

 

静思寮に、元担当が来てくれました

 

夕食が終わって余暇時間、受刑者の多くは食堂にあるテレビを観ていました。

 

すると突然、元担当が食堂に顔を出しました。静思寮には炊場の受刑者も居たので、みんなに最後の挨拶をしに来てくれたのです。

 

私は先生と二人きりで話がしたかった。それを先生は察してくれて、炊場の受刑者と話をしたあとまた顔を出し、私を静思寮の外廊下へ手招きしました。

 

静思寮にはもちろん鍵が掛かっています。その外廊下へ私を連れ、短いですが、一対一で話をさせてもらうことができました。

 

いま、こうしてパソコンで文字を打っていても、そのときのことを鮮明に思い出すことができます。そして、涙が出てきます。

 

先生の言葉に、号泣してしまいました

 

私は泣きながら、先生に感謝の想いを伝えました。

 

先生が担当で本当に良かった。先生と出会ったことは一生忘れない。先生と作業ができて私は本当に幸せだった、とっても楽しかった、そう伝えました。

 

「いやだ~、そんなこと言わないでよ~!」そう言いながら、先生も少し涙ぐんでいるのが分かりました。

 

私は年齢的にも、もう子どもを作ることは難しい。夫にいつ離婚を言い渡されるか分からない。私は出所してもちゃんとやっていける自信がないんです、外が怖いんです。そう言いました。

 

すると先生は、力強くこう言いました。

 

「依存さんなら大丈夫だよ。子どもだって遅くなんかない。ご主人だって、今まで頑張ってきた依存さんをちゃんと分かってくれるよ。だから、自分に自信を持って。依存さんなら大丈夫だから!」

 

私はもう、大泣きしてしまいました。「もう!泣かないの!」と言う先生も、涙ぐんでいました。

 

私は先生宛に手紙を書きます!と言いました。すると、「ダメだよ~、大体届くか分からないよ?」と言いました。でも私は、例え先生に届かなかったとしても書きますから!そうお伝えしました。

 

 

そして、本当に今までありがとうございましたと頭を下げ、先生と最後のお別れをしました。

 

 

受刑中の大恩人、元担当への最大の恩返し

 

先生とお別れして、5年が経過しました。仮釈放から今月で5年です。

 

実は、先生に1回手紙を書いたことがあります。住所は栃木刑務所で、宛名は「元内掃担当、現炊場担当の先生へ」です。あんな宛名で果たして本人に届いたかどうか、実際は分かりません。(笑)

 

(受刑者は、刑務官の名前を知ることはできません。刑務官同士も「先生」と呼び合うので、苗字を知ることはできないのです。出所後に刑務官へ報復しようとする受刑者も居るかも知れないので、受刑者や元受刑者から刑務官を守る手段なのだと思います。)

 

先生からすれば、私が二度と刑務所へ戻らないことが、最大の恩返しだと思います。

 

 

私の活動が、先生の目に留まる日が来ると信じています

 

でも私は最近思うんです。いつか、どこかで先生に出会えるんじゃないかと。その理由ですが、「想いは必ず届く」ことを、最近実感できたからです。

 

私のもう一人の受刑中の恩人、進藤龍也牧師は、こちらからコンタクトを取った訳ではないのに、発信をコツコツ続けることで、私を見つけてくれました。

 

私は進藤さんの講話に助けられた。その想いを正直にアメブロで綴ってきました。するとどうでしょう。今では教会で、進藤さんの説教を聞かせて頂くまでになりました。

 

 

真剣な想いは、必ず相手に届くのです。

 

 

先生に心からの感謝を

 

私が地道に活動をし続ける限り、何年かかるか分からないけれど、先生に想いが伝わると信じます。

 

依存さんなら大丈夫、そう言ってくれた先生の言葉は、今の私の動力源となっています。

 

先生はもしかしたら、もう刑務官を辞めているかも知れない。逆に刑務官としてものすごい出世をしているかも知れない。

 

元受刑者だった私には知りようがありませんが、先生の存在がどれだけ受刑中の私を勇気付けてくれたか、出所後の励みになったか分かりません。

 

 

一緒に笑い、涙ぐんでくれたあの日のことは、一生忘れません。

 

 

私が刑務所で講話ができるほど成長したら、出世した先生と会えるんじゃないか。

 

そして直接、感謝を伝えられるのではないか。

 

そんな淡い期待を胸に、これからも活動していきます。

 

 

今日は私の受刑中の恩人について、書かせていただきました。

 

突発更新です。

 

産業カウンセラーの試験は実技・筆記があります。養成講座受講中、一定の基準に達している場合は、実技試験合格相当として、実技試験は免除になります。

 

その通知がさっき届きました。

 

 

 

 

無事、実技試験免除となりました!!

 

もう、めっちゃ嬉しいです!本当に嬉しいです!!

 

養成講座が終わって、この結果が届くまでの一ヶ月間、正直悶々としていました。

 

「免除にならなかったらどうしよう……」
「あれだけ頑張ったから大丈夫!」 

「でも決してうまくできた訳じゃないしなぁ……」 

「何とか実技免除にならないか」 

「ならなかったら試験を受ければいいだけ!」 

「でもやっぱり受かりたい…!!!」

 

こんな気持ちで、一ヶ月過ごしていたんですよね。(笑)

 

 

実技免除になって、本当に本当に嬉しいです。

 

速達が届いた瞬間、大声で「やったーっ!!!!!!」と叫んでしまいました。

 

 

筆記試験は来年1月23日。こつこつ勉強頑張ります!!

 

 

 

前回のブログでは、碧の森の未来の構図について書きました。

 

自分で書いたものを改めて読み返しました。職親プロジェクト参加や保護司になりたいなど、随分デカく出たなぁ…と思いました。

 

言葉にして、目標実現のために動く。自分が吐いた言葉に責任を持ち、最後までやり遂げる。

 

刑務所へ行く前の依存症子は、「有言不実行」でした。これからの人生は「有言実行」を目指します。

 

今日は栃木刑務所での出来事に話を戻します。私が大変お世話になった、内掃工場の先生について書いて行きます。

 

笑顔が素敵な先生でした。

 

以前もこの先生の事を書いたことがあります。ちょうど1年前です。読み返すと、今と想いが変わっていないことに自分でも驚きます。5Wが私の中に、ちゃんと根付いているからでしょう。

 

 

内掃工場へ転業直後に運動会があったのですが、経理係を大声で応援する先生を見て、何だか嬉しくなりました。

 

刑務官も人なんだ。受刑者と一体となって大声で応援する姿に、とても好感が持てたのです。

 

立川拘置所で累犯の人たちに、「栃木の先生は性格悪い」と聞いていたので、ちょっと身構えていたのです。でも実際はそんなことはありませんでした。

 

たまたまいい先生に出会えたというのはあるでしょう。それと、「必ず更生してみせる」という思いが強かったので、刑務官の言葉を素直に受け入れることができたのだと思います。

 

内掃の先生とは、本当にたくさんの言葉を交わしました。

 

刑務官と余計な話はできません

 

これは私が受刑していた6年前の話です。今は変わっているかも知れません。刑務所では作業中の私語は禁止なので、ひたすら、黙々と作業をします。

 

特に作業机で何かを作る工場は、刑務官と必要以上の会話は出来ません。

 

栃木刑務所では子供服や達磨、ボールペンなどを作っていました。静寂の中、下を向いて黙々と作り続けます。

 

刑務官と唯一会話をするのは、朝の願いごとくらいです。

 

願いごととは、担当の刑務官にお願いをする時間のことです。刑務所によって呼び方は違うようです。栃木刑務所では「申し出」と呼びました。

 

決まった曜日に手紙を出したり、新しい官物を(使い終わった石鹸や歯磨き粉など)貰えるようにお願いしたり、医務診察をお願いしたり、願箋を貰ったり、提出したりします。

 

一般工場では、刑務官と話をする時間がないのです。話ができたとしても、運動の時間くらいでしょうか。

 

内掃工場では、先生と色々な話ができました

 

たくさんの工場がある中で、刑務官と話をしないと、作業が上手く回らない工場があります。それが内掃工場です。あと炊場、洗濯もそうですね。

 

曜日によってどこを掃除するかは決まっています。どこを掃除するか書いたノートがこちらです。

 

表の下には認知行動療法について書かれていますね。あのころの私は、依存症の勉強に真剣に取り組んでいました。(刑務所はノートの使い方が厳しく、行を空けてはいけません。)

 

 

晴れの日にしか出来ない作業もあります。この中で言うとマンホール掃除です。

ここには書かれていませんが、グラウンドの草むしり、植物に虫がつかないように消毒、刈払い機を使った除草作業も、晴れの日しか出来ません。

 

先生から指示を受け、効率良く片っ端から掃除をしていきます。

 

バケツに水を入れ雑巾を洗いますが、その水場まで行くのに、もちろん先生の許可と同行が必要です。「講談お願いします。先生、バケツの水が汚くなったので交換したいです。」

 

先生「分かったー。ついでにこのバケツにも水入れて来てもらっていい?」

 

私「分かりました。ついでにみんなが使っている汚れた雑巾洗いますか?」

 

先生「ありがとう。みんなー!汚れた雑巾があったら依存さんに渡してね!」

 

こんな感じの会話が飛び交うのが、内掃工場でした。

 

真夏の外作業は灼熱地獄

 

ほぼ外作業なので、夫に手紙で許可を貰い、物品購入で日焼け止めを購入します。朝の出房前に塗って、休憩中に塗って、お昼休みにも塗って、それでも日焼けは防げません。

 

内掃工場になってから気付いたのですが、私は紫外線アレルギーのようです。作業が終わると頭がガンガンして、肌は痒く小さな水ぶくれになり、目も真っ赤になりました。

 

高校のころは安室ちゃん全盛期で、毎日のように日焼けサロンへ行きました。かつてガン黒だったのが信じられないほど、肌が弱くなりました。

 

 

↑これが女子受刑者の作業服ですが、内掃工場は割烹着のような作業着を着ます。

 

内掃や炊場は特殊な器具や調理用品を扱いますので、怪我をしないように作業着も厚手で丈夫なものが貸与されます。これが超暑いです。

 

内掃工場の夏季処遇の時期は、スポーツドリンクを水筒に入れて持ち歩き、好きなときに水分補給ができました。首にアイスベルトを巻くこともできました。

 

アイソトニックの粉を水筒に入れて、水で薄めます。先生はとても優しかったので、炊場へ氷を貰いに行き、水筒の中に入れることを許してくれました。

 

内掃工場はいつもリヤカーに掃除用具を積んでいます。真夏はそこに大きな水筒を入れて、喉が渇く度に「水飲みます」と言って飲んでいました。

 

このアイソトニックは、ポカリと比べるととても薄いんです。白い帽子を被ってアイシールドを装着し、アームカバーに軍手とゴム手袋、厚手の作業着に長靴で汗だくになる私には、薄いアイソトニック飲料でも、まるでオアシスの水のように感じられました。

 

お食事中の方はすみません。1.3ℓの水筒に、午前と午後でアイソトニックを補給し、1日2.6ℓもの水分を摂っています。汗でほとんどの水分が出てしまい、トイレに行っても少ししか尿が出ないという現象が起きました。

 

私は超暑がりで汗っかきなので、夏は大っ嫌いです。真夏はエアコンの効いた所に引きこもる。そんな生活を送ってきたので、汗で尿量が減ることに、とても驚きました。汗で全部出るもんなんだ…スポーツもやってこなかった私には、初めての体験でした。

 

作業を手伝ってくれる先生でした

 

内掃工場は超肉体労働です。なのに工場の人数は5人と少ない。2人と3人に分かれて作業をすることが多かったです。そして日本人は私1人。少ししか言葉が話せない外国人と作業をするのは、楽しくもありイライラもします。

 

栃木刑務所は細長い建物が並んでいます。高齢者が生活する単独室の前に、なが~いマットが敷いてありました。お年寄りが転ばないように、滑り止めだと思うんですが。

 

 

↑こんな感じのマットです。元受刑者の方は「あったあった!」と思われるかもしれません。(笑)

 

これ、すごく重たいんです。舎房の長さにもよりますが、これが3枚繋がっていたりするんですよね。ずっと洗っていないから、こんな鮮やかな緑じゃなくて、汚れと埃で白っぽくなっています。

 

私、「このマット相当汚いですけど、洗ったりしないんですか?」

 

先生、「やってみる?大変かもよ~」

 

まず簀巻き状にしてリヤカーに積みます。水場のある所へ運び、下ろして広げて、水をかけて洗剤を撒いて、デッキブラシでひたすら洗う。これを私と外国人受刑者の2人でやっていたんです。

 

刑務官は作業に一切手出しはしません。でもこの先生は、マットを運ぶのも、下ろすのも、手伝ってくれました。受刑者の作業の手伝いをすることが、もしかしたら規則違反かも知れないのにです。

 

この先生から、色々な作業を教わりました。除草剤を撒いたり、ヒマワリの種やヒヤシンスの球根を選別したり、バラの剪定をしたり、腐葉土を作ったり。

 

私はこの先生のことが、大好きでした。人として大好きでした。

 

大好きな先生が、突然いなくなりました

 

先生がお休みを取ると、内掃工場の作業の流れを知っている先生が、代わりに担当になります。大好きな先生がなかなか出勤してきません。

 

3日休むと心配になってきます。もしかして体調崩したのかな?

 

そんなことを色々考えていた週、2016年(H28年)9月1日㈭。私は3種から2種となりました。

 

2種になれたことは素直に嬉しかったです。他の受刑者が扱えないような器具を扱える、それは刑務所側に信用され、認められたということですから。

 

そして同日、初めて見る先生が、内掃工場の受刑者を工場まで引率します。そこに安達祐実似の、若い金線の先生も付いてきます。何だか嫌な予感がしました。

 

金線の先生、「今日から内掃工場の担当が変わります。」

 

私、「…………(呆然)……」

 

言葉になりませんでした。先生どこ行っちゃったの!?

この日は大浴場掃除の日でした。先生が居なくなってしまったことが悲しくて悲しくて、私は泣きながら掃除をしました。それほどショックだったのです。

 

失意のどん底。これから先生には二度と会えないのか。そんなことを考えながら、炊場に氷を貰いに行きます。

 

 

9月とはいえ残暑が厳しいです。この日はなぜか、アイスベルトも氷もいつもより大量に渡され、何でこんなにいっぱいくれるんだろう?と思いました。

 

 

炊場の受刑者から嬉しい知らせ

 

栃木刑務所の経理工場の受刑者は、比較的自由のきく開放舎房に収容されていました。トイレは舎房の端にあるので、そこまで歩いて行く。居室に鍵が掛かっていないんです。

 

私の斜め前の居室には、炊場の受刑者が収容されていました。彼女のことも過去ブログで書いたことがあります。その彼女が作業後に口パクで、私に何かを一生懸命伝えようとしていました。

 

刑務官がいない隙に聞くと、内掃の担当が炊場の担当になったよ!という嬉しい知らせでした。良かった!栃木刑務所にまだ居てくれた!!

 

あぁ、だから今日の氷とアイスベルト、いつもより量が多かったんだ……と、また涙が出ました。これは嬉し涙です。

 

先生が炊場へ移動になっても、内掃の受刑者のことを思いやってくれる優しさが、とてもとても嬉しかったのです。

 

 

 

内掃工場の担当の先生 #3 へ続きます。

 

 

 

11月21日㈰ 15:30から、進藤龍也牧師の罪友教会へ、待ち人さんのにゃん吉さんと一緒に伺うことになっています。

 

進藤牧師の教会は埼玉県川口市南鳩ヶ谷にあります。グーグルマップはこちらから。

 

私とにゃん吉さんと一緒に行きます!と言う方、コメント欄でもメッセージでも、TwitterのDМでも構いませんので、ご連絡をお待ちしております。

 

私のTwitterアカウントはこちらです。

 

 

前回のブログでは、ネイリスト検定1級とジェルネイル検定1級、アロマテラピー検定1級を取得したこと、練習量が質に転化することと、5W1Hについて詳しく書きました。

 

今日はいよいよネイルとアロマ、私の趣味の盆栽が、碧の森とどう関わって行くかを書いて行きます。

 

内掃工場で気付いたこと

 

過去ブログを見ていただきたいですが、最近依存症子を知った方に向けて説明させてください。

 

私は栃木刑務所で、内掃工場という工場に就業していました。内装ではなく内掃です。刑務所中のお掃除や、庭木の手入れをする工場です。

 

立川拘置所に在所中、面会に一度も来ない夫へ向けて、「依存症は完治しない病気だから、出所したら病院へ行きたい」と何度も手紙を書いていました。

 

ですが夫の返事は冷たいもので、「どうしてそんなに意志が弱いんだ」、「まだそんなことを言っているのか」と、依存症について全く理解していない返事が返って来て、私は自分の思いを伝えることに、段々疲弊し始めていました。

 

「こんなに真剣に伝えても全く意図が伝わらないなんて、これなら諦めた方がラクかもしれない……」そう考えていました。そんな最中、栃木刑務所へ移送されました。

 

鮮やかな色のバラを見て

 

栃木刑務所の庭には、鮮やかな赤や薄いピンクのバラが咲いていました。それを見たとき、心がスッと軽くなったような気がしたのです。

 

訓練工場から洗濯工場へ就業するも、4日で内掃工場へ移動になります。栃木刑務所へ移送直後に、私の心を軽くしてくれた、植物たちのお世話をする作業に就くことができたのです。

 

ここで何を学べたかと言うと、土に触れると精神が安定するということ、そして植物の力強さを目の当たりにしたことです。

 

腐葉土を作り、汗だくになりながら土を耕し、ヒマワリの種を植えます。それが毎日どんどん成長していく。とても嬉しく感じ、成長する姿が楽しみになりました。

 

私は身長が168㎝ありますが、私の背丈を優に超えるヒマワリに成長したとき、「今の私の悩みなんて、とても小さなことなのかも知れない…。やっぱり諦めないで、夫に依存症のことを伝え続けよう!」こんなふうに思えたのです。

 

出所後に盆栽を始めました

 

出所しても土を触ることは続けよう。そうすることでメンタルが安定すると刑務所で気付いた私は、盆栽を始めることにしました。マンション住まいだったので、ベランダをプランタ-だらけにする訳にはいかず、小さい盆栽作りから始めました。

 

盆栽たちは、力強さと四季を感じさせてくれます。

 

 

↑ひょこっと顔を出した雑草。

 

 

↑鮮やかな紅葉

 

 

↑冬の準備に入るケヤキ。

 

 

力強さ、美しさ、はかなさを感じませんか?

 

盆栽をいじれる心の余裕を持っていよう。心の余裕が無くなると、私は依存行動へ走る。

 

盆栽をいじる時間を作り、多少の無理をしても、玄関に生花を飾ることを続けています。

 

支える側のご家族の、疲弊した心を癒せれば…

 

依存症者や受刑者のために、ご自身の身も心もすり減らしながら、一生懸命支えようとするのがご家族です。

 

「何でこんなことを私が考えなくちゃいけないんだ」、「解放されたい」、「誰にも言えなくて辛い」、「どうすればいいの」、「疲れた」、そんな思いを抱えているのが、支える側のご家族だと思います。

 

そんな方たちの力になりたいと立ち上げたのが、碧の森です。

 

もちろん依存症当事者、元受刑者からの相談も受けています。碧の森では、そのご家族や支える側の方からの相談が、圧倒的に多いです。

 

爪先が綺麗だと心が明るくなります

 

爪先のケアをすると、心が明るくなります。気分がウキウキします。高齢者施設でネイルをするボランティアがありますが、オシャレは気分を上げてくれるのです。


ネイルというと、長い爪に色を塗って派手にする、と思われがちですが、健康な爪が伸びてくるようにお手入れをするのも、ネイリストの仕事です。長さは関係ありません。


最近は男性も、ネイルをする方が増えてきました。営業で客先へ頻繁に行くような方は、顔も手もきちんとケアをされているようですね。


爪を噛む癖のある人は意外と多く、自爪がボロボロにならないよう、防止するお役にも立てます。 



ご家族や支える側の方、どのくらいの間隔で美容院へ行ってますか?「そういえば依存症者や受刑者にかかりきりで、最近全然行けていない」と言う方、多いのではないでしょうか?

 

依存症者や受刑者を支えることも大切ですが、まずご自身のケアをしてあげてください

 

支える側のご家族にも、休息や癒しは必要です。そうしないと息が詰まって、いつも当人の事ばかり考えて、気の休まる暇がありません。

 

そんな自分を、少し労わってあげて欲しいのです。

 

私と碧の森が、そのお手伝いをします

 

私があなたにネイルの施術しながら、相談に乗ります。

一緒にアロマの石鹸を作りながら、あなたの相談に乗ります。

一緒にミニ盆栽を作りながら、あなたの相談に乗ります。

 

碧の森は相談業務のみをするのではなく、ネイル施術、アロマを活用して石鹸やハンドクリームを作ったり、盆栽を作るということをやります。

 

 

 

↑アロマの石鹸は、自分の好きな香りを調合して、こんな感じに出来上がります。一例です。

 

いま、その場所をつくっています

 

これまでに書いたことを実際に実践できる場所を、いまつくっています。できるのは年末、実際に始動できるのは、2月頭くらいになるのではないかと予想しています。

 

碧の森のホームページには、新たに講演依頼のページを作成しました。どこで講演するの?誰が依存症子に講演依頼するんだ?と疑問に思われる方もいらっしゃると思います。

 

私は自分の経歴と、これまで書いたアメブロの全記事を、全て碧の森のコラムに載せています。それを見ていただいた上で、必ずお役に立てる場所があると思っています。日本全国、どこへでも伺います。

 

例えば中学校、高校です。薬物は怖いんだよ、私みたいに人生をいい加減に生きると、刑務所へ行くことになるかも知れないんだよと、実体験からお伝えすることができます。

 

刺青を入れた後悔、勉強してこなかった後悔、これからを生きる子供たちに、伝えられることがたくさんあると思っています。

 

ハードルは高いですが、少年院・刑務所で講話をすることが第一目標です。こうして更生できている人間が居ること、そして私の周りには、真剣に更生しようと努力している人がたくさんいることを、中の人に知ってもらいたいのです。

 

碧の森の目標、未来の構図は……

 

大きく出ますが、私は職親プロジェクトに参加したいと考えています。職親プロジェクトって何?と言う方はこちらをどうぞ。

 

私は栃木刑務所で、この職親プロジェクトの対象者になりました。内容を見ましたが、どれも男性のガテン系ばかりで、女性が働ける場がほとんど無かったのです。過去記事をぜひ読んでください。

 

過去記事を書く前からこれも漠然と、いつか女子受刑者を雇用したいと考えていました。
 

今は男性のネイリストも、アロマセラピストも多いです。体力的にガテン系が難しい男性には、美容の道もあると思います。

 

そしてこれも制度的に難しいでしょうが、保護司になることも視野に入れています。それには法律を変えなくちゃいけませんけどね。

 

茨の道となるでしょう

 

前科者で元受刑者の私が、受刑者に向けて講話をしたり、誰かに講演をしたり、ましてや元受刑者を雇うのは、簡単ではありません。

 

相当時間がかかるし、何年かかるかなんて想像もつきません。

 

ダメで元々、失敗して当たり前。これからも私は、碧の森の未来構図に向けて、地道に活動していきます。

 

 

10月15日に書いた依存症子が出所後に取った資格から、今日の「ご家族支援と碧の森、未来構図」までは、出所後に依存症子がどんなことに挑戦してきたか、何をやろうとしているのか、目標や志について書いて来ました。

 

なぜ依存症子が前向きでいられるのか、諦めずに歩み続けられるのか。投げ出さずにいられるのか、なぜここまでの熱意があるのか。

 

少しでも、皆さんに伝わればいいなと思います。

 

 

そして私の活動に共感し、一緒に「何か」をやりたい!と言う方は、コメント欄でもメッセージでも構いませんので、ぜひ手を挙げて頂ければと思います。

 

もっとこうすればいいんじゃない?という、前向きで建設的なご意見も、もちろんお待ちしています。

 

 

今後とも依存症子と碧の森を、どうぞよろしくお願いいたします。


 

 

明後日の日曜日、進藤牧師の教会へ伺います。

 

以前も告知していますが、今まで足を運ぶ勇気が無かった方、二の足を踏んでいた方、依存症子と一緒に、勇気ある一歩を踏み出しませんか?

 

 

前回のブログではローズネイルスクールに通っていること、刑務所の教育は「なんかおかしい」と漠然と思い続けていたこと、スクール経営者の荻原ちとせ先生に受刑者だったことをカミングアウトしても、私への態度が変わらなかったことを書きました。

 

1級、上級、アロマテラピー検定に向けて

 

試験は12月でした。2級と中級に一度落ちている依存症子、それはそれは熱心に練習しました。

 

受験までの間、申し訳ないけれど夫にも協力してもらい、食事はセブンイレブンのおかずをレンチン。1日6時間以上は練習に費やし、気が付いたらもう日が暮れているといった感じでした。

 

アロマテラピー検定もコロナ禍で受験方法が変わり、ネット試験になりました。アロマは座学なので、YouTubeで試験対策の動画を見つけ、お風呂に入るついでに観ながら暗記することを続けます。

 

1級試験当日はものすごい腹痛に襲われ、試験会場に辿り着くので精一杯。そんな中でも、これまでの練習の成果を十分に発揮することができました。

 

量が質へと転化する

 

私は実際の試験を模した、通し練習を続けてきました。気温や湿度によって人口爪の固まる時間が違うので、試験会場へ下見に行って、予め気温と湿度を測ります。試験会場の環境に合わせ、当日着ていく服装に着替え、自宅で練習を続けました。

 

服装まで!?と思った方が多いと思いますが、ネイリストは袖周りがモコモコしている服を着ると、施術の邪魔になります。試験会場が寒いのは下見で分かったので、足元を温めたりホッカイロを腰にしたり、とにかく何もかも本番に近い状態で練習に臨みました。
 

一緒に練習し、私より先に1級に合格していた生徒さんから、「エアコンが効きすぎてなかなか固まらなくて焦った」という話を聞くことができました。

 

他の生徒さんの実体験を、自分の試験に活かすことができたのは、皆さんと自宅で練習するという交流を続けてきたからです。

 

練習量が質に変わるんだ。それを学べたのも、ネイリスト検定1級と上級のおかげです。

 

 

 

 

↑1級のスカルプチュアと葡萄のミックスメディアアートです。ネイルは用語は難しいので、今回のブログでは説明は割愛します。

 

 

↑ジェル検定上級の爪の長さ出し、花のアートとフレンチネイルです。上級はとにかく時間が短いので、花のアートが適当なのはご愛嬌ということで……(笑)

 

長時間の練習と勉強の甲斐あって、ネイリスト検定1級、ジェル検定上級、アロマテラピー検定1級に無事合格することができました。

 

起業塾で、5W1Hについて学ぶ

 

前回のブログでも書きましたが、ローズネイルスクールは色々なことを教えています。その中に起業塾がありました。

 

皆さん、5W1Hってご存知ですか?私はスクールで初めて知ったのですが、大学、または社会人になって、入社後の研修で学んだりするようですね。

 

・Who(誰が)

・When(いつ)

・Where(どこで)

・What(何を)

・Why(なぜ)

・How(どのように)

 

荻原先生に、「やりたいことを5W1Hに沿って明確にしないと、依存さんはいつか必ず迷走する。人に想いを届けるのは、生半可な気持ちじゃできないのよ。その覚悟はあるの?」とハッキリ言われました。

 

依存症子の信念

 

これまで依存症子が一貫してお伝えしている信念。それはこの5W1Hから来ています。

 

・Who(誰が)→依存症子が

・When(いつ)→自分の地盤を固めてから

・Where(どこで)→碧の森で

・What(何を)→相談業務とネイル、アロマや盆栽を

・Why(なぜ)→昔の自分のような人を一人でも減らしたい、私のような子どもを持つ家族の力になりたい、刑務所へ舞い戻る人を一人でも減らしたいという想いから

・How(どのように)→人脈と視野を広げ続け、依存症子も成長しながら、相談者と共に伴走をする

 

5W1Hが明確な人は、決してブレません。

 

ピンと来ないかもしれませんので、あくまでも例として、アメブロでありがちかな?ということを書いて行きます

 

誰かを救いたい!自分と同じような人と意見を共有したい!という思いからブログを始めたとしましょう。

 

始めはその思いに沿って、ブログを書きます。やり始めは何事もモチベーションが高いので、毎日投稿したり1日2回投稿してみたり、試行錯誤します。

 

するとどうでしょう。アクセスが上がりランキングにも入るようになります。みんなが自分のブログを読んでくれている!注目されている!嬉しい!よし、もっと頑張ろう!

 

でも毎日投稿しているとネタが無くなる。せっかくランキング上位の常連になったんだから、毎日投稿は続けないと……。

 

内容が薄くなり、中身のない内容になったり、ページビューを上げるために嘘を書いたり、必要以上に面白おかしく書くことも、出てくるかも知れません。毎日投稿しないと、というプレッシャーが襲ってきます。

 

このようにいつの間にか、「誰かを救いたい!自分と同じような人と意見を共有したい!」と言う目的から、「毎日投稿することでランキング上位に居たい!」に目的がすり替わってしまいます。そして毎日投稿のプレッシャーから、精神的に疲弊します。

 

 

依存症子はアメブロのランキングは気にしません。私のブログを必要としてくれている人に届けば、それでいいからです。

 

 

このような現象が起こるのは、本人の中で5W1Hが明確化されていないからです。

 

これはどの分野でも言えることだと思います。

 

「人を笑顔にしたい」とYouTuberになったのに、いつの間にか「有名になりたい、色んな人とセックスしたい」が先行して、動画の内容がどんどん過激になっていったり。

 

「人の命を救いたい」と思って医師になったのに、医師の肩書きを利用して女性をレイプしてみたり。

 

「国を変えたい」と思って政治家になったのに、いつの間にかその地位にしがみつくだけになったり。

 

5W1Hが明確になると、何を言われても構わないし、人に嫌われることが怖くなくなります。

 

これも依存症子が一貫してお伝えしていることですが、依存症子への批判は真摯に受け止めます。ですが非難は無視します。

 

私は『昔の自分のような人を一人でも減らしたい、私のような子どもを持つ家族の力になりたい、刑務所へ舞い戻る人を一人でも減らしたいという想い』を明確に強く持っているので、非難をするような人たちに構っている暇はないのです。

 

私を頼って相談してくださる目の前の方に、全力を注ぐ。これが私の信念です。

 

断言できますが、これは一生ブレることはありません。

 

When(いつ)→自分の地盤を固めてから

 

自分の精神状態が安定していないのに、他人の相談に乗れるとは思えません。アディクトの人は私も含め、「他人を助けたい」という思いが強いように思います。でも考えてみてください。

 

常にスリップしていたり、Twitterで罵詈雑言、弱音をいつも言う人、精神不安定な人に、「よし!相談してみよう!」と思いますか?

 

少なくとも私は、そうは思いません。

 

だから私は、産業カウンセラー養成講座を受講しました。傾聴を学ぶとともに、自分が一定の精神状態で相談に臨めるよう、相談者さんに失礼の無いよう、訓練する必要があると思ったからです。

 

全てを明確にして、碧の森がスタートしました

 

ブログではスラスラと簡単に書いていますが、ここまで来るのには相当の努力、あらゆる我慢、そしてものすごい時間がかかっています。

 

今後のブログでその間の葛藤も書いて行こうと思いますが、ここまで来る道のりは決して簡単なものではなく、それは壮絶な自分との戦いでもありました。

 

 

私は5W1Hだけが大切だ!と言いたいわけではありません。

 

5W1Hを知って、理解することで、依存症子が出来上がりました。それを皆さんに知っていただきたかったです。

 

今後1Hは、碧の森を運営していくにつれて変化していくでしょう。

 

そして一番大切なのは、多くの人に支えられて、今の依存症子があるということです。

 

常に人への感謝を忘れないことも、5W1H以上に必要なことだと思っています。

 

 

 

次回はいつも通り金曜日の朝8時更新です。

 

碧の森とネイルとアロマ、盆栽がどのように関わって行くのかを書いて行きます。

 

 

告知を2つさせてください

 

11月6日 ㈯ 20時から、みきやさん早大卒シャブ太郎さんとTwitterのスペースを開催します。Twitterのスペースって何!?と言う方はこちらをどうぞ。

 

Twitterのアカウントをお持ちでない方は、何でもいいのでアカウントを作成してください。(笑)

 

依存症子みきやさん早大卒シャブ太郎さんのTwitterアカウントもそれぞれ載せておきます。
 

待ち人さん、薬物依存症、クレプトマニア、処方薬依存、ギャンブル依存から回復したいと思っている方、出所後で辛い思いをしている方、そんな方々の勇気になるようなスペースにしたいと思っています。

 

振るってご参加ください!

 

 

 

そして翌日11月7日 ㈰ 15:30から、進藤龍也牧師の教会に、私の相談者さんとみきやさんと伺うことになっています。

 

今まで進藤さんの教会に行きたいけどなかなか足が向かなかった方、一人じゃちょっとなぁ·····と思っていた方、依存症子と一緒に勇気ある一歩を踏み出してみませんか?

 

教会の場所は埼玉県川口市南鳩ヶ谷です。Googleマップはこちらです。

 

 

 

 

今日はこれから2回目のワクチン接種です。

 

ファイザーなのでそこまで副反応は無いと思いたいですが、読書でもしながらゆっくり過ごしたいと思います。