進藤龍也牧師のヤクザな日記

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私がヤクザから牧師になった人生が真実の様に聖書の話はありえない!信じられない!ような真実の話です
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今年の年間テーマ聖句が

「全き愛は恐れを締め出します」1ヨハネ4:18

 

今日の通読箇所 創世記32:11-12

どうか私の兄、エサウの手から私を救い出してください。彼が来て私をはじめ母や子供たちまでも打ちはしないかと、私は恐れているのです。

あなたはかつて『わたしはあなたを幸せにし、あなたの子孫を多くて数えきれない海の砂のようにする』と仰せられました。

 

観察

兄エサウの殺意から逃れ20年ぶりの再会を前に恐れるヤコブの祈り。

 

適用

恐れに打ち勝つものは何か?

愛である。

また、神からの約束である。

私たちには神からの約束の言葉、聖書があり、その聖書には私への約束が詰まっている。

今、どんなに苦しくても、乗り越えられるのは神からの約束があるからだ。愛そのものである神により頼み、恐れに打ち勝ち、ヤコブとエサウは泣きながら抱き合った。

 

創世記33:4

エサウは走って来て彼を抱き、首に抱きついて口づけして、2人は泣いた。

 

ヤコブが恐れに打ち勝てなければ、神により頼まなければ、到底この感動の和解は成立しなかった。

 

人を赦せないとき、愛が足りないのだ。和解向けて歩めないのも愛が足りないのだ。愛が足りないとは、神に信頼していないのだ!

 

祈り

安息を与えてください。また、種々の祈りを聞いてくださる神を賛美します。私はあなたに仕え、人に喜んで仕える人にさせてください。アーメン

 

地下で活躍していた「罪もん」はモグラです。

キリストに救われて、地上に出てきましたが、まぶしいのでサングラスをつけています。

 

壊れた心を生涯かけて直しています、、、

が、しかし。

罪もんの両手足には穴が空いていた!

 

自分とともにキリストが壊れた心を工事しているのでした。

 

私たちは一生工事中!

人を赦せないとき、愛が足りないのだ。

和解向けて歩めないのも愛が足りないのだ。

愛が足りないとは、神に信頼していないのだ!

我々は一生涯、工事中です。

これは「罪もん」罪友キャラクターです。

泣ける人でありたい

創世記29:11
こうしてヤコブはラケルに口づけし、声を上げて泣いた。

観察
ヤコブが兄エサウから長子の権利と祝福を騙し取り、そのことで生まれ故郷を捨てて逃亡しなければならなくなった。逃亡先は母リベカの実家である。どのような涙であったろうか。
これまでの恐怖か?これから先の苦労への涙か?自分がしたことの後悔か?生まれ故郷を離れなけばならなくなったからか?さまざまな思いの涙だったことだろう。

適用
このヤコブの息子のヨセフという偉大な男も、大いに泣く場面が何度も出てくる。それは過去を清算するため、赦すための必要な涙であった。このヤコブの涙もこれからの人生にはなくてはならないものだったはずだ。「男は泣くものではない」これは真理でもなんでもない。泣ける時に泣ける男でありたい。娘が亡くなった時、人目を憚らず泣いたこと、電話で報告しながら慟哭したことを思い出す。私の心の癒しにはどうしても必要な慟哭であったと思う。

祈り
神の真理を正しく理解して、真理を真理として受け止めることができますように。みことばが真理だと確信して前に進める群れとして導いてください。アーメン



成長のための境界線

創世記24:6
アブラハムは彼に言った。
「私の息子をあそこへ連れ帰らないように気をつけなさい。」


観察
アブラハムは跡取り息子イサクの嫁探しに、1番のしもべを遣わした。そして、その選んだ嫁を連れてこなければならないという条件をつけた。

アブラハムは生まれ故郷を神の言葉通りに出て行った。
その生まれ故郷に嫁を探しにゆくが、決して息子を生まれ故郷に戻してはならないと固くしもべに誓わせた。

適用
アブラハムは神の言葉を守って生まれ故郷から、約束の地へ旅を続けた。

24:1
「主はあらゆる面でアブラハムを祝福しておられた。」


アブラハムの祝福の根源は神の言葉に従い続ける人生といって良い。
なぜ、生まれ故郷をすてなければならなかったのだろうか?
それは偶像礼拝の土地であったからだ。
私たちは神に従うときに、パウロの決断のように、後ろのものを忘れ、ひたむきに義の栄冠のために進まねばならない。

過去の悪い土地、過去の悪い習慣、過去の悪い人間関係から出てゆかねばならぬし、そこへ戻ってはならない。

祈り
アブラハムのしもべは、祈りが終わらないうちに、イサクの嫁を見つけることができたように、私たちの必要も、祈る前ら神はご存知であります。それはすごい私の慰めです。ゴッドタイミングのために祈り、忍耐してキリストの人格をたてあげてゆきたいです!アーメン

風邪をひいて休む羽目になりました元旦礼拝でしたが、元日に聖書通読アプリを入れ、みんなで聖書を読み、デボーションして、分かち合うことにしました!それがもう、皆さんが神に語られる時間となりまして!これはやみつきになりそうです!

 

 

キリストの福音を届けるためならなんでもやる!
そのためには、福音を得ている者から非難されても良い。
目の前にいる人が救われるのだから。

どうすれば良いのでしょう?

 

ルカ3:12-13

収税人たちもバプテスマを受けに出て来て言った。「先生。私たちはどうすれば良いのでしょう。」

ヨハネは彼らに言った。

「決められたもの以上には、何も取り立ててはいけません。」

 

★収税人という職業はユダヤ人であるにもかかわらず、ユダヤ人社会から追放される職業であり、裏切り者と憎まれた存在である。

その収税人を受け入れる姿はキリストの道備えである。

 

★収税人の問い

「私たちはどうすれば良いでしょう?」

この問いは、キリストに出会う前の私そのものだ。

ヤクザを首になり、一匹狼の売人として逮捕され、独房にいたときの問い。「俺はこれからどう生きたらいいんだろうか」

そしてまた、キリスト者となった今も、キリストに毎日のように聴く祈りでもある。

 

★ 「決められたもの以上には、何も取り立ててはいけません。」と、具体的に答えを与えるヨハネ。これは律法に基づいているし、倫理にも基づいている。なにより、

「悔い改めの実」として行動に移しなさい!ということである。

小さな罪も放っておけば、その種は大きくなっていく。

悔い改めたなら、その実を実らせる行動を取りたいものだ。

 

祈り

体調を戻してくださり感謝します。正月に初めて風邪を引きましたが、休みの日に休めるようになったのだと感謝します。こんなに寝たのも久しぶりです。感謝します。「どうすれば良いのでしょうか」死ぬまできっと、あなたに質問してゆくことでしょう。お許しください。あなただけが本当の頼りですから。あなただけに依存したいですから!あなただけが私の全てをご存知ですから!アーメン