娘の最後の年賀状
2番目の娘は、成人式を終え、20歳の誕生日から3日後に突然自死してしまった。
このときばかりは一緒に住んでいないとは言え、我が家を行き来して礼拝にもたまに参加してくれる娘、私が洗礼を授けた娘の自死は聖書にある通り、監督者は家庭を治めるものであるべきとあるので、潔く牧会をやめようと思っていた。
いつ、どこで、誰に、どういう形で?教会は引き継ごうかと哀しみの向こう側で腹を決めていた。
人からの慰めがこんなに辛いとは思わなかった。生きているのが辛い。本当に辛い時は1人になりたい。
中野雄一郎師匠の電話にも出たくはなかった。しかし、出るしかない。
電話の向こうで師匠は言った。「龍也!お前のことは俺が守る」それだけ言って切れた。
私がいない時、突然夜に来て、緊急祈祷会を呼びかけたと言う。突然でもなんと12人も集まってくれたと言う。そしてその12人を前に「今シンドウタツヤと泣けないなら遠慮をしないで出て行っていい」と、言ってくれた。これで私もなんだか吹っ切れた。そうだ。一緒に泣いてくれない人なら一緒にいても苦しむだけだと。
マイルが溜まっていたので、伝道師の助言を受け入れ1週間グアムに逃げて、ホテル近くにあった唯一の日本人教会、グアム福音教会の祈祷会に出かけた。誰も知らないところで祈って御心を求めたいと思ったのだ。牧師を辞めなくて良いのならサインをください。牧師を辞めるのであってもサインをください。この日までずっと、そう祈ってきた。
グアム福音教会に出かけると松本牧師が出てきました。そして驚いた顔で私を迎えました。「本物が来た」と。
「進藤先生、先週あなたのお話をして救われた人が来ます。どうぞその人の前で生で証をしてください。」
「私は涙ながらに娘のことで辛くて辛くて仕方がなくて、祈りにここへ行きました。そして自死から葬儀から今日まで、ずっと牧師を辞めることを考えたりしました。辞めるな!と励ましてくれる人もいました。神に召されて、牧師になったのなら、神に召されて牧師をやめなければならないと思ってずっと祈ってきました。
その答えが今日出ました。牧師を辞めることをやめました」
それで今があるのです。
そして、やっぱり、みことばが与えられました。
召命の時のみことばです。
[ヨハネの福音書 6:27]
なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい。それは、人の子が与える食べ物です。この人の子に、神である父が証印を押されたのです。
後日談
そして、牧師を辞めることやめて、励んでいた頃、娘からの年賀状が出てきました。
「パパはいつも親らしいことをしてあげられなくて申し訳ないといつもいうけど、今はたくさんの人を助ける牧師になって私はパパのことを誇りに思う」って、言っていたなと思い出せる年賀状。これには泣けた。そんなことすら覚えてなかったけど、辞めなくてよかった。だからこそ、新会堂が与えられたし、新会堂で救われる人がたくさんあたえれたのだから!
ハガキは捜索中
洗礼を授けた高校一年生の時、我が家のアパートで。