進藤龍也牧師のヤクザな日記

進藤龍也牧師のヤクザな日記

私がヤクザから牧師になった人生が真実の様に聖書の話はありえない!信じられない!ような真実の話です
いつでも何処でも誰でも人生やり直せます!ぜひルームをご覧下さい♪

サポーター企業・団体 ↓クリックしてご覧ください↓






神は心の奥を知っている


[エズラ記 4:4]

すると、その地の民はユダの民の気力を失わせようとし、脅して建てさせないようにした。


観察

70年の捕囚、神の裁きの奴隷時代が終わり、故郷エルサレムに帰還するユダヤ人たち。彼らのしたことは神殿の再建である。さすが選民!


ここで、一緒に建てたいと申し出るサマリヤ人たち。彼らは北イスラエル出身のイスラエルの10部族であるが、アッシリア帝国に滅ぼされた時に、混血させられイスラエル民族としての純潔を守ることができなかった。その理由で、ユダヤ人と共に神殿を建てることは叶わなかった。


私は今まで、なんとサマリヤ人は可哀想な!と、思っていたが、、、やっぱり、仲間に入れなくて正解だったのだ。


心から神を敬う人々だったなら、神殿を建てるユダヤ人の邪魔をしたりはしない。


適用

現代の教会生活や奉仕も同じである。

急に手のひらを返す人。

急に約束を反故にする人。

奉仕のことで妬む人。

足を引っ張る人。

同じ神を崇めているのに、サマリヤ人のように自分の思い通りにならなければ、不平不満を撒き散らす。

これは教会に限ったことではない。

会社や学校、組織的なところでは、知恵の足りない、心の訓練をしていない人たちが暴れまくる。


人のふり見て我がふり直すしかない。


祈り

正しく行動できるように正しい心と信仰を求めます。信仰には神の知恵があります。金銀に勝る神の知恵を求めるのは実践するためです。私を信仰によって造り変えてください。アーメン










ワイキキでは、波がなくパドリングだけ。

沖縄では、乗れました。

今回、人の多い鵠沼で、2度、乗れました。


とにかく、波を待つだけでも、体力を使い、運動不足が露呈して、喉も渇き、夜の礼拝に間に合うように帰らなければならず、早々に引きあげました。


サーファーの牧師の友人が2人も湘南に住んでいるので、気楽に手ぶらで行けて、泊まれるので本当に感謝なことであります。


ニューホープ横浜のタンタン牧師

麻生キリスト教会の矢部昭仁牧師
























ハーレー借りてます!笑









祈りは聞かれる🙏

礼拝が終わって教会員達とディナーに行くその車の中で、我妻だけが女性。
礼拝の8割が男性。
女性2人、3人なんて礼拝もあった罪人の友 主イエス・キリスト教会。
それが今やちょうど半数になっている。
祈りは聞かれるのである。

ある社長は支店長や副社長には男性を選ばないそうだ。男性は張り合ってばかりいて、純粋に仕事が好きでやってくれるのが女性だという持論があるそうだ。あくまでも個人哲学。1人の成功者の話である。

主イエスを支えた女性達。
恩義に感じたマグダラのマリヤ。
復活の第一目撃者で会話をしたのも女性たち!

私たちはいつも女性が増えるようにと祈ってきた。平田伝道師と白石執事と3人で水曜から金曜の朝の9時の遅天ちてん祈祷会をやってきた。今は金曜だけだけど。金曜の朝9時は十字架にかけられた時間だ。そこに想いを馳せる。

[ルカの福音書 8:2,3]
また、悪霊や病気を治してもらった女たち、すなわち、七つの悪霊を追い出してもらったマグダラの女と呼ばれるマリア、
ヘロデの執事クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか多くの女たちも一緒であった。彼女たちは、自分の財産をもって彼らに仕えていた。

適用
キリストの時代に女性の弟子を持つこと自体がアンビリーバボー!ありえないことだった。
新しいことをするときには、伝統という名の邪魔が入る。
不必要な伝統もたくさん存在する。
それは人間が、形態などで変化しない方が楽だからである。そして反発がある。1900年に突如として聖霊の現れが来た異言や癒しも、悪霊呼ばわりされたのだ。

①変化を恐れては行けない。
伝統という名で、自由を奪ってはいけない。世の終わりが加速している今の時代に聖霊様の声を聞ける感性、信仰を身につけなければならない。
 
②キリストに支えた、女性の弟子たちは持っている財産で仕えることができた。財産ばかりではなくて、自分が持っているもの賜物で仕えれば良い。出し惜しみしてはならない。

祈り
委ねることを昨日の礼拝で語りました。私自身が委ねることを実践しなければどうやって教えることができるでしょうか、あなたに信頼することをこれからも増し加えてくださりあなたに信頼すること学ばせてください。アーメン

写真は
湘南の最後はザアカイの礼拝でともに礼拝!そしてシゲちゃんと合流。日本一忙しい鳩ヶ谷の牧師。旧鳩ヶ谷市のなかにあるプロテスタント教会は鳩ヶ谷福音自由教会と罪人の友 主イエス・キリスト教会だけです。































娘の最後の年賀状


2番目の娘は、成人式を終え、20歳の誕生日から3日後に突然自死してしまった。

このときばかりは一緒に住んでいないとは言え、我が家を行き来して礼拝にもたまに参加してくれる娘、私が洗礼を授けた娘の自死は聖書にある通り、監督者は家庭を治めるものであるべきとあるので、潔く牧会をやめようと思っていた。

いつ、どこで、誰に、どういう形で?教会は引き継ごうかと哀しみの向こう側で腹を決めていた。

人からの慰めがこんなに辛いとは思わなかった。生きているのが辛い。本当に辛い時は1人になりたい。

中野雄一郎師匠の電話にも出たくはなかった。しかし、出るしかない。
電話の向こうで師匠は言った。「龍也!お前のことは俺が守る」それだけ言って切れた。

私がいない時、突然夜に来て、緊急祈祷会を呼びかけたと言う。突然でもなんと12人も集まってくれたと言う。そしてその12人を前に「今シンドウタツヤと泣けないなら遠慮をしないで出て行っていい」と、言ってくれた。これで私もなんだか吹っ切れた。そうだ。一緒に泣いてくれない人なら一緒にいても苦しむだけだと。

マイルが溜まっていたので、伝道師の助言を受け入れ1週間グアムに逃げて、ホテル近くにあった唯一の日本人教会、グアム福音教会の祈祷会に出かけた。誰も知らないところで祈って御心を求めたいと思ったのだ。牧師を辞めなくて良いのならサインをください。牧師を辞めるのであってもサインをください。この日までずっと、そう祈ってきた。

グアム福音教会に出かけると松本牧師が出てきました。そして驚いた顔で私を迎えました。「本物が来た」と。
「進藤先生、先週あなたのお話をして救われた人が来ます。どうぞその人の前で生で証をしてください。」

「私は涙ながらに娘のことで辛くて辛くて仕方がなくて、祈りにここへ行きました。そして自死から葬儀から今日まで、ずっと牧師を辞めることを考えたりしました。辞めるな!と励ましてくれる人もいました。神に召されて、牧師になったのなら、神に召されて牧師をやめなければならないと思ってずっと祈ってきました。

その答えが今日出ました。牧師を辞めることをやめました」

それで今があるのです。
そして、やっぱり、みことばが与えられました。

召命の時のみことばです。
[ヨハネの福音書 6:27]

なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい。それは、人の子が与える食べ物です。この人の子に、神である父が証印を押されたのです。

後日談
そして、牧師を辞めることやめて、励んでいた頃、娘からの年賀状が出てきました。
「パパはいつも親らしいことをしてあげられなくて申し訳ないといつもいうけど、今はたくさんの人を助ける牧師になって私はパパのことを誇りに思う」って、言っていたなと思い出せる年賀状。これには泣けた。そんなことすら覚えてなかったけど、辞めなくてよかった。だからこそ、新会堂が与えられたし、新会堂で救われる人がたくさんあたえれたのだから!


ハガキは捜索中

洗礼を授けた高校一年生の時、我が家のアパートで。

キリストにある私は苦しみの只中を通り抜ける


[ルカの福音書 4:30]


しかし、イエスは彼らのただ中を通り抜けて、去って行かれた。


観察

主イエスが故郷で崖から突き落とされて、殺されそうになった場面であるが、神の時(十字架)ではないので、なんと、その只中を通り抜けて、その場をさられたという。


適用

人生には喜びや楽しみ、ばかりではなく、憂いがある。

苦難がある。悲しみがある。徒労感がある。失敗がある。痛みがある。


しかし、喜べ進藤龍也!わたし(主)は、お前といるではないか。(この箇所を通して)お前はその苦難の只中をわたしと共に通り抜ける!と、語ってくださった。

そして、涙はわたし(主)が拭いてやるから前に進めと言ってくださった。なんという恵み。なんというありがたさ。


祈り

主は私の喜びです。あなたは私の全てです。メンタルの弱い私を奮い立たせるのは、みことばであり、信仰です。信仰を正しく使わせてください。これからもあなたの私であるように。アーメン


月一回のデボーション交わり!第四日曜日






ニューホープリーダーシップカンファレンス




鷹の爪


自作


〇〇へ


赤落ちするのかな?とにかくくそ忙しかったです。宮崎と大分を巡ってきました。

講演会もやり、礼拝も導きました。


また、大分の竹田市は、隠れキリシタンではなくて、隠し、キリシタンとして有名です。いや有名ではなくて、知る人ぞ知るです。と言うのは、竹田市の売り込みが下手なんでしょうね。


キリシタンと言うと島原とか五島列島とか長崎県ばかりが有名です。しかし全国にキリシタン迫害殺害の歴史はあるのですよ。山形県、米沢にもあります。武士の一家そしてその下働き、女中、総勢、ウン十人という子供を含めた米沢武士がキリシタンのゆえに殉教しました。宮城県の登米市というところにもあるし、実は全国的にあるのですよ。


川口市にも殉教ではありませんが、大きなお寺の住職が将軍様に掛け合って、10代のキリシタンの小娘を引き取り命を救ったお寺が川口の郵便局の裏にあります。そこにはマリア観音や、キリシタン灯籠が今もあります。


竹田市は、キリシタン国家を作ろうとした大友宗麟の部下で志賀と言う名の大名が治めていました。その大名はキリシタンとなって左手の手首に十字架の刺青を入れたそうです。その事はカトリックの宣教師が報告で手紙で書いてあり間違いのないことであります。しかし大友宗麟がクビになってその志賀と言う大名は、各地の大名の1武士として抱えられております。この志賀に変わって、入ってきたのか、中川清秀です。この中川はキリシタン大名として1番有名な高山右近のいとこであります。日本人で1番有名な人はこの高山右近です。何故かと言うとソルジャー武士ですから、人を殺しているので聖人にはなりませんが、(カトリック)では列福されております。イスラエルのカトリック教会に行った時も、日本人の代表として描かれた壁絵は、なんと高山右近とガラシャ細川夫人です。歴史が好きじゃないと全く面白くないと思いますが、〇〇は歴史が好きだったと記憶しています。


豊臣秀吉の名により、志賀の後に入った中川清秀は、高山右近のいとこと言うこともありキリシタンでありました。その中川の下で城下町には一万5000人のキリシタンがいたと言うのです。また3代将軍家光の時には島原の乱が発生します。この島原の乱は言うまでもなく、隠れキリシタンの一揆です。戦争です。なんであんなキリシタンの農民が強かったかと言えば、実はキリシタン大名の小西行長の家臣たちが帰農していたところで、徳川憎しの思いで島原城に入場し、徳川に反撃したのでした。だから農民軍は強かったのです。この反乱の鎮圧に全国の大名が向かいました。その中には岡藩(竹田市)の中川家もいましたが、徳川の方で岡藩はキリシタンが多いので、寝返るといけないと言うことで、3隊に分かれて、他の大名の応援に回されたそうです。そして応援に行くと夜陰に紛れて偵察してくると言いながら、島原城に支援物資を届けていたと言うのです。すごいですしでしょ。長崎から逃れてきた宣教師たちをかくまった洞窟などもあります。なんとこの中川家は277年明治まで続きます。キリシタン記念館というのがこの街にはあり、館長さんにいろいろ話を聞いてきました。


とにかく、移送されたら連絡くれな!

更生すると言う約束を〇〇がしっかり頭に入れていることを本当に嬉しく思う。





















頼むから「私を見ないで」とは言わないで!


たまーに、クリスチャンが相手にキリストを伝えている場面で「私をみちゃダメよ、神様を見てね」という言葉を聞く。もちろん正しいことを言っているのはわかる。しかし、パウロは「私にならいなさい」というし、ダニエルも、ダニエルの生き方を通して異邦人の王が【生ける真の神】を口にしている。


[ダニエル書 6:16]


 それで王は命令を出し、ダニエルは連れて来られて、獅子の穴に投げ込まれた。王はダニエルに話しかけて言った。「おまえがいつも仕えている神が、おまえをお救いになるように。」


[ダニエル書 6:20]


その穴に近づくと、王はダニエルに悲痛な声で呼びかけ、こうダニエルに言った。「生ける神のしもべダニエルよ。おまえがいつも仕えている神は、おまえを獅子から救うことができたか。」


適用

私も失敗もするし、間違いを犯す。

しかし、故意ではない。

もちろん、それが明らかになれば謝罪して、悔い改めの祈りをして誠実に生きている。相手が謝罪を受け入れるかどうかは別として。


失敗もするけど、生き方を通して、我々クリスチャンは、自分の信じる神をダニエルのように証明するものだ。誠実に生きること。だから私は私を見ないで!とは言わない。


[ルカの福音書 16:10]


最も小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実であり、最も小さなことに不忠実な人は、大きなことにも不忠実です。


祈り

小さなことに忠実であるように、些細なことにも忠実に、そして誠実に生きられますように。借りた本を返すとか、お金を借りないとか、貸したお金は2度は請求しないとか、お金は基本的には貸さないとか、相手を正しく愛することを神の知恵で相対できますように。生き方で神ご自身を表せますように。アーメン








羊飼いの現行犯逮捕


逮捕状がなくても逮捕権のある警察官が逮捕できる特別措置は【現行犯】である。

正しく神の【しるし】とは、そんなところか。


[ルカの福音書 2:12]

あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」


観察

主イエスの誕生秘話のルカバージョン。

同じユダヤ人でも、最下層の雇われの羊飼いに、神は真っ先に救い主誕生を知らせる!まさにこれこそTHE福音。

 

これから起こることを先持って知らせる神だとイザヤ書などで神の特質が語られている通りに、虐げられていた羊飼いに【しるし】を告げられてた。そのしるしをみた、羊飼いはまさに神から現行犯逮捕されたようなものだ。私も独房の中で神から現行犯逮捕されたのだ。感謝


適用

聖書を読む私は、神からの励ましと、慰めと、天の身分を信じ切らねばならない。

進藤龍也は愛されているから、神が味方だから恐るなと言われているのに、恐れてしまう時がある。それは不信仰だとわかっているが、それを克服するのに、また祈る、賛美する、詩篇を声を出して読む。信仰を奮い立たせて、また、今日も祈る。執り成しの祈りをする。


不信仰がやってきても、おそれがやってきても、徒労感がやってきても、祈って信仰で蓋をする。それでいいのだ!


(ヤコブの手紙513節)

あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。


(1コリント10:11-13)
“10:11 
これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。
10:12 
ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。
10:13 
あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。


祈り

信仰を持って母マリヤのように信じ切って生きるようにと私に聖書を与えてくれた三位一体の神を褒め称えます。今からまた祈りに入ります。委ねる心は揺るぎのないあなたへの信頼から生まれますから、それらのものを私に注いでください。群れの1人ひとりの生活や人間関係を癒し聖別してください。アーメン


写真はペスカトーレの特別賛美

















東京拘置所へ通い続ける。執行までは、、、罪友Tシャツには一生お互い工事中とプリントしてある。でも死刑囚には一生をかけて心を工事することが許されない。なんということか。やっと人間らしくなれたのに、、、